5章(3) 調査1
10月3日の早朝。
目を覚ました美恵莉は正気に戻っていた。鋭斗とニクスから事の顛末を聞き、
「ええぇっ、そんなことになってたの⁉」
とびっくり仰天する。
美恵莉には一昨日の夕方からの記憶が無かった。そのため、かなり動揺していた。レスカーダ云々よりも、メルシャに斬りかかったことに対して。
ニクスの隣で微笑んでいるメルシャに、美恵莉は土下座する勢いで頭を下げる。
「ごめんっ! 私、何てことを——」
「大丈夫だよ、ミエリ」メルシャはふわりと笑った。「魔術をかけられていたせいだもん。ミエリのせいじゃないよ」
「でも、怖かったでしょ?」
「うん……怖かったよ。でも、誘拐された時と比べれば、全然ちっとも怖くなかったから。気にしないで」
「……誘拐? え、メルシャ、誘拐されたことあるの⁉」
「何回もあるよ。その度に、ニクスお兄ちゃんに助けてもらってるの」
とんでもない経験をさらりと語られ、美恵莉は呆気に取られた。
鋭斗もぽかんとしていたが、気を取り直して美恵莉に尋ねる。
「それより、レスカーダについては理解できたか?」
「あんまり。私が一回死んだってことは分かったけど、実感わかないし、全然気にならないよ」
あっけらかんとしている美恵莉に、鋭斗は呆れた眼差しを向ける。これは何も分かってないな、と思いながら。
美恵莉はその視線に気付き、頬を膨らませた。
「兄さん、また私のことバカにしてるでしょ! しょうがないじゃん、いきなり魂がどうとか言われても分かんないよ」
「メルシャは理解してたぞ」
「だってメルシャ賢いもん! 私より! 私の方が年上なのに!」
「はいはい」
言い合う兄妹を、ニクスはぼんやりと眺めていた。2人の普段通りの明るさに、どこか救われたような気持ちになっていた。重く立ち込めた黒い雲がほんの少し薄らいで、細い陽光が覗いたように。
「ちょっと外出て走ってみろよ」
と鋭斗。美恵莉の身体能力がどの程度強化されているのか気になっての発言だ。
「おっけー」と美恵莉が勢いよく立ち上がり、
「じゃあ、メルシャは帰るね」メルシャが先にドアを開ける。
ニクスはハッとメルシャを見た。
「まだ暗いし送ってく」
「平気だよ。ニクスお兄ちゃんは、ミエリとエイトさんについててあげて」
そう告げて、メルシャは部屋を出ていった。
鋭斗と美恵莉は、「廊下で走ろうとするな」「えー、じゃあどこで走るの」などと言い合っている。
ニクスは苦笑した。
「……公園行こうぜ」
「あ、それだ」
「しゅっぱーつ!」
美恵莉はノリノリで部屋を出る。鋭斗とニクスもそれに続いた。
公園に着いてすぐ、美恵莉は走った。参考のため、ニクスと一緒に全力疾走だ。
池の周りの広い道を駆け抜ける2人を、鋭斗は見送った。
(やっぱり、めちゃくちゃ速い……)
一周して戻ってきたのは、僅かにニクスが先だった。さすがに息を切らしている。
美恵莉はニクスと同じくらい速く走れるようになっていた。元の速さの倍近い。ヘトヘトになっているが、そもそも一周走れるだけで凄いのだ。
少し休憩した美恵莉は、
「見て、こんなことまで出来るようになってる!」
と言って楽しそうに跳び上がった。木の幹を蹴り、隣の木の太い枝に乗る。間を置かず近くの街灯の上に飛び移った。そこから飛び降り、前方にくるりと回って着地。
鋭斗は目を見張った。
(こんな凄いなら、俺もレスカーダになりたい)
そんな風に一瞬思うが、すぐに打ち消す。夜通し美恵莉を見張っていた時の、ニクスの話を思い出したのだ。
(何が起こるか分からない、か……)
可能性を上げればきりがないが、身体能力の強化以外にも影響があるかもしれないのだ。それが利点となるものならば良い。しかし、逆も有り得る。
