第19話 女王陛下
「将軍様、陛下のご用意ができました。」
ゆっくりと大戸が開くと、乳白色の絨毯が大広間の奥までまっすぐ敷かれている。
女王が待つというその場所にひとり招かれたリオは、たどたどしく奥へと進んだ。
だだっ広い空間に従者はふたりしか控えておらず、リオの足音だけがはっきりと響く。
進む先、ごく薄い絹織物で隔てられた小部屋から光がもれている。
半透明に、この場所の支配者と思しきシルエットが浮かび上がる。
リオが立ち止まるべき位置に来たとき、従者が声を上げる。
「歓迎の意を表します。ラーフィールの将軍様。こちら、アルテミス女王陛下にございます。」
女王のドレスの影がかすかに揺れる。
「名を、お聞かせ願いますわ。」
仕切りを隔てているとは思えぬアルテミスの鮮明な声の響きに、リオは恐れ入った。
「パピ・リオストス、トラプス将軍です。」
「汚れなき声。さぞ、優秀な将軍と見受けますわ。」
「ありあまるお言葉です。」
リオは声が震えぬよう発声に全神経を集中させた。
「ん?」
アルテミスの疑問符を聞き、リオは自身になにか間違いがあったか高速で内省した。
「従者たち。まだそこにおりますの?」
従者たちが目を泳がす。
「将軍は、要求通りおひとりで来られたのです。早々に席を外しなさい。」
焦った従者が小走りで広間を出ていく。
リオは冷や汗をかきながら、それを目だけで見送った。
大理石のように白いアルテミスの片手が、絹のカーテンを割る。
隙間から、正門前にそびえていた女神像、その本人の顔がのぞく。
美しい女神像だったが、実物を目の当たりにすると彼女本来の美しさには遠く及ばないことがわかる。
宝石のような瞳が三白眼に浮かび、リオを見据える。
「え、かわいい。」
アルテミスの口から出た言葉だが、リオは心が読まれたように感じた。
「めっちゃ若いじゃなーい!」
アルテミスは手を大きく広げてカーテンを開く。
生地を手際よくまとめ、両端に収納していく。
「リオちゃんだっけ?びっくりだわあ。」
リオが唖然とする。
「ラーフィールの将軍が来るって言うから、ゴリッゴリの暑苦しいのを想像してたのに、こんな細くて綺麗な子が来るなんてね。」
リオはお世辞と思ったが、頬は素直に赤らんだ。
アルテミスが壁面の蓋をあけ、椅子を取り出す。
「まあまあ座って座って。女同士話しましょう。」
リオは出された椅子におそるおそる座り、アルテミスを改めて見つめる。
自分の目を見て微笑む女神に、リオは思わずはにかんだ。
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「え、ムサシ、どこいくの」
ムサシが剣をたずさえ部屋を出ようとしているのに気づき、ミコトが寝転んだまま声をかける。
「じっとしてるのは耐えられん。おっさんが言ってたことも気になるしな。」
リオだけがアルテミスに呼び出され、ふたりは完全に持て余していた。
「ええ、待って。僕も行くよ。」
「見つかったら面倒だ。ここにいろ。」
「邪魔はしない!見つからない。ちゃんとついていけるよ。」
ムサシが一瞬動きを止める。
「勝手にしろ。」
扉を開けて出るまでの動きが、ミコトにとっては既に神速に感じられた。
「ちょまってっ。」
食べ過ぎてミコトの腹が重い。
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「ヘラクレスの目撃情報が...」
城の至る所でヘラクレスの名が叫ばれている。
どうやら捜索している対象がヘラクレスと呼ばれるものらしい。
「罪人か、ケモノか。」
「大切な人かも。」
ムサシとミコトが考えを巡らせる。
「だいたい状況は掴んだ。」
「僕もだ。」
ふたりが城の隅々を行き来し調査を進めていると、地上階に衛兵たちが明らかに通行を避けている場所があることに気づいた。
「この通路に関係してそうだな。このへんにしておくか?」
「いや、進もう。ムサシが怖くないなら。」
「調子いいな。」
異様に幅が広い、薄暗い通路を、ふたりが進んでゆく。
ムサシがふとなにかに気づき、足を止める。
「壁に寄れ!」
二人が壁際にうずくまった直後、通路の幅ギリギリ通ることができる巨大な熊が猛スピードで外に抜けていった。
ミコトが遠ざかる熊の姿を見て戦慄している。
「もう少しガニ股だったら爪にひっかかってた...」
冗談を言えるミコトの余裕に、ムサシは感心した。
「街が危ない。」
そう言いミコトが走り出すが、腹を押さえて減速する。
なんとか城外に出ると、アラシが駆けつけた。
「さすがだな。」
