未知の技
ローザは人形に一撃を入れたが、相手には何の変化も現れなかった。
「何をしようとしてるんだ? 魔鋼製のゴーレムだぞ? それを拳で殴ったりしても意味がないということが分からないのか?」
モーリッツが大声で嘲る様に笑っている。
ローザが何をしたところで、あの人形を倒すことなど出来るはずが無いと、彼はそう思っているのだろう。
彼がそう考えるのも仕方の無い事ではある。
ローザが何をしているのか、彼には到底理解出来ないのだろうから。
自身が彼と同じ立場であったなら、同じように感じていただろう。
かつてのローザも、その技を目の前で見て説明を受けてもなお、何が起きているのか理解できなかった。
その時の事は、今でも鮮明に覚えている。
それは八年前、ローザがまだ十歳の頃の出来事だった。
帝都の皇宮に一人の冒険者が招かれていると耳にした。
その冒険者は拳聖などという異名で呼ばれているらしい。
その大層な呼び名に興味を持ち、ローザは周囲の人間にその冒険者に会うことは出来ないかと尋ねてみた。
それから数日後、皇宮内にいくつかある庭園の一つで過ごしていた時に、その冒険者はやってきた。
ローザが会いたいと言っていたのを耳にして、向こうから会いに来てくれたのだそうだ。
「初めまして、姫様。ゲレオンって言います」
その冒険者……ゲレオンは、明るく屈託のない笑顔で挨拶をしてきた。
厳つい、岩のような大男だ。
鍛え抜かれた筋骨隆々の体は、まるで岩を削りだしたかのように見えた。
厚い胸板と盛り上がった肩が、衣服の上からでもはっきりとわかる。
その顔もまた無骨で厳つかったが、どこか親しみを感じさせる雰囲気があった。
その体躯と、獅子の鬣のような褐色の蓬髪が印象に残る男だ。
年の頃は三十過ぎくらいに見えた。
実際には五十を超えているのだと後になって聞いて、驚いた記憶がある。
かつては最高位の白金の位階の冒険者であったが、少し前に引退したのだという。
ゲレオンはいくつもの異名を持っていたが、そのうちの一つに「魔術師」というものがあった。
格闘家であるにもかかわらず、彼は魔術師などと呼ばれているのだ。
ローザは五歳の頃から魔術を学び始めた。
皇族は皆、帝国を守護する黄金竜……竜神の司祭でもあるその竜の助けにより、竜神の加護と祝福を授けられていた。
それらの恩恵と、生まれ持った才能のおかげで、ローザは既に並の魔術師では相手にならない程の魔術を操れるようになっている。
既に魔術師としての道を歩んでいた彼女にとって、ゲレオンのその異名は強く興味を惹くものだった。
ローザは笑顔でゲレオンの挨拶に応えた。
「初めまして。拳聖様」
ローザの口にした拳聖と言う呼び名に反応し、ゲレオンは笑みを浮かべる。
「ああ、そんな名で呼ばれたこともありましたね」
「今は違うのですか?」
「まあ……もう引退しちまったんでね」
笑うと、岩のような厳つい顔が、途端に柔らかく愛嬌のあるものになる。
その鍛え上げられた体躯を見るに、今も鍛錬を怠ったりはしていないように見えた。
おそらくは引退した今もなお、彼は最高の戦士の一人なのだろう。
「ゲレオン様。よろしければ、何か技を見せていただけませんか?」
「技? 俺のですか? それは……なかなか難しい注文ですね」
「難しいですか?」
「ああ、いや……皇宮には強い人間なんていくらでもいるでしょう? 姫様にお見せできるような技があればいいんですが……」
ゲレオンはしばらく考えるように黙り込んでいたが、やがて楽し気な笑みを浮かべた。
「じゃあ、そうですね……ちょっとした手品をお見せしましょう」
「手品ですか?」
「ええ。姫様に楽しんで貰えるかはわかりませんが」
それから二人は連れ立って、騎士たちの使用する訓練場へと移動した。
