135話 鞄の重みは愛に比例する
朝の部活を終えたあと、私は汗なんてとっくに引いたはずなのに心臓がバクバクと脈打っていた。
「あ、あの! 夏希先輩!」
そんな私と同じような緊張した声に振り向くと、陸部のいつも一緒の3人組の後輩たちだった。
普段ならなにか大事な相談があるのかと身構えていただろうけど、今日はこの後に続く言葉を知っている。
「どうしたの? もう授業始まるわよ」
「こ、これ、夏希先輩にって作ってきたんです! よかったら受け取ってくださいっ!」
そう言って3人一斉に差し出したのは可愛らしくラッピングされたチョコレート。
「これを私に? 私から渡せるものはないんだけど……」
「そんなっ! 受け取ってもらえるだけでいいので!」
「そう? じゃあありがたく頂くわね」
そう言って私がチョコを受け取ると、彼女らは喜色を浮かべる。
「あ、ありがとうございますぅ!」
「なんであんたがお礼言うのよ。ほら、食べた感想は明日にでも教えてあげるから、もう行きなさい」
「「はいっ!」」
そして後輩たちはキャーキャー騒ぎながら廊下を駆けていった。
その背中に、転んで怪我をするなと声をかけて、私は自分の鞄にもらったチョコをしまい込むべくチャックを開ける。
そこから覗く色とりどりの包装に、私は思わず苦笑いをした。
「これ、全部食べきれるかな……?」
いや、食べきるのよ。可愛い後輩たちがせっかく作ってくれたんだもの。食べる以外の選択肢はないわ!
……でもこの量はさすがに太っちゃうんじゃない……?
いやいや、それだとしても彼女たちの想いは裏切れないわ。受け取ったなら食べないと。
「な、夏希先輩! あのこれっ、よかったらどうぞ!」
決意も新たに一歩踏み出そうとすると、また声をかけられた。
そして同じようなやり取りの後に、また一つチョコが増えていく。
今度こそと思い一歩踏み出す。
「あ、あの〜……、小山先輩。今いいですか?」
しかし、すぐに私の歩みは止められてしまう。そしてまたチョコが増えていく……。
朝部が終わってからずっとこんな感じで一向に教室にたどり着かないじゃない! 迷惑ってわけじゃないけど、これじゃあ私が渡すタイミングを逃しちゃうって!
結奈と隆平は朝部が終わるなり頑張れとかなんとか言い残して先行っちゃうし、何なのよもう!
朝あってすぐに渡そうと思っていたのに、これじゃ無理そうね……。なんかまだまだ収まりそうにないし。
さっさと渡してこの緊張から解放されたかったのに、うぅ、なんでこうなるのよ……。
そんなことを考える暇もなくチョコは増えていく。鞄もどんどん重くなって、きっとこの鞄が軽くなる頃には私の体重が重くなってるんだわ……。
そしてまた一つ、後輩の想いで鞄が重くなる。
もうチョコは来年のバレンタインまで食べなくていいわね……。そんなことを考えながらまた一つチョコを受け取って、私は一向に教室にたどり着かないのだった。
――――
「なるほど……、それであんなに遅かったんだね」
「まあね。今日に限って言えばデザートの心配はいらないわ……」
一限を終えたあとの5分休みで、私の目の前のユッキーは困ったように笑っていた。
結局朝は渡せなかった。教室についたのだってギリギリだったし、挨拶するのでやっとだったんだから。
「……で、ユッキーはもう渡したの?」
「へ? わ、私? 私はほら、いつでも渡せるし」
「つまり渡してないのね」
「だ、だって……」
そうしてユッキーは恥ずかしそうに目を伏せた。
さすがのユッキーでもそこは緊張するのね。まぁ、ヒナとは気持ちが違うわけだし。そんなホイホイ渡せないわよ。
「夏希〜。お客さんだよ」
いつ渡したものかと頭を悩ませていると、ニヤけ顔の結奈が手招きしていた。
「お客さん? 誰よ?」
「天文部の後輩ちゃん」
天文部……? 私天文部に知り合いなんていないわよ? なんの用だろ。
結奈に礼を言って教室の外に出てみると、扉の前で大人しそうな女子が二人立っていた。
「えっと、どうかした?」
