汚れた手は綺麗にならない
「レム……リア?」
玉座の間に続く廊下に響く声に反応し、朧気な意識のまま目線の先には映る人物の名前を溢す。
己を鮮血に染めながらも、逞しく立つ姿はこの場にいる誰よりも強者のオーラを出していた。
「誰だ貴様は?まさかこの剣聖の息子の仲間か?」
周りを囲む兵士たちに槍を納めさせ、突然現れたレムリアに問いかける。
「……」
しかし、レムリアがツラナークの問いかけに答えることはなかった。体の内側に眠る怒りを必死に抑え、黙ってゆっくりとアレンの元へ歩く。
一歩ずつ近づくレムリアに攻撃の指示を出すことはなく、ツラナークは何かを考えるような表情をしながらその光景を目に焼き付ける。
「アレン様。お待たせ致しました」
そして、アレンの元までたどり着いたレムリアは優しく手を差し伸ばす。アレンはその手に、震える自分の手を重ねると俯きながら言った。
「レムリア……。俺は、俺のせいで父さんと母さんが死んで。俺がいなければ誰も……」
ツラナークの話をまともに聞き入ってしまったアレンは、罪悪感で押し潰されそうになっていた。
ーー“自分が居なければ”。“自分が産まれてこなければ”と、大粒の涙を流しながら
「そんなこと言わないでください。私はアレン様が産まれてきて、アレン様と出会えて幸せなのですから」
「レムリア……」
「だからここは、ここらからは私に任せてください。絶対に脱出して見せます」
そう言うとレムリアは、腰に下げていた短剣を抜いてどす黒い血で己の顔を汚すツラナークに向ける。まるで一匹の獣のような鋭い眼光し、心の底から湧き上がる殺気を乗せるレムリアに、ツラナークは拍手を送りながらゆっくりと歩き近づく。
「フハハハハハ!!見事だ、名も知らぬ娘よ。私も様々な余興を準備してきたつもりだが、ここまでそれを超えてくるとは思わなかった」
「余興……?一体どういうことですか?」
「気にするな、こちらの話だ。剣聖の息子と、貴様を殺す事実は変わらん」
数歩進んだところで足を止め、ツラナークの後ろで槍を構える数人の兵士に指示を出す。
「まずはその娘から殺せ、そして剣聖の息子……。最後にゼーロスを殺せ」
ツラナークが慈悲の一つも感じさせない声色で指示を出すと、兵士たちは一言も発することなく黙って首を縦に振ると一斉にレムリアに槍を構えながら襲い掛かる。
先ほどエレンと戦った時の傷が追い打ちをかけるようにして蘇り、必死で抵抗しようとしても力が全くでなかった。そうして一瞬でとらわれてしまい、体の自由を奪われる。
「フハハハ!!あれほど啖呵を切ってた割に随分とあっさり捕まってではないか」
「くっ……!!」
悔しそうに奥歯を強く噛みしめるが、それだけで拘束が解けるわけがなかった。一人で旅をしてきた時に愛用していた短剣も手放され、残っている武器は己の心の牙だけだった。
「レムリア!!」
咄嗟に助けようと動こうとするアレンであったが、近づいた瞬間にレムリアに触れている槍がより深く突き刺さるだけだった。
動けば槍が刺さり、動かなければレムリアは助けられない。だからこそ何もできない自分自身のことを、アレンは心の底から恨んでいた。
「また……俺のせいで居なくなるのか?俺が産まれてきたせいで、また……誰かが殺されるのか?」
一度痛みを知ってしまった心は、存外早く壊れやすいのか。まだ完全に立ち直っていたわけではなかったのか、アレンの心はとても弱気になっていた。
「娘よ、何のためにここに来たのかは分からないが、貴様のせいで貴様が想う者が己を恨んでいる」
「私は……」
「助けるために来たはずが、必要以上に追い込んでしまったな。中途半端に近づこうとするから、余計に傷つけた」
ツラナークの言葉が想像以上にレムリアの心に突き刺さる。今までのどんな言葉よりも深く、それでいて鎖で繋がれたように離れなかった。
「……もう少し頑丈だと思ったが、存外壊れやすいものなのだな。もういい、早く始末してしまえ」
退屈そうに吐き捨てると、兵士たちは何も言葉を発さずに持っている槍を愚直に深く突き刺そうとしてた。肉がえぐれる音、吹き出す赤い血、そして……
「ぐっ……いやぁぁぁぁぁ!!」
痛みに悶える一人の少女の声が王宮内に響き渡っていた。
「俺が……俺が……俺のせいで」
その声を耳に届かせないよう、震えた手で震わせながら心の底から己を恨むアレン。
――その光景を、まるで愉快と言いたそうな表情で見るツラナーク。
この瞬間、王宮内に地獄が訪れたのだった。一人は高見の見物と言わんばかりに見つめ、一人は自分自身を恨み、一人は耐えがたい苦痛を与えられる。
「俺のせいでまた……死ぬ。俺のせいでまた殺される」
罪悪感で押しつぶされそうになった時、塞いでいる耳にかすかな金属音が響いた。それは誰かがレムリアの体を突き刺す槍を弾いた音で、アレンはゆっくりと耳から手を外して恐る恐るレムリアの方を見つめる。
「……お嬢さん、大丈夫ですか?」
「あ、あなたは?」
「ゼーロスさん……!!」
数人の兵士によって捕らわれていたレムリアを助けたのは、さっきまでは敵だったはずのメルド王国騎士団・騎士団長のゼーロスであった。
◆◆◆
「――助けるに入るのが遅くなって申し訳ございません。少々隙を伺っていたものですから」