そこでゲレオンはレンガを持ってきて、それを縦に七つ重ねる。
「一から七までの数字をどれか選んでもらえますか?」
「じゃあ三で」
ローザは深く考えずに頭に浮かんだ数字を口にした。
それを聞いたゲレオンは、積み上げたレンガに向けて拳を振り下ろし、レンガを打つ。
その拳でレンガを打ち抜いたりはせず、その表面に触れたところで拳を止めていた。
打たれたレンガには何の変化も起きていない。
拳でレンガを割るのかと思ったが、そうでは無いようだ
「レンガを上から一つずつ、持ち上げていって貰えますか?」
ローザは言われたとおりに、レンガを一つずつ持ち上げていった。
そうして三つ目のレンガを持ち上げようとしたところで、それがちょうど真ん中あたりで割れているのに気付く。
ローザは驚き、ゲレオンを見た。
彼はローザの驚いている様子を見て、楽し気に笑っている。
その下のレンガも確かめる。
四つ目より下のレンガは、どれも無事なままだ。
割れていたのは、三つ目のレンガだけだった。
最初に数字を聞いたのは、そういう事なのだとローザは理解する。
ゲレオンは割れたレンガを新しいものに入れ替え、再び七つのレンガを重ねた。
そして先程と同じように、ローザに番号を指定するように言ってくる。
「じゃあ七で!」
今度は一番下のレンガを指定する。
ゲレオンは笑い、再び積み上げられたレンガを拳で打った。
それを見たローザは、ゲレオンに声を掛けられるのを待たずに、すぐさまレンガを上から取り上げていった。
六つ目までは傷一つ無い。
六つ目を持ち上げ、七つ目に手を触れてみると、それは二つに割れていた。
何をどのようにすれば、こんなことが出来るのだろうか?
魔術で同じことが出来るだろうか?
ローザはそのゲレオンの技に、興味を惹きつけられていた。
ローザはゲレオンに頼んで、何度も同じことをやってもらった。
ゲレオンは嫌な顔一つせずにその要望に応え、何度でもその技を披露してくれた。
彼は自身の技にローザが興味を持ったことを喜んでいるようだった。
何をどうすればそのような事が出来るのか、何度見てもローザにはわからなかった。
「これは……魔術なのですか?」
「ああ、いや。魔術では無いですね」
「では何なのです?」
「技術ですよ。鍛錬を積みさえすれば、姫様にも出来るようになると思いますよ」
「私にも?」
「ええ、もちろん」
「すぐにできるようになりますか?」
「さすがに、すぐには無理でしょうね」
「ゲレオン様は、どれぐらいで出来るようになったのですか?」
「俺は……どうだったかな? ここまで出来るようになるのに、二十年くらいはかかりましたかね?」
「二十年も?」
驚くローザの顔を見て、ゲレオンは笑う。
今思えば、それは随分と無礼な言葉であったように思う。
当時は知らなかったのだ。
長い年月、弛まず鍛錬を積み重ねることで、ようやくたどり着くことのできる境地があるのだということを。
そこに至る近道などありはしないのだ。
楽し気な笑みを浮かべながら、ゲレオンは語る。
「俺は才能が無かったんでね。それくらいかかっちまったけど、姫様ならもっと早く出来るようになるでしょう」
「そうでしょうか?」
「ええ。十年もあれば、これくらいのことは出来るようになるんじゃないかと思いますよ」
帝国の皇子たちは皆、竜神の加護を受けている。
おそらくゲレオンは、それを考慮した上でそう語ったのだろう。
「この技を使えば、壁の向こうにいる相手を倒したり出来ますか?」
「ん? ああ……相手が壁に密着してれば倒せるかもしれませんが、実際にやったことは無いですね」
「この技を実戦で使った事はあるんですか?」
「甲冑を身に着けた相手を殴ったりとか、表皮の固い魔獣を殴ったりとかはよくやってましたね」
