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拝啓、喫茶ダニエルは鬼ヶ島にあります  作者: みお(miobott)
釜揚げうどんを一緒に食べよう
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「すっげえ。まじ狸じゃん。でっけー」

 亜由美のすぐ隣でギャルが大声を上げる。

 その勢いに、亜由美は思わず一歩引いてしまった。

 中学2年になったばかりの亜由美は、ギャルがどんなものかはっきりと知らない。

 でも金髪に近い明るく長い髪。

 短いスカートに剥き出しの足。

 そして、ベタベタと距離感を詰めてくるこの感じ。

 これはきっと、噂に聞くギャルというやつだ。

 妊婦らしく、細身の体にお腹だけがぷっくりと膨れている。それなのに、動きは俊敏だ。動きの鈍い亜由美は、すぐさま彼女の腕に絡め取られてしまう。

「見てみて! 屋島の狸って有名なんだってー。へえ、この狸って神様なのか~」

 亜由美とそのギャルの前には、巨大な狸の石像が立っていた。

 大きな笠をかぶった狸の顔は、どこか誇らしげできりりとして見える。

 そんな狸が、赤い鳥居の左右に置かれていた。つまり、狛犬ならぬ狛狸だ。

 狸のバックには大きなモミジの木。少し前なら綺麗な紅葉も見られたのだろうが、12月も過ぎればすっかり葉っぱが落ちてしまっていた。

「ねえ。アユアユは何祈る? あたしはねー、とりあえず安産かな! 屋島来てよかった~。安産参りしとけって、妹にせっつかれてたんだよね」

 ここは香川県にある、屋島寺だ。

 その境内にある蓑山大明神。太三郎狸という狸を祀る、小さな神社。

 冬らしい爽やかな青空の下、そんな狸の石像を亜由美はギャルと並んで見つめている。

 一体、どんな状況なのだろう。と、亜由美は頭を抱えたくなってしまう。

「でー。ここって、しこく、れーじょー?」

 しかしギャルは亜由美の態度にも気づかない。

 四国霊場第84番札所と書かれた看板を、首を傾げて読み上げている。

 四国霊場とは、お遍路さんの巡る寺院のことだ。

 社会の先生が隙間話で語ってくれたことを、亜由美はふと思い出した。

 確かに先ほどから笠や杖を持つ人たちが、何人も亜由美の横を通り過ぎている。

 彼らの目的は屋島寺本体なのだろう。だから狸の像は素通りだ。

 つまり亜由美たちのこともスルーしていく。そのことに亜由美はほっと息を吐く。

「ね。アユアユ、狸と一緒に写真撮ろ!」

 ……だというのに、ギャルは周囲が振り返るような大声を上げて亜由美の腕を掴んだ。

 気がつけば、彼女は長い爪でスマートフォンを器用に操っていた。

 一センチは超えていそうな鋭い爪だ。飾りまで付いていて、ずっしり重そうである。

 亜由美がこんな爪をしていたら、洗い物一つまともにできないだろう。そう考えて、ぞっとする。

 しかし彼女はスマートフォンを握った腕を思い切り伸ばし、亜由美と自分の顔の前に差し出すのだ。

 顔をそらそうとするが、ギャルの手がそれを許さない。

「アユアユーこっちみて!」

 思ったより温かい手が亜由美の顔をつかみ、まっすぐレンズの前に。

「はい、ちーず!」

 かしゃんと軽やかな音が切り取ったのは、秋晴れと狸と二人の姿。

 そこにはきっと引きつった笑顔の亜由美が映っているのだろう。


「いや~屋島って初めて来たけど、たのしーね」

 連続で写真を撮ったギャルはそれで満足したのか、続いてハンドバッグからパンフレットを引き抜いた。

 それは先ほど、観光協会で貰ってきたものだ。亜由美も同じものを取り出して、見つめる。が、一行も頭には入ってこない。

「あたし、前に香川来たときさ、時間なくてこっちまで来てないんだー。見てみて、水族館とかもある。へ~なんか、ガラス張りのかっけー建物もある。最近オープンしたんだってさ。めちゃ観光地じゃん」

 ギャルは近くの段差によいしょ。と腰を下ろして、パンフレットを読みふけっている。

「ふうん。屋島の周りって昔は海だったんだー。ってことは島だった。ってことでしょ? すごくない? 島と陸地ってくっつくんだね。あ、だから屋島っていう名前なのかな?」

