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田舎の電車は1時間に1本だから  作者: 直木和爺
第6章 夏は芽吹きを希う
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134話 バレンタインの朝は読経に始まる

 その日も相変わらず寒い日だった。

 朝の教室に蔓延る空気は、登って間もない太陽の努力虚しくまだ冷たいままだ。

 薄暗い教室の雰囲気は、心なしか暗い気もする。雑踏もどこか遠い気がする。


 そんな寒さに耐えるようにじっと首をすくめながら、ポケットに詰め込んだカイロを握りしめていると、目の前の男はうつろな目をしたまま何かを呟いた。


「……よ、まじべーよ」

「え、なんだって?」

「べーよ、マジべーって!」

「今度は声がでかい。なにがそんなにべーんだよ」

「だから、明日じゃん!? ついに前日になっちゃったじゃん!?」

「あぁ、またそれね」


 いよいよ本格的に決死の風体が様になってきた高野は、今日も俺の目の前でベーベー言っている。


 毎朝俺の前に現れてバレンタインカウントダウンをしていくので、このやり取りも恒例となってしまった。

 しかし日に日に瞳から光が失われていくので、明日にはどうなってしまうのか心配だ……。自暴自棄になって男子生徒からチョコを奪ったりしないだろうか。


「すけっち相変わらず冷てえじゃん! この俺の全身を支配する冬の寒さより冷てぇじゃん……」

「おーい、表現から馬鹿っぽさが失われてるぞ? あとその寒さは緊張のせいだ。少しは肩の力抜けよ」

「でもよぉ! もし明日一個ももらえなかったらって思うと、ふ、震えが止まんなくてよお!」


 涙目で明日を語る高野の手は、本当に震えている。


「でも去年はヒナにもらえたんだろ? なら今年ももらえるんじゃないか?」

「んなの分かんねぇじゃんかよぉ。毎年ブラックサンターだし、今年はもらえねえかも知んねぇしよぉ」

「はぁもう面倒くせぇなぁ……。要はチョコがもらえればいいんだろ? だったら心配する必要ねぇよ」

「へ? どゆこと?」


 高野は訳も分からず目を丸くする。

 まぁ、こいつにも世話になったし、暇だから余分に作ってやるか。嫌がらせにしかならんかも知れんが。


「いいから、男はどっしり構えて待ってろってことだ。どうせ今更できることなんてないんだから、慌てたって仕方ないだろ」

「でもよぉ〜!」

「あーやかましい! そもそも絡むなら俺じゃなて広瀬にしろよ! そうでなくても教室でアイツとまともに喋れるのお前くらいしかいないんだから」


「陽介はその内の一人にはなってくれないのかな?」



 ここ最近よく聞くようになった声に振り向くと、広瀬が楽しそうな笑みを浮かべて立っていた。


「なるわけ無いだろ。しかしナイスタイミングだ。もう広瀬でもいいからこの七面倒なやつを連れてってくれ」


 高野が毎朝のように来るから、必然広瀬も来るようになってしまった。

 なんか最近雪芽は女子同士でつるんでることが多いから、今もここにいないし安心ではある。

 でも近くにいない方が幾分も心穏やかだし、広瀬には高野を連れて早々に立ち去ってもらおう。


「んだよすけっち! 俺をリンリンに引き渡すとか鬼の所業じゃん!?」

「あ、明までそんなことを……。ははっ、嫌われたもんだな……」

「たりめーしょ? リンリンはバレンタイン本命殺到確定だし、この一瞬だけは敵だわぁ」


 確かに、去年も広瀬は机に大量のチョコを積み上げていた気がする。

 今年は後輩もできたことだし、よりすごいことになることが予想される。

 ……のだが、そうとも限らないんだよなぁ。


「違うぞ高野ぉ。広瀬はみんなに本性バレたから、今年はなしかもしれないんだぜ?」

「え、マジ? リンリン今年は俺の仲間な感じ?」

「え? あ、あぁ、そうかもしれないね」

「んだよ〜、そういう大事なことは先に言わなきゃだめっしょ? 危うくジェラシるとこだったわー」


 おもいっきりジェラシー全開だったけど、そこには触れないことにしよう。



 それから気を良くした高野は、広瀬と仲睦まじく話をしていた。……俺の周りで。

 いいからどっか行けよ、まったく……。


 それから、そんな朝の喧騒に隆平も加わり、俺の周囲はまた一つ騒がしくなった。


 野郎ばかりでむさ苦しいったらない。

 でも、甘くソワソワした空気よりも居心地はいいかもな。そんなことを考えていた。





 ――――





 来たるべきバレンタイン当日の朝、俺の目の前には壊れかけのしゃべる人形が虚ろな目をして佇《たたず》んでいた。


「……べーべーべーべーべーべー」

