スキルなしの学院生活
王立魔導騎士学院に入学して、しばらく経った。
最初こそ、廊下を歩くだけで振り返られ、食堂に入れば妙な静けさが広がっていた俺だったが、最近ではそんな光景にも慣れてきた。
……いや。
正確には、周囲が俺に慣れてきた、というべきだろうか。
「ミソノ! おはよう!」
「おはよう。今日の実技、一緒の班になれるかな?」
「ねえ、昨日の魔法理論の課題、ちょっと教えてほしいんだけど!」
教室へ入るなり、三人の女子生徒に囲まれた。
「おはよう。課題なら休み時間に見ようか」
「本当!? ありがとう!」
「やった! じゃあ私も!」
「……お前たち」
横から、呆れたような声がした。
「少しは自分で考えたらどうなの?」
銀色がかった淡い青髪。
紫色の瞳。
窓際の席で本を開いていたセリシア・フォン・ルーヴェルトが、こちらを睨んでいた。
「ミソノは、あなたたちの家庭教師じゃないのよ」
「えー、セリシア様だって、昨日ミソノ君と図書館にいたじゃないですか」
「なっ……!」
セリシアの顔が赤くなる。
「あ、あれは魔法理論について議論していただけよ!」
「へえー?」
「何よ、その顔!」
女子生徒たちが楽しそうに笑う。
俺は空いている席に鞄を置いた。
「おはよう、セリシア」
「……おはよう」
「昨日の本、面白かったな」
「……っ!」
セリシアは慌てて本で顔を隠した。
「そ、そうね!」
(……何で隠れるんだ?)
相変わらず、よく分からない。
ただ、こういう賑やかな朝も、最近では嫌いじゃなかった。
◆
午前の授業は、魔力制御実習だった。
広い訓練場には、いくつもの魔導標的が並んでいる。
「本日の課題は、魔力の安定維持だ!」
教官の声が響いた。
「各自、標的へ魔力を送り込み、内部の魔導石を一定の明るさで発光させろ。出力が強すぎても弱すぎても失敗だ!」
なるほど。
要するに、魔力を細かく調整する練習らしい。
「では、始め!」
生徒たちが一斉に魔力を流し始めた。
標的が赤や青に光る。
途中で消えるもの。
突然、眩しく輝くもの。
あちこちで教官の注意する声が飛んでいた。
「……ミソノ」
隣に立つセリシアが声をかけてきた。
「今日は、手加減しないでよね」
「……何の話だ?」
「あなた、いつも簡単そうにやるでしょう?」
「まあ、難しいことじゃないし」
「……そういうところが腹立たしいのよ」
セリシアは小さく息を吐いた。
「見てなさい」
彼女が標的へ手をかざす。
魔導石が、鮮やかな青色に輝いた。
その光は揺らぐことなく、一定の明るさを保っている。
「おお……!」
周囲から感嘆の声が上がった。
教官も満足そうに頷いた。
「見事だ、セリシア! さすが入学試験首席!」
「ありがとうございます」
セリシアは涼しい顔で礼をした。
そして、ちらりと俺を見る。
「……次は、あなたよ」
「分かった」
俺は標的へ手を向けた。
魔力を流す。
魔導石が、柔らかな白色に光った。
それだけだった。
「…………」
教官が近づいてきた。
「……ミソノ」
「はい」
「……魔力を流しているのか?」
「流してますけど」
「……そうか」
教官は魔導石を覗き込んだ。
そして、眉をひそめた。
「……おかしいな」
「何がですか?」
「通常、魔力には微細な揺らぎがある。だが、お前の魔力には、それがほとんど見られない」
「……そうなんですか?」
「……ああ」
教官はしばらく標的を見つめていた。
「……まあ、合格だ」
「ありがとうございます」
俺が手を下ろすと、隣から小さな声がした。
「……やっぱり、変」
セリシアだった。
「何が?」
「あなたよ!」
俺は思わず笑った。
◆
そのときだった。
――バチッ!
訓練場の端で、鋭い音が響いた。
「きゃっ!」
振り返る。
一人の女子生徒が、標的の前で尻もちをついていた。
淡い桃色の髪。
翡翠色の瞳。
小柄な女の子だった。
彼女の周囲では、いくつもの魔導石が不規則に点滅している。
「……またか!」
教官が駆け寄った。
「フィオナ! 魔力を乱すなと言っただろう!」
「ご、ごめんなさい……!」
少女は慌てて頭を下げた。
「ちゃんとやろうとしたんですけど……」
「お前の固有スキルは《共鳴》だったな?」
「……はい」
「他人の魔力に干渉する性質があるのは分かる。だが、周囲の標的まで巻き込んでは訓練にならん!」
「……すみません」
フィオナと呼ばれた少女は、俯いた。
周囲から、小さな声が聞こえる。
「……また失敗してる」
「補助系のスキルって、難しそうだよね」
「でも、あれじゃ実戦では使えないんじゃ……」
少女の肩が、さらに小さくなった。
俺は、点滅している魔導石を見つめた。
(……あれ?)
