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「で。なんで屋島なの?」
改めて碧に見つめられ、亜由美は逃げられないことを悟る。
頭のなかでは言い訳を山のように考えたが、どの言い訳もしっくりこない。
何より目の前の大人ギャルは案外手ごわそうだ。だから諦めて、亜由美は腹をくくった。
「こ、ここは……私にとって大切な場所……なんです」
亜由美は息を吸い込み、周囲を見渡す。
ここは屋島という山の上だ。
ただし、普通の山と異なり山頂は平坦になっている。南北に長い台地が続く不思議な形だ。
その平たい頂上に観光スポットや寺などが集まっているらしい。
源平合戦に縁があるともパンフレットに書かれていたが、あいにく歴史が不得意な亜由美にはわからない。
ただ、あちこちに武将をコミカルに描いたイラストが置かれていて、それも観光資源になっているようだった。
観光地が集まる場所のせいかバスには平日にも関わらず多くの客が乗り込んでいたし、屋島寺には参拝客が絶えない。
まさかこんなにも賑わっていたとは。と、亜由美はため息を押し殺す。
平日の昼なら、人の目に触れず観光ができると思っていたのに。
「ここは、私の……聖地っていうか」
「せーち?」
「あ、の。あの、知らないと思うんです……けど」
首をかしげる碧に、亜由美はぽつぽつと呟く。
もう旅の恥はかき捨てだ。それに亜由美はギャルは苦手だが、嫌いではない。
クラスで亜由美を虐めてくるのは、生真面目に見える委員長タイプだった。スカートの短い派手女子達は、むしろ亜由美を助けてくれる。
……そのせいで、いじめが余計に加速し、しかも隠れて行われるようになったのだが。
「タヌキ物語っていう、漫画があってですね……あの、すごく古いんです。多分もう絶版で、それで……あの」
嫌なことを思い出しそうになり、亜由美は右腕をぎゅっと掴んだまま言葉を続ける。
好きな話をしているはずなのに、声が出ない。バカにされたらどうしよう。と声が震える。
「そこに出てくる舞台が……屋島なんです」
鞄の中、大事にしまっておいた一冊の本を取り出し、碧にそっと差し出してみた。
手の震えに気づかれていないだろうか、変な風に思われていないだろうか。そんなことが気になって、背中に冷や汗が流れる。
「この、本なんですけど」
タヌキ物語……表紙には綺麗な顔の少年と、幼い顔の少女が並んでいた。
登場するのは、狸に変身できる少女と、生贄にされかけた男子高生。屋島で出会ったこの二人が手を取り合って戦う、そんな物語。
残念ながら一巻で打ち切られたので、冒険はいまだ途中のままだ。
「ひゃー。もう20年以上前の本じゃん。アユアユ生誕してた?」
「いえ、まだ」
「だよねえ」
本をめくり、碧が声をあげる。奥付の年号を見たのだろう。
亜由美もまさか、こんな古い本にハマるとは思ってもみなかった。古本屋さんでうち捨てられ、10円の値札がついた本だった。
他の本に押しつぶされ、表紙もよれていたし、陽にも焼けていた。
その本がまるで自分のようで、思わず手に取っていたのである。
「あれ。もしかしてこれ、アユアユが描いたの?」
「わっ! わわわわわ」
本の間に挟んだままになっていた一枚の紙。
碧の長い指がつかんだそれを見て、亜由美は思わず悲鳴をあげた。
……それは亜由美の描いたケントと美和……タヌキ物語の二人のキスシーン。
「めっちゃ上手じゃん。え? この二人付き合ってんの?」
キラキラ輝く碧の目線に耐えられず、亜由美は急いでその紙を奪い取りカバンに押し込んだ。
すみません、すみません。そんなシーンは原作にはないんです。何度もそんな言葉が頭の中に響き渡る。
打ち切りになってしまった。だからこそ、二人の幸せを描きたくなった……そしてそれは亜由美だけじゃない。
尊敬すべき大先生も、亜由美と同じ衝動に駆られた一人である。
「オ……オニッコ先生には全然、及びません……」
あまりの恥ずかしさに亜由美は顔を覆って地面に座り込んだ。
そんな亜由美を狸の石像がじっと見つめているようで、余計に緊張する。
この狸は漫画の中に出てくる主人公……美和ではない。
が、モデルとなった存在にこんな姿を見せるなんて、ファンとして失格だ。
「オニッコ?」
「……オニッコ先生と私は同じジャンルの仲間っていうか、いや、私は落書きしかできないですけど、先生はちゃんと同人誌も出してて、私は先生のファンで」
「まじか~あの婆さんすっげえな」
碧が感動するように、深くため息をつく。
その言葉に、亜由美は先ほどダニエルで見た写真を思い出した。
それは、想像していたよりもずっとずっと年上のお婆さんだったのだ。
作風などから多少年上だろうと思っていたが、その年齢に亜由美は正直動揺した。
亜由美には祖母はいない。だから年齢は分からないが、オニッコ先生の顔は学校で定年を迎えた先生よりもまだ年上のようだ。
亡くなったと聞いた時には衝撃を受けたが、その顔を見て少しだけ安心した。
不幸な事故や事件ではない。きっと先生は、天寿を全うしたのだ。
「で。あの婆さんと文通してたって、まじ?」
「一回、東京に行った時……古本……同人誌の古本屋さんに……」
そっと、亜由美は鞄から一冊の本を取り出す。
それはタヌキ物語の同人誌だ。
これを手に入れたのは、オタク友達とこっそりでかけた東京旅行でのこと。
人生で初めて立ち寄った同人誌の古本屋は想像していたよりも広大で、カオスだった。