「高野? ここで読経するのはやめような? 心を落ち着けて煩悩《ぼんのう》を払いたいのは分かるけどな?」

「べー。べーっべ。べーべぇべ?」

「言葉を失っている……!? 高野、戻ってこい! かつて人間だった時を思い出せ!」

「……今日は一段と騒がしいね?」


 俺は勢いよく振り向くと、呆れたように微笑む広瀬が立っていた。


「広瀬……。ちょうどよかった、最後に高野に声をかけてやってくれ」

「え? 最後?」

「この様子じゃ今日一日持つかどうか……。仮に持ち堪えたとしても、もう……」

「え……? あ、明はそんなにひどいのか?」


 言葉を失った高野を直視できなくて目を逸らすと、広瀬は焦りを浮かべた。


「見りゃ分かんだろ。重篤《じゅうとく》だ。話ができるのは今日が最後だろうな。いや、もうまともに話もできないが……」

「嘘だろ……? 明、俺の声が聞こえるか? 俺の言葉が分かるか!?」

「べー! べーべ」

「あぁ、明……。なんてことだ……」


「お〜? 今日は一段と賑やかだなー」


 お通夜厶ードの教室の一角に、間延びした声がかけられる。

 見れば隆平が先程までの広瀬と同じような呆れた表情をして、こちらに歩み寄ってきていた。


「おう、今ちょうど高野の通夜をやってるところだ」

「陽介? 明はまだ死んでないよ?」

「あぁ、そうだったのか。この度はお悔やみ申し上げます……」


 隆平も状況を悟ったらしく、尻すぼみになる声で高野の死を悔やんだ。


「隆平までやめてくれ。ほら、明はこんなにピンピンして――」

「べーべーべーべーべー」

「あ、明? それはお経のつもりなのか!? やめてくれ縁起でもない!」


 仏になったはずの高野自らお経を唱えだしたところで、状況は混沌を極めだした。

 さて、いい加減頃合いか。鎮静剤を渡すとしよう。



「ほれ高野。お供え物だ」


 鞄の中から取り出した小包を机に置くと、壊れていた高野は目を丸くした。


「なんこれ?」

「チョコだよチョコ」

「いやいやすけっち〜。いくら俺でも他人がもらったチョコとか受け取る気ねぇよ?」

「何勘違いしてんだ。これは俺が作ったやつだよ」

「「はあ!?」」


 俺の言葉に高野のみならず、隆平と広瀬まで声を上げる。

 その顔は皆一様に信じられないものを見たといった風だ。


「すけっち、もしかして俺のために……?」

「ちげえよ。他にあげるやつがいたからついでに作っただけだ」

「まじかよすけっち! ありがとうな!!」


 いや、お前のためじゃないと言っただろ。なんでそんな感激してんだ。


 高野はチョコの小包を大事そうに手に取ると、嬉しそうに眺めていた。

 ……まぁ、喜んでるならそれでいいか。


「すごいな陽介は。料理もできるのか」

「できるだけだ。大して上手くはない」

「……」


 広瀬は何も言わず俺を見つめる。

 なんだ、その何かを期待する子犬のような目は。可愛くねぇんだよこの野郎。


「……お前の分はないからな」

「そ、そうか……」


 肩を落としてしょげて見せたところでないものはないのだ。そもそも野郎のチョコを欲しがるとかおかしくないか?


「俺の分は?」

「隆平まで何言い出してんだ……」

「冗談だよ、冗談」


 本当に冗談なのか怪しい笑顔だな……。まぁ、欲しかったらあげなくないけど。


 それから言葉を取り戻した高野がやかましく騒ぎ立て、広瀬が羨ましそうにそれを見ていた。

 隆平はそんな彼らを微笑ましく見つめていたが、俺としては用が済んだならどこかへ行ってほしい。特に高野は忙しなく動くので、視界もうるさいし。



「やっほー陽介君! 朝から楽しそうじゃーん」


 新たに加わった陽気な声に振り向くと、人懐っこい笑みを浮かべたヒナが立っていた。


「これのどこが楽しげなんだ。うるさくて敵わん」

「あはっ! でも明も優利も楽しそうだし」

「いや、あいつらが楽しいから俺も楽しいってわけじゃないんだが……」


 目の前で、通り過ぎる男子に片っ端から俺の渡したチョコを見せびらかしている高野は、確かに楽しそうだ。


「でさ、陽介君はもうチョコもらった?」

「なんだ藪《やぶ》から棒に……。一つももらってないよ」

「おぉ? じゃあヒナが一番乗りだね~。はいどーぞ!」


 そうしてヒナはおもむろに手を前に差し出した。

 そこにはさきほど俺が高野にあげたような小包がのっている。透明なフィルムの向こうにはいくつかの小さなチョコが見えた。


「なにこれ、もらっていいのか?」

「ここまでしてあげないとか、どんだけヒナ鬼畜なの?」

「お、おう。ではありがたく……」


 ホントいきなり渡してくるもんだからビビってしまった……。これ、罠とかじゃないよね? 広瀬に言われたからとか、そういうんじゃないよね?


