後編
翌日、朝食後。
「昨日、これ買ってきたんだけどな」
と言ってスパイルが袋から出したのは、3冊の絵本であった。
朗読音声付きの、童話の絵本だ。小さい子向けだが、言葉を覚えるのに使えるだろうと思って買ったのだ。
ニクスは興味深そうに受け取り、早速音声を流し始めた。
その日の夕方、魔物討伐から帰って来たスパイルは、リビングで絵本を読み続けているニクスを見て目を瞬かせた。朗読音声は流れていない。
(絵を眺めてるのか……? それとも、飽きたか?)
不思議に思い、
「絵本、どうだった?」
などと曖昧な質問を飛ばしてみた。するとニクスは顔を上げ、口を開いた。
「むかしむかし、あるところに、……」
絵本の文章をそのままそっくり暗唱してみせる。抑揚までつけて、台詞は声色まで変えて、実に見事だ。
朗読音声よりも巧いかもしれない。特に台詞部分が、オーバーな感情表現で……。
(笑かそうとしとるやろ、これ、絶対!)
スパイルは堪えきれず吹き出した。ニクスは気にする風も無く……いや、笑いを取れたことで調子づいて、ますます面白おかしく暗唱したのであった。
1冊分終わってから夕食にし、その後残りの2冊もニクスは暗唱した。それを聞いている間、スパイルはずっと笑っていた。
(全部覚えたのか……)
笑い終えてからようやく、その事実に気付く。
(新しいの買っときゃ良かった)
寝る時間になって2階へ上がろうとするニクスを、スパイルは引き止めた。リビングの椅子を指して言う。
「今日はここで寝ろ」
ニクスは素直に従ってくれた。
(さて、これで吐かなければ、やっぱり部屋が原因ってことになりそうだな……)
新聞や雑誌を読みながら、スパイルは考える。
(逆に、また吐いたら……この家そのものに原因が? けど、日中は普通だしなぁ)
しばらく経って。
呻き声が聞こえた。
(……?)
雑誌から顔を上げ、ニクスを見る。また聞こえた。
(うなされてるのか?)
その声はだんだん大きくなっていく。止まることは無く、何十分も続く。
下手に起こさない方が良いかと思って様子を見ていたが、さすがに心配になった。
その時、ある予感が、予想が、頭をよぎる。
(……まさか!)
慌ててボウルを取りに行き、袋を被せて持ってきた。
少しして、ニクスはがばりと顔を上げた。荒い息、焦点の定まらない瞳、酷く追い詰められた表情。スパイルがボウルを握らせると、ニクスはその中に胃液をぶちまけた。
スパイルは呆然としてしまった。先ほどの一瞬、ニクスから感じた思いが、あまりにも身に覚えのあるものだったから。生き残ってしまった、という思いが。
(こいつ……)
何があったかは分からない。尋ねようにも言葉が通じない。だが間違いなく、連日夢に見て吐くほどの何かがあったのだ。
今、嘔吐き続けるニクスから感じるのは、気迫。オスク洞窟で出会った時は手負いの獣のような気迫だったが、今は違う。曇天の太陽が、淀む暗雲を押しのけて輝こうとするような……気概で後ろ向きな感情を焼き払おうとするような、そんな気迫だ。
(凄ぇな……自暴自棄にならず、前へ進もうとしてるのか。あの時のオレよりもずっと年下で、多分オレより酷い目にあってるのに……)
ニクスの眼光は、近付く者を射殺しそうなほど強く鋭い。殺気は出していないが、常人であれば見ただけで竦んで動けなくなるほどだ。そんな視線を、ボウルに向けている。その様子は、普段とあまりに違っていた。
(ああ、そうか。普段は……)
何かに集中することで、気を逸らしていたのだろう。底なしの喪失感を心の奥に押しとどめ、気丈に振る舞うために。
(ガキのくせに、なんつう精神力だ)
そんな内心を全く表には出さず、スパイルはニクスが落ち着くのを待った。
10分ほど経って、ニクスはテーブルにボウルを置いた。そして、迷うように口を開く。
「剣。……1回だけ」
「……! おう、良いぜ!」
スパイルは驚きつつも、嬉々としてラトゥール剣を2本出した。
そうして2人は庭に出て、1戦交えたのであった。
次の日。通信機を見ていたスパイルは、ふと気付いた。
(そういえば、ニクスの持ってた剣……オスク洞窟に置きっぱなしだな)
弾き飛ばした後、その場に放置してしまった。
今日追加された討伐依頼には、オスク洞窟のものもある。普段はもっと間が開くものだが、珍しい。
(取って来てやるか。……いや、どうなんだろう)
そんなことを考えていると、ニクスが不思議そうに見てきた。
「なあニクス。お前の持ってた剣……」
ジェスチャーを交えて示すと、ニクスは目を輝かせて、しきりに頷いた。どうやら気になっていたらしい。
「じゃあ、オレが取ってくる……」
言いかけたところ、ニクスに身振りで制された。「自分も行く」と目で訴えかけてくる。
断る理由も無いので、一緒に行くことにした。
オスク洞窟に入り、目につく魔物に片っ端から中級攻撃魔法を浴びせて進む。後ろをついてくるニクスは、不思議そうな顔で見上げてきた。魔法が気になるらしい。
(この話は、もっと言葉通じるようになってからの方が良いな)
そんな風に考えながら、スパイルは目的の場所に向かっていた。
「……この辺りだな」
オスク洞窟の中でも特に暗い。懐中電灯をつけると、黒い刃が光を返した。それを見たニクスが何事か呟くと、剣が何かに吸い込まれる。
「それも魔術か?」
尋ねたが、きょとんとされた。
(まあ、通じねぇよなぁ)
スパイルは苦笑しながら、出口へ向かった。
2人はオスク洞窟を出て、街に戻るべく歩いていた。
(……ん?)