レスカーダ化の一族に代々伝わる話によると、昔、紛れ込んだ別世界の人の魂をレスカーダ化してみた者がいるらしい。その結果、或る世界の人はレスカーダになった後ほんの数時間で突然死んだ。また別の世界の人は、レスカーダになった後だんだん体が動かなくなっていって寝たきりになった。
そういう事例がある以上、あまり楽観視することは出来ない。
(寿命がちょっと縮むとかだったら別に良いけど、日常生活に支障があるようなのだったら嫌だな)
美恵莉の様子を見るに大丈夫そうなのだが、長い時間をかけないと分からない何かがあるかもしれない。
「えーい!」
声と共に、ドボンと音がした。池を見ると、美恵莉が泳いでいる。他に人がいないからか、やりたい放題だ。
「凄い、寒くない!」
美恵莉が驚嘆している。水温はかなり低いはずなのだが、平気らしい。
(よく試す気になるな……)
鋭斗は呆れ半分でそれを見ていた。
「何してるの」
突然かけられた声に、鋭斗はびくりと振り向く。
声の主はフィノーラだった。彼女は池を見て怪訝そうな顔をする。
「何、あの泳ぎ方」
「え?」
鋭斗はフィノーラの視線を追い、頭を抱えた。
「あの馬鹿……!」
池では美恵莉がバタフライをしていた。信じられないようなスピードが出ているのはさておき、もしこの世界にバタフライが無いのならマズい。
悩む鋭斗。そこへ、ニクスがフォローを入れた。
「外国の泳ぎ方らしいぜ」
それでフィノーラは納得した。鋭斗は、助かった、と思いながら池に向かって叫ぶ。
「美恵莉、もう上がってこい!」
すると、美恵莉はすぐに上がってきた。満面の笑みだ。
「あー、楽しかった!」
「そうか良かったな」
「何その投げやりな口調!」
「池で泳ぐ馬鹿に呆れてるんだ」
「むむむ!」
言い合う鋭斗と美恵莉を、フィノーラは見比べ、首を傾げた。
ニクスはすかさず答える。
「この2人は兄妹だ」
「……言われてみれば、似てる」
そう呟くフィノーラをちらりと見て、美恵莉は目を瞬かせた。そして、鋭斗に耳打ちする。
「ねえ、兄さん。……銀髪の人、彼女?」
「⁉ そんな訳ないだろ」
「ふーん?」
美恵莉はにやにやと笑った。
(絶対、両想いなんだけどなー)
恋愛感情の察知には自信があるのだ。友達からも「鋭すぎて怖い」と言われたほどである。
(兄さんのことだから、無自覚なんだろうなぁ……銀髪の人も無自覚っぽいし、これは私がキューピッドになるべきだね!)
美恵莉が勝手に決意している横で、鋭斗は何とも言えない表情で固まっている。
漂う微妙な空気を、ニクスの「それはそうと」という声が打ち破った。
「エイト、10時くらいから空いてるか? 黒幕について調べに行くんだが」
「空いてる」
突然の話に驚きつつも、鋭斗はすぐ答えた。
フィノーラと美恵莉は不思議そうに男2人を見る。ニクスはそれらの視線を無視してラトゥール剣を出し、フィノーラへ目を向けた。
「そろそろやろうぜ」
「……いつもの場所で」
「そうだな」
ニクスは笑みを浮かべ、鋭斗と美恵莉を見る。
鋭斗は、「大丈夫」と思いを込めて頷いてみせてから、美恵莉の肩に手を置いて歩き出す。
「帰るぞ」
「え、もう?」
「眠い。帰って一旦寝るから9時半に起こして」
「え、部屋入れてくれるの?」
「……部屋の前で起こせ」
「チャイム鳴らしたくらいじゃ起きないくせに」
「あー、駄目だ、めちゃくちゃ眠くなってきた。この場で寝たいくらい眠い……」
「じゃあ、ここで寝ちゃえば?」
美恵莉はベンチを指さした。
鋭斗は、それも良いかもな、と一瞬思ったが、すぐに頭を振る。
「お前、全身びしょ濡れだろ。早く帰った方が良い」
「じゃあ、帰ってシャワー浴びてから起こしに行ってあげるよ」
