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 冷静に考えれば、すべては偶然のはずだ。

 私が好きになるかどうかでそのキャラの生き死にが決まるなんて、そんなわけがない。

 理屈ではそれが分かっているのだけど、感情はどうしても割り切れない。

 死んだキャラ本人はもちろん、同じキャラを好きになって同じように押している人たちに、申し訳なくてたまらない気持ちになってしまう。


 肩を落とした私を励ますように、三木さんが言った。


「あっ、じゃ、じゃあ! いつか、不死身っていう設定のキャラとかを好きになれたら、いいですよねー!」


「……なったよ。ゲームなんだけど、『天魔撃滅』のリュウイ」


「あ、知ってますよ、漫画にもなってますよね! 弟に借りて読みました……って、あ、リュウイ……ですか……」


 感受性の強い三木さんがいろいろ察したのだろう、眉を八の字にして、口に手をやる。

 そう。『天魔』はいわゆる能力バトルもので、リュウイは不死身という特別な個性を引っ提げ、序盤から話のキーになるところでたびたび大活躍する。


 ……のだけど、能力の無効化ができる新しい敵との闘いに突然巻き込まれ、不死身ではなくなったところを奇襲されて殺害されてしまう。

 超展開を目の当たりにしたプレイヤーは当時、かなりのショックを受けた。私もリュウイの死を深く悲しみながらも、同時に、不死身のキャラさえも死んでしまうという私の死神特性に一人で打ちのめされていた。


 ただ、周りを暗くしたいわけではないので。

 私は努めて笑顔になって、三木さんに言った。


「私、最初に好きになったのって『グローカスファンタジア』っていうゲームなんだけど、ファンタジー世界で戦争やってる話だから死亡キャラも多いんだ。スタートがそれだから変に続いちゃってるってだけで、ほんとはそんなに気にしてないんだよ~」


 本当の本当はだいぶ「気にしてる」のだけど。

 小野さんが小声で「痛々しい」とつぶやいたのは、聞こえないふりをする。


 ともあれ死神どうこうは私の個人的な事情なので、三木さんみたいないい子にはあまり気にしすぎてほしくない。


「うーん、でもあたしもですけど木洩日さんも、推し活が人生のオアシスですよねえ……他人事とは思えないですよ、なにか負の連鎖を断ち切れれば……」


 私としては、こんなに思いやりのある後輩がいてくれるというだけで、充分恵まれてるつもりだよ。

 そう言いかけた時、食堂の入り口から男性の声が聞こえた。


「あああ。いたあ、木洩日さあん!」


 三木さんと小野さんが同時に、かつあからさまに嫌な顔をする。

 現れたのは仁志村さんだった。


 振り返ると、こちらも不機嫌さを隠そうともせずに口を尖らせた仁志村さんが、大股で近づいてきている。痩せているので身体的な威圧感はさほどでもないけど、触れるべからざるオーラが全身を包んでいた。