ムサシがアラシの首を叩く。
ふたりを乗せ、アラシは巨大熊の足跡を追った。
熊は街の人に目もくれず、その巨体が通るために用意されたであろう大通りを突っ切っていく。
「目的地があるんだ!」
「ここの軍の生物兵器か。」
城壁の外門を突破し、森に進む。
熊の進行方向には、ほぼ直角の崖がそびえ立っている。
近づくにつれ、崖下の状況が見えてきた。
二十ほどの兵士が、男を囲っている。
熊の接近を確認し、兵士たちが四方に散る。
熊に男を襲わせる作戦だ。
「まずい。」
ミコトがつぶやき、手綱を握りしめる。
あの大きさの熊に突撃されたら、全身の骨が砕け、男は見るも無惨に命を失うだろう。
熊は速度を緩めず、今にも男に突き刺さろうとしている。
「止まれ!」
ミコトが手を伸ばし叫ぶ。
熊は男と接触し、崖の中腹までかけあがっていった。
かけあがったというよりは打ち上げられたと言うべきか。
熊が崖から滑り落ち、地面に激突する。
それでもすぐに目を見開き、男の前に二本足で立ち上がると、男の三倍以上の体長がある。
男に覆いかぶさるようにして、その化け熊は身体を投げ出した。
「ゴ」
気づけば、熊の胸には大穴があいている。
あまりの早技に血もあふれることを忘れている。
血が流れ出す頃、男は熊の足をつかんで、頭上はるか高い崖の上に熊の死体を投げ込んだ。
「なんだ、あいつ...」
ムサシの声が漏れる。
「ヘラクレス...」
探していた存在を前に、ミコトがその名を呟く。
「ぬおおおお」
兵士たちが声を上げ突撃をはじめた。
ヘラクレスのこぶしが兵士の兜にめり込み、熟れた果実を潰すように血しぶきが舞う。
刃を素手で受け止め、兵士の体を森林の彼方に放り投げる。
兵士は押しては引き、犠牲を抑えるがひとり、またひとりと戦力を失っていく。
後方に控える兵士でさえ、攻撃が放つ衝撃波に尻もちをつく。
「逃げろ!ヘラクレスから離れろ!」
ミコトが兵士たちに叫ぶ。
尻もちをついた兵士がそばで話し出す。
「それはできない。また逃がしたら、陛下が我々にどんな罰をお与えになるか...。戦わなければ、戦わなければ。」
兵士が立ち上がり、ヘラクレスに突撃する。
殺した兵士から引き剥がした魔術装甲を、ヘラクレスが高速で振り回す。
それが兵士の頭を叩き潰す直前。
一刀両断された装甲がヘラクレスの手から離れた。
崖下に風が巻き起こる。
躍り出た剣士ムサシに、ヘラクレスが腰を入れたこぶしを見舞う。
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「ほんっとに憎たらしい!」
「もっともだわ。」
大広間の一番奥にたったふたりが腰掛けている。
出入口までの最も遠い距離。
従者が純白の絨毯を汚さぬように往復し、食器を片付ける。
「あいつ、自分のニオイにも気づかないで、『昨日浴びたばかりだろ。水浴びの旅か。』ですって!お前はずっと、鯉と一緒に川で泳いでろ!て心のなかで言ってやったわ!」
「いるいる。自分が気にならなければ人の迷惑なんてお構いなし。どうしてこう視野がせまいんだか。」
愚痴に理解を示され、リオの語気が強まる。
「リオ、あなた本当に苦労してきたのね。その歳で将軍に登りつめるだけでも偉業なのに、同僚を導き、責任を全うする姿勢。尊敬に値するわ。」
まっすぐな称賛に、リオの目が輝く。
「それに、あなたから滲む魔力。相当の修羅場をくぐり抜けた深みがある。きっと、歴史に名を刻む魔術師になるんでしょうね。」
「いえいえ、私なんてまだまだ」
リオが喜びを隠すためうつむく。
「その謙虚な姿勢。私の部下に爪の垢煎じて飲ませてやりたいわ。」
ふたりが同時に紅茶に手を伸ばす。
リオはあさっての方向を向いて紅茶を飲み干した。
「ドタドタドタドタ」
「もうなによ。」
廊下から響く足音が大戸の前で止まる。
「陛下!伝令でございます!緊急!」
「入りなさい。」
伝令兵も絨毯をさけて早足で奥に進む。
彼がアルテミスのもとにたどり着くまで、ひとたびの沈黙が流れ、リオは気まずさを覚えた。
男が息を切らしながら内容を述べる。
「崖下にて、ヘラクレスを包囲、駆逐熊を出撃させております!!」
「!?」
物騒な単語にリオが動揺を見せる。
「安心して。本格演習期間なの。」
アルテミスが横目で優しく語る。
「わたくしが参りますわ!馬を用意しなさい!」
「はっ!」
兵士がきびきびと立ち去る。
「私も、同行よろしいでしょうか...?」
一瞬間をあけ、アルテミスが応える。
「ぜひ。ご覧にいれて。」
アルテミスが柔らかく微笑んだ。