妙だ。
フィオナの標的だけじゃない。
周囲の標的も、ほぼ同じ間隔で明滅している。
しかも、魔力の流れが一瞬だけ、彼女を中心に揃っていた。
(……なるほど)
俺は、少し興味が湧いた。
「……先生」
「何だ、ミソノ」
「ちょっと、フィオナと話してもいいですか?」
「……構わんが、実習の邪魔はするなよ」
「はい」
俺は少女のもとへ歩いた。
◆
「……フィオナ、だっけ?」
声をかけると、少女が顔を上げた。
「……え?」
「俺、ミソノ。よろしく」
「あ……う、うん!」
フィオナは慌てて立ち上がった。
「フィオナ・ルミエールです!」
「さっきの、すごかったな」
「……え?」
「周りの標的、全部反応してただろ?」
フィオナの表情が曇った。
「……ごめんなさい」
「……何で謝るんだ?」
「だって、私のせいでみんなの魔法が……」
「いや、褒めてるんだけど」
「…………え?」
フィオナは目を丸くした。
俺は周囲の標的を指差した。
「普通、自分の魔力を操るだけでも難しいんだろ?」
「……うん」
「でも、フィオナは周りの魔力まで動かしてた」
「……勝手に、だけど……」
「それでも、すごいことだと思うけどな」
フィオナは、ぽかんと口を開けた。
「……そんなこと、初めて言われた」
「そうなのか?」
「……うん」
彼女は小さく頷いた。
「私のスキル、戦えないし……。周りに迷惑かけるだけだから……」
俺は少し考えた。
「……じゃあさ」
「……うん?」
「今度は、俺の魔力に合わせてみない?」
「……え?」
「周り全部を動かそうとするから、大変なんじゃないかな」
俺は手を差し出した。
「まずは、一つだけでいいと思う」
フィオナは、差し出された手を見つめた。
「……私に、できるかな」
「やってみないと分からないだろ?」
「…………」
彼女は少し迷ったあと、そっと俺の手を取った。
「……うん!」
その瞬間。
フィオナの魔力が、わずかに動いた。
俺は、自分の魔力を細く流した。
フィオナは目を閉じる。
「……あ」
「どうした?」
「……分かる」
「何が?」
「……ミソノ君の魔力、すごく……静か」
彼女の指先が、小さく震えた。
「……こんなの、初めて……」
俺は微笑んだ。
「じゃあ、そのまま合わせてみて」
「……うん」
フィオナが、ゆっくりと呼吸を整える。
周囲の魔導石が、一斉に光った。
今度は、不規則な点滅ではない。
柔らかな光が、同じリズムで揺れている。
「……できた」
フィオナが呟いた。
「……私、できた……!」
その声が、少しだけ震えていた。
俺は頷いた。
「ほらな」
フィオナは顔を上げた。
翡翠色の瞳が、嬉しそうに輝いている。
「……ありがとう、ミソノ君!」
彼女は、俺の手をぎゅっと握りしめた。
「……本当に、ありがとう!」
「どういたしまして」
そのとき。
「……ミソノ」
背後から声がした。
振り返ると、セリシアが立っていた。
腕を組み、こちらを見つめている。
「……随分と楽しそうね」
「うん。フィオナのスキル、面白いんだ」
「……そう」
セリシアは、フィオナと俺の手をちらりと見た。
「……いつまで握ってるの?」
「……え?」
フィオナが慌てて手を離した。
「あっ! ご、ごめんなさい!」
「いや、別に」
セリシアは小さくため息をついた。
「……本当に、あなたって人は」
(……また何か怒らせたか?)