一緒に行った友人は、すぐさま緊張を解いて本を漁りはじめる。
彼女のハマっているゲームは今が旬。どれを買うか取捨選択しなければいけないほどあるはずだ。
一方の亜由美は、本棚を前に呆然とするしかなかった。本棚に詰まった薄い本は膨大だ。この中に自分の求める……タヌキ物語の同人誌なんてあるはずがない。
しかし、奇跡は起きた。
「無いと思ってたんですけど……一冊だけ見つけたのがこれで」
もう何百回もめくったせいで、本は少し薄くなっているかもしれない。
美麗な表紙には、元の漫画のエッセンスを素敵に加えた二人の絵がある。
中は小説と漫画の二部構成で、原作の風味を壊さず減らさず。しかし物語の未来を予感させるような……立ち消えた二人の未来が見えるような、そんな素敵な本だった。
「あれ? 後ろ、住所、乗ってんじゃん!」
「はい。だから思い切ってお手紙を出してみたんです」
奥付と呼ばれる最後のページには住所が載っていて驚いた。詳しい友人に聞けば、昔はそれが普通だったという。
同人誌の発行は19年前だ。住所が変わっているかもしれないし、作者がすでに同人誌から離れているかもしれない。
それでも勇気を振り絞り、亜由美は思いの丈を手紙に書き込んだ。
その枚数は便せん10枚を超えてしまい、出すかどうかをしばらく迷うほど。こっそり買った切手を貼って、祈るようにポストにいれた。
返事は、かっきり2週間後にやってきた。
それから、憧れのオニッコ先生と一ヶ月に一回の手紙のやりとりがはじまったのだ。
「文通というか私が一方的にファンレターおくって、オニッコ先生がお返事くれる。みたいな感じで……」
「アナログなのっていいよね。あたし、手書き文字好きだな。なんかもーここ10年以上、メールとかばっかじゃん」
そっと同人誌を撫でる碧を見て、亜由美は薄く笑う。
(手紙でよかった……手紙じゃ無きゃ、困ってた……なんて)
この人に言えば、どんな反応をするだろうか。
(どうせ分かって貰えない。スマホも持ってないとか、持っててもどうせ中見られて一つ一つチェックされて……)
ドロドロとした黒いものが、喉の奥からせり上がってくるように感じる。
それはここ何年も抱き続けているマグマだ。
亜由美はぐっと重苦しいものを飲み込もうと努力する。しかし努力すればするほど、それは余計に溢れそうになるのだ。
亜由美が愛するタヌキ物語の美少年、ケントには秘密がある。
怒りが頂点を超えると、体内にある黒い怒りが溢れてあたりを攻撃しはじめる。というものだ。
その力が亜由美にもあればいい。と密かに願っている。
3年前。母の病気をきっかけに、親戚の家に預けられたあの春の日から、ずっと。
「あたしもONIと、こんな風にやりとりしたかったな」
亜由美が薄暗い気持ちと戦っていることなど気づきもせず、碧が立ち上がる。
そしてまるで散策でもするように歩き始めたので、亜由美も慌ててあとを追った。
「……ONI?」
「あたしね、数ヶ月前にONIっていう伝説のダンサーおっかけて女木島まできたんだ。あたしも踊ってたんだよ、今はこれで、無理だけどさ」
大きく膨らんだお腹をさすり、碧が笑う。そして彼女は亜由美の前にスマートフォンを差し出した。
「え、それ……」
スマートフォンに映るのは、滑らかなダンス動画だ。
といっても顔は見えない。腕も足も何も見えない。ただ砂浜に映る影だけ。
どこかの真っ白な砂浜の上で誰かが踊っている……影だけでその動きの滑らかさが分かる。
「まさか、先生!?」
「そ! あの婆さんすげえアクティブで、そんで何でもできるんだ。あたし、ちょっと落ち込んだときとかONIの空気に触れたくて、女木島まで遊びにきてんの。今日アユアユと出会えたのも、ONIのおかげだね」
ぐずり。と、また亜由美の中のマグマが動き出す。無邪気な碧の顔がなぜか、腹立たしい。
何も苦労のない、幸せそうな顔だ。こんな中学生の子どもに付き合って屋島まで来るなんて……。
「……私のこと、変に思わないんですか」
「あたしなんて中学生んとき、がっこサボって遊んでたよ。でも旅行まではできなかったな。だからアユアユのほうが上だよ」
褒められているのか、けなされているのか。その化粧の濃い顔からは何も読めない。
だから亜由美は口を閉ざし、彼女のあとを静かに続く。少なくとも、彼女と一緒にいれば周囲から浮くことはないだろう。
それを利用すればいい…そんなことを考える自分が気持ち悪い。
(浅ましいっていうんだ、こういうの)
何かの小説で読んだその一文を思い出し、亜由美は掌を握りしめる。
しかし碧は亜由美のことなど気づきもしない顔でどんどんと前へ進んでいく。
「お、アユアユみてみて。お土産屋さんめちゃくちゃあるよ」
屋島寺を出れば、やがて土産物屋が並ぶエリアに出た。それを見て、碧が目を細くする。
「妹も連れてきたいなあ」
そんなお土産エリアを抜ければ突然視界が開け、眼下に海の輝きが見える……展望台だ。
真っ青な海に、煙るいくつもの島影。
そういえばここは、山の上だったことを思い出す。
「高い……」
思わず亜由美も足を止め、目を見開いてしまった。
そんな亜由美の腕を碧が引っ張る。
「展望台を見るのは、夕方のほうがいいんだって。それまで散歩しよっか。せっかく来てるんだし」
「夕方……まで、付き合ってくれるんですか」
「当たり前じゃん」
何も疑わない顔で、碧は亜由美を見て笑った。




