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「ほんとだ! ONIのライブ会場じゃん、ここ。ほら、影ダンスしてた」
振り返れば真っ白い砂浜が夕陽に焦げてオレンジ色に染まっていた。
ちょうど西日があたり、立ち尽くす聡子の影が長く砂浜に伸びている。確かにその風景には見覚えがあった。
真っ白な砂浜が茜色に染まり、そこに現れる黒い影、振り下ろされる腕、上がる足。
「……ここで、踊ってたんだね。ONIさん」
と、その影の向こうに白い看板を見て、聡子は首をかしげる。
「お祭り?」
「夏になると、高松市内でお祭りがあるんです。その盆踊りの練習をみんなでしようって話になって。去年の夏祭りのあとからずっと練習練習」
気がつけば瀬戸も一緒に並んで砂浜に座っていた。お店のことは放置で大丈夫なのか気にはなったが、聡子は口を閉ざす。
こんな不安定な姉妹旅に、瀬戸の存在はありがたかった。
「ONIならキレッキレのダンス魅せそう」
「すごかったですよ。もうみんな蝶子さんばっかり見て、全然練習にならないんです」
瀬戸の苦笑が移ったように、碧の口元がようやく少しほころんだ。碧は膝を抱えたまま、ぼんやりと目の前の瀬戸内海を見つめる。
「……めっちゃ島があるね」
「瀬戸内には700の島があるといわれてます。そのうち人が住んでいる島は100あるそうです」
「ONIのこと知らないままだったら、多分一生、こんな風景見ることなかったんだろうな……ねえ」
碧は夕陽に照らされた瀬戸の腕を掴む。
「瀬戸っち。さっき食べたお菓子。もう少し食べたい。ある?」
「もちろん。梅ジュースもどうぞ。聡子さんも良ければ」
不躾な姉に注意をしようとした瞬間。聡子の前にも湯気を上げる紙コップが差し出された。
思わず受け取り、口に含む……そして驚いた。
「……わ……優しい味」
梅ジュースというからには酸味が強いのだろう。と覚悟したというのに、口の中に滑り込んできたのはほんのり甘酸っぱい優しい味だった。
甘すぎず、酸っぱすぎない。
ほんのりと舌の上で蕩ける優しい飴玉のような味。
ほころんだ聡子の顔を見たのか、瀬戸が少し照れるように笑う。
「愛媛県の砥部が梅の産地なんですが、そこの七折小梅を使った梅シロップなんですよ」
赤い夕陽に照らされる瀬戸の顔は、穏やかだ。聡子は温かい梅ジュースを飲みながら、彼の顔を盗み見る。
相変わらずぼんやりと大きく、柔らかい雰囲気の男性だ。
一日彼と付き合っているが、名前と性別以外何もわからない。
……いや、もう一つ分かることはある。
「青いダイヤって呼ばれてるから、青いんだよって蝶子さんに騙されてました。もちろん、普通の梅の色ですよ」
蝶子さん。と呼ぶ声が優しい。そして、少しだけ泣きそうに響く。
彼は、ONI……蝶子が亡くなって、悲しんでいるのだ。
どんな関係なのかは分からない。ただ、とても大事な人だったのだろう。
(……大事な人が亡くなるのは、辛いよね)
聡子は温かい紙コップをきゅっと握りしめた。
母を亡くした日のことを思い出してしまったのだ。あの日もこんな風に、夕陽のきれいな日だった。
人が消えるということを、まだ知らない時代だった。
ただ、母と二度と会えないことだけは分かった。
「さとちゃん、おやつできたよ」と言ってくれる声も、「よくできました」と頭を撫でてくれる掌も。
全てがこの世から消えてしまったことだけは、幼い聡子にも分かった。
悲しくて寂しくて怖い。あのときの悲しさや恐怖は忘れられない。
しかしそんなときでも、聡子には姉がいてくれた。
果たして瀬戸には、そんな相手はいるのだろうか。
「瀬戸っち。ONIに思い出があるんだね」
「碧さんも、ONIに思い出があるんですね」
瀬戸はうつむく碧の顔を覗き込んだ。
「何か、ONIに相談しにきたのではないですか?」
「……あたしさ。怖かったんだよね。赤ちゃん。できたらもう踊れないって」
ぽつり、と碧が呟く。その手がお腹をさする。
あんなに無茶なことばかりするくせに、アルコールはやめた。ダンスももう何ヶ月も踊っていない。そのことを聡子は知っている。
しかし、碧にはまだ迷いがある。そのことも、聡子は知っている。
「……産むのが怖い」
ちょうど、波が凪いで音が途絶えた。
そのせいで碧の言葉ははっきり聞こえる。
「お母さんみたいに、死んじゃったらどうしよう」
ずきりと、聡子の心のどこかが鳴った。それは10数年前、母が死んだと聞いたときに響いた音だ。