◆
昼休み。
俺は中庭のベンチで、エルナと昼食を食べていた。
「……へえ。そんなことがあったのね」
「ああ。フィオナって子なんだけど、面白いスキルだった」
「……フィオナ?」
「うん。同じ学年の子」
エルナは、パンをちぎる手を止めた。
「……女の子?」
「ああ」
「……そう」
彼女は、しばらく黙った。
「……最近、女の子の名前をよく聞くわね」
「そうか?」
「そうよ」
エルナは、少しだけ頬を膨らませた。
「セリシアさんに、フィオナさんに……」
「……同級生だからな」
「……そうね」
エルナは小さく息を吐いた。
俺は首を傾げた。
「……エルナ?」
「何?」
「……何か怒ってる?」
「怒ってないわよ」
「……そうか?」
「……怒ってないったら!」
……怒ってる気がする。
俺はどうしたものかと考えた。
すると、エルナがふいに俺を見た。
「……ねえ、ミソノ」
「ん?」
「学院生活、楽しい?」
「うん」
俺は頷いた。
「思ってたより、ずっと」
「……そう」
エルナは微笑んだ。
その笑顔は、さっきまでとは違っていた。
「……よかった」
「エルナのおかげでもあるけどな」
「……え?」
「最初、学院のこと全然分からなかったし。案内してくれて助かった」
「…………」
「ありがとう」
エルナの頬が、みるみる赤くなった。
「……そ、そんなの……」
「ん?」
「……当然でしょ!」
彼女は慌てて顔を背けた。
俺は思わず笑った。
(……やっぱり、エルナは面白いな)
◆
放課後。
学院の中央掲示板には、大勢の生徒が集まっていた。
「……何だ?」
俺が近づくと、聞き慣れた声がした。
「ミソノ!」
セリシアだった。
その隣には、フィオナもいる。
「ミソノ君!」
「二人とも、どうした?」
「……これよ」
セリシアが掲示板を指差した。
そこには、大きな羊皮紙が張り出されていた。
《王国学院対抗戦》
《代表選抜試験・実施告知》
「……学院対抗戦?」
俺は首を傾げた。
「知らないの?」
セリシアが呆れたように言った。
「王国各地の学院が集まって、実力を競い合う大会よ」
「へえ」
「毎年、王国中が注目する一大行事なの」
フィオナも頷いた。
「私の故郷でも、みんな楽しみにしてるんだよ!」
「そうなのか」
俺は掲示板を読み進めた。
代表選抜。
団体戦。
実戦形式。
なるほど。
結構、本格的な大会らしい。
「……セリシアは出るのか?」
「当然よ」
彼女は胸を張った。
「私は、この学院の代表になるために入学したんだから」
「すごいな」
「……あなたは?」
「俺?」
「そうよ」
俺は少し考えた。
「……まだ分からないな」
「……何ですって?」
「いや、面白そうではあるけど」
セリシアは、信じられないという顔をした。
「……あなた、自分の実力を分かってるの?」
「……まあ、それなりには」
「……もう!」
フィオナがくすくす笑った。
「ミソノ君らしいね」
俺も笑った。
そのときだった。
「……あれ?」
掲示板の下の方に、自分の名前があることに気づいた。
《特例入学生ミソノ・フォン・アルヴェイン》
《学院長推薦により、代表候補者に指定》
「…………」
俺は、しばらくその文字を見つめた。
「……また俺だけ特別扱いかよ」
思わず呟いた。
すると――。
「……ふざけないで」
背後から、冷たい声が響いた。
振り返る。
そこには、一人の上級生が立っていた。
長い黒髪。
鋭い瞳。
制服の胸元には、上級学年を示す銀色の徽章が輝いている。
彼女は、俺をまっすぐに睨みつけていた。
「……スキルなしが、代表候補?」
周囲の空気が、ぴりついた。
セリシアが眉をひそめる。
「……あなたは……」
上級生は、ゆっくりと俺へ歩み寄った。
「私たちが、どれだけ努力してきたと思っているの?」
「…………」
「学院長の推薦? 特例入学? そんなもの、実力の証明にはならないわ」
俺は彼女を見つめた。
「……そうかもしれませんね」
「……何?」
「推薦されたからって、代表になれるわけじゃないでしょう?」
上級生の眉が動いた。
俺は続けた。
「だったら、選抜試験で決めればいいんじゃないですか?」
「…………」
彼女は、しばらく俺を睨んでいた。
そして、ゆっくりと口元を歪めた。
「……いいわ」
その声は、ひどく冷たかった。
「そこまで言うなら、見せてもらいましょう」
彼女は、俺の胸元を指差した。
「……あなたが、どれほどの実力を持っているのか」
俺は小さく頷いた。
「分かりました」
その瞬間。
周囲の生徒たちが、ざわめき始めた。
「……おい、あれって……」
「……まさか……」
「……あの人に、勝負を受けるって……?」
セリシアの表情が変わった。
「……ミソノ」
「ん?」
「……あなた、相手が誰だか分かってるの?」
「……いや」
俺は正直に答えた。
「……誰?」
セリシアは、深いため息をついた。
「……あの人は……」
そのとき。
上級生が、静かに口を開いた。
「……名乗る必要もないと思っていたけれど」
彼女は、胸元の銀色の徽章へ手を添えた。
「王立魔導騎士学院、上級学年首席」
周囲が静まり返る。
そして、彼女は告げた。
「……あなたが本当に代表に相応しいかどうか、私が確かめてあげる」
その瞳に、鋭い光が宿った。
次の瞬間。
彼女の足元から、黒い魔法陣が静かに広がり始めた。
セリシアが、息を呑んだ。
「……まさか、ここで……!?」
俺は、ゆっくりと視線を落とした。
魔法陣の中央。
そこには、見たことのない文字が浮かび上がっていた。
(……へえ)
俺は、思わず口元を緩めた。
(……これは、ちょっと面白そうだな)




