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物語として読む後宮なら、それはロマンの舞台でもあるだろう。
また、歴史の中の後宮は、個人的にはひどいと思うけど……過去のことを未来から責めても意味はない。
けれど、私が今まさに生きているこの世界に後宮があって。
これから、後宮に入る? 生身の人間が?
それも、一国の王女が。なぜ第一王女様が?
後宮。
胸の中で何度唱えても、ぞっとするような響きだ。
きらびやかでロマンチックだと思った、このお城も、それを取り巻く街も。
本当はその裏では、とても危うい運命を突きつけられているのではないか。
この時初めて、そう思った。
■
夕食は、王様と王妃様――つまり私の両親――とイトラの四人で、なごやかに行われた。
メニューはお肉がメインディッシュで、カーリという家畜のものだった。
サラダやスープにはシュントという香草が入っている。
これらはどれもグロファンに登場しているので、私はひとしおの感慨を抱きながらいただいた。
大陸が違っても、共通しているものはあるんだな。
王様からは、テーブルマナーが丁寧になったと褒められた……けど、この世界のマナーなんて知らないからなるべく丁寧に食べただけなので、もとのリアはどれだけだったんだろう。
そんな変な感慨を抱く。
その中で、イトラと目が合って優しく微笑まれるたびに、私は微笑みを返しながらもいたたまれない気分になった。
メイドさんたちに聞いた限りでは、どうやらこのハウザールという国は他国や蛮族に脅かされる辺境にあって、その鎮圧のための武力においては周辺国から一目置かれているらしい。
一方でこの大陸の中心には胤という国があり、周辺国はハウザール含めみんなそこに従属しているという国家構造なので、胤から貢物を求められれば基本的に断れない。
ただ、王族の人間を実質的な人質として差し出せというのは、今まで前例がなかったという。
イトラの美しさは少女時代から有名らしく、胤の宦官が、成長した今ぜひ後宮に入れたいと申し入れてきているそうで。
胤の王様はまだ少年だけれど、遠からず子供が作れるようになった時のために、今から大陸中の美女を宦官がかき集めているらしい。
つまり扱いとしては、側室ですらない。
妾、というより一生のある女性を飼い殺しの使い捨てのように考えているとしか思えない。
……おおむね、この世界でも、後宮は私が知っているのと同じものだ。
こんなものを、本当に胤の王様が望んでいるのだろうかと疑ってしまう。
食後のデザート――いちごのようなペルメという果物に、甘い蜜をかけたもの――を食べていると、王様が苦々しく言った。
「イトラとこうして同じテーブルで食事ができるのも、あと何度なのかのう」
「お父様」とイトラがたしなめるように言うけれど、王様は止まらない。
「イトラ、胤の王はお前をかわいがってくれるかもしれん。だが、あの宦官の評判が悪過ぎる。五年前に死んだ前王は、凶王だった。その後即位された幼王は賢明な方だが、まだ十歳を数えたばかりで経験がお浅い。結果あの宦官のやりたい放題で、税は重くなり、宮中だけが贅沢三昧だ。このままでは今の王まで、なんの苦労もされず人心を得るすべを学ぶこともなく、果ては暴君になってしまう」
そんな人の後宮に、イトラが行く。
ペルメはとてもおいしかったけれど、だんだん味がしなくなっていく。
テーブルに沈黙が重くのしかかってきた時、場違いな声が傍らから響いた。
「そのことだけど。お食事中失礼しますねー」
軍服のまま靴音を高く鳴らしてやってきたのは、ダンテだった。
「ダンテ!?」とイトラ。
とがめるような響きではなく、どちらかというと近しい友達を呼ぶような声音だった。
……この二人、仲いいのかな?
