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彼女の認知機能向上は恐らく記憶の呼び起こしに寄与し、更に僕たち
二人の関係性もより深まると期待した僕だが事態は思わぬ方向へと傾いた。
確かに彼女は劣等感という重い重圧から解放されはしたが、それ以上に
彼女が受けた性被害や搾取され続けた労働環境などがトラウマとなり彼女の
新たな自我形成に少なからず負の影響を及ぼした。
彼女の男性及び社会に対する不信感が時に嫌悪に変わると、当然飛び火する
かのように僕たち二人の関係性にも変化が出始めた。
それはまるで反抗期に苦悩する親子のように……。
〈ガチャ!〉
「先生、帰ってたの」
「帰ってたのじゃないよ。どこに行ってたの? 心配してたんだよ」
「ちょっとね」
「ちょっとじゃ分かんないよ。っていうかその服どうしたの?」
「友達に借りたの」
「借りた? その友達って誰なの?」
「もぉ~ いちいちうるさいな~ 別に誰だっていいでしょ!」
彼女は僕と一切目を合わさずバックから財布を取り出し、中から一万札を
一枚抜き取ると僕に無言で差し出した。
「何、このお金? 僕、かおりちゃんに万札なんて渡したっけ?」
「これ、私が稼いだお金よ」
「稼いだってどういう事だよ。かおりちゃん、そんなトコに突っ立ってないで
こっちに来て説明してよ」と僕はとっさに彼女の腕を掴んだ。
「イッタ! 触わんないでよ」
「あっ、ごめん」
彼女は渋々バックを抱えながら僕の前に正座し顔を背けた。
「先生、お金困ってるんでしょ。私、一応お世話になってるんだから別に気に
しなくてもいいわよ」「はい、これ」「受け取って!」
「いや、かおりちゃんから受け取るワケにはいかないよ。それより稼いだって
どういうこと? 僕にちゃんと説明してよ!」
「別に変な事して稼いだお金じゃないわよ」
「だから詳しく説明してって言ってるだろ!」
「そんな怒んないでよ。ちょっとオヤジと食事しただけよ」
「知らない男性と食事してお金貰ったってこと?」
「そうよ。悪い?」
「悪いよ。そんなことも分かんないの?」
「どうしてダメなの。若い女とデートしたいオヤジがお金で私の時間を買った
ってことでしょ。そんなのキャバクラなんかといっしょじゃない」と彼女は
目を吊り上げ僕にまくし立てた。
「僕はかおりちゃんを心配して言ってるんだよ。もしかおりちゃんの身に
何かあったらどうするの? 誰も助けてくれないよ」
「大丈夫よ、私もう馬鹿じゃないから。その辺はちゃんと考えてるわよ」と
彼女は笑みを浮かべながら立ち上がった。
「でも、ダメだよ。もうやらないって今ココで約束しくれないかな」
「うるさいな~ 先生だってオヤジと同じ事やってるでしょ!」
「同じ事ってどういう意味だよ!」
「同じじゃない。私をこんなトコに囲ってさ。やってる事は同じよ!
あの時は分かんなかったけど先生のやってる事って変だよ。有名な作家なのに
それ投げ出して私を連れ去るなんて常人の行動じゃないわよ」「そうだ、私、
先生に改めて聞きたかった事があるの。今、聞いていい?」
「な、何だよ」
「どうして私を連れ出したの?」
「そ、それは~ かおりちゃんが色々大変だったからだろ」
「ホントにそれだけ?」「まっ、いいわ。連れ出してくれて私は性被害から
救われたんだから」と彼女は再びドア側に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと、今からどこ行くの?」
「友達と約束してるからソコどいてよ」
「ダメだよ。覚えてる? 僕たちはいつ捕まってもおかしくない状態なんだよ。
ひっそりと暮らすって約束しただろ!」
「大丈夫よ。昔の私と違ってその辺は心得てるわよ。”私服”なんて雰囲気
で分かるもんよ。それにあの支援施設、まだ警察に届け出してないんでしょ。
やっぱりやましいんだろうね~」
「確かにそうかもしれないけど、用心した方がいいよ」
「未成年の私を囲うなんて大胆な事してるわりに先生ってビビリね~」
「ねぇ、さっさとソコどいてよ!」
「ダメだよ。そういうワケにはいかないよ」
「大声出すわよ! いいの? このビジホ壁が薄いから叫び声、響き渡るわよ」
「かおりちゃん、いったん冷静になろうよ。落ち着いて。ねっ」と僕が彼女の
両肩に触れた瞬間彼女はそれを振り払うかのように飛び出してしまった。