「あの……中本……さん」

「あー。名前さ、この間結婚して変わったばっかだから、まだ慣れてなくってさ。碧って呼んで、はい。いちにーのさん」

「み……さん」

「もーいっかい」

 明るく煽られ、亜由美はきゅっと唇を噛みしめる。

 なぜ、こんなことになってしまったのだろう。

「……碧、さん」

「でさ。なんで花の女子中学生の行きたい場所、屋島なわけ?」

 まるで亜由美の心の中を読んだように、碧が言う。

 長いまつげがぱちぱちと動く様子は、まるで自分とは異なる生物のようだった。

「そ、それは……」

「確か、アユアユの住んでるとこ、静岡でしょ。ふつー思いつかなくね? 香川県の屋島って。しかも一人で来たんでしょ」

 責められた気がして、亜由美は顔を伏せた。足元に見えるのは学校指定のローファーだ。碧の足元はおしゃれなスニーカー。

 こんな時でも亜由美は、学校指定の靴以外を選べない。

「それに、おかーさんに、ちゃんと言ってきた?」

 先ほどまで亜由美と同年代のようにはしゃいでいたくせに、碧は突然大人びた口調で言った。

 こんな時だけ大人ぶるのだから大人は狡いな、と亜由美は心の中で舌打ちをする。

「お……お母さんは、病気で。だから今、親戚の叔母さんの家で暮らしてるんです。学校は体育祭の振替休日ですし、ちゃんと叔母さんにも言ってます」

 亜由美は右腕をきゅっと掴んだまま、何度も予習しておいた言葉を口にした。

 そんな亜由美を見て、碧が苦笑する。

「別に責めてるわけじゃないかんね。中学生でも息抜きは必要だしさ。なんかほら、もっとさ。甘いものとか、キラキラした場所だとか、そーゆーところ行きたいんじゃないかなって、そう思っただけ」

 大きなイヤリングを爪でいじりながら碧が言った。

 ばっちりと化粧の決まった彼女は、いかにも自信に満ちあふれている。

 こんな性格だったら、自分の人生も大きく変わったかもしれない。と、亜由美は苦いものを飲んだように顔をゆがめた。

 そもそもこの人と一緒に、屋島を巡るつもりなんて無かったのだ。

 こんな亜由美の人生から一番遠そうなタイプと、なんて。

 亜由美は鳥居の隅っこに背中を預け、目の前の狸像を見上げた。

(……なんで、こう上手くいかないんだろう)


 そもそも中学2年生の亜由美がたった一人、遠い四国にやってくるというのは大冒険である。

 碧が指摘したように、生まれも育ちも静岡だ。

 ただし亜由美が物心付く前に亡くなった父が香川出身だったようで、幼稚園の頃に母親と一緒に親戚の家に挨拶へ訪れた記憶はある。

 とはいえ、ずっと幼い頃だし、記憶は断片的。場所など詳細なことは覚えていない。

 それにたった一人で旅をするのは、人生ではじめてのこと。

 そんな亜由美が勇気を振り絞り、決意を固めたのは昨日の夜だ。

 行き先は決まっていた。

 瀬戸内海に浮かぶ小さな島、女木島。

 そこにある、喫茶ダニエル。

 ……そこの店でマスターをする、オニッコ先生に会うために。

 しかし、人生で初めての深夜バスに心が折られ、高松についた段階で気力は半分以上削られていた。

 それでも亜由美はその喫茶店へ向かう必要があった。だから、朝一番の船に乗り込んで島に足を踏み入れたのである。

(頑張って、行ったのにな……)

 亜由美は掌の傷を見た。

 船着き場から駆け出したときに、足がもつれて転んでしまったのだ。

 そんなボロボロ状態だというのに、たどり着いたダニエルでは非情な事実が告げられた。

(まさか、オニッコ先生がもう、死んでるなんて)

 ダニエルは今、背の高い男性……瀬戸とか言ったか……が引き継いでいるらしい。

 それを聞いて、亜由美の全身から力が抜けた。

 昨夜遅く自室の窓から荷物を庭に放り投げ、暗い時間に家から逃げ出したこと。

 その時の息の詰まる感じ、ひんやりと肌寒く、夜露が足に絡んだこと。

 深夜バスで、電車で、船で。補導員に見つからないように帽子を目深にかぶり小さくなって耐え忍んだこと。

 そして船着き場でチケットを買う。人生で初めての経験をしたこと。

 平日の朝一番にチケットを買う亜由美を、窓口の女性が不思議そうに見つめていたこと。

 そんなことを全部思い出して、全身から力が抜けてしまったのだ。

「まあどんな事情でもさ、一人旅が出来るってのがもう満点だよ、すごいよアユアユ」

 碧は真っ赤な口紅をぎゅっと上げて笑う。

 そんな碧に、亜由美もなんとか引きつった笑顔を返した

 そもそもこの女性が何者なのかさえ、亜由美はよく分かっていない。

 ダニエルで座り込んでしまった亜由美のことを支えてくれたのが、この人だ。

 そして屋島に行きたかった。と呟く亜由美に、彼女は「じゃあ、あたしが連れていってあげる」と言い出したのである。

 断る元気もなく、ずるずると亜由美は見知らぬ女性とこんな場所に立っている。

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