王様が、顔をしかめてダンテに言う。
「ダンテ。なんの用だ。時と場所をわきまえた上でなのだろうな」
「もっちろん。おれはもう身内みたいなもんでしょ? それに、王族が一堂に集まってる今が手っ取り早いからさ。王、聞いていただけますか?」
「……申せ」
ダンテはテーブルの近くまで来ると立ち止まり、低い声で告げてきた。
「胤の連中は、ハウザールと戦えば必ず勝てると思ってるよ。それが決定的な油断であり、おれたちに与えられた猶予だね。今日の帰途において、騎士団全軍に覚悟を決めろとは言ってある。やるならいっときでも早くだよね。……いかがいたしますか?」
なんの話だろう。
深刻なことだけは伝わってくるけれど。
王は、しばらく黙った後。有無を言わせないほど強い語気で答えた。
「ダンテ。全軍をそのつもりで訓練しろ。古来より、王女を他国に差し出すことは国にとって最大の恥辱だ。イトラ一人差し出して済む話だとか、そんな風に考えるべきことではない。従属国どころではない、胤の申し出は、ハウザールを丸々奴隷化すると胤が宣言したに等しい。驕った豚に、目にもの見せてくれん」
ダンテの目がにんまりと、細くとがった。
「了解しましたよ、王。では、胤と戦ですね」
「ええっ!?」
私は思わず、椅子をがたんと倒して立ち上がった。
それを見て、王が言い聞かせるように言う。
「今更どうした。イトラの後宮入りは単なる側妾となることではなく、この大陸にある国にとってどんな意味を持つのか、今まで散々に教えてきたであろう。イトラを送り出す前に軍備を整えれば、胤に不信を抱かせる。はなはだ不本意だが、イトラが胤に迎えられた後、やつらの虚を突いて一息に奇襲をかけ、あの宦官を屠ってくれる。その程度の道理、分らんではあるまい?」
「あ」とダンテが手を挙げる。「そういえばリア様は、記憶喪失だってさ。そういうの全然わかんないのかも」
すると、今度は王と王妃とイトラが椅子を倒して立ち上がった。
「ええっ!?」
……そう言えば、タイミングを逃して言い忘れてました。
■
私は記憶喪失だという話は、翌日の午後には、すっかり城下町まで広まっていた。……と、シエンナという私つきのメイドさんに教えてもらった。
おっと、いちいち「さん」をつけないようにと、そのメイドさんから注意されたんだっけ。間が抜けていて調子が狂うから、と。
夕食の前に着替えと沐浴を手伝ってくれたシエンナさん――シエンナが、「記憶喪失については、どうも本当のようなので、ひとまず信じましょう。ひとまずですが」と半眼で言っていた。
シエンナは髪をシニヨンにまとめ、パンツスタイルのメイド服に身を包んだ細身の女性だ。
ちょっと目つきはきついけれど、私より少し年上で立ち居振る舞いがきびきびしているので、なんとも頼れるお姉さんという風である。
「そういうことであれば、昨日は意地悪をして失礼いたしました」
そう、彼女は例の速足のメイドさんだった。
今日のお昼、細切れの茶葉がばらばらと水面に浮いた紅茶を出してきたシエンナが、
「我が国風のお茶でございます」
と言ってきた。
私はゲームの中でそんな文化は聞いたことがなかったけれど、実際にはこういうものなのかと思ってそのまま飲もうとしたところで、シエンナに「嘘です」と止められた。
「試すようなことをして失礼いたしました」
「あ、いえ、大丈夫です……けど。あの、私って……かなり問題ある人だった、んですよね?」
「問題といいますか。控えめに言って、我が国における国難の一つでしたね」
そ、そこまで。
国難かあ。
そんな一幕がありつつも、とりあえず二日目の夕食の席を迎えた。
昨日は私の記憶喪失のせいであわただしくなったけれど。
この国が昨夜、大きな決意を固めたのは確かだった。
実際、今日は王様とダンテが宰相や大臣を集めてずっと会議をしていたようだし。
ややお疲れの様子の王様が広間のテーブルにつき、私たちがそれに続く。
隣の席に座ったイトラが、にっこりと私に微笑みを向けた。
……本当に、唯一この人だけは、この国で朗らかに私に好意を向けてくれる。
「……イトラお姉様って、さぞかし国民に愛されてるんでしょうね……」
イトラが口に手を当て、くすくすと声を漏らした。
「まあ……そんなことを言ってくれるなんて、リアったら記憶どころか人が変わったみたいですね。でも私は、リアだって同じくらいかわいいと思うのですよ。姉妹だもの、結構似てるのですから」