「い、いえ……ありがとうございます」
レムリアを助け出したゼーロスは、持っていた白い布で傷口を塞ぎ、丁寧に応急処置を行う。一呼吸の間に敵を一掃したゼーロスに若干の警戒をするレムリアだったが、応急処置をしてくれたことでその警戒
は解けていた。
「ゼーロスさん、どうして……」
レムリアを助けたゼーロスに駆け寄るアレン。そんなアレンに、ゼーロスは冷たい声で話す。
「坊ちゃん、その説明をする前に一つだけよろしいですか?」
「えっ――」
少し頭を下げた後、洗練された強烈な打撃をアレンに放った。瞬きの間に放たれた一撃に反応することは出来ず、アレンはその衝撃で数メートル後ろの壁まで吹っ飛ばされる。
「己を助けると言った少女がピンチになっているのに、絶望の淵に立たされたままでどうするのです!」
「ぜ、ゼーロスさん?」
「自分のせいだと思いたくないなら、本当に失いたくないのなら、もっと貪欲になりなさい」
ゼーロスに与えられた痛みと、言葉で目が覚めたような衝撃が走る。
「……老いぼれの説教はここまでです。お二人は一刻も早くこの国から逃げてください」
「ど、どういうことですか?」
「私ができる限り時間を稼ぎますから、その間に坊っちゃんと一緒にお逃げください」
どこか寂しさを感じさせる背中を見せながらゼーロスは言った。だが、アレンとレムリアはその言葉にいくつかの疑問を抱く。
一瞬の隙をついたとはいえ、徹底的に鍛えられてきた兵士たちを瞬きの間に一掃してしまったのだ。実際に対峙したアレンも、ゼーロスの強さは知っていた。だからこそ、「時間を稼ぐ」という言葉に疑問を抱かずにはいられなかったのだ。
「……私も詳しくは知りませんが、恐らく国王は人間ではないでしょう。何の策も持たずに勝てる相手ではありません」
「でも……それだと、ゼーロスさんが!!」
心の底から汲み上げる悲しみの感情を露にした声が、王宮内に響き渡る。するとゼーロスは、ゆっくりと後ろを向くと優しそうに微笑んでアレンの頭に手を伸ばす。
「……坊っちゃん。私のことはいいのです。さあ、行ってください」
どこまでも、どこまでも優しい瞳で言ったゼーロスは最後に小さな「申し訳ございません」と呟き、仁王立ちするツラナークの元へ駆ける。
「まさかあのまま黙って待ってくれるとは思いませんでしたよ。存外、空気が読めたのですか?」
疾風のように駆け巡るゼーロスの姿を目で追うことすら難しかったが、ツラナークは憐れむような表情でその拳を受け止めていた。
「所詮はいつでも殺せる虫だ。寿命が10分伸びただけだろう?」
「くっ……!!」
何とか拳を抜き取ろうとするが、どんなに強く振りきろうとしても力を入れてもびくともしなかった。
「あ、あいつは一体何者なんだ……?どこであんな力をーー」
「何をしているのです!早くここからお逃げください!!!」
後ろを振り返り、まだ逃げていない二人に向かって叫ぶ。その刹那、ゼーロスの腹部をツラナークの手刀が貫いた。
「がふっ……!!」
「ゼーロスさん!」
「こっちに来てはいけません。ここで坊っちゃんが来てしまったら、私の命が本当の意味で無駄になってしまいます」
赤い、赤い血をボタボタと床に足らしながらゼーロスは言う。
「お願いです坊っちゃん。私のこの小さな命が、意味ある物であったと言えるように……私のために逃げてください」
「~~~!!レムリア行こう!」
「あ、アレン様!?よろしいのですか?」
「こうするしかないんだ!こうしないと、ゼーロスさんが身体を張った意味が無くなる」
今にも溢れ落ちそうな涙を必死にこらえ、レムリアの手を引いて逃げる。その際に後ろを振り向いたりはしなかった。
ゼーロスの言葉通り逃げて、逃げて、ただ必死で逃げていったのだった。
「……そうです。それでいいのです坊っちゃん」
二人の姿が見えなくなったとき、ゼーロスは微笑みながらその目を閉じたのだった。一つの後悔もないように、これ以上ない安楽死を迎えたようにーーーー
◆◆◆
「ーー早く、早く行くぞレムリア」
「待ってくださいアレン様。国を出ると言っても、一体どうやって……」
「ここは海と隣接する場所にある。港の方に行けば船の一隻くらい」
月が雲に隠れ、闇夜のなかを進むアレンとレムリア。そんな二人の後を、数十人を裕に越える兵士たちが追いかける。
「居たぞ!追うんだ!」
「あ、アレン様!?どうしましょう」
「ダメだ。さすがに数が多すぎる」
今は逃げる方を優先したアレンは、少しでも距離を縮ませないようにと走るペースをあげる。
そうして進んでいくと、潮の香りが段々と強くなってきて波の音も近くなってきた。
「レムリア、早くここに乗るんだ」
「は、はい!」
港にたどり着き、一隻の船に急いで乗り込んだアレンとレムリアは直ぐに港に繋いでいた鎖をほどき、出港する。兵士たちはもう目と鼻の先にまで来ているところで、まさに間一髪な状況であった。
「待て貴様ら!今さら逃げきれると思うのか!」
「……思わねえよ。でも、今は逃げないといけないんだよ。ゼーロスさんのためにも……、またここに戻ってくるためにも!!」
そう強く叫び、闇の大海原へと進む。
一隻の船が一人の少年と少女、そして抱えきれないほどの罪を乗せてーーーー




