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拝啓、喫茶ダニエルは鬼ヶ島にあります  作者: みお(miobott)
釜揚げうどんを一緒に食べよう
19/24

3

 屋島は想像していたよりもずっと広い。

 目的地だった屋島寺以外にも、水族館もある。と、いうのはタヌキ物語で履修済みだ。

 山の上の水族館は、二人の出会いの場所である。

 しかし山の上に本当に水族館があるのだろうか。と少し疑いもしていた……が、ふわりと海獣独特の匂いが鼻に届いて亜由美は納得する。

(本当にあるんだ、水族館)

 見ればあちこちに可愛らしい海の生き物を描いた看板があった。これは漫画の中でも描かれている。

 それに気づき、亜由美は思わずガッツポーズを決めた。

(やっぱり、ちゃんと取材して……すごくちゃんと描いてたんだ。だってこっから見える風景全部一緒だし……ああ、オニッコ先生が手紙で書いてた通りだ。一回来てみたら漫画の見え方が違う……)

 水族館への道に進むごとに、海獣の匂いはきつくなる。潮と獣の混じった匂いだ。水の香りだ。

(あ、これ……)

 香りは段々と、亜由美の中にある別の記憶を呼び覚ました。

 その思い出は、ずしんと亜由美の足に絡みつく。

 まるでヘドロみたいだ。水たまりの深い所に足をとられて前に進めなくなる、あの感じだ。

 亜由美は掌を握りしめ、足元を見つめた。

(お母さん……)

 思い出したのは、小学生のころ。まだ元気だった頃のお母さんと一緒に、地元の小さな水族館にいったことがある。

 あのとき買って貰ったアザラシのぬいぐるみ。ふわふわでもちもちで、暑い時に抱きしめるとひんやりと指に絡む感じが好きだった。

 でも、親戚の家に引っ越すときに邪魔だといって捨てられてしまったのだ。

 きっと親戚は、最初から亜由美のことが気に食わなかったのだろう。

 両親はなかば駆け落ち状態で結婚したと聞いている。そして父は亜由美が0歳の時に亡くなった。

 病に倒れた母が頼れる先は、親戚しかない。叔母さんたちは外面がいい。きっと母には任せておけとでも言ったのだろう。

 真面目で人を疑わない母は、その言葉を真に受けた。

 そして亜由美は、そんな母に心労を与えるわけには、いかないのだ。

 母は病気を治すため、戦っているのだから。

(分かってる)

 ……分かっているから、耐えたのだ。3年もの間。

「ざーんねん」

「え?」

 気がつけば碧が数メートル先にいた。

 碧の赤い唇から漏れた言葉に、どきりと亜由美の心臓が跳ね上がる。

 が、碧の言葉は亜由美に対してのものではなかったようだ。

 彼女の豪華な指先は水族館の入り口を指している。

「水族館、今日お休みなんだって。ざーんねん」

 ざらりとした入り口には本日休館の立て看板。

 それを見て亜由美はほっと胸をなで下ろす。このままだと不要なことまで思い出しかねない。

「狸、見れると思ったのになー」

「水族館に狸はいないと思います」

「いるかもよ。狸と狐の化け試合パフォーマンスとかさ……あれ?」

 数歩、進んだ先で碧は突然足を止める。

 危うくその身体にぶつかりかけ、亜由美は思わずたたらを踏んだ。見れば彼女はスマートフォンを覗き込んでいるようだ。

 それを見て亜由美はむっと口をとがらせる。

「ちょっと、歩きスマホは……」

「ね! 狐、四国にいないんだって!」

 しかし、碧は亜由美がぶつかったことも気づかない顔で、亜由美にスマートフォンを突きつけた。

「え?」

「いたずら狐ばっかりで、怒ったお坊さんが追い出したんだって」

 そこに書かれていたのは、香川県とキツネの伝説である。

 かつて四国にいたキツネは、一人のお坊さんによって追い払われた……その文字を読んで亜由美はぞっと震える。

「なんで……?」

「悪いことをしたからだって。四国に鉄の橋がかかるまで戻ってくるなって追い返したんだって。じゃあ今はいいってことかな。でっかい橋。あるもんね。だからもう、今はキツネ、いるんじゃね?」

