街の異変
それから数日は何事もなく過ぎ去った。
毎晩深夜まで街中の見回りをしたのちに、宿へ戻って就寝する。
そうして翌日の昼前頃に目を覚ます。
それから夜になるまでは、魔術や武術の鍛錬をしながら過ごした。
夜になったら、また街の見回りに出かける。
ここ数日、ローザはそんな風に一日を過ごしていた。
墓地に残っていた魔術反応については、まだ何もわかっていない。
行方不明となった墓守についても、手がかりは見つかっていないようだ。
行方不明者が出ている場所で、人知れず魔術を行使した者がいる。
危険な存在かもしれないその相手が、まだ街中に潜んでいる可能性がある。
そのためローザは毎晩街を歩き回って、何かが起きたりはしていないか見回りをしていた。
その見回りの間に、街のいくつかの場所に魔力探針と呼ばれる魔道具を設置していた。
一定範囲内の魔力を感知する事ができる、小型の魔道具だ。
街中で何事かが起こった場合に、素早く対応するための備えである。
今のところ、特におかしなことは起こっていない。
その日、目覚めてしばらくたった頃に、クラウスから依頼を無事に終えたという連絡があった。
当初は一ヶ月はかかると言っていたはずだ。
まだ一週間しか経っていないが、早く終わってくれたのはローザとしてもありがたかった。
妖精の君主と戦う事になったと言っていたため、さすがのクラウスでも少しくらいは手こずったりするのかもしれないなどと考えていたが、それも杞憂だったらしい。
この街には不穏な空気が流れている。
クラウスには、出来るだけ早く追い付いて来て欲しいと伝えた。
彼ならば、明日にはこの街までやって来れるだろう。
何が起こったとしても、クラウスがいてくれさえすれば問題にはならない。
彼が来るまで、何も起きなければ良いのだが。
その日の夜も、ローザは一人で街の中を見回っていた。
その見回りの途中で、魔力探針にわずかな反応があったが、すぐに消えた。
ここ数日で同じようなことが何度かあったが、確認しても何事も無かった。
今回も同じ、何事も無い可能性が高い。
だが念のため、反応があった方角に確認に向かう。
何も無いならそれでいい。
手間を惜しんで、なんらかの被害が出たりするよりはずっとましだ。
とある路地の前を通り過ぎようとしたところで、ローザは何者かの気配を感じて足を止めた。
その気配は、路地の奥からこちらへと近付いてきている。
ローザは魔力感知の術を使い、その何者かが現れるのを待った。
程なく路地の奥から一人の男が現れた。
その足取りはふらついており、酔っているようにも見える。
男がフラフラと近付いて来る様子を、ローザは注意しながら見ていた。
男はその体から、異質な魔力を放っている。
ローザの知る限り、それは人が放出する類の魔力では無かった。
よく見ると、その男の顔には見覚えがあった。
モーリッツの取り巻きの一人……この街に来てすぐに、自身の手で殴り倒した相手だった。
「こんばんは。足元がおぼつかないようだけれど、大丈夫?」
男はその問いには答えず、なおもふらつきながら近付いてくる。
男の体がわずかに沈んだ。
次の瞬間、男は弾かれたように飛び掛かってきた。
その跳躍の勢いのまま、ローザを引き裂こうとするかのように腕を伸ばしてくる。
ローザは片足を軸にして、ひらりとその場で回転し、それを躱す。
突撃を躱された男は、勢い余ってたたらを踏みながら停止し、振り向いた。
その目は虚ろで、口からはだらだらと涎のようなものを垂れ流している。
その様子と、人とは思えない魔力。
それらを見るに、既に人間をやめてしまっているようだ。
どこかで命を落とし、亡者として蘇ったのだろう。
「……少し見ない間に、随分変わってしまったみたいね?」