きっとその音は、碧の中にも響いただろう。
思わず碧の手を握れば、その手はぞっとするほど冷たかった。
「何言ってるの。大丈夫だよ。お医者さんにしっかり見て貰えれば……そんな心配しなくても」
「違うの。死ぬのが怖いんじゃない……死ぬのももちろん怖いけど、それより」
碧の目が真っ直ぐに聡子を見つめる。
「あんたを残していくのがいやだ」
碧も聡子の手を握り返す。爪がぐっと、手の甲に刺さったが不思議と痛みはない。
それよりも、胸の奥が痛い。
「お姉ちゃん……」
「ずっと、ずっとさ。思ってたんだ。お母さんが死んでから、寂しいって。世界の誰よりも、お母さんを亡くしたあたしたちが、一番、寂しくて悲しいんだって」
あの日。母の死んだあの日。碧は黙って聡子を抱きしめてくれた。あの手の熱さを、ふるえていた腕を今でも覚えている。
だって二人はあの時、世界で一番寂しくて悲しい子どもたちだったのだから。
「お姉ちゃん、私」
「……でも、それだけじゃなかった」
碧は聡子を見つめたあと、お腹にそっと手を載せる。
「赤ちゃんができて、分かったんだ。あたしたちも寂しいけど、死んじゃうお母さんは、もっと悔しくて寂しかったはずだって。家族を残していくなんて、絶対いやだ」
「……お姉、ちゃん」
「だからそんな悲しい思いするくらいなら、産まない方が良い。そう思って、でも……ONIなら……何か、言ってくれるかなって、それで、あたし」
「せっちー、みつけた~」
思わず碧の手を強く握りしめた……そのとき。子どもの甲高い声が響いて思わず聡子たちは口を閉ざす。
振り返ると砂浜の向こう、自転車を押した小学生くらいの少女が見えた。
彼女は瀬戸を指差し、ぶうぶうと文句を言う。
喫茶店まで行ったのにいなかった。島中探したのに。と、散々文句を言ったあと、押していた自転車を指差す。
「鍵、どっか行った」
またあ? と、瀬戸が間の抜けた声をあげた。そのおかげで、聡子と碧から力が抜ける。
すみません、行ってきます。と、言い残して瀬戸は少女の元へ。
見れば彼女は自転車の後輪を少し持ち上げて、歩いてきたようだ。自転車の鍵をなくしたのだろう。
瀬戸は一言二言少女と会話を交わしたあと、ポケットから何かを取り出し自転車の横に腰を下ろす……と、ほんの30秒も経たないうちにカチン、と軽い音が響いた。
「……瀬戸っち、でっかいのに器用……」
先程までの緊張がとけたように碧がつぶやき、聡子と顔を合わせる。
その顔には、先程までにはない穏やかな表情が見えた。
「はい、どうぞ。新しい鍵は斉藤さんのお店でつけてくださいね。でも次の鍵はなくさないように」
驚く聡子と碧と違って、少女にとっては日常の風景なのだろう。特にお礼を言うこともなく、瀬戸に何かビニール袋を押し付ける。
「せっちー。おいり。うちにようけあるけん。お母さんがせっちーに持っていきまいって」
「いいんですか?」
「今月もう結婚式5回もあったもん。増えていくばっかりやって。それに蝶バアに頼まれとったし。香川で一番美味しいおいり探せって」
「これが?」
「うん。うち、このおいりが一番やとおもう」
少女は聡子と碧にもバイバイと大きく手を降って、自転車にまたがり去っていく。その影がゆっくりゆっくり伸びていった。
その影を眩しそうに見送ったあと、瀬戸はようやく砂浜に戻って来る。
「これ、貰っちゃいました」
と言って差し出したのは、先程少女から渡されたビニール袋。中を覗けば、おいりの入った箱が見えた。
赤や青色、黄色の可愛い丸い粒がぎっちりと詰まった容器の蓋を開ける。
袋の中にコロコロと転がったそれを数粒、聡子と碧の手の上に載せた。
相変わらず軽くて風にでも飛んでいってしまいそうなお菓子だ。噛み締めるとしゅわっと消えるのも心地いい。
「余ってるって……そんな名産なんですか?」
「おいりは、結婚のお祝いでもあるんですよ」
聡子の疑問に、瀬戸の柔らかい声が答える。
「だから春から初夏にかけて結婚式の多い季節、たくさんおいりが余る、っていうわけです」
「結婚……」
「蝶子さん、友達が会いに来るかもしれないから、香川で一番美味しいおいりを探すように島の人にお願いしてて……良かった。ちょうど、今。見つかりましたね」
瀬戸が、ふと微笑んだ。やはり彼が蝶子の名前を出すとき、いつも少し寂しそうに片頬が歪む。