「あ、あの……、これ、もらってください……!」
「……チョコ? いいの? 私あなた達のこと知らないんだけど……」
思わず彼女たちが差し出したチョコを受け取るが、私は彼女たちのことを知らない。
なんの関わりもない私にチョコだなんて、何かの間違いじゃないかと思う。
「いえ、私たち小山先輩のファンなので、受け取っていただけるだけで幸せです!」
「へ? ファン!?」
「はい! いつも陰ながら応援してます……! それじゃあ!」
「あちょっと!」
彼女たちはそれだけ言い残すと足早に去っていった。
キャーキャー言いながら去っていく様は、陸部の後輩たちと何ら変わりない。
「おー、またチョコ貰ったんだね。さっすが夏希、モテモテじゃんか」
「女子にモテてどうすんのよ。もらうばっかでなんか申し訳ないわ……」
「でもちゃんとお返しする予定なんでしょ?」
「まぁ……。だってそれが礼儀でしょ?」
私がそう答えると、結奈は呆れたように笑った。
「夏希らしいね。じゃあはい。私からもチョコあげる」
「はぁ!? どうしてそうなんのよ!」
「お返し期待してるからねー」
そう言って結奈は教室をあとにした。
どこかで買ってきたのだろうか、きれいにラッピングされたチョコだった。
これ、誰か他にあげる人がいたんじゃないの? 私に渡すものとしてはなんか高そうだし……。
そんな事を考えながら自分の席に戻る。
もうあんまり時間もないし、陽介にチョコ渡さないと。
あー、なんか緊張してきたぁ! どうしよう、いらないとか言われたら……。さすがの私も泣くわよ?
そうして席に戻る道すがら、再び教室の扉の方から名を呼ばれた。どうやら今度は別の後輩がやってきたらしい。
教室の扉まで引き返して再びチョコを受け取り、後輩たちを見送る。
その直後、後ろから声をかけられた。
「よっ、モテモテだな夏希」
「わっ! よ、陽介? びっくりさせないでよ、もう!」
「すまんすまん、脅かすつもりはなかったんだ。それより早く移動したほうがいいぞ? もう次の授業始まる」
「え? もうそんな時間!?」
黒板の上に掛けられた時計を見ると、そろそろ移動しないといけない時間になっていた。
はぁ、結局5分休みでも渡せなかった。この後は陽介とは違う授業が続くし、昼休みまで待つしかないか。
私は肩を落としながら移動の準備を整える。
しかし、さっきもらったチョコを鞄にしまう私の胸には、言い得ぬ不安が渦を巻いていたのだった。
――――
昼休みの教室は、ほとんどの人が昼食を食べ終わり、のんびりとした時間が流れていた。
しかし、その中で堆く積まれたカラフルなタワーがひとつ。というか私の机だった。
「それにしてもすごい量だな……。去年の広瀬を凌ぐ量じゃないか? ここまでくると嫉妬より先に驚嘆するな」
確かに、去年の広瀬君も机の上にチョコレートの山を作っていたけど、それに匹敵すると言ってもいいかもしれない。
しかし広瀬君はあの噂が広まったからか、今年はまだ2、3個しかもらってないようだった。それでももらえてる事自体がすごいことなんだけど。
そんな広瀬君の去年を、女子でありながら超えるならすごいことかもしれない。
そんなチョコタワーをしげしげと見つめる陽介は、確かに感心しているように見える。
それは陽介だけではなく、私の机を囲むような集まったユッキーや隆平も同じ表情をしている。
「驚いてんのは私の方よ……。なんでこんなにチョコをもらうのよ。私女子なんだけど」
「夏希は後輩に人気あるからなぁ。こうなる気はしてたよね」
「さすが姉御。これは男として敗北宣言せざるを得ないな」
「うっさいわよ!」
「いてっ」
隆平の言葉に便乗して私をからう陽介の頭に、軽く手刀をお見舞いしてやると、陽介はへらへらと笑みを浮かべた。
「でも陽介もヒナからもらったんだよね?」
「ん? そうだな。なんでもらえたのかはよく分からないが……」
ユッキーに尋ねられて首をかしげる陽介は、はたと何かに気がついて顔を上げる。