その問いかけにも、男は反応を示さない。
ローザの言葉は男の耳には届いていないようだ。
男は体をたわめて勢いを付けてから跳躍し、唸り声を上げながら再度飛び掛かって来た。
ローザは後ろに下がってそれを躱す。
そして男が着地した直後、動きが止まった瞬間を狙い、間合いを詰める。
男は腕を前に出して攻撃してくるが、ローザはわずかに腰を落とし、伸びてきた腕を左腕で払いのけながら、相手の胸に右拳を叩き込む。
全力の一撃。
魔物になり果てた相手に、手加減などする必要は無い。
その一撃を受けた男の背中が爆ぜ、肉片が後方に飛び散った。
男の体もまた、後方へと吹き飛び、倒れる。
それ以上の追撃は行わず、素早く間合いを外して様子を見る。
ローザは倒れた男の体を見下ろした。
その左胸……心臓のあった場所には、拳よりも一回り大きな穴が開いている。
しばらく男の様子を見ていたが、これ以上動くことはなさそうだった。
周囲の様子を確認する。
人の気配は無く、魔力の反応も無い。
誰かが隠れている様子も無かった。
この男と同じような亡者も、これ以上はいないようだ。
ローザは男の遺体を残したままその場を立ち去り、その足で衛兵の詰所へと向かった。
詰所にたどり着くと、その中には三人の衛兵の姿があった。
どうやらランベルトはいないようだ。
顔を知っている者に会えれば良かったのだが、仕方が無い。
ローザは詰所の扉をノックし、衛兵たちに声を掛けた。
「こんばんは」
ローザの姿を見た衛兵たちは、驚きの表情を浮かべていた。
おそらく、こんな夜中に女が一人で現れたことに驚いているのだろう。
「こんばんは、お嬢さん。何かありましたか?」
「ええ。街中で魔物に襲われて、返り討ちにしたんです。その魔物の死体を確認していただきたくて」
「魔物を? 返り討ち?」
「ええ。これでも一応冒険者なので」
驚きの表情を浮かべる衛兵に、ローザは笑顔を浮かべて答える。
「私はローザって言います。ランベルトさんは今はいらっしゃらないんですね」
「隊長と知り合いなのですか?」
「ああ、隊長さんだったんですね。この街に来たばかりの時に色々あって知り合ったんです。いてくれたら話が早いと思ったんですが……」
「ああ! もしかして、あなたですか? モーリッツを殴り倒した冒険者って?」
「ええ、そうですね。それで、その魔物なんですけど、死体もそのままにしてあるので、一緒に行って確認していただけますか?」
「ああ……承知しました」
衛兵は一人が詰所に残り、二人がローザに付いてきた。
そうして三人で、先程ローザが襲撃を受けた路地の入口までやってくる。
「これです」
そう言って、ローザは横たわる男の死体を指で指し示す。
その指差す先を、衛兵が手にしていたランタンで照らし出した。
そこに倒れている男の遺体を見た衛兵が、驚きの声を上げる。
「こりゃあ、食屍鬼か?」
「おそらく、そうだと思います」
「胸に穴が空いてるな……」
「それは私がやりました」
「あなたが? どうやってこんな穴を?」
「拳で殴りました」
「拳で? 殴った?」
衛兵は、冗談なのかとでも言いたげな表情を浮かべている。
ローザの見た目の印象と、その言葉の内容が余程かけ離れていたのだろう。
ローザはそれに、ただ微笑みを返す。
そのような目で見られるのにも、もう慣れていた。
そんな顔をされても、事実なのだからしょうがない。
「私は一旦宿に帰ってもいいでしょうか? 明日の昼くらいに、また詰所に伺ってお話をさせていただきます」
「ああ、そうですね。わかりました。念のため宿を教えていただいても良いでしょうか?」
ローザは衛兵に宿の名を伝え、その場を離れようとしたが、そこを衛兵に呼び止められた。