 仁志村さんのぱっつんと切りそろえた前髪の下で、普段は落ちくぼんでいる目が今は見開かれている。

 嫌な予感しかしない。


「お、お疲れ様です仁志村さん。なにか?」


「なにかじゃないよお。ボク昨日聞いたじゃん、今日の朝一までに商談用の資料間に合うかってえ。木洩日さん、大丈夫って言ったよねえ」


「言いましたし、間に合わせましたけど……」


 仁志村さんが間近まできたので、私は立ち上がった。座ったまま、目の前で仁王立ちした仁志村さんに見下ろされて話が続くのを避けたかったためだ。


「だあめじゃん、お客さんきたらその説明までちゃんとやってくんなきゃさあ。木洩日さん、大丈夫って言ったんだからさあ」


 仁志村さんが商談で呼んだお客さんは、午前十時にきた。うちの会社では、事務職員がアポイントを受けて事業の説明や商談を担当することがある。

 けれど九時が出社時間の仁志村さんはまだ出社しておらず、お客さんには資料を渡してお待ちいただいていたら、十五分ほどしてようやく仁志村さんが出社したのだった。


「い、いえ、商談は当然仁志村さんがやるものだと思って。申し送りも相談もなくて、私そんな話聞いてないです、遅刻してくるなんて」


「ああ! 大丈夫って言ったの、自分でしょお! それに遅刻じゃないよ、直行お! 責任持ってやるのが仕事じゃん、仕事なんだからさあ!」


 そこで、小野さんが立ち上がった。


「仁志村くん。仕事仕事って言うけど、常識的に考えてあなたがやるべき仕事でしょう。あなたが、仕事ができてないのよ。自分が受けた商談なら資料くらい自分で作りなさい、あなたより忙しい人に頼まないで。ほかの職員は、あなたがラクをするためにいるんじゃないのよ」


「はあ?」出た。この仁志村さんのはあ? が、私はかなり苦手だ。「え、上から? 上からですか?」


「上でも下でもいいわ。だいたい直行って、どこに行ってたのよ?」


「どこって、トヨシキストアーですよ。対応はボクの担当でしょお」


「あなた内勤のわりにかなり直行直帰が多いけど、本当に申告通りのところに行ってるの? トヨシキストアーに問い合わせてみようか? 毎週毎週、朝の九時からなんの対応をさせていただいてるんでしょうかって」


 そこでようやく、仁志村さんがうぐっとうめいてたじろいだ。

 ……やっぱり虚偽申請だったんだ。一応、課内みんな分かってはいたけど。


「う、なんだよもお……ボクにみんな上からあ……令和なのに今時、上からってえ……」


「今だろうが十年前だろうが。会社に求められているだけの仕事が今できていないのも、仕事を任せて大丈夫じゃないのも、ほかの誰でもなく仁志村くんなのよ。木洩日さんはよくやってくれています」


 仁志村さんの目のぎらつきが増す。


「パ、パワハラだ。課長に言いつけてやるぞお。聞き取りされるのを、震えて待てよお」


「どうぞ。私も、これを機に上層部に言いたいことは言わせてもらいます。あなたについてね」


 仁志村さんは肩を怒らせながら、ぬううとかおおおとか言いながら去っていった。

 小さい声で「これだから女はさあ」とこぼしたのが、小野さんに聞こえていなければいいけど。


「ふん。私は、あんたを見て『これだから男は』なんて了見の狭いこと言わないわよ」


 しっかり聞こえていた。


「あ、ありがとうございます小野さん。私、つい圧倒されちゃって」


「いいえ、私は私の言いたいこと言っただけだから。……彼を会社員として鍛えるのには骨が折れそうね。今のところ、かなりの甘えん坊だからなあ。うちの職員が入社一年目に身に着けることを、三十越えた彼に一から仕込まなきゃだものね」


 あんな彼を会社の一員として育てる覚悟を自然に決めているらしい小野さんに、私は改めて敬意を抱く。


 なんだかんだで、私は出会いに恵まれているのだ。

 世の中には、立派な人がたくさんいる。早く私もそうなりたい。


 お昼休みが終わる前に外の空気を吸いに行こう、と三人で外に出た。


 流山市は、一時期から急激に人口が増えた街だ。

 真新しいマンションが次々に建って賑やかになっていく傍らで、昔から通いなれた街角の和菓子屋さんや、毎年初詣に行く神社や、昔ながらのショッピングセンターがしっかり根づいていて、ここが生まれ故郷の私にはとても居心地がいい。


