4章(3) 尾を引く睡眠不足
10月17日の6時過ぎ。鋭斗とニクスは寮の喫茶店でモーニングを食べながら喋っていた。防音の個室だ。今日は鋭斗が誘った。
「ってわけで、とりあえず中級回復魔法を覚えたいんだけど……」
鋭斗は、昨日プロニに聞いた話を交えつつ、アドバイスを求める。
「元いた世界の知識が邪魔して上手くいかなくて。何か良い方法あったりしないか」
ここで話しているのは防音の個室だけが目当てではない。昨日食べたモーニングがとても美味しくて、今日も食べたいと思ったのだ。今まで食べたどこよりも美味しい。バターがたっぷり塗られたトースト、半熟のゆで卵。灯台下暗しとはこのことだ。だが、知らなかったのも仕方が無いのだ。何しろ、6時から7時半までのみのサービスなのである。
「しっかり読み込むしかねぇな」
ニクスは答える。
「とりあえず一通り流して読んで、次はじっくり読む。時間がどれだけかかっても気にせずに、とにかく読むんだ。そのうち理解できてくるぜ」
「やっぱりそれしか無いか……本当に、それで覚えられるかな……」
鋭斗は溜息を吐いた。ずっと読んでいても無理だったら、時間と労力が無駄になる。時間さえかければ確実に覚えられるという確証が欲しかった。
そんな心情を読み取ったのか、ニクスが話す。
「俺の場合、魔術の知識が邪魔してきた。攻撃魔法だけどな。それでもこうして覚えてる」
鋭斗は目を丸くした。
「むしろ覚えやすいのかと思ってた」
「下手に似てる部分があるせいで、こんがらがって訳が分からなくなる」
渋面を浮かべて言うニクスを、鋭斗はまじまじと見つめた。
ニクスは苦笑する。
「意外か?」
それに対し、鋭斗は小さく頷いた。
「……ニクスでも、そういうことあるんだな」
「まあな。だから余計に思うんだ。お前にライバルになってほしいって」
「あ……」
色々ありすぎて、記憶の彼方に埋もれていた話。それが一気に呼び起こされて、鋭斗は目を見開いた。
「……なれそう、か?」
「勿論。ただ、あの時とは状況が違うから……ライバルってだけじゃなく、相棒にもなってほしい」
「相棒」
鋭斗が目を瞬かせて復唱すると、ニクスはニヤリと笑った。
「俺は既に、お前を無二の相棒だと思ってる。お前となら、どんな事件も強敵も、俺一人でやるよりずっと良い形でぶっ潰せる」
「……!」
「これからも頼めるか?」
その言葉に、鋭斗は深く頷いた。
9時になり、とりあえず図書館に入った鋭斗は、本棚を眺めていた。
やる気とは裏腹に、頭が働かない。
こんな状態で魔法を覚えるのは無理だ。一度は諦めた回復魔法など、尚更。
この睡眠不足をどうにかしなければ。
そんなことを思いつつ、足は中央広場へと向かう。何もしないのも気が引けて、1万の討伐依頼を手に取った。
(これくらいなら、ぼーとしてても大丈夫なはず)
討伐後に昼寝でもしてみようかと思いながら、受付に行った。
そうして鋭斗は討伐場所に行く。首都からかなりの距離があり、徒歩でしか行けない場所だった。1時間以上かけて着いたそこは、目立ったものは何も無い平原だ。
魔物を発見するなり中級の雷弾を放った。綺麗に命中。一瞬で討伐を終え、帰路につく。
(何でこんな遠いところ選んだかな……)
前方をぼんやりと見ながら、歩く。
(ああ、そうだ。帰ったら丁度昼だから昼寝に丁度いいとか、よく分からないこと考えてたんだった)
自覚すればするほど、睡眠不足が尾を引いているのが分かる。昨日今日の話ではないのだ。
ニクスは討伐に来ていた。魔物を探して地面を見ながら歩く。
この辺りに討伐対象がいるはずなのだ。
写真には、水がこぼれてシミになったような地面が映っていた。だが、いくら地面を見てもそれらしきものが無い。
(もっと向こうか?)
ふと顔をあげると、鋭斗が歩いてくるのが見えた。討伐帰りだろう。
「ぼーっとしてたら危ないぜ!」
声をかけた。鋭斗が睡眠不足なのは分かっている。注意力が散漫になっていると、分かっている。討伐対象がいるのは、鋭斗の近くかもしれない。地面を注視しながら、少し急いで歩く。
不意に吐き気が込み上げた。一拍遅れて原因に気付く。特徴的な、魔術の気配。
(これは……!)
魔物を強化する魔術だ。
その気配は、鋭斗の真後ろの地面から発せられていた。全力で前に走れ、と言おうとして、声を出せずに唾を飲み込む。
ゆらりと霧が立ち上る。これこそが魔物だ。
再び言葉を発しようとした時、唐突に景色が変わった。
見渡す限りの魔物。背後にそびえる山。
(この山……あの鉱山跡がある山か!)
隣で佇む鋭斗は、明らかに困惑していた。突如として景色が変わった上、前後左右に上空さえも魔物がいるのだから無理もない。
「エイト、悪ぃ。間に合わなかった」
「何が」
「あの場から、離れるように言うのが」
「……あ、そっか……ごめん、俺、ぼーっとしすぎにも程がある」
近くを通る魔物たちが、ついでのように攻撃してくる。2人は屈み、ひねり、跳び、躱す。
「それでこれ、どういう状況だ?」
「多分、転移させられた。俺の討伐対象の能力だろうな」
「魔物ってそんなこと出来るんだ……」
ここがどこか、何をすべきか考えながら、鋭斗はそう呟いた。魔物の攻撃を避け続け、ニクスとの距離が開いていく。
いつの間にか、襲いかかって来る魔物が増えている。正面から来た攻撃を躱したところに、尖った物体が迫った。体をひねって避ける。
避けたつもりだった。口に鉄の味が広がる。
「……っ」
ニクスの視界の隅に、鋭斗が映った。血を吐きながら頽れる姿が。
「エイト!」
鋭斗の体を貫いている魔物の尾が、ずるりと抜けていく。ニクスは即座に上級回復魔法を放ち、再び声を上げた。
「大丈夫か⁉」
その声は酷く上ずっていた。ニクスの顔に自嘲的な笑みが浮かぶ。未だ冷静さを欠いた頭は、何をどうすれば良いのか考えられずにいた。
鋭斗は、駆け巡った痛みと不快感に膝をつきつつも、大丈夫と答えようとした。しかし、言葉を発する前に、体が浮き上がる。
「うわ⁉」
そのまま別の魔物に吸い込まれた。