「こんな夜更けにご婦人がお一人では危ないでしょう。送っていきましょうか?」
「ああ、大丈夫です。襲ってくるような輩がいても、自分で対処できますので」
ローザはそう言いながら、自身の手で倒した食屍鬼に目を向ける。
衛兵もまた、それを見て苦笑を浮かべる。
「ああ……そうですね。承知しました。では、お気を付けて」
「ええ、ありがとうございました」
衛兵たちに別れを告げ、宿へと向かう。
宿にたどり着いてすぐに、そのまま寝床に横になった。
翌日、昼前に目覚めたローザは、遅い朝食を取ってから、衛兵の詰所へと向かった。
詰所でランベルトの姿を見つけて近付いて行くと、向こうから声を掛けてきた。
「やあ、昨晩は色々あったみたいだな」
「ええ、そうね。何かわかった?」
「まだ何も。あの男がいつ死んだのか、どうやって食屍鬼になったのか……何もわかってないんだ」
「そう」
食屍鬼は死者が蘇り魔物となった亡者だ。
あの男はどこかで死に、どのようにしてか食屍鬼となった。
亡者と言えば、まず思い浮かべるのは墓地だろう。
あの墓地を調べたときに見つけた魔力の反応……あれはやはり死霊術師か、それに類する何者かによるものなのではないか?
だとすれば、その何者かが今もこの街のどこかに隠れている事になる。
「ああ、そういえば、あれから冒険者を雇って墓地を詳しく調べて貰ったんだが、あなたの言っていた通り、魔力の痕跡が見つかった。地上に残っているのは魔術を行使した跡で、地下のは強い魔力を持った何者かがそこに潜んでいたせいだろうって話だ」
「そう。昨日の件も含めて考えると、死霊術師か何かがいるのかもしれないわね」
ランベルトが頭を振りながら、大きく溜息をつく。
「この街で衛兵になってずいぶん経つが、こんな事は初めてだよ。街中に魔物が出るなんて」
「大変だろうけど、頑張って。街にはあなたを頼りにしてる人たちが大勢いるんだから」
そのローザの言葉を聞いたランベルトは、楽し気に笑う。
「いいね。美人の激励のおかげでやる気が出てきたよ」
「そう、良かったわ」
そう言ってローザもまた笑みを返す。
「ああ、そういえば……冒険者を雇う時にあなたを指名できないかと聞いたんだが、提示された依頼料がかなりな高額でね。泣く泣くあきらめたんだよ」
「そう。残念だけど仕方ないわね。公金なのだから無駄遣いは避けるべきよ」
「ああ、その通りだ」
そう言って笑い合ったのち、ランベルトが少しだけ表情を引き締める。
「何かあった時には、あなたの助力を期待してもいいだろうか?」
「ええ、もちろん。何かが起こったからって、一人で逃げ出したりはしないわ」
「それを聞いて安心したよ」
詰所でのランベルトとの会話を終えたローザは、墓地に足を運んだ。
地上を一通り回ってみたが、魔力の反応はほとんどわからない程に弱くなっている。
時間が経ったせいなのだろうか?
そうであるなら、あれ以降は魔力が残留するような出来事は起きていないということなのだろう。
地下墓地にも下りてみる。
あらゆる場所から魔力を感じるのは前回と同じだったが、こちらも地上と同じで、感じ取れる魔力は弱まっている。
この場所に何かが潜んでいたということだが、それはどこに行ってしまったのか?
あの魔力の量だ。
相応の力を持った存在なのだろう。
そんな存在が、一体どこに身を隠しているのだろうか。
あの食屍鬼はこの墓地で作られたのかと思ったが、新しい魔術の痕跡は見つからない。
あれもこの場所で作られたものでないなら、どこで作られたのか?
「クドゥリサルがいれば、見つけられたのかしらね?」
こういった状況では、クドゥリサルの知識と能力は非常に有用だ。
この場にいてくれたなら、大きな助けになったのだろうが。
ローザは大きく息を吐き、墓地を後にした。




