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拝啓、喫茶ダニエルは鬼ヶ島にあります  作者: みお(miobott)
釜揚げうどんを一緒に食べよう
20/24

4

「……あ」

 瓦投げのあと、会話もなく二人並んで展望台のベンチに座る。

 そして10分、20分、30分……気づけば足元がふんわり赤色に染まって、亜由美は顔を上げる。

「わ……」

 そして言葉を失った。

「……夕陽」

 ちょうど夕陽が沈みはじめていたのだ。

 今、亜由美が住んでいる叔母の家は、家と家が密集する住宅地の一角である。

 かつて母と暮らしていた頃も、アパートの1階だった。

 だから夕陽をじっくり見た記憶はない。思い入れもない。

 ……しかし今、目の前にある夕陽は恐ろしいほどに美しかった。

(ゆらゆらしてる……海の上も、町も……)

 高台から見る夕陽はこんなにも美しいのだ。思わず立ち上がり、展望台の手すりを掴む。

 まるで柿の実みたいなオレンジ色の丸い球体が歪みながら、落ちていく。

 光は溢れて、瀬戸内の海を輝かせる。島の影が長く伸びて、揺れている。

 町も空も何もかも、美しい色に染まっていく。

 しかし空の上の方はうっすらと紺の色。

 夜はじわじわと、迫ってきている。それに抗うように、夕陽はますます光を放つのだ。

(……この色、知ってる)

 呆然と、亜由美は目前を見つめた。

 そうだ。この夕陽を亜由美は知っている。

(昔、お母さんと……マリンライナーに乗ったとき……)