「……やっぱ起こさなくて良い。ニクスが起こしてくれるはず」
低い位置で輝く太陽に目を細めながら、2人はそれぞれの寮へと帰ったのだった。
ニクスは、10時になる少し前に部屋を出た。ドアの前でしばらく待つが、10時を過ぎても鋭斗が出てくる気配は無い。
(一旦寝るとか言ってたしな……)
810号室の扉に耳を当てると、アラームが鳴り続けているのが聞こえた。
(……これで起きねぇなら、ドア叩いても駄目そうだな)
ニクスは苦笑し、自分の部屋の前で待つことにした。
鋭斗が部屋から出てきたのは30分後だった。
「ごめん!」
「昨日寝てねぇもんな」ニクスは明るく笑う。「よし、行くか」
2人はショッピングモールの前に来た。
ニクスについて歩いていただけだった鋭斗は、きょとんとして立ち止まる。
「えーっと……何でここ?」
「ゲーセン行くから」
「何で⁉ ってかゲーセンあるのか!」
「2階にあるぜ。もちろん情報収集のためだ」
「? ……?」
訳が分からない、という顔をする鋭斗を、ニクスは面白そうに見た。
「魔物爆弾の犯人にも、ゲーセンで仕入れた情報のおかげで会えたんだ」
「酒場とかじゃないのか……」
「ある意味酒場かもな。ゲーセンの中にエスカレーターあるから、下の食料品売り場で買った酒持ち込む奴が多いんだ。飲みながらメダルゲームしてたり、ただ駄弁ってたり……とにかく酔っ払いが多い。だから、真っ当な奴は平日の昼間にゲーセンなんか行かねぇ」
「そ、そうなのか……」
平日の昼間のゲームセンターは老人たちの憩いの場というイメージを持っていたが、全く違うらしい。鋭斗は唖然としながらショッピングモールの中に入った。
入り口に一番近いエスカレーターで2階に上がると、そこは既にゲーセンだ。メダルゲームが主で、クレーンゲームも少しある。パチンコやスロットは無いが、メダルゲームがとにかく豊富で、鋭斗は心惹かれた。
ニクスはカウンターにいる店員に声をかける。
「メダル詰まりは直ったか?」
「まだ全く」
「追加でこれも調べてほしい」
ゴトリと音を立てて置かれたのは、美恵莉が持たされていた短剣だ。
店員は怪訝そうな顔をする。
「これは……初めて見るが、どこから出てきた?」
「分からねぇ。それも含めて情報が欲しい」
「追加料金2万」
店員に言われ、ニクスは商品券を2万ニール分取り出す。このショッピングモール内で使える商品券だ。
「確かに」
「明日また来る」
店員にそう告げ、ニクスは鋭斗の方を向いた。
「じゃあ、始めるか」
「さっきの何⁉」
鋭斗は尋ねずにはいられなかった。ニクスは苦笑する。
「後で話す」
そうして聞き込みが始まったが、そもそもデータ改ざんの件を知らない人の方が多かった。なかなか情報が無いまま時間が過ぎていく。
30分ほど経った頃、最初の方に聞き込みをしたメダルゲーム中の酔っ払いが、鋭斗とニクスを引き止めた。
「ちょっと思い出したことがあってよ。なんか、南の方で……なんかあったって……なんだったかな」
それを聞いた別の人が割って入る。
「それ関係無くね? 商店街の南の路地でイキってた不良グループが別の団体に壊滅させられたってやつだろ?」
「あー、それだった……全然違うな」
商店街の、南の路地。その場所を頭の中に思い描いた鋭斗は、青ざめた。
そこには、魔術がどうのと話していた人たちがいたのだ。
(もっと早く思い出してればよかった……)
データ改ざんの犯人が異世界人で、黒幕も異世界人の可能性がある。なら、路地にいた人たちが無関係とは思えない。
「ニクス、ちょっと話が」
その声で鋭斗を見たニクスは、息を呑み、頷く。
「分かった、防音の個室に行こう」