 新しく整備された広くて明るい道で背筋を伸ばしていると、近くから叫び声が聞こえてきた。


「わ、な、なんだろ!?」


 そちらを向いて、目を疑った。

 道の真ん中に、巨大な――軽自動車くらいありそうな、本当に巨大な、イノシシのような生き物が立っている。


 イノシシのような、という言い方になるのは。生のイノシシを見たことがない私にも、明らかに「それ」がイノシシではないことが分かるからだ。

 毛の色は赤黒く、首から背中にかけて馬よりも長いたてがみが逆立ち、額からは角が二本生えている。角の間には、赤い鉱物のようなものが貼りついているのが見えた。

 なにより、足が六本ある。指を震わせて三度も数え直したから、確かだ。


「な……に、あれ……」


 小野さんもあっけにとられている。

 三木さんが私たちの服を引っ張り、


「に、逃げましょう! 会社戻りましょうよ!」


 と涙声で言った。

 まったくもってその通り、と私たちは身をひるがえしかけて。

 そして、とんでもないものを見た。


 仁志村さんが、化けイノシシ(仮)の真横で、腰を引かせながら両手を突き出して立ち止まっている。

 なにをしているのかと思えば、スマホで動画を撮っているらしい。

 化けイノシシが、ぐるんと仁志村さんのほうを向いた。唇がめくれ上がり、隠れていた牙が露出する。よだれがしたたり、ぐるるるる……と低い鳴き声が響いた。

 仁志村さんは、ぎゃーと叫んでその場に座り込んでしまう。


「あのばか!」


 小野さんの吐き捨てるような声。

 それを背にして、私は駆け出していた。


「木洩日さん!? だめっ!」


 私があの化けイノシシを、どうにかできるなんて思わない。護身術とか戦闘技術とか、そんなものを身に着けていればまだよかったかもしれないけれど、心身ともにまったくの丸腰だ。


 仁志村さんのことを、自分の身を挺してまで助けたいとも全然思わない。苦手――というよりはっきり言って嫌いだし、彼を貴ぶ気持ちなんてこれっぽっちも持ち合わせていない。

 彼には、出会って以来、されて嫌なことしかされていないんだから。


 その仁志村さんは、首を激しく横に振りながらわめき始めた。


「う、うぎゃー! 助けてだれかー! 会社の人―! 社員を守るのが会社の役目でしょー! 訴えるぞ、ネットにさらすぞ! 炎上したくなかったら助けろよおおお!」


 彼を助けようと思ったことを、ちょっとだけ後悔しそうになる。

 でも、相手がどういう人間かより、自分がどういう人間でありたいかを大切にしたい。

 それが、私の狭くても恵まれた人間関係の中で抱いていた、夢とも言えない目標だった。


 私は化けイノシシと五メートルほど離れたところから、


「わ、わー! くらえー!」


 とできる限りの大声で叫んで、ハンドバッグを投げつけた。


 ハンドバッグは、ばしんと化けイノシシの目の上あたりに命中した。

 これで化けイノシシの意識がこちらに向いたら、全力疾走で逃げる。地元民の強みで、このあたりの地理は知り尽くしているのだ。

 私は靴を脱いで、生まれて初めてストッキングの足の裏でアスファルトの上に立った。


 けれど。

 化けイノシシは私を一瞥しただけで、仁志村さんの頭を角で横殴りに叩いた。


「ぐえっ! ぎゃー、痛いー!」


 それを二度、三度。

 さらに化けイノシシは前足で仁志村さんを道路の端まで蹴り飛ばすと、ようやくこっちを向いた。


「ひっ……」


 とりあえず、まだ仁志村さんは生きている、と思う。

 あとはいよいよ、私とあの怪物との追いかけっこだ。


 大きく息を吸い込み、化けイノシシに背中を向けた。

 そして、背後でけたたましい足音が響くと同時に駆け出す。

 けれど。

 その足音は、私が想定していたよりもずっと激しく、恐ろしいほど早く、私に迫ってきた。


 これは。

 到底逃げ切れるとは。


 ふと見ると、まだ小野さんと三木さんが避難せずに私を見守っていた。

 なにしてるの、だめだよ、あなたたちは早く逃げないと。

 そう言おうとした時、嫌な音とともに背中に衝撃が走って。


 私の視界が暗転した。


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