「……いい子じゃなかったからかな」

 亜由美は無意識に、右腕をぎゅっと掴む。じんじんと、肘のあたりに鈍い痛みがあった。

 それをもっと痛むように、ずっと痛くなるように。願いながら左の指先で右腕を掴み続ける。

 ……が、痛みが最高点に達する直前。亜由美の左手は碧の手に掴まれた。 

「そろそろ夕暮れかなあ。ちょっと展望台にもどろっか」

 もう、いいです。帰りましょう。言いかける言葉が喉の奥に詰まる。

 いつもそうだ。亜由美はいつも、その一言が口にできない。

 我慢をすれば。

 耐えれば。

 今さえ、しのげれば。

 ずっとそう思って行きてきた。

 自分の言葉を口にできたのは、オニッコ先生の手紙の中だけ……。

 情けなさに涙が零れそうになった瞬間、碧の手が亜由美の背を押した。

「アユアユ~。あたし、これやりたい。奢るから、やろ!」

 碧は大きなお腹をものともせず、展望台に併設されている土産物屋に亜由美を押していく。

「……碧さん?」

 彼女が指さすのは、土産屋の一角。台の上に茶色のお皿のようなものが並んでいる。

「瓦……なげ?」

「お皿じゃんね、これ。どこが瓦なんだろ……これをさ、展望台から投げるんだって」

 碧はすでに2袋を手に入れ、一つを亜由美に押しつけた。

 そして二人で展望台に立つ。

 山はやはり、高いのだ。目の前には瀬戸内海、浮かぶ島。高松の市街地が広がっている。

 思ったよりも市街地が小さい。ここは高い山なのだ、ということを実感する。

「ここから……投げるんですか?」

「そうみたい」

 展望台に置かれた看板を見て碧が頷いた。

 そして腕をぶんぶんと振り回す。

「あそこに輪っか見えるっしょ。あの中を通すんだって」

 亜由美の指す方向に、朱と白と輪っかがある。小さく、頼りない輪っかだ。

 無理ですよ。と言いかけた言葉を亜由美は飲み込む……どうせ何を言ってもこの人は聞きやしない。

「見てな~! 一発で決めるから!」

 そして彼女は一枚の「瓦」を思い切り振りかぶり、投げた。

 亜由美も続いて恐る恐る投げるが、二人の瓦は力なくひょろひょろと木々の中に消えていく。

 こんな所から投げて事故は起きないのかと心配していたが、ほとんどの瓦が下に生い茂る木々に吸い込まれるのだろう。

(だから落ちても、平気……大丈夫)

 しかし、もう一枚を投げる勇気が湧いてこない。

 どうせ落ちるのだと思うと、心がくすむ。

「この投げるやつ、源平合戦? とかなんか昔の戦いにも関係するんだって。戦いに勝った時、笠を投げたんだってさ。んで、このお皿みたいなのが、笠の代わり。だからこっから瓦投げるとさ開運厄除け、家内安全、交通安全」

「はあ……」

「あの穴通ったら願い事とか叶うんじゃね?」

 さらに碧は大きく振りかぶる。一回落下しただけで諦めてしまう亜由美と違って、碧はまだ自分が投げられると信じているのだ。

(……無理だよ、風もあるもん)

 しかし碧の執念は、あっけなく叶った。二度目に投げた碧の瓦は綺麗に弧を描いて空中を滑空したのだ。

 そしてすぽんと、輪っかの中を通っていく。

「すっごーい。見てみて、願い叶っちゃうわこれ。ね、手貸して」

 碧は亜由美の後ろに立つなり、右手を掴んだ。

 そして瓦を亜由美の手に全て乗せると、

「せえの!」

 と叫び、亜由美の腕をぶん。と振る。

 亜由美の手から離れた瓦は3枚が木々の間に落下した……が、1枚だけは何の奇跡か輪っかの中を通り抜けていく。

 それを見て、碧は子どものように笑う。

「やったじゃん。願い事、叶うよ」

「……碧さんの、おかげで」

「じゃ、二人の願いが叶うってことだ」

 その声が不思議と優しくて、亜由美は思わず涙がこぼれそうになってしまった。

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