スキルなしの人気者
――王立魔導騎士学院。
その長い歴史の中で、固有スキルを持たない者が正式に入学を認められた例は、ほとんど存在しない。
ましてや、王国騎士団第一騎士隊の天才剣士を、わずか数秒で打ち破った少年など。
前代未聞だった。
そして今、その前代未聞の少年が――。
「……なあ」
俺は目の前の光景を見つめ、思わず呟いた。
「……何で、こんなに人がいるんだ?」
学院の中央広場。
そこには、数十人もの生徒たちが集まっていた。
しかも、そのほとんどが俺を見ている。
「ミソノ様!」
「昨日の試験、本当ですか!?」
「レオンハルト様に勝ったって聞きました!」
「固有スキルがないって、本当なんですか!?」
次々と声が飛んでくる。
(……ああ、なるほど)
どうやら、昨日の試験と今朝の食堂での出来事が、学院中に広まってしまったらしい。
俺は小さくため息をついた。
「……まあ、勝ったのは本当だけど」
「すごい!」
「十四歳なんですよね!?」
「今度、魔法を教えてください!」
「よかったら、一緒にお昼を……!」
女子生徒たちが、次々と距離を詰めてくる。
(……近いな)
俺は少し後ずさった。
そのときだった。
「……ミソノ?」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、金色の髪を揺らしながら、一人の少女が立っていた。
エルナ・フォン・セレスティア。
セレスティア侯爵家の令嬢。
そして、俺にとっては幼いころからの大切な存在だ。
「おはよう、エルナ」
「……おはよう」
エルナは笑顔を浮かべた。
だが、その視線は俺の周囲に集まった女子生徒たちへ向けられている。
「……随分と楽しそうね」
「いや、何だか質問攻めにあっててさ」
「……そう」
エルナは、にこりと微笑んだ。
「人気者になったのね、ミソノ」
「……そうなのかな」
「そうみたいね」
何だろう。
いつものエルナと、少しだけ雰囲気が違う。
「……あの」
女子生徒の一人が、遠慮がちに声をかけた。
「エルナ様は、ミソノ様とお知り合いなんですか?」
「ええ」
エルナは即答した。
「幼いころから、ずっと一緒なの」
「……えっ!?」
「そうなんですか!?」
女子生徒たちが驚いたように顔を見合わせる。
エルナは俺の腕を軽く取った。
「ごめんなさいね。ミソノには、これから学院を案内する約束があるの」
「……え?」
俺は思わずエルナを見た。
(……そんな約束、してたっけ?)
だが、エルナは笑顔のまま俺を見つめている。
その目が、何かを訴えていた。
(……あ、はい)
「……そういうわけで、またな」
俺は女子生徒たちへ手を振り、エルナに連れられて広場を後にした。
◆
「……エルナ」
「何?」
「学院を案内する約束って、いつしたっけ?」
「今よ」
「……今?」
「そう。今、決めたの」
エルナは平然と答えた。
俺は思わず笑った。
「何だ、それ」
「いいじゃない。どうせ、まだ学院のこと分からないでしょう?」
「まあ、それはそうだけど」
「だったら問題ないわ」
エルナは少しだけ得意そうに笑った。
俺たちは学院の回廊を歩いた。
魔法研究棟。
剣術訓練場。
図書館。
そして、広大な中庭。
エルナは一つひとつ丁寧に説明してくれた。
途中、何人もの生徒が俺たちへ声をかけてきた。
「ミソノ様!」
「今度、お話ししませんか?」
「よかったら、研究会に……!」
そのたびに、エルナの歩く速度が少しだけ速くなる。
(……何か急いでるのか?)
俺は不思議に思いながら、彼女の後を追った。
やがて、人通りの少ない中庭へ出た。
エルナはようやく足を止めた。
「……ねえ、ミソノ」
「ん?」
「あなたって、誰にでも優しいのね」
「……そうか?」
「そうよ」
エルナは少しだけ頬を膨らませた。
「さっきだって、知らない女の子たちに、何でも教えてあげるって言ってたでしょう?」
「困ってるなら、教えるくらい普通だろ?」
「……そういうところよ」
「……何が?」
「もう!」
エルナは顔を背けた。
俺は首を傾げた。
(……何か怒らせたか?)