「そ、そうかなあ」
「そうです。リアはいつも、怒ったり難しい顔をしているから分かりにくいだけで、本当はとびっきりの美人さんなのですよ」
……そうなのだ。
今のこの私が謙遜するのも変な話なので複雑なのだけど。
あの、窓ガラスに最初に顔を映して以来、自分の部屋でもちゃんと鏡で見直してみたところ。
リアだって、相当の美形だ。
それこそ、イトラに引けを取らないくらい。
なのに姉妹で世間の評価にかなり差があるあたりに、リアの性格のすさまじさが感じられる。
そうしているうちに料理が運ばれてきて、緊張感をはらみつつもそれなりに和やかに進んだ食事が、終わるころ。
デザートが出された時に、それは起こった。
王様が、低い声でうめく。
「……これを作った者は、誰だ」
この日のデザートはケーキで、チョコレートを主体にした、小さくも濃厚な甘さのブラウニーのようなものだった。大振りな白いお皿の外周に沿って、赤いソースが一筋、飾りとして垂らされている。
特に問題があるようには、私は思わなかったのだけど。
イトラと王妃様が、はっとしてフォークを置いた。
傍に控えていた執事も血相を変える。
「これは……まさか。王! 申し訳ございません!」
「よい。よいから、これを作った者を詰問せい」
状況が呑み込めず、私は隣で青ざめているイトラに訊く。
「お姉様、今って、なにが起きてるんですか?」
「なにって、……ああ、記憶喪失なのでしたわね。この赤いソース、おそらく原料がビルゾールという、虫の体液なのです。それをシロップと合わせて伸ばしたものなの」
虫。
そう聞くと、ちょっと引いてしまう。
「それじゃ、王様……お父様が、生理的にその虫が苦手とか?」
イトラがかぶりを振る。
「そんなものじゃありません。ビルゾールは赤色の原料としてはポピュラーなものですし。ただお父様は、ビルゾールの体液を飲み込むと発熱と発疹が起きるのです。だから王宮の食事で赤い色を使いたい時は代替原料を使うのですけど……これは、どう見てもビルゾールですね……」
つまり、アレルギーってことらしい。
王妃様は口に手をやり、細かく身を震わせている。
たちまち厨房から、料理長と、エプロン姿の若い女の子――二十歳くらいに見える――がやってきた。
料理長が、最敬礼を超えた深さで頭を下げる。
「も、申し訳ござません、王!」
「聞かせてもらおうか。ビルゾールは、そもこの王宮の厨房には持ち込みさえ禁止しておったはず。それがなにゆえ、わしの皿にのせられたのか。それも、|胤との戦いを決意したすぐ翌日にな」
あ。
そうか、これはただのアレルギーの問題じゃないんだ。
聞いた限りでは、今までの王様のアレルギーは命に係わるほどのものではないけれど、それでも無事に収まる保証はない。
それにもしかしたらアレルギーによる体調不良だけではなく、それに乗じた毒殺だって考えられる。
手違いのアレルギーに見せかけて、もっと強い毒をこっそり盛れば。
たまたまひどいアレルギーで亡くなったようにしか見えなければ、たぶんこの世界の医学ではことの真相を暴けない。
だから、こんなにみんな過敏に反応しているんだ。
料理長が、頭を下げたまま王様に答える。
「は、ははっ! 実はこちらの娘、メイドのアゾというのですが! 今週いっぱいでおいとまをいただく予定になっておりまして、最後に王族の皆様になにか思い出になることをして差し上げたいと! 聞けばこの娘はマールビエッケンの出身でありまして、そこはビルゾールの一大産地なのです! 故郷の祭りなどでは、ビルゾールによって宝石のように赤く染めた料理で祝うそうでして!」
「ほう」王様の片眉がぴくりと上がる。「その名物を、わしに食わせてくれようとしたわけか?」
そこで、女の子――アゾが料理長の横に進み出た。半泣きになっている。
「わ、私、知らなかったんです! 王がビルゾールでお具合を害されるなんて! 料理長がデザートを完成させた後、思い出に少しだけ飾りつけさせてほしいって、私からお願いしました! ケーキに手を加えるわけにはいかないから、故郷から取り寄せたビルゾールを飾りつけにだけ……ま、まさかそんな、ビルゾールで王様が……そんなこと。本当です、知らなかったんです!」
料理長も前に進み出た。
「最後に、料理のチェックをしてから皿を厨房より出させなかった、わたくしの責任でございます! どうか、どうか寛大なご処置を!」
その時。