 まさかもらえるとは思ってなかったので、若干疑心暗鬼になりながらチョコを受け取る。


「もらってばっかじゃ悪いし、はいこれ」

「え、これ君が作ったの?」

「そうだけど……」


 鞄から取り出したチョコを渡すと、ヒナは目を丸くした。


 広瀬にはああ言ったが、悲しき男子たちのためにいくつかチョコを忍ばせてきたのだ。

 これは言わば自衛チョコ。迫りくる男子たちから己の身を守るためのチョコだ。


 しかし、ヒナがそんなことを知る由もなく、高野と同じように嬉しそうな笑みを浮かべて言った。


「ヒナ、チョコ交換とか初めてした。めっちゃ嬉しい、ありがと!」

「ああ、こっちこそありがとな」


 ヒナは最後にもう一度笑みを浮かべると、すぐそこで騒いでいる高野と広瀬に歩み寄って行った。



「優利もチョコもらった?」

「いや、俺はまだだよ。明は陽介にもらってたけどね」


 広瀬はそう言ってこちらを一瞥《いちべつ》する。

 こっちを見るな気色悪い。


「マジ!? じゃあ優利の初めてはヒナでけって〜い!」


 そうしてヒナは広瀬にもチョコの小包を渡す。それはどうやら俺がもらったものとは違うらしかった。


「これは……、ヒナの手作りかな? すごく良く出来てる」

「でしょでしょ? ヒナの自信作なの。優(・)利(・)だ(・)け(・)に(・)あげるチョコだよ」


 その言葉の意味を汲み取れないほど、俺も鈍感じゃない。というかヒナが広瀬にあげるチョコと言ったら本命以外にありえないんだが。




「……そうか。うん、ありがとう。味わっていただくよ」




 きっとそれは、他の女子にも言ってきた台詞なんだろう。妙にこなれている気がした。

 でも、こんなに嬉しそうに言っていたんだろうか。こんな柔らかな、温かい笑みを浮かべて言った台詞だったんだろうか。

 きっと違う気がした。これはヒナだけに向ける笑みなのだと、そう思った。



「それと……、はい。明にもあげる」

「え……? まじ?」


 広瀬の隣で嬉しそうに微笑んでいた高野は、唐突にヒナから渡されたチョコを呆然と受け取った。

 それは俺に渡されたものと同じで、義理チョコなのだろう。それでも高野は声にならない感動で瞳を輝かせていた。


「優利にあげたチョコのあまりだけど、お返し期待してる〜」

「〜〜ッ! おうっ! 任せとけってえ!」


 堂々と義理チョコ宣言をするヒナに対し、高野は弾けるような笑みを浮かべていた。

 良かったな、高野。本命じゃなくても、おこぼれでも、好きなやつから貰えたらそりゃ嬉しいよな。


 なんか毎朝カウントダウンされてたせいか、喜ぶ高野を見て俺まで嬉しくなっちまうな。

 俺の隣に立つ隆平も心なしか嬉しそうに見える。



「陽介、朝からもらえるなんて幸先いいじゃん。今年はモテモテかもな?」


 俺と目があった隆平は、冗談混じりにそう言った。


「この後があるとは思えんがな」

「夏希と池ヶ谷がいるだろ?」


 夏希と雪芽が? くれるのか……?

 まぁ、夏希は去年もお情けブラックサンターをくれたけどさ。


 ……雪芽が俺にバレンタインチョコ、か。

 まぁ、どうせ義理だろうけど? でももらえるなら嬉しいよな。まぁ義理だろうけど?


 ……やばい、俺も高野のが移ったのかなんかソワソワしてきたぞ! あんにゃろう一人だけ満たされた顔しやがって!


 ああくそっ! 普段はバレンタインなんて過ぎてから気づいてたからソワソワもしなかったけど、こうなると妙な期待が湧いてきてしまう!


「……どうすんだよ、なんかソワソワしてきたじゃねぇか」

「……実は俺もなんだ。どーしよう陽介?」

「最悪の場合は俺の作ったチョコをくれてやるよ」

「あっ、ずりぃ! 一人だけ先にもらったからって!」

「ふはは、悪いな隆平。そんときは漢《おとこ》チョコで我慢しろよな?」


 こうして、俺史上最も騒がしいバレンタインが幕を開けたのだった。

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