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第65話 幸せになる才能

こんばんは。

今週も時間ができましたので、

統合失調症エッセイを書きに来ました。


今週の終わり近くの頃から、

咳と鼻水が発症しはじめまして、

かかりつけの町医者さんに症状の出はじめからかかりましたところ、

喉が赤くなっていないので、

アレルギーではないかとの診断をもらいました。

それからお薬を飲みつつ、

咳と鼻水とくしゃみに悩まされております。

アレルギーではないかとの診断でしたが、

確かにだるくはないんですよね。

鼻がつまって苦しいのですが、

熱っぽさがないというか。

喉も痛くないんですよね。

いつもでしたら、統合失調症エッセイは、

土曜日の深夜に書くのですが、

今回は日曜日に書いています。

土曜日の夜は、

鼻がつまっていて、何とも思考がまとまらないので、

早寝を決め込みました。

現在、そんな調子の悪さもあって、

実験的短編集と、怪談物語がちょっとストップになっています。

この日曜日も、どれだけ書けるかわかりません。

鼻詰まりは解消に向かっているのですが、

どれほど集中した時間が取れるかわかりません。

まったく、調子が悪くなると、

いろいろな予定が狂うので困ったものです。


土曜日の夜は、珍しくお酒も飲まずに早寝を決め込みました。

多分年末年始に連日お酒飲むと思いますので、

一日くらい飲まない週末があってもいいでしょう。

日曜日に執筆している、今日の執筆のおともは、

お酒ではなく、ウィルキンソン炭酸エクストラ。

食物繊維が入った無糖炭酸水です。

思考が煮詰まりを越えて焦げだすようなときに、

炭酸水は一息付けてくれます。

なんとなくですけど、ゲップがいいのかもです。

思考のどん詰まりになりそうなときなども、

炭酸水が気分を変えてくれそうです。

炭酸水はAmazonで定期便にしています。

炭酸水を飲みながら、

流通のありがたさも感じております。

家まで届けてくれるのは、ありがたいですね。


さて、今回は、

幸せになる才能、です。


ええと、すごくざっくりとしたことを言いますと、

落ち込んでいる人は、幸せを感じていないと思うのです。

統合失調症の症状によっては、

家から出られないということになったり、

部屋の中で落ち込み続けたりもしますし、

幻聴が常に悪口を言っていたりするような感じにもなります。

ざっくりと言って、その状況は、幸せではないと思います。

こもれる家があるじゃないかとか、

実家に逃げ込めるじゃないかという言葉もあるかもしれませんが、

とにかく幸せを感じられる状況にないのです。

家がある、実家にいられること、

そこに幸せを見出せないのです。

統合失調症の症状が出ている、過去の私のような人は、

自分はなんてダメな人間なんだとか、

周りの声という声が私の悪口を言っているとか、

私なんて消えてしまった方がいいとか、

そんなことを考えてしまうものです。

幸せを見つけることができないほど、すべてが暗く見えてしまうものです。

統合失調症に限らず、

何か失敗をしたら、ものすごい剣幕で怒られて落ち込んでいる人や、

あるいは、何をしても無視し続けられている人や、

何かと仲間はずれにされている人など、

メンタルが強い人ならば越えられるかもしれませんが、

自分が何か悪いことをしたからこんな目に遭っているんだと、

考えるようなメンタルの方ですと、

そこから、自分はなんてダメなんだとか、

何か悪いことをした自分はいなくなった方がいいと考えてしまうと思うのです。

そこに幸せはありません。

幸せというものが見えなくなってしまうほど、

目の前が真っ暗になっています。

これが、ざっくりと言って、

落ち込んでいると幸せを感じられないということだと思っていただければ。


また、別件になりますが、

自分の正論を振りかざして、正論に合わない人を正論で殴るのも、

なんとなく幸せに感じられないのです。

正しいことを言ったりしているのでしょうが、

正論で殴るという行為は、

正論からはみ出た人を敵に回すということです。

敵が多い状態が幸せであるように感じられないです。

それと同じようなことになりますが、

常に怒っている人、お説教をする人なども、

幸せそうには見えないなと思うのです。

近くにいて、いやだなと感じるので、

人が寄り付かなくなると思うのです。

そこに幸せが感じられるかと言うと、

そうではないんじゃないかなと思うのです。


幸せになるには、ある種の才能があるんじゃないかなと思います。

才能のひとつとして、

幸せを幸せとして感じられるというものがあると思います。

先に述べました統合失調症の例で、

家がある、実家という逃げ道がある、

そこに幸せを見出せなくなるということを語りましたが、

幸せを感じられる才能を持っていますと、

落ち込んでいて今は動けないけれど安全な場所がある、

回復までの間、休める場所がある、

それは幸せだと感じられるようになるかもしれません。

心が大変な時にそこまで考えるのは難しいのですが、

今置かれている環境において、

これは幸せだと見出すこと。

見出した幸せをしっかり感じること。

それが幸せになる才能ではないかなと思うのです。


また、幸せを作れるというのも、

幸せになる才能のひとつではないかと思うのです。

誰かが幸せにしてくれるのを待つのでなく、

より良い生き方をすべく努力できるのも、

幸せになる才能じゃないかなと思うのです。

私にとっては、執筆もそのひとつになります。

キーボードを叩いて、私の言葉が画面に現れる。

今考えているエッセイ、

あるいは考えている物語、

それらが言葉として立ち現れる感覚は、

執筆における幸せと言っていいでしょう。

私の幸せは、私が作れるようになりました。

誰かが、私の創作物を貶めようとも、

私の幸せの価値というものが、揺らぐことはありません。

ただ、創作したものが誰かに刺さって褒められますと、

それはそれで別の幸せが生まれます。

私にとって、執筆して物語を書くという行為は、

幸せを作る行為なのです。

幸せの順番待ちをするのでなく、

私から幸せになりに行くのです。

私なりの、幸せになる才能ではないかと思うのです。


今でも、統合失調症の症状がすべて消えたわけでなく、

人が何か話していると自分の悪口を言っていると感じたりとか、

体調が悪くなるとメンタルもおかしくなることは多々あります。

私はまっとうに正常な人間ではないのです。

どうあがいても、統合失調症がきれいに無くなるわけではないのです。

そんな中でも、私なりに幸せになる道は見出せると思うのです。

統合失調症と共に生きつつ、

幸せを手にする道があるのです。

お金はあれば幸せかもしれません。

名誉もあれば幸せかもしれません。

ただ、幸せを幸せと感じられる才能こそが、

一番幸せになるのに必要なのだと思います。

どんな状況においても幸せだと感じられたら、

それはなによりも強い力となるでしょう。

私にとって、執筆が、

その力となっているような気がします。

いろいろなことを経験してきましたが、

今、私は幸せです。


また、時間が出来ましたら、

統合失調症エッセイを書きに来ます。


ではまたいずれ。

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