「おいりを欲しがるなんて、どんな友達なんですかって聞いたことがあるんです。そしたらね、言ったんです。大好きな妹と大好きな恋人がいて、ダンスが得意な素敵な女の子。きっとそのうち大好きな恋人と結婚する。そうすれば、きっと報告に来てくれる……だからおいりで、祝うんだって」
音もなく、おいりが口の中で溶ける。噛みしめる必要もないほど、柔らかく、ほんのりと甘く、優しい味。
聡子はぎゅっと、碧の手を握りしめた。
「それと、金比羅さんは海の神様でもありますが、船の神様でもあります。だから道しるべや門出を祈る神様でもあるんです」
気がつけば、碧がおいりを摘んだまま、砂浜を見つめている。
その目に、涙が一粒浮かんだ。それはおいりのような、丸い粒。
ぽろりとこぼれた涙の雫は、赤い夕陽に照らされて綺麗な茜色に染まる。
「そっかあ……」
「そのお友達が結婚の報告に会いに来てくれるって。そう信じていたのかもしれないですね」
「ダンスしたい」
と、碧は目を拭うなり突然立ち上がった。姉の行動はいつも急だ。
「ONIに捧げるダンス。ここで踊る」
「駄目だよ。お腹痛いって……」
慌てて抱きとめると、碧が唇を尖らせて聡子を見た。
「じゃあ、さとが踊って」
「え?」
「瀬戸っちも」
「え?」
急に巻き込まれた瀬戸が、面白いくらいに動揺した。それを見て、碧がイタズラを思いついたような目で笑う。
そして彼女はスマホで、軽快なダンスミュージックを流し始めた。
「教えるからさ」
それは聡子にとって、地獄の宣言である。
「聡子、まるで盆踊りみたいだったよ」
「……私が運動神経ないこと、お姉ちゃん知ってるくせに……」
たっぷり10分踊らされて、聡子と瀬戸は地面に崩れ落ちた。
腕を上げて足をあげて、傾いて。
飛んで跳ねてと碧の命令は早すぎる。ダンスミュージックもとんでもなく、早い。
足はもつれ何度も砂浜に倒れ込み、鼻には砂が滑り込み何度もむせた。
あと1分も続けば、地面に倒れたまま動けなくなるところだった。
どっと溢れた汗のせいで、顔も足も砂まみれだ。しかしそれを恥ずかしいと思う余裕もない。
「瀬戸っちも、身長高いのにもったいないなー。絶対素質はあると思うんだけど」
「すみません……お役に立てず……」
崩れたのは瀬戸も同じだ。頭の先まで砂まみれになって、彼は肩で息をしている。
「こちらこそ……すみません。姉が、無茶を」
「いえ。少しでも気が紛れたならなによりです……あ、写真を一枚、いいでしょうか」
咳き込むように息をしながら、瀬戸はスマホを取り出す。
「あ、変な意味じゃなくてですね。蝶子さんの遺言なんです。友達が来てくれたら、写真を撮るようにって。ほら、前も来てくれた人もこんな風に……」
首をかしげる聡子と碧に、瀬戸は慌てたようにスマホを向ける。映し出されたカメラロールには一人の男性が映っていた。
場所はダニエルの喫茶店の中だろう。スーツ姿の細身の男性だ。なぜかノートパソコンで顔を隠して右手でピースサイン。
その顔をしっかり見ようと覗き込んだ聡子の肩を、碧の手が押しのけた。
「あ! こいつ! このアイコン!」
「お姉ちゃん?」
碧の声に張りが戻る。先ほどまでの沈んだ声は、雨上がりの空のように晴れ上がる。
細い眉がきりりと上がり、悔しそうに足が砂を蹴り上げた。
「あれ、ご存じでしたか?」
「ONIのダンス動画に嫌味なコメント残してたやつだよ! 何で写真撮ってんの!」
「ああ、春のころだったかな……蝶子さんのブログ関係で、来てくれた蝶子さんのお友達です」
瀬戸の言葉に、碧は座り込んで髪をかき乱す。
「あんなのが友達なんて、やだ! あたしもその時に来て、コテンパンにしてやればよかった!」
「また、来てくれますよ、きっと」
「え、じゃ、あたしも来る!」
碧はまたすっくと立ち上がった。
その顔に、体に。夕陽の名残が差し込んで、赤く染まる。
彼女は聡子の手を掴むと、その手を自分の腹にそっと押しつけた。
「この子生まれたら、この子も連れて来る」
「おねえ……」
聡子の手の先に、柔らかい胎動が伝わった……そんな気がする。
まだ動くはずもないのに、それでも指先に感じたのだ。甥っ子か、姪っ子か。産まれてくる命の、確かな胎動。
そして、碧はいたずらっ子みたいな笑顔を聡子に向けた。
「叔母ちゃんも、一緒に来てくれる?」
お姉ちゃん。そう叫んで、聡子は思わず姉に抱きつく。
一つの塊になった二人の影は夕陽にさらされてまっすぐと伸びていく。
それはまるでダンスでも踊るようにゆらりゆらりと揺れながら、暮れゆく砂浜に溶け込んでいった。




