第58話 努力をしても結局普通じゃない
こんばんは。
今週も時間ができましたので、
統合失調症エッセイを書きに来ました。
先週買ったワークマンのコルセットが、
伸ばして酷使しすぎて、
すでによれよれになってきています。
私のお腹にお肉がたくさんあるので、
食い込んでしまうのが原因だと思います。
ワークマンを普通に使うのは、
現場で働く男性が多いと思います。
私の偏見もあるかもしれません。
さらに偏見を重ねますと、
現場で働く男性は、女性ほどお腹周りが柔らかくないような気がします。
筋肉と言えばそうですが、
女性と男性のお腹は、
脂肪のつき方も違うような気がします。
お腹の出ている男性は、
女性のような柔らかいお腹周りの脂肪でないような気がします。
うろ覚えで申し訳ありませんが、
皮下脂肪と内臓脂肪なるものがあると聞きましたので、
そのあたりの違いがありそうだとなんとなく思います。
偏見まみれで申し訳ありませんが、
私のお腹の脂肪はぶよぶよしていますので、
お腹側でコルセットが食い込んでしまうようです。
背中や腰はかなり楽になりましたが、
お腹に食い込まないよう、
もっと幅のあるコルセットが欲しいなと思っております。
お腹の内臓の位置がちゃんとしたところにおさまると、
それだけで内臓の働きが抜群に良くなります。
元気に仕事をしながら執筆するためにも、
腰やお腹はしっかり整えないとです。
何事も身体が資本です。
ちょっと通販を考えている今日この頃です。
今夜のおともは、
オリオンビールと翠ジンソーダ。
キリンの本搾りライム。
おつまみに、ローソンのサラダスティック、
バジル味と、トマト&チーズ味と、枝豆とほうれん草味です。
ローソンでサラダスティックを2本買うと、
1本引換券がもらえたので、
今週末は2日で4本の予定でしたが、
引換券2枚もらえたので、
2日で6本になりました。
お酒缶1本につきサラダチキンスティックが1本。
今夜は3本の3本です。
手が汚れない、キーボードが汚れない、
ほどよくお酒に合う味でなかなかいいです。
ローソンにはカニカマ系のスティックのパッケージもあるので、
気が向いたら試そうかなと思います。
いや、お酒にポテチも悪魔的でいいんですがね。
食べて飲んでをすると手が汚れて執筆が進まなかったので、
美味しいけれど封印です。
さて、今回は、
努力しても結局普通じゃない、です。
うーんと。このタイトルは、あきらめに似た感覚なのですが、
統合失調症になって、
いや、その前からかな。
物心ついたときからの感覚かもしれないです。
私はいろいろな人と感覚がズレているなと思うことがありました。
どうやらズレている私の方が少ない方らしく、
多数派である普通にならなくちゃと思ったものでした。
努力して普通に矯正しようとしました。
多分、家族も普通に幸せになって欲しいと思っていたと思いますし、
普通でいた方がいいと、
普通であれば少なくとも害されることはないと、
変な奴だとされて、何か被害を受けることはなくなるはずと、
とにかく普通になろうと努力しました。
努力しても、私は普通になれませんでした。
普通に擬態した何者かにしかなれませんでした。
努力をどれだけしようとも、
結局普通じゃないという、
そんな、あきらめに似た感覚です。
統合失調症になって間もなくの頃、
病気の私は普通ではないんだという、
絶望のような感覚がまとわりついていました。
家に引きこもっているのは普通ではない。
幻聴が聞こえるのは普通ではない。
心療内科に通うのは普通ではない。
普通の人より劣っている。
この世界は普通の人のための世界で、
普通の人より劣っている私はいてはいけないと、
何度も考えました。
普通にならなくちゃ生きていけない。
普通でなくては生きていることが許されない。
引きこもった生活の中、
普通でない私は消えるべきだとよく考えていました。
統合失調症は、ずっと落ち込んでいる訳でなく、
気分が上がった感覚を持つことがあります。
その感覚になりますと、