しばらく沈黙が続いた。
やがて、エルナが小さな声で呟いた。
「……私のことも、ちゃんと見てよね」
「ん?」
「……何でもない!」
彼女は慌てたように歩き出した。
俺はその背中を追いながら、思わず笑った。
(……相変わらず、よく分からないな)
◆
昼過ぎ。
学院の図書館。
俺は魔法理論に関する本を探していた。
学院の蔵書は、屋敷の書斎とは比べものにならないほど多い。
(……これは、しばらく退屈しなさそうだな)
そんなことを考えながら書棚を眺めていると、隣から声がした。
「……あなたが、ミソノ・フォン・アルヴェイン?」
振り返る。
そこには、一人の少女が立っていた。
銀色に近い淡い青髪。
透き通るような紫色の瞳。
整った顔立ち。
年齢は、俺と同じくらいだろうか。
「そうだけど」
少女は俺をじっと見つめた。
「……本当に、スキルなしなの?」
「ああ」
「……そう」
彼女は少しだけ目を細めた。
「私は、セリシア・フォン・ルーヴェルト」
ルーヴェルト公爵家。
王国でも有数の名門貴族だったはずだ。
「今年の入学試験、総合首席よ」
「へえ。すごいな」
「…………」
セリシアは一瞬、言葉を失った。
「……それだけ?」
「え?」
「もっと、何かあるでしょう?」
「……おめでとう?」
「…………」
彼女は小さくため息をついた。
「……あなた、変わってるわね」
「よく言われる」
セリシアは腕を組んだ。
「私は、あなたの試合を見ていたの」
「そうなのか」
「レオンハルト様を倒した、あの一撃」
彼女の瞳が鋭くなる。
「……あれは、何だったの?」
「何って?」
「あなたは、どうやって《絶対剣域》を突破したの?」
俺は少し考えた。
「……普通に歩いただけだけど」
「……は?」
「斬撃が来ないところを通っただけだよ」
「そんな場所があるわけないでしょう!」
セリシアは思わず声を上げた。
図書館の司書が、こちらを睨む。
「……失礼」
彼女は慌てて声を落とした。
「《絶対剣域》は、領域内のあらゆる場所へ斬撃を届ける能力よ」
「うん」
「なら、逃げ場なんて存在しないはずでしょう?」
「……そうかな」
俺は首を傾げた。
「でも、斬撃が同時に全部の場所へ届くわけじゃないだろ?」
「…………」
「だったら、動く順番を見ればいいんじゃない?」
セリシアの表情が固まった。
「……順番?」
「ああ」
「……そんなものが、見えるというの?」
「見ようと思えば、何となく」
「…………」
彼女は黙り込んだ。
そして、俺をじっと見つめた。
「……あなた、本当に何者なの?」
「ミソノだけど」
「……そういう意味じゃないわ!」
俺は思わず笑った。
何だか、昨日のレオンハルトと似たような反応だ。
セリシアは少し頬を赤らめ、視線を逸らした。
「……とにかく」
「ん?」
「私は、あなたを認めたわけじゃないから」
「……別に、認めてもらおうとは思ってないけど」
「…………!」
彼女は何かを言いかけ、口を閉じた。
そして、くるりと背を向ける。
「……また来るわ」
「ああ」
俺が手を振ると、セリシアは足を止めた。
ほんの少しだけ振り返る。
「……次は、ちゃんと答えてもらうから」
そう言い残し、彼女は図書館を出ていった。
(……変わった子だな)
俺は再び本棚へ目を向けた。
◆
夕方。
訓練場へ向かう途中、聞き慣れた声がした。
「……ミソノ」
「ん?」
振り返ると、カイが立っていた。
「よう、カイ」
「……お前、何をした?」
「……何が?」
カイは額に手を当てた。
「学院中がお前の噂で持ちきりだ」
「……そうみたいだな」
「レオンハルトを倒したそうだな」
「ああ」
「……しかも、数秒で」
「まあ」
カイは深いため息をついた。
「……相変わらずだな」
「何が?」
「お前のそういうところだ」