場違いに静かな声が、広間の片隅から響いた。
「へえ。料理長、ずいぶんその子をかばうねえ。なんで? なにか特別な関係なのかなあ? たとえば、同じ命令を受けた仲間同士、だったりして?」
「ダンテ!」と、私とイトラが同時に言う
昨夜に続き、いつの間にそこにいたのか、軽装備のダンテは広間を横切ってくる。
足音も立てずに料理長の横に向かうと、剣を抜いた。
「ちょおっ!?」
私は思わず、席を立つ。イトラが驚いて止めようとしたようだけど、それよりも私がダンテの目の前に立ちはだかるほうが早かった。
背中側に、料理長とアゾの存在を感じる。
いきおい彼らをかばうような格好になったけど、その通り、かばおうとしているわけだから問題はないな、と胸中でうそぶいてダンテを見上げる。
「ダンテ、剣をしまって」
「ああ? なんで? 話し合いで本当のこと教えてもらうのに、こいつがあるとなしとで、こいつらの口の軽さが変わってくるんだよねえ」
暴力をちらつかせることが前提の話し合いなんてものを当然のように押し通そうとするダンテに腹が立って、私の口調がきつくなった。
「刃物突きつけながらできる話し合いがありますか! いいからしまいなさい!」
いざとなれば、剣術のギフトを活用してでも、ダンテを止めよう。
こっそり決意した私を前に、けれどダンテが、嘆息しながら剣を収めた。
「はいはい。で、どうしようっての。リア様は」
私は、くるりと振り返った。
料理長とアゾと向き合う。
「では、私からお訊きします。料理長、そのアゾをかばう理由がなにかおありなら、教えてください」
「は……はい、リア様。ここにいるアゾは、少々訳ありでして。マールビエッケンは騎士団の巡察がなければ年中野盗に襲われるような、小さな村です。すでにアゾの両親は他界しておりますが、アゾは城下町に弟を呼び寄せております」
「そうなの。弟さんを」
そこで、アゾが前に出てきた。
「わ、私、ここに雇ってもらったことを本当に感謝しています! なのに、大恩ある王様に悪さなんてするわけがありません!」
そこで今度は料理長が前に出てくる。二人で交互に進んでくるので、ほとんど私の鼻先までやってきていた。
「アゾは実に弟思いで、今日まで真面目に仕事をして貯金しておりました。その弟も働くめどがついたので、今度から二人で、町場のレストランで働くことになっているんです。アゾは城では料理番はしておりませんでした――料理中の厨房に入ったのなんて今日が初めてなくらいなんですが、料理は好きだそうで。自分どころか、勤め先まで決まった弟の身まで危うくなるようなことを、この子がするわけがありません。罰はわたくしめもお受けします、どうか、どうか寛大なご処置を!」
「いえリア様、罰するならどうか私だけを! 料理長と弟には、どうか慈悲のお心をいだだきますよう……!」
私は、そろって深々と頭を下げる二人の背中を見ながら、できるだけ落ち着いた声で告げた。
「……訴えはよく分かりました。ですが、それだけをもって無罪放免とするわけにはいきません。無実の証拠があるわけではないのですから」
「そんな!」と料理長。「無実を示す証拠など、この世にやすやすとあるわけではありません! リア様、ご無体を……」
私は、二人に顔を上げさせた。
「そこで、アゾにはしばらく怪しい動きがないかどうか、監察をつけようと思います。その上で、再発を防ぐために、王族をはじめ城中にいる人々に同じような――口にすることで健康を害するようなものがあるのならば、これを名簿として厨房で一覧できるよう、張り紙などで明示します」
アレルギー対策は、アレルギー物質を摂取しないこと。
それ以外にない。
料理長がきょとんとする。
「厨房に、明示……でございますか?」
「聞いている限り、王様――父上のビルゾールについては、料理にかかわる人たちの暗黙の了解のようなものだったのではないですか? それを誰でも分かるように紙にでも書いて貼り出しましょう。スタッフみんなで、定期的に唱和でもしてください。なにより、どんな事情があっても最終的に料理が仕上がったところで必ず料理長が最終チェックをすること。それだけで、今回のようなことは防げるはずです」
単純だけど、効果はある。まさか、会社で培った「見える化」と「複数人チェック」がグロファンの世界で役立つとは思わなかったけども。
とりあえず、実務的な対策を言い切ったところで。
後ろから、無遠慮な声が届いた。