 ずっと昔、母と一度だけ足を踏み入れた香川県。帰りのマリンライナーからは夕陽が見えた。

 あの時飲んでいたリンゴジュースの味を思い出し、亜由美は思わず手すりを強く掴む。

「あそこ女木島だって」

 碧が亜由美の背を叩いた。彼女は展望台に置かれた看板を見たのだろう。

 それにはここから見える島の名前を記載している。

 彼女が指さしたのは、海に浮かぶ長細い島。

 ぼんやりと夕陽に照らされる島を見て、亜由美は目を丸めた。

「……あれが女木島?」

 女木島は喫茶ダニエルのある島だ。あそこから船で高松市に戻り、さらに電車に乗り、バスに乗り継ぎここにきた。

 ひどく遠くに来たように思えたのに、高台から見ると手に届きそうなほど近くに見える。

 ぼんやりと柔らかく波の間に揺れる女木島は、とても優しい島だ。

 優しいと感じたのは、店主である瀬戸のおかげでもあるだろう。

 身長は見上げるほどに高く、それだけで萎縮してしまった。

 しかしそれに気づいた瀬戸は、大急ぎで腰をかがめ視線を合わせてくれたのだ。

 笑顔は柔らかく声はゆったりと、葉っぱが風にそよぐように優しかった。

「瀬戸さん……って何か不思議な人でした」

「ONIの大ファンなんだよ、あいつ」

 亜由美の言葉に碧が笑う。

「私ONIと戦うつもりで島まで乗り込んだのに。瀬戸っちのせいで、全部馬鹿らしくなっちゃった」

「気を使ってくれるし、私、男の人が怖いんですけど、瀬戸さんは怖くなくて」

「わかる。あいつ男っぽさがないもん。あんな身長でけえのに。でもやるときはやるらしくって、この間は泥棒まで捕まえたってさ」

「真面目……そうですもんね」

 瀬戸の生真面目そうな笑顔を亜由美は思い出す。

 突然現れた中学生を見ても、疑う素振りもしなかった。 

 オニッコ先生が亡くなったと伝える時、腰をおろしてまっすぐに亜由美を見てくれた。

 亜由美も真面目だと皆からいわれる……嫌味を込めて。

 人から好かれる真面目と、きらわれる真面目。どこにその違いがあるというのだろう。

「アユアユ、お腹空かない? 美味しいうどん屋さんが近くにあるらしくって、そこ行こうと思ったんだけど」

「……町に……戻りたいです」

 きれいな夕陽がゆっくりと沈むごとに、亜由美の気持ちも少しずつ落ちていく。それを察したように、碧が亜由美の背を叩いた。

「そっか。水族館も含めて、それはまた今度だね」

「君たち」

 碧が自然に亜由美の手を握りしめた……その時。

「ちょっといいかな」

 急に後ろから声が響き、亜由美と碧の肩がびくりと震えた。

 その声があまりにも力強く、恐ろしく響いたからだ。

 恐る恐る振り返ると、薄暗くなってきた展望台に一人の男が立っている。

 それはスーツ姿の体格がいい男性だ。もう髪の毛は白いものが混じり、顔にはしわがある。

 そして、その眼光が人を貫くほどに恐ろしい。

「やべ、こいつ私服だよ」

「……シフク?」

「私服のポリ」

 碧はぼそぼそと、亜由美に囁く。捕まる覚えでもあるのか、それともそもそも警察が嫌いなのか。

 碧は亜由美を背に隠して、男にまっすぐ睨みつける。

「あ……あたし、弁護士知ってんだからね! 話なら弁護士に聞いて! 関口っていう人!」

 それは却って疑いを深くするのではないか。と亜由美はおろおろとしてしまう。 

 ただ真正面から見るのも恐ろしく、情けないけれど碧の背に隠れてこっそりと男の顔を盗み見た。

 この男、補導員にしてはいかつすぎる。

 交番にいる警察官よりも顔が怖い。

 もし彼が碧の言う通りの警察官なら、もっと上の……ヤクザを相手にする警察官なのではないだろうか。

 そんなことを考えて、亜由美は思わず碧の手を握りしめていた。

「み……碧さん、逃げましょう……」

 しかし男は一向に気にする様子もなく、じりりと一歩迫ってくる。

「……いや、君たちさっき瀬戸って話をしていたようだけどそれは、瀬戸健のことか?」

 意外な人物の名前が出て、亜由美と碧は顔を見合わせた。

 その言葉は不信感を産むだけだ。「逃げるよ」と、碧が亜由美に囁く。亜由美は無意識に彼女の手を強く握りしめていた。

 やはり慣れた靴を履いてきてよかった。学校指定のローファーは、一番足に馴染んでいる。

「君たち、もし瀬戸を知ってたら」

「……知ってても言うわけないじゃん、サツなんかに!」

 ばーか。と、まるで子どものような碧の声だけが屋島山上に響き渡った。


 こんなにも必死に駆けたのは、恐らく人生ではじめてだ。

 碧の手に引っ張られ、まるで転がるようにバス停へ。

 山上から屋島駅をつなげるバスはちょうど出発直前だったようで、亜由美たちを招き入れてくれた。

 追いかけてくるな。追いかけてくるな。と祈りながらバスに乗り込むと、すぐさま扉が閉まり、左右に揺れながら動き始める。

 二人は人のいない一番後ろの長椅子に滑り込むと、身を隠すように小さくなる。

 進み始めたバスの向こうに刑事の姿がうっすらと見えて、亜由美は長いため息をついた。

「お……思わず逃げ出しちゃいましたけど、もしかして瀬戸さんの居場所を聞きたかっただけじゃ……なにか、賞を貰うとか」

「ああ、確かに詐欺を見抜いて賞状とか? 瀬戸っちなら、あり得るかも」

 今更汗がどっと溢れ、息が乱れる。そんな亜由美の背を碧が優しく撫でた。

「でもさ。アユアユは見つかりたくないでしょ」

「私は……」

「ちょっとごめんね」

 碧は突然、亜由美の右腕を掴む。

 そして碧は無理やり亜由美の右袖をまくりあげ、腕を見つめた。

 驚いて避ける間もない。そもそも二人はぎゅっと密着するように座っているのだ。

 せめて碧の右側に座るべきだった……と、今更亜由美は後悔する。

「誰にされた?」

 そこには、青くなった打ち身の跡がある……周囲は黄色くなり、中央は青い。

 黄色の部分は直りかけているアカシだというけれど、そこにもう一度傷がつくので、もう何週間も治りかけては復活する、の繰り返し。

「転……」

「転んだって言い訳、あたし信じないからね」

 碧の目は大きい。その大きな目に見つめられると、逃げようがない。仕方なく、亜由美は口を開いた。

「……クラスメイトに」

 イジメのようなものがはじまったのは、1年くらい前からだ。

 勉強ができるわけでもなく体育が得意なわけでもない。ギャルでもなく、オタクとしても中途半端。

(……それだけじゃない)

 と、亜由美は思う。

 亜由美の性格が駄目なのだ。と、自分でも分かっている。ぐじぐじと考えこむくせに何も言えない。

 殴られてもつねられても。何もいわず何もないように、振る舞った。

 そのせいで、イジメは加速した。

「お母さんは?」

「病気で入院してるから」

 亜由美は笑おうとして、失敗する。心がぐらぐらと動いて、平気なフリが、もうできない。

「3年前に……病気で入院して、だから心配なんてかけさせちゃ……いけなくて」

 うん。と、碧がゆっくりと頷く。そして彼女は亜由美の手を握りしめた。その手をそっと、彼女のお腹の上に置く。

 大きなお腹は驚くほど熱くて固くて、亜由美は思わず目を丸めた。

「……多分さ、あたし。この子がアユアユと同じ目にあったら悲しい。どんなときでも頼ってほしいし、言ってほしいと思うよ……例えば、あたしが死にかけてる時でもさ」

 碧は亜由美の腕を撫でながら、呟く。

「でもさ。言えないって気持ちも分かるんだ。娘だったこともあるから。うちもお母さん、身体が弱かったし」

 碧の柔らかい髪の毛が亜由美の顔に触れた。

 抱きしめられている、と気づいた瞬間。亜由美の中に溢れたのは嫌悪感ではなかった。

 胸がぎゅっと潰されるような、泣きそうな。そんな初めての気持ちがあふれる。言葉が出ず、喉が震える。

「ね、アユアユ。していい我慢と、しなくていい我慢があると思うよ……だから今回、島に逃げてきたのはだいせーかい。アユアユ、偉い」

「なんで……そんなよくしてくれるんですか」

「んー。あたしのため」

 碧は亜由美を見つめて笑う。

「あたし、妹がいるんだ。めっちゃ出来た妹ね。あたし中高とグレてて、小さい頃の妹のこと、構ってあげられなかったんだ。今でも迷惑かけっぱなしだけど。あの子、あたしのこといつも助けてくれるんだ」

 気がつけばバスはもう山道を下り終えた。まもなく、まっすぐの坂道の向こうに、可愛らしい屋島の駅舎が見えるはず。

「瀬戸っちもね。はじめて会ったのにあたしのこと、助けてくれた。ONIのダンスも、あたしの支えになってた。だからあたし、誰か困ってる人がいたら助けようってそう思ってたんだ……おっと?」

 ふと、碧は手元のスマホをちらりと覗き込んだ。何か連絡が来たのだろう。

 彼女はそれを器用に操作したあと、いたずらっ子のような顔で亜由美を引っ張る。

「ね。あたしと、いー所、いかない?」

 バスのアナウンスはちょうど、バスの到着を告げていた。

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