俺は首を傾げた。
そのときだった。
「ミソノ!」
遠くから声が響いた。
振り返る。
銀髪の青年が、こちらへ歩いてきた。
レオンハルトだった。
「レオンハルト。どうした?」
「昨日の話の続きだ」
「ああ」
「領域を複数展開する件だが……」
レオンハルトは真剣な表情で続けた。
「……二つまでなら、形を保てるようになった」
「へえ。早いな」
「だが、別々に動かすことが難しい」
「そうなのか」
俺は少し考えた。
「だったら、最初は同じ動きでいいんじゃない?」
「……何?」
「二つを同時に動かして、慣れたら少しずつ違う動きにしていけばいい」
「…………」
レオンハルトは、はっとした表情を浮かべた。
「……なるほど」
そして、深々と頭を下げた。
「感謝する、ミソノ!」
「いや、だから頭を下げなくていいって!」
その光景を見ていたカイが、完全に固まった。
「…………」
俺はカイを見た。
「……どうした?」
「……いや」
カイはゆっくりと首を振った。
「……お前、本当に何をしたんだ?」
「……だから、何が?」
カイは大きくため息をついた。
レオンハルトは、そんな俺たちを見て不思議そうにしていた。
◆
その夜。
学院長室。
重厚な机を挟み、二人の男が向かい合っていた。
一人は、白髭を蓄えた老人。
王立魔導騎士学院の学院長。
もう一人は、黒い軍服をまとった壮年の男。
王国騎士団総長だった。
「……報告は読んだ」
騎士団総長が低い声で言った。
「レオンハルトが、新たな技を会得したそうだな」
「ええ」
学院長は静かに頷いた。
「剣を抜かずに斬る技術。そして、複数の領域を展開する可能性」
「……そんなことが可能なのか?」
「これまでは、不可能だと考えられていました」
学院長は、一枚の報告書を机に置いた。
そこには、レオンハルトの新たな能力について記されている。
《抜刀を伴わない斬撃を確認》
《複数領域の同時展開を確認》
《既存の固有スキル理論では説明不能》
騎士団総長は、しばらく報告書を見つめていた。
「……レオンハルトが進化した、ということか」
「いいえ」
学院長は首を振った。
「彼の能力は、最初からそこにあったのです」
「……何?」
「ただ、誰もその使い方を知らなかった」
学院長は、別の書類を差し出した。
そこには、一人の少年の名前が記されていた。
《ミソノ・フォン・アルヴェイン》
《年齢:十四歳》
《鑑定結果:スキルなし》
「……この少年か」
「はい」
学院長は静かに続けた。
「彼自身が強いことよりも、恐ろしいことがあります」
「……何だ?」
老人は、ゆっくりと顔を上げた。
「彼と出会った者まで、強くなってしまうことです」
騎士団総長は、言葉を失った。
そして、しばらくしてから呟いた。
「……レイヴンの息子、か」
学院長は頷いた。
「ええ」
その瞳には、複雑な光が宿っていた。
「……十二年前、我々が見失ったものが、ようやく動き始めたのかもしれません」
騎士団総長は、静かに目を閉じた。
「……ならば、もう時間はないな」
「ええ」
学院長は机の引き出しから、一枚の古い羊皮紙を取り出した。
そこには、奇妙な紋様が描かれていた。
交差する二本の線。
その中央を囲む、円環。
そして、その下に記されていた文字。
《第七封印》
学院長は、低く呟いた。
「……あの子が、この扉を開くことになるとは」
そのときだった。
学院長室の扉が、静かに叩かれた。
コン、コン。
「……誰だ?」
騎士団総長が尋ねる。
扉の向こうから、若い声が返ってきた。
「ミソノ・フォン・アルヴェインです」
二人の男が、同時に顔を上げた。
「……お呼びだと聞いて来ました」
学院長は、ゆっくりと羊皮紙を伏せた。
そして、小さく呟いた。
「……来たか」