この技を使えば、甲冑に傷一つ付けず、内部の人間だけに衝撃を伝えて打ち倒すことが出来るのだと、ゲレオンはそう語る。
「まあ、余程頑丈な甲冑じゃない限りは、普通に殴った方が早いんですけどね」
そう言って、ゲレオンは手近にある打ち込み用の人形に視線を向ける。
それは騎士たちが訓練用に使うもので、人の上半身を模した木の人形に、鋼の胸当てを付けたものだった。
その人形に近づいていったゲレオンは、おもむろに拳を打ち込んだ。
その一撃を受けた人形は粉々に砕けて、その破片が飛散する。
鋼の胸当ては、大きくひしゃげて潰れ、地に落ちていた。
確かにこの打撃の威力なら、鎧ごと中の人間も叩き潰せるのだろう。
「体のデカい魔獣なんかを相手にするときには、良く使いますね。脳や心臓だけを潰せば、肉や皮を傷付けずに済むんでね」
そう言って笑うゲレオンの姿を見ながら、ローザは考えていた。
今彼女の心の中にある、興味と欲求。
それについてわずかな時間考え、それから彼女は口を開いた。
「ゲレオン様。私に格闘術を教えていただけませんか?」
それを聞いたゲレオンは驚いた様な表情を見せた。
「姫様にですか? 俺はかまいませんが……姫様に教えるとなると、色んな人の許可がいるんじゃないですかね?」
「大丈夫です! それは私の方で何とかします!」
意気込んで語るローザの様子を見て、ゲレオンは困ったような顔で苦笑する。
こんな感情を抱いたのは、初めて魔術を見たとき以来だった。
未知の技を見て、それが何なのかを知りたいと思った。
五歳の頃に初めて魔術に触れて感じた、驚きと喜び。
その感情を、彼女は思い出していた。
ローザは既に、師について魔術を学んでいる。
今まで通りに魔術を学びながら、格闘術も並行して学ぶのは簡単では無いだろう。
それでも彼女は知りたいと思った。
ゲレオンの技は、それ程に彼女を魅了していたのだ。
皇族である彼女は、魔術や武術の鍛錬だけしていれば良いというわけにはいかない。
それ以外にも様々な学習や鍛錬をしなければならない。
時間は有限で、学ぶ事はあまりに多い。
それでも彼女の好奇心と情熱を止められる者はいなかった。
その日から、彼女は周囲に対する働きかけを行っていった。
皇女たる身で、徒手空拳……己の肉体のみを駆使して戦う技を学ぶとは……などという者もあったが、ローザは気にせず、自身の要望を通すべく周囲に訴え続けた。
それから一週間後、再びゲレオンは皇宮へとやってきた。
ローザに格闘術を教える許可が出たらしい。
彼女自身が周囲に対して強く働きかけた、その努力が実ったのだろう。
その日からローザは武術の鍛錬に励むこととなった。
皇女としてやらなければならない事、学ばなければならないことはいくらでもあり、それらを疎かにすることは出来なかった。
それでも彼女は、武術と魔術の鍛錬の時間を最優先にしていた。
それが必要だからという理由で、ローザは様々なことを学んでいたが、魔術と武術だけは彼女が自ら望んで学び始めたものだ。
ゲレオンはというと、才能ある弟子を持てた事を喜んでいたようだ。
もう引退していることもあり、呼べばいつでも来てくれた。
そうして鍛錬を続けたローザは、少しずつ技を身に付けて強くなっていった。
竜神の加護のおかげもあるのだろう。
数年も経つころには、大人の騎士を相手にしても十分に戦えるほどの強さを身に付けていた。
そうしてローザは十三歳の頃から冒険者として活動し始めた。
最初の数年は、常にゲレオンが付いてきてくれた。
ゲレオンは格闘術だけではなく、冒険者の先達として様々な事を教えてくれた。
そうやって師に見守られながら、ローザは少しずつ冒険者としての経験を積んでいった。
その実戦の中で、ゲレオンが敵を打ち倒す様子を何度も見てきた。
