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25 悪夢のはじまり

 ダンが処刑されてから一週間が過ぎていた。戦争を前にして、兵士たちは準備に忙しいらしく、あの日以来、目立った騒ぎは起きていない。


「正直ね。ずっと幸せなんか来ないって、諦めていたの」


 隣で食材の入った紙袋抱えたアントが、優しい笑顔で言った。その横顔に、コリムは心臓が激しく高鳴るのを感じた。


 今はふたりで、久しぶりに街で買い物をしていた。ほかの村人やヤマダの姿もない、完全に二人きりの時間。


 ヤマダたちが来る前は、こうして二人で買い出しに行くことも多かったが、王国軍が街に駐在するようになってからは、なるだけ控えるようにしていた。


 しかし、最近は戦の準備で忙しいらしく、また拠点への先行部隊も出ていることから、街で兵士の姿を見かけることも少なくなっている。それに伴って街の活気も若干戻っているような気がする。


「でも、ヤマダさんがやって来て、リトンの感情が少しだけ戻って、少し世界が優しくなった。それに戦争が終われば、兵士もこの街からいなくなるわ」


「あいつが来たことと、リトンの感情が戻ったことは関係ねえだろ」


 コリムは胸がちくりと痛んだ。アントが楽しそうにヤマダの話をするのが、どうにも気に食わない。それが嫉妬だという感情であることは理解しているが、素直にそれを認める気にもなれなかった。


「そんなことないわよ。楽しい話と美味しい食事。人には大切なものだって、ヤマダさんも言ってたでしょ? 私もそう思うわ」


「俺は……、あいつが嫌いだ。なんか油断ならねえし、全部が嘘っぽい」


「もう、コリムは色眼鏡で見るから、そんなふうに思うのよ。ヤマダさんは素敵な人よ。優しくてミステリアスで」


「アントは、……あいつのことが好きなのかよ?」


 その言葉を発した途端、激しく胸が締めつけられた。自分はいったい何を訊いたのだろう? 仮に肯定でもされたら、自分はどうしたらいいのだろうか? 激しい後悔が襲ってきた。


「……ええと、ね。たぶん、違うかな」


「え?」


「ヤマダさんのこと、嫌いじゃないわ。素敵な人だって、頭ではわかっている。でも、どちらかと言えば、幸運のシンボルみたいなもので……。そんな感じかな?」


 それはつまり、恋愛の対象ではないということか? 濁したような言い方が若干気になったものの、否定してきた事実に、コリムは浮き足立つような気持ちになる。


「そっか、そうなのかぁ」


 はしゃいだ気分でスキップし、次の瞬間、店のドアから出てきた誰かとぶつかってしまった。


「あ、わり――」


 言葉は唐突に途切れる。そこにいたのは三騎士がひとり、バラートだった。陰鬱な表情に、白髪交じりの髪を後ろで一本にまとめている。バラートの後から、ぞろぞろと兵士たちが姿を現してきた。


 背筋が一気に凍りつく。心臓を鷲掴みにされたみたい、不気味な恐怖が襲ってきた。


「――ゴミが」


 そう呟いて、バラートが剣の柄に手をかける。殺される。コリムはそう直感した。


「お待ちください!」


 そのときだ。アントが悲鳴のような声をあげて、コリムの前に立ちはだかった。


「どうか、この子を助けてください。お願いします!」


「馬鹿! どけ!」


 コリムは必死にアントを押しやろうとする。けれど、アントは激しく抵抗し、バラートの前で押し問答するかたちとなる。


「……おまえたち、兄弟か?」


 低く掠れた声で、バラートが尋ねてきた。


「いえ、そういうわけでは」


 アントが否定する。


「では、恋人同士か?」


「「え?」」


 その問いかけに、ふたりは明らかな動揺を見せる。少なくともその態度は、淡い恋心の存在を肯定していた。


「くくく、そうか。ならば、そいつを助けてやってもいい」


「ほ、本当ですか?」


 アントは歓喜の声をあげる。許されるなど、こんな奇跡はそうそうない。


「その代わり、おまえは儂の好きにさせてもらう」


 その科白を聞いた途端、アントは目の前が真っ暗になってしまった。どうして一瞬でも、なんの対価もなく許されると思ったのか。


「断れ、アント! 俺が悪いんだ! 俺が殺されればそれで済む!」


 コリムの悲痛な叫びが胸を貫く。それで覚悟が決まった。家族同然にずっと育ってきた仲。苦楽を共にし、支え合ってきた絆がある。そして、それ以上の感情も抱いていた。


 だから――。


「わかりました。その代わり、彼を助けてください」


「アント! やめろ! 俺が悪いんだ! 俺を殺してくれ!」


 コリムは必死に追いすがろうとするが、取り巻きの兵士に殴り飛ばされ、地面の上に転がってしまった。


「何をしている? そのガキも連れてこい!」


「は? こいつもですか?」


「当然だ。儂はなぁ。想い合っている相手の前で、想い人をめちゃくちゃにしてやるのが大好きなのだよ」


 バラートが残虐で卑猥な笑みを浮かべながら、趣味の悪い嗜好を露わにした。


  †  †  †


「っていうか、コリムたち遅くない?」


 コリムの家で留守番をしながら、結奈は不安を口にした。


 ずっと一緒にいるわけではなかったので、コリムがアントと一緒に街に行ったと聞いたのは、ついさっきのことだ。

 いまは安全だと村人は言っていたが、あんな治安の悪いところに行くなんて、正気の沙汰とは思えなかった。


「コリム兄ちゃんが帰ってきたよ」


 村の子どもが、コリムの帰りを教えてに来てくれた。どうやら取り越し苦労だったらしい。


「そういえば、年寄りほど心配性らしいな」


 ジョーカーが、ここぞとばかりにからかってくる。老婆心とでも言いたいのだろう。


「でも、なんかアント姉ちゃんがいないんだ」


 嫌な予感がした。ざわざわと不快な感触が胸の奥を締め付けてくる。


「コリムはどこ?」


 居場所を聞くと、結奈は急いで家を飛び出した。しばらくして、亡霊のようにふらふらと歩くコリムを見つけた。俯き加減のため、その表情はよく見えない。


「……コリム。アントはどこ? 一緒に行ったって聞いたんだけど?」


 結奈は自分の声が震えるのを自覚した。しかし、聞こえていないのか、コリムは何も言わない。


「ねえ? アントはどうしたの?」


 再び問いかけるも、答えは返ってこない。


「コリム、しっかりして! アントはどこにいるの!?」


 悲痛な叫びがこだました。もはや結奈は、自分の不安が的中したことを悟った。


「アントは……」


 掠れたような声で、コリムが口を開く。そして、手に持っていた食材用の紙袋を、結奈に差し出してきた。


「――アントは、この中だ」

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