「てかどうして雪芽がそれを知ってるんだ? 俺話してないよな?」
「え!? あ、ほらっ! ヒナから聞いたんだよ! ……たぶん」
「え、なにそれ。あいつ俺にチョコあげたとか触れ回ってんの? お返しくれってこと? いやでもあげたよな……。え、もしかしてあれだけじゃ不十分ってこと? チョコ交換はお返しに含まれてない……?」
難を逃れた。そんな表情で私を見るユッキーは、陽介が変な勘違いをしていることに気づいてないようだ。
ちょっと、あのまま放っといていいの? なんかすごく考え込んでるけど……。
「それで、陽介は他の人からチョコもらったの?」
それを知ってか知らずか、ユッキーはそんな話題に切り替えた。
「ヒナ以外からか? ないない。そもそもバレンタインにチョコもらうことが珍事なのに」
本当に驚いたといった風な陽介は、去年私があげたことは忘れているみたい。
まぁ、あれはノーカンよね。うん、しょうがないわよね……。
そんな風に自分に言い聞かせていると、ユッキーが意味ありげな視線を投げてよこしていることに気がついた。
「じゃあ、今日はそんな珍事が立て続けに起こった日だね」
「うん? 夏希はともかく俺は一度しか起こってないけど……」
キョトンとする陽介の前に、ユッキーは片手に収まる程度の包を差し出した。
透明なフィルムの向こうには少し不格好なカップケーキが見える。
ユッキーはチョコカップケーキにしたのね。やるじゃない。
「え……? これ、俺にくれるのか?」
「もちろん。ちょっと見た目は悪いけど、味は大丈夫だと思うから」
「……ドッキリとかじゃないよな? 食べたら激辛とかそういう」
「もう、素直に受け取らないならあげません」
「あぁっ、いるいる!」
陽介はカップケーキを下げようとするユッキーから、奪い取るようにして受け取った。
その様子を見て、ユッキーは呆れたように笑いながらも嬉しそうだった。
「……ありがとうな。ちょー嬉しいよ」
「大げさだなぁ」
微笑みをたたえながらしみじみとお礼を言う陽介が、なんだか印象的だった。
「迷惑じゃなければ、なっちゃんにもどうぞ」
そしてユッキーは私にも同じチョコカップケーキを差し出してきた。
「全然迷惑なんかじゃないわよ! ていうか私にもくれるの? 今はちょっと返せるもの持ってないんだけど……」
「いいのいいの。いつもなっちゃんにはお世話になってるし」
そういうことならとユッキーのチョコを受け取る。
ううん……、こういう気遣いができないところが私の悪いところなのかな……。
「それと塚田君にも、はい」
「あれ、俺ももらっちゃっていいの?」
「もちろんだよ」
「いや〜、なんか悪いなぁ。気を使わせちゃったみたいで」
ユッキーは隆平の分も用意してきたみたい。
私も隆平やユッキーのことが頭をよぎらなかったわけじゃないけど、陽介の分を作るので精一杯だった。
結局試行錯誤の後に残ったチョコを持ってきたんだけど、試作したものは人様に渡せるようなものじゃなかったから持ってこなかった。
やっぱり持ってきたほうが良かったかな……。ほ、ほら、隆平とも長い付き合いだし! 義理チョコくらいはね?
最近妙に隆平のことを意識してるせいか、こんななんでもないことで頭を悩ますようになった。
でも、意識して見てみても、隆平が私のことを好きだなんて考えられないのよね。もしかして私、ヒナたちにからかわれたんじゃない?
そんな風に考えながら、喜ぶ陽介と隆平を眺めていると、ふと視線を感じた。
見ればユッキーが真剣な目をしてこちらを見ている。そして、目が合うと小さく頷いた。
……ああっ! そういうことねユッキー。この流れで私にも渡せっていうのね!
さすがユッキー、ナイスアシストだわ。
ライバルにアシストされるのってどうなんだろう? そんなことを考えながらも、このチャンスは逃せない。早速チョコを取り出そうと鞄に手を伸ばしたその時、
「なーつきせんぱぁーい! いらっしゃいますかー!?」
諸々ありまして一月も空いてしまいました……m(_ _)m