とある依頼の途中に、森の中で鋼鱗獣と呼ばれる魔獣と遭遇した事があった。
熊に似た魔獣で、その名の通り鋼のように固い鱗を持っている。
その鱗はただ硬いだけでは無く、魔力によりさらに強度を増したりもできるらしい。
その魔獣を前にしたゲレオンはローザに下がっているように告げて、それと対峙した。
それを見た魔獣は、威嚇するように吠えながら立ち上がる。
ゲレオンは大男であったが、その獣の巨体の前では随分と小さく見えた。
その魔獣の巨体を前にしてもゲレオンは寸毫もひるむこと無く、腰を低くして戦うための構えを取る。
立ち上がった体勢の魔獣が攻撃のために前足を振り上げた瞬間に、ゲレオンは前へと出ていた。
拳を振るい、ただ一突き、魔獣の胸を打ち抜く。
そのただ一打ち……それ以上の追撃も無く、ゲレオンは素早く間合いを外す。
魔獣は何の反応も示さず、その動きを止めていた。
数秒ほどして、その体はゆっくりと前方へと傾き、倒れ込む。
そうして、それ以上動くことは無かった。
ゲレオンは、その魔獣を拳の一撃のみで絶命させていたのだ。
目に見える傷は何一つ無い。
ただその魔獣の心臓のみを破壊していた。
体表が強固な皮や鱗に覆われた生物は多いが、内臓までが頑丈な生物など存在しない。
ゲレオンの拳は、体表の守りを無視して内部のみを破壊することが出来る。
それは出会った時に見せてくれた技と同じものだった。
そのような事が出来るのは知っていたが、それを実際に目の当たりにして、改めて驚愕せずにはいられなかった。
当時のローザには、まるで届かない技術だった。
それでも自分にもいつか出来るようになるという師の言葉を信じて、鍛錬を続けてきた。
そうして今は、未熟ながらも師の真似事らしき事が出来るようになっている。
ローザは人形の激しい攻撃をひたすら捌き続けながら、さらなる一撃を打ち込む隙を探していた。
師の技を初めて目にしたあの日から、八年が経っている。
ローザであれば十年もあれば追い付けると、師は言っていた。
だが、未だ師には遠く及ばず、その技の不完全な模倣ができるに過ぎない。
あと二年で師に追いつけるとは、到底思えない。
だがそれでも……たとえ師には遠く及ばぬ未熟な技なのだとしても、この程度の相手であれば十分に事足りる。
先程からずっと、モーリッツの笑い声が聞こえていた。
相変らず耳障りな声だ。
ローザが何をしているのか、彼には理解できないだろう。
その生まれに胡坐をかき、自らの意志で鍛錬をしたことも無さそうに見える。
あの男は、力という物は誰かに与えて貰う物だとでも思っているのではないか。
鍛錬を積み重ねる事によってのみ、辿り着ける境地。
魔術という神秘の力を以てしても、再現できない技の深奥。
それを実際に目にしたことが無い者には、ローザが何をしようとしているのか、その想像すら出来はすまい。
今のうちに好きなだけ笑っているといい。
人形はなおも休みなく跳び回りながら、手足を振り回して攻撃を続けている。
跳躍して迫ってきた人形が、その左腕を水平に振り抜く素振りを見せたのちに、右腕を上から振り下ろしてきた。
ローザはそれを体を開いて躱す。
攻撃の途中で動きを変えてきたようだ。
フェイントを入れたつもりなのだろうか?
人形が自分で思考して動いたわけでは無いだろう。
モーリッツがそのような指示を出したのか?
ローザの心中には、かすかな嘲りの感情が湧いていた。
工夫をするのは悪くない。
だが、それはあまりにも拙かった。
熟練の戦士が、何千回、何万回と繰り返して体得した技ですら、実戦ではそう簡単に当たるものでは無いのだ。
さして鍛錬も積んでいない、素人同然のモーリッツ如きが、今しがた思いついてやってみた……そんな程度の攻撃が、通用するとでも思っているのか?