スパイルは怪訝に思って目を凝らした。前方……村のある辺りが、白く煙っている。
(火事……いや、煙って感じじゃねぇな。霧? あんな所で?)
考えていた時。
絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
その声に反応して駆け出したのは、スパイルだけではなかった。ニクスもまた、同時に駆け出していた。
自然と同じ速さで走り、村の入り口にたどり着く。立ち込めた霧が視界を悪くし、状況把握を妨げた。
1歩進むと、何かがつま先に当たった。下を見ると、それは……生首だった。
驚くより前に、村人の声が響く。
「い、いせ、異世界人だ……! 異世界人が出たあああ!」
「ニクスはここにいろ」
スパイルは身振りを交えて指示し、慎重に村の中心へ向かって歩いた。
凶悪犯を捕まえたことも、連続殺人犯を捕まえたことも、何度もある。だから、犯罪者と戦うことには躊躇いが無かった。それが異世界人であっても。
霧の中でなお冴え冴えと青く光る刃が、そこにあった。その剣を持つ者の周りには、人の気配が無い。
首と胴を切り離された躯が、いくつも転がっている。
(変だな)
これだけ血が流れているのに、臭いがしない。
この妙な霧のせいか。
(ちっ、この霧……魔力を中和してやがる……)
これでは魔法を使えない。この惨状を生み出している異世界人を、殺さなくてはいけないのに。
溜息を吐いた時、青い光が躍った。
「くっ」
腰に差していたA国の剣を抜き放ち、軌道を逸らす。斬りかかって来た異世界人は驚いたような顔をしつつも、構わず攻撃を続けてくる。
スパイルは全ての攻撃を受け流しながら、隙をうかがった。
斬撃が霧を散らし、異世界人の顔があらわになる。
(……女⁉)
20代半ばだろう。その若さに似合わぬ妖艶な瞳が、愉しげに細められた。
(そんなに殺すのが楽しいかよ!)
剣を滑らせる。
女は、「当然!」と答えるように剣を振るった。
(……こいつ、強ぇけど、ニクスほどじゃねぇ。勝てる!)
首もとに迫った剣を、身を逸らして躱す。
いける。このまま頸動脈を斬れば、殺せる。
剣を振り抜こうとして。
異世界人の首に触れる直前で、止まった。
止めてしまった。
「スパイル⁉」
ニクスの声が耳朶を打つ。焦りとも非難とも困惑ともつかない声音だ。
(くそっ、頭では分かってんのに……!)
動けなくなっていた。
殺すつもりで剣を振るったはずなのに。人を殺すという行為を、どうしようもなく体が拒むのだ。
この隙を、敵が見逃してくれるはずも無い。青い刃が横から迫る。
避けようと重心をずらしたが、間に合いそうにない。
直後。
何かに突き飛ばされて尻餅をつき、耳元で金属音が響いた。
(……?)
恐る恐る振り向くと。
黒い刃が、青い刃を食い止めていた。
「ニクス……?」
待っているよう言ったのに。そんな剣を使っては、異世界人だとバレてしまう。
女は狙いをニクスに変えたようだった。金属音が霧の中で鈍く鳴る。
視線を感じる。家の中から様子をうかがう、村人たちの視線。
2振りの異質な剣が、霧を斬り裂き翻る。
濃霧に隠れて村人たちに見えていないことを期待したが、この分では駄目だろう。
(どうする……外国に逃げるか? どうやって?)
そんなことを考えていた時。黒き刃の閃きと共に、翡翠色の瞳が獰猛に輝くのが見えた。
ごろごろと、女の生首が手元に転がってくる。
その生首を呆然と眺めて、少ししてから顔を上げた。いつの間にか正面に立っていたニクスが、呆れるような案ずるような表情で見つめてくる。剣は既にしまっているようだ。
(……ガキにこんな顔されるとか……情けねぇ)
嘆息が漏れた。
ふと、手元を見ると、何も無い。あったはずの生首が無い。
霧が薄らいでいく。
薄らぐ霧は、死体を消し去る。
その霧は、生き残った者の記憶と共に消えていく。
殺戮の跡は残らない。
スパイルもニクスも、気付けば村の中にいて、怪訝そうな顔をした。いつの間にここまで来ていたのか、と。
(悲鳴が聞こえて、慌てて村に向かって……その後は?)
村に入る直前からの記憶が飛んでいる。そういう力をもつ魔物でもいたのだろうか。
霧はすっかり消えている。特に異常は見受けられない。
(何でオレは尻餅ついてるんだ)
それが一番不思議だったが、分かるはずも無い。ニクスもきょとんとしている。
(まあ、多分、魔物がいて倒して解決したんだろ。知らんけど)
スパイルは立ち上がって、ニクスと共に帰路についた。
後日、新聞に「オスク洞窟付近の村で大量の行方不明者」という記事が載った。この事件は未解決のまま、時を経て忘れ去られた。真相を知る者は、誰もいない。
だがこの一件でスパイルが感じた思いは、心の奥底に刻まれていたのであった。




