1章(5) 寮
やっぱりリゾートホテルだ、と鋭斗は思った。
寮の西館の真ん中にある自動ドアをくぐれば、ホテルのフロントそのものの光景が広がっている。中央付近に太い柱があり、寮内の地図が掛けられていた。
鋭斗は握っていた手を開き、鍵を見る。
(……〝810〟か。8階かな)
あたりをつけて地図から810号室を探すと、どうやら西館8階の北端らしい。
(エレベーターから遠いな)
ささいな不満を感じながら中央エレベーターで8階に上がり、廊下を歩く。敷かれた絨毯に足音が消され、小さな音で流れているピアノ曲がよく聞こえる。
804号室と805号室の間には共用調理場があり、シンクとIHコンロが暖色の照明を反射していた。鋭斗はそれを横目に通り過ぎる。そして正面を見て、目を瞬かせた。
(……あれ? 何してるんだあの人)
目指している部屋の手前、809号室の扉の前に、人がいる。ドアノブに手をかけたまま微動だにしない。
すらりとした長身の男だ。歳は23か24といったところか。明るい茶色の髪が洒落ていて、シックな服装と相まってホストめいたチャラさを感じさせる。だがそれは、強いてそれだけ見たならば、だ。実際その印象は、鍛え抜かれた体や鋭い眼光によって打ち消されている。
彼は近付く鋭斗に気付き、ハッとしたように顔を向けた。
「……新入りか?」
「えっと、810号室に住むことになった鋭斗だ」
「俺はトゥルタニクス。ニクスで良いぜ。隣同士よろしくな」
ニヤリと笑って手を差し出す彼に、鋭斗も応じて握手を交わす。
「さっき、何してたんだ?」
鋭斗が先ほどから気になっていたことを尋ねると、ニクスは809号室に目を向ける。
「部屋に入ろうとしたら、中から妙な気配を感じてな。こう、向こうの……お前の部屋から壁を通り抜けて来て、そのままこの部屋を通過していった、みてぇな……。お前は何か感じなかったか?」
「何かって……」鋭斗は首を傾げるしかない。「その気配、今もあるのか?」
「いや、外へ向かって消えてった。……俺がここでじっとしてたのは、その気配を探りつつ正体が何か考えてたからだ。鍵を失くして入れなくなったとかじゃねぇぞ」
冗談を言っているような軽い口調だった。しかし、それ以上の追及を拒むような響きも帯びていた。
鋭斗は所在無げに視線を逸らす。
(霊感があるのか何か知らないけど……初対面で話すようなことか? 俺から聞いといて何だけど)
そんなことを思っていると、東館の方から、同じくらいの歳の女が歩いて来るのが見えた。彼女はそのまま曲がり、中央エレベーターへ歩いて行く。
鋭斗は思わず彼女を目で追う。
その容姿を見惚れるなというのが無理な話だ。後ろで1つにまとめられた長い銀色の髪。冷たく光る青い瞳。人間離れした美貌はエルフかと思うほどで。
「あいつはフィノーラ。30万の魔導師だ」
ニクスの言葉に、鋭斗は目を瞬かせる。
「30万? って、どういうことだ?」
「ん? ランク30万ってことだが……こういうの知らずに魔導師になったのか?」
怪訝そうなニクスに、鋭斗は申し訳なさそうに頷いた。
「詳しいこと知らないまま、とにかく魔導師になろうと思って……」
「給料についても知らねぇのか?」
「魔物を倒せば倒すほど稼げる、とは聞いたけど」
「間違っちゃいねぇが……魔導師の給料は、月給とその月のボーナスで決まるんだ。倒せば倒すほど稼げるのはボーナスの部分だな。ボーナスは魔物の強さによって決まってるから、逆にボーナスの額を見て魔物の強さを判断できる。で、月給は、最初は3万ニールだ」
「少なっ」
「大丈夫だ、すぐに上がる。討伐実績を上げて昇給試験を受ければ、5万、10万、15万、20万、30万、40万、と上がっていって、50万が最高だ。討伐実績ってのは倒した魔物のボーナスの累計。昇給試験は実技試験な。10万までなら本当にすぐだし、ちょっと頑張れば20万もすぐだぜ。俺は20万だ」
「おぉ……」
「ただ、それより上げるには結構な実績が要る。30万になるのは30歳以上が一般的って言われてるくらいだからな」
「……あれ? 月給の話だよな?」
「ああ、〝ランク〟って言い方は後付けらしい。〝月給何万〟とか言い合うのは品が無い、でも魔導師の強さの目安として月給が参考になる、みてぇな兼ね合いでな。だから月給を上げることも〝ランクを上げる〟って言うんだ」
「そっか……え、じゃあフィノーラってめちゃくちゃ強いんじゃ」
「まあそうだな。30歳未満のランク30万なんて片手で数えるほどしかいねぇからな。あいつ22歳になったばっかなのに」
「え、じゃあ俺と同じ歳……。凄……」
「だろ。因みにあいつ、俺の弟子なんだ」
そう言って笑いながらニクスは自室に入っていった。
鋭斗はぽかんとして廊下に立ち尽くす。
(……弟子?)
冗談なのか本当なのか、ニクスが変な人なのか。判断がつかない。鋭斗は嘆息しながら自分の部屋に入った。
室内までリゾートホテルそっくりだ。ベッドにテーブル、椅子、ソファー。これだけ並んでいるのに狭苦しい感じは無く、むしろ広々としている。ホテルならかなり高額の部屋だろう。
(でも、泊まるんじゃなくて住む訳だからな……)
買い足すべきものは多い。
鋭斗は部屋を見渡した後、トイレに温水洗浄便座が付いていることを確認してから外へ出た。
魔導師協会本部の北に大型ショッピングモールがあることを、鋭斗は知っていた。駅の中に貼ってあった地図で確認していたのだ。
入ってすぐのところは食料品売り場で、その先に衣料品や日用品の売り場がある。その向こうは専門店街だ。
鋭斗は真っ直ぐ歩いていく。目指すは家電量販店。専門店街の突き当りにあるだろうと目星をつけていたら、本当にあった。
(とりあえず、電子レンジと食洗器だな)
明るい店内を見回していると、ふと、電子辞書のコーナーが目に留まった。実際に使える見本がいくつも置いてあり、その全てが音声入力で検索するものだ。
(この国では音声入力が主流なのか?)
見本を手に取り、試しに呟いてみる。
「通信機」
すると、画面に検索結果が表示された。
〈通信機:遠距離への情報伝達に使われる魔道具。特に、魔導師協会がランク20万以上の魔導師に個人用討伐依頼を出すのに用いられる〉
雑音が多い中だというのに、正確に聞き取ってくれた。もう一度、と検索結果の中から気になった文言を呟く。
「魔道具」
〈魔道具:魔力を使用して扱われる道具や武器、または魔力を動力とする機械。主にB国で開発されている〉
これは買うしかない、と鋭斗は思った。箱に入った商品を手に取り、そのまま店内を散策する。目当てのものを探すうち、〝無いもの〟に気付いた。
この店にはテレビが無い。
(そういえばスパイルの家にも無かったし、寮にも……)
スマホと同様、この国には無いのだろう。他にもそういうものがあるかもしれないが、わざわざ探す気にはならなかった。
家電量販店での買い物を済ませた鋭斗は、食器や食料品なども買ってから寮に帰った。その頃にはすっかり日が沈んでいたのだった。