「舐められたものね……」
思わず漏れたその呟きは、戦いの音にかき消され、自身以外の誰の耳にも届かない。
ローザは変わらず、冷静に人形の攻撃に対処し続ける。
人形の拳が、ローザの顔目掛けて真っ直ぐに繰り出された。
その拳を前腕で受けながら跳ね上げ、その軌道を変える。
がら空きになったその懐に入り、その鳩尾を目掛けて拳を繰り出す。
十分な手応えと共に、金属を打つ甲高い音が響き渡った。
二度目の打撃。
ローザはすぐに間合いを取って、人形の反撃に備える。
だが反撃は来なかった。
一瞬ではあったが、人形は動きを止めていたように思える。
攻撃の効果が出て来たのだろう。
まだ十分では無いようだが。
だとしても、何の問題もない。
相手が倒れるまで、同じ事を何度でも繰り返せば良いだけだ。
いつの間にか、モーリッツの笑い声が聞こえなくなっていた。
ローザが何をしているのか、あの男にわかる筈が無い。
それでも何かが……モーリッツにとっては受け入れがたい何かが起こっているということは、感じ取れるのだろう。
人形が跳躍し、空中で大きく足を振り上げた。
そうしてローザの頭を砕こうと、踵を振り下ろしてくる。
ローザはそれを横方向に半歩だけ移動して躱す。
凄まじい重量と速さを伴ったその踵が、地面に突き刺さる。
その一瞬……全力の技を繰り出し、動きが止まった一瞬の隙をローザは逃さなかった。
素早く踏み込み、人形の鳩尾に向けて三度目の拳を打ち放つ。
ローザの耳は何かがひび割れるような音を捉えていた。
一瞬人形の動きが止まったが、またすぐに動き出す。
だがその動きは、先程までと比べると明らかに鈍っていた。
動きは緩慢になり、わずかにふらついているようにも見える。
ローザはその機を逃さなかった。
再度人形の懐に飛び込み、再度の打撃を人形の鳩尾に打ち込んだ。
四度目の打撃。
それを受けた人形は、フラフラとした足取りで数歩後退する。
ゆっくりとその体が後方へと傾き、音を立てて背中から倒れ込む。
「何をしてる! 早く立ち上がってそいつを殺せ!」
モーリッツの甲高い叫び声が響く。
先程までとは違う掠れた声が、彼の焦りを表している。
人形が立ち上がる。
ガクガクと体を震わせながら、それはゆっくりと立ち上がる。
だが人形は、それ以上動こうとはしなかった。
おそらく、もう動く力も残っていないのだろう。
「うあああああぁぁぁ!!」
恐慌をきたしたのか、モーリッツが叫び声をあげる。
その声を聞いたローザは小さく息を吐く。
貴族としての矜持など何一つ持たない、どこまでも醜い男だ。
人形はなおも動かないままだ。
もはや立っているのがやっとなのだろう。
もう攻撃も防御も出来ないようだ。
相手が動きを止めているせいで、ローザはその拳に全神経を集中することが出来た。
一歩踏み込みながら、これまでで最も強い一撃を人形の鳩尾に向けて打ち放つ。
ローザの拳が人形の鳩尾を打った瞬間、何かが砕けるような音が聞こえた。
次の瞬間、人形はその場でくしゃりと潰れるように崩れ落ちた。
「何をしてる! 立てっ! 立てって言ってるんだ!!」
モーリッツが狂乱し、必死で人形に呼びかけている。
どれほど叫んでも意味はない。
もう、この人形が立ち上がることはないだろう。
何故自慢の人形が動かなくなったのか、彼にはわかるまい。
突然人形が動かなくなった。
彼にわかるのは、ただそれだけだ。
ローザはピクリとも動かなくなった人形を見下ろす。
そして顔を上げ、モーリッツに視線を向けた。
「……さあ、守り手はいなくなったわ」
ローザは呟き、モーリッツへと向かっていく。
モーリッツはまだ人形が倒されたことを受け入れられていないのか、必死で人形に向かって叫び続けていた。
だが、彼に近付いていくローザとの距離がどんどんと縮まって行くのを見て、その顔に恐怖の色が浮かぶ。
そうして、彼は必死の形相で逃走を開始した。
もちろん逃がすつもりなど無い。
ローザは小さく息を吐き出し、魔術を行使する。
次の瞬間、地面がうねった。
逃げ出そうとするモーリッツの足を、伸びてきたツタが絡めとる。
モーリッツは転び、叫び声を上げる。
必死で逃れようともがき続けるが、逃れることは出来ない。
ローザはさらに魔術を行使し、その手を頭上に掲げた。
その掲げた手の先に炎が浮かび上がる。
やがてそれは、モーリッツを丸ごと呑み込んでしまえるほどの大きさになっていた。
ローザは無言で、ただ掲げた手を振り下ろす。
火球がモーリッツ目掛けて、真っ直ぐに飛んでいく。
「うああああぁぁぁあ!!」
恐怖の叫び声を上げているモーリッツの体を炎が包み込む。
炎の中で人影が暴れ、もがき、叫んでいたが、やがてそれも止まる。
月夜に照らされた庭に、ただ炎の燃える音が響いていた。




