山を越え
デボラ山を進みだして早くも1週間が経過した。進んでは稽古して休む、そして再び進む。そんな生活もそろそろ終わりを向かえようとしていた。
「さ、さすがに少し疲れてきましたね」
「山を越えたら渓谷が待ってる。それを越えたらいよいよメルド王国にたどり着ける」
少しばかり息を切らしながら目の前の背中を追いかけるレムリアであったが、アレンの方は全くと言っていいほど疲れを見せない。
「……」
もうすぐで山を越えられるという事実に足が軽くなりそうだが、先程の言葉が耳に残っていたアレンは少しばかり歩くペースを落とす。頂上に近づくほど魔物の数も減っていき、今さら遭遇することはなくなっていた。
木々の隙間から太陽がそっと顔を見せるが、気温は全く上がらない。むしろ頂上に近づくほど下がっていき、二人の体をさらに苦しめる。
あともう少し、あともう少しという気持ちを胸に何とか足を動かしているレムリアだが、体力的には既に限界に近かった。
睡眠時間を減らし、その分稽古する時間に当てている代償が今ここで現れてきてしまってのだ。
「もう少しで頂上に着く。そこまで頑張ってくれ」
「は、はい……私なら大丈夫です」
笑顔を見せて誤魔化そうとするが、その裏には疲労に耐える顔があることをアレンは知っていた。
頂上までは後一時間ほどで辿り着けるところまで来ているが、苦しみに耐えながらの一時間は無限と言っていいほど長く感じる。
時間の流れは常に一定であるはずなのに、という考えがレムリアの頭に浮かぶ。
―――それから一時間半経過した時、二人はようやくデボラ山の頂上に辿り着くことができたのだった。
「着いた……!!着いたぞレムリア」
「や、やっと………やっと辿り着けましたね!!」
激しく息切れをしながら膝に手を置いて中腰になる。その後、重力に負けたように座り込み、安堵したような息を吐き出す。
「よくここまで頑張った。今日はここで休んで、明日から渓谷に行くことにしよう」
「はい!」
アレンの提案を否定する素振りを一切見せずに返事をすると、さっきまでの疲労が消えてしまったかのように立ち上がり軽い足取りで薪を拾いに向かった。
それを見て薄く微笑んだアレンは、少し休憩と言わんばかり腰を下ろすと
「……何も変わらないな」
頂上からの景色を見ながら、小さく呟いた。
◆◆◆
パチッパチッと、焚き火から火花が飛び散る音だけが二人を包む夜。
夜空には言葉では表せないほど美しく、そして力強く光輝く星空が広がっていた。
「そう言えばアレン様」
そんな時、焚き火の音に混じってレムリアの声が響く。
「アレン様は以前、このデボラ山を訪れたことがあるのですか?」
「どうしてだ?」
「いえ……妙に道を知っていたり、頂上からの景色を懐かしむように見ていた気がしていたので」
「………」
問いかけに対して応えるかどうか悩む表情を見せたアレンだったが、数分間の沈黙後、焚き火に一本の枝を放り投げながら口を開いた。
「そうだな……。何年前かは覚えてないけど、このメルドにある殆どの山や森には行ったことがある。レムリアの予想通り、このデボラ山も来たことがある」
レムリアとしては、アレンが一度訪れたことのあるという事実が知れればそれで十分であったのだが、一度開いた口はなかなか閉じたりはしなかった。
「10年前な……必死で逃げていたとき、ある爺さんに拾われたんだ」
何かを思い返すように右の掌を見つめる。
「その爺さんは山とか森を移動しながら暮らしてる変わりもんでな。お陰で殆どの山や森に連れていかれたよ」
呆れるような物言いをするが、それとは裏腹に表情には嬉しさや優しさが溢れていた。
「そのお陰で山の登り方とか、体力は身に付いたけどな」
「そんなことがあったのですね……」
少し羨ましそうな表情で言葉を返すが、次の一言で空気が一瞬で凍りついてしまう。
「一年前に亡くなっちまったけどな」
「えっ!?」
羨む表情から一瞬で驚きの表情へと変わり、余計なことを聞いてしまったと体を震わせる。
「も、申し訳ございませんアレン様。私、余計なことを……」
辛いことを思い出させたと、声を震わせながら謝るがアレンは全く気にしていないようだった。
別に平気だと伝えたあと、リュックから地図を取り出したアレンが星の印がつけられた場所を指差す。
「この場所を聞かれたとき、あの頃は取り乱したけど……ここに爺さんが眠ってるんだ」
そこはメルド王国から遥か西に行った場所にある山―――ジェルバ山。このデボラ山からは歩いて3ヶ月はかかる場所にあり、竜が住み着いているという危険地帯であった。
「よく分からねえけど、ここに埋めてくれって言うんだよ。……全く、最後の最後の頼みごとなんて、断れるわけねえだろうが」
当時のことが溢れ出してきてしまったのか、アレンの瞳には今にも溢れ落ちそうなほどの涙が溜まっている。
アレンからしてみれば、産みの親よりも一緒にいた人物が亡くなってしまったのだ。涙を溢しても仕方のないことである。
そんな姿を見たレムリアは、それ以上問うことはなく、邪魔をしないようにと少しばかり離れた木の裏に姿を隠す。
「………」
あんなにも悲しむアレンを見たのは初めてであった。まだ旅をして二、三週間しか経っていないが、レムリアはアレンをどこか普通の人間として見ていなかった。
だが、自分を育ててくれた人が亡くなって、あれほどの涙を流すのは何よりも人間らしかった。
そう。アレンは剣聖である前に人間である。
誰よりも孤独を嫌い、しっかりと涙を流すことが出来る一人の人間である。