自分は回復したんだと感じるのです。
私の場合は、そこでようやく普通になれると勘違いしました。
今までの遅れを取り戻して、
社会に生きる普通の人になるんだと、
結構めちゃくちゃなことをしました。
そのすべてが失敗して、
やっぱりだめなんだとなって、
また引きこもりを繰り返しました。
脳の働きの波が大きく、上がり下がりするたびに、
振り回されて、めちゃくちゃになりました。
自分で自分がわからず、
暗い中で何かにしがみついて嵐が過ぎるのを待つようでした。
統合失調症の、壊れた脳の働きの上がり下がりの波が落ち着いてきた頃、
その頃にはもう、私は普通になれないと思っていました。
結婚もできました。
実家の伝手で仕事もしていますが、
普通に擬態しているにすぎません。
私の脳は壊れたままです。
いつ何時あの時のような波がやってくるかわかりません。
薬を飲んで、心療内科にかかり、
体調をできる限り整えて、
ストレスを可能な限り少なくしていかないと、
統合失調症になった頃のような、
嵐のような脳の波がまた来るかもしれません。
あの波が来たら、落ち着かせるには時間がかかります。
年単位かかるかもしれません。
普通に擬態することもできなくなります。
今まで努力して普通のふりをしていましたが、
そのふりすらできなくなります。
私の脳は、小さなことで普通のふりすらできなくなる可能性を抱えている、
ポンコツの脳です。
どれだけ努力をしようとも、
壊れた脳を抱えていては、
やっぱり、本当の普通にはなれないのだと思うのです。
社会は、普通を求めています。
建前上は、いろいろな人も暮らしやすくと、
社会はそんな仕組みであろうとしていますが、
社会というものは、普通を求めていると私は思っています。
ただ、小説の執筆というものは、
あまりにも普通のものは埋没するように思います。
ある程度、国語で読める文章という前提はありますけれど、
また、ある程度の物語の形式になっているという前提もありますけれど、
小説というものは、普通でないことも求められます。
作者の中にある普通でないことを、
どれだけぶつけてもいいのが、
執筆という行為であると思うのです。
この中では普通でないことも認められます。
社会に存在しないものも認められます。
常識からどれだけ離れていてもいいのです。
面白ければ、読者がついてくることもあるかもしれません。
それ以前に、どれだけ普通でなくてもいい場所というのは、
私にとってはありがたい場所です。
私が考えている私だけの世界、
普通でないその世界があってもいい。
小説を執筆するというのは、
私のポンコツの脳が考えるものを肯定されることです。
それがどれだけ救いになったでしょう。
私の中から言葉があふれて小説になるたびに、
私が生きていることを肯定される気分になります。
書籍になるわけでもありません。
お金になっている訳でもありません。
ただ、私が呼吸をすることを許されている気分です。
感じたことをありのまま書いていい。
普通の感覚でなくていい。
私は私の世界を書いていい。
努力して普通にならなくてもいい。
私は呼吸をするように言葉を紡いで、
いろいろな小説を書いています。
私が生きてきた軌跡に他なりません。
生きてきた跡を残してもいい。
私はここで生きていてもいい。
普通が求められる世界の中で、
普通でなくてもいい執筆は、
私の癒しであり救いです。
今も努力して、普通に擬態しています。
ポンコツの脳を抱えていますので、
普通の擬態が、いつまで出来るのかわかりません。
ある時突然、普通のふりすらできなくなるかもしれません。
その恐怖はいつでもあります。
ただ、執筆は普通でなくてもいいことが、
私の心を楽にしてくれています。
私の感覚がほどける場所。
普通になろうと無理な努力をしなくてもいい場所。
この執筆という場所がある限り、
もう少しがんばれそうです。
また、時間がありましたら、
統合失調症エッセイを書きに来ます。
ではまたいずれ。




