第一章 ハウザール編1
とある年、とある月、とある日の日本、千葉県は流山市という地方都市。
私は配属された営業一課で、忙しい日々を過ごしていた。
入社してから七年目、営業事務の中でも中堅になりつつある。
事務でも営業でも後輩が増えて、自分なりにできることも増えてきて。昔から何事にも消極的だった私でも、新人のころとは違った仕事の楽しさを覚え始めていたころ。
それは、とあるお昼休みだった。
「あーもー、仁志村さんむっかつくー!」
二課の営業事務で私の後輩の三木あゆかさんが、食堂でお弁当を前にうめいていた。
隣に座った私は、思わずその顔をのぞき込む。
「ど、どうしたの三木さん」
「聞いてくれますか、木洩日さんっ! 今日も眼鏡美人さんですねっ! でも、木洩日さんの癒し力をもってしても、今日のあたしの気持ちは晴れないんですっ!
そんな力を発揮した覚えはないけども。
「あのですねっ、仁志村さん、今日も掃除当番さぼったんですよ! 代わりにあたしが男子トイレ掃除したんですから!」
「え、また?」
仁志村さんは三十一歳の男性で、中途で入社した一般事務職員だ。
事務の経験はなかったそうだけど、採用後に「なんか事務って営業よりラクそうだから応募したんだよね~」と笑いながら言い放って、周囲を絶句させたつわものである。
なお、その「ラクそう」な事務仕事において、仁志村さんの成果はほかの職員と比べて明らかに質も量も低かった。
「トイレ掃除しないなんてありえないから、あたしがやっといたのに! それで後からへらへら笑って『ありがと~』とか言うから、さすがに注意したんですよ。やらないもの勝ちなんてありえないでしょって! そしたら急に真顔になって目を見開いてきて、『は? 上から?』って……怖いっていうか、きもい! なんでうちの人事は、あんな人とっちゃったんですかー!」
「あ、あのころ、ちょうど人手不足だったしね……」
三木さんは箸を両手でもてあそびながら、
「あの人、最初冷凍課行って、仕事がテキトーすぎるからって追い出されてこっちきたじゃないですか。そしたら冷凍課の人手が不足すると思ったら、むしろ仕事がうまく回るようになったっていうんですよ! むしろいることでマイナスになるんですよ!」
「ああ……」
こう言っては悪いけど、人手不足を理由に引き留めていたお荷物社員がそれでも辞めると、むしろ仕事がスムーズになることが少なくないという話は、人事から聞いている。
私だって人のことをとやかく言えるほど仕事ができるわけではないのだけど、仁志村さんはちょっと問題がありすぎるようだ。
「まともに仕事もしないくせに、仁志村さんキレるのだけは早いし! うちからも出てってほしい! てかできればほかの会社行ってほしいー!」
「うん。課長には、私からも言っておくから……三木さんがしょい込むことじゃないもんね」
「うううう。木洩日さん。私の癒しキャラ……!」
いや、だからそんなキャラになったこともなくて。
まあ少しでも三木さんの気持ちが軽くなるよう、役に立てていればいいんだけど。
すると三木さんは、バッグの中からスマホを取り出した。
「てなわけで会社がつらい分、推し活に気合が入るわけですよ。あたし、このロード&プリンシパルっていう男性アイドル推してるんですけど! 木洩日さんも、今度一緒にライブどうですか?」
「えっ!?」
三木さんは、邪気のないつぶらな瞳で私を見つめてくる。
その手の中のスマホ画面には、絶世の美男子が二人映っていた。
「二人グループなんですけど、一人は王子様系、一人はクール系なんですっ!」
「え、えっとね。すごくかっこいいと思うんだけど、私は……」
私の言葉の途中で、後ろから別の女性の声が降ってきた。
「んー、どうかな。木洩日さん、『死神』だからって最近そういうの慎重みたいだし」
総務の小野美鈴さんだ。白いパンツスーツを着こなしたすらりとした女性で、なにかとややこしいうちの会社の無数の業務をやりこなしているため、総務課長も頭が上がらない。
社内、特に事務系の職員からは比類なき尊敬の念を向けられており、それは三木さんも(私も)例外ではなかった。
「あ、小林さんお疲れ様でーす。……しにがみ?」
怪訝な顔になる三木さん。
私はすっと手を挙げ、
「そうなの。私、死神だから……しばらく、推し活はちょっと控えようかと……」
「なんなんですか、それ?」
言いよどむ私の向かいで、お弁当箱を広げる小野さん。
私は小野さんに視線を送り、
「小野さん、お願いします」
「いいの、私が言って?」
「はい。自分の口から言うの、いたたまれないので……」
小野さんは一度ふうと息をつくと、三木さんに言った。
「木洩日さんはね。推す人推す人、みんな死んでしまうの。毎回。いつも。例外なく、間断なく。好きになるたびにその人が死んじゃうのよね」
三木さんは、無言だった。
ただ、画面を消したスマホをすうっとバッグにしまった。
私はあわてて手を横に振る。
「あ、三次元は大丈夫……だと思う! 私二次元しか推したことないから、絶対じゃないけど!」
「二次元? ……てことは、アニメとか漫画とかのキャラってことですか?」
「うん。ゲーム好きが高じてアニメとかも見るようになって、好きな作品もいくつかできたんだけど……で、そうすると好きなキャラもできるじゃない? だけど……」
「それが、みんな死んじゃう……と」
私は、両手で顔を覆い、号泣のジェスチャーをした。心では本当に泣いていたけども。
「そうなのっ! 老若男女問わず、私が好きになるキャラみんな! みんなだよ!? そんなことある!? おかげで数少ない友達は、めっきり好きなアニメの話とか私の前でしなくなったし! 私もできなくなったし! うっかり友達が自分の好きなキャラのグッズとかを私に見せた日には、泣きそうな顔で言ってくるの……『お願いだから初乃は推さないで』って……!」
「……本当ですか? たとえば誰、とか訊いても……?」
「えっとね、『チョコレート男子!』の風間くんとか……」
「あ、あたし好きでしたよチョコ男! ……そうですね、風間くん事故で死んじゃうんですよね……」
言葉の途中から、三木さんは悲しみを抑えるように指をかんだ。
「それと、『林檎色デイズ』の沖田くんとか……『ハニーズカタストロフィ』の燈子ちゃんとか……」
「うっわ! 燈子あたしも好きでした! 後編の最初で、いきなり不治の病になったやつ!」
そうなのだ。私が推すキャラは、ストーリーの都合上といえばそれまでなのだけど、やけにいきなり生命の危機に陥り、たいていそのまま死んでしまう。奇跡的に復帰してきたキャラも、その後別の理由で結局死んでしまう。
三木さんが小首をかしげた。
「でも、そのへん結構有名キャラで、ファンも多かったですよね? たまたまそうなったから印象が強いとかじゃないんですか? アニメは人死になんて珍しくないですし、いくらなんでも推したキャラみんなだなんて……」
そこで、たくあんの細切りを箸先でつまんだ小野さんが言ってきた。
「そうは言うけど。木洩日さんの推しキャラ死亡率、百パーセントよ。で、今何人連続だっけ?」
私はかくりと下を向き、
「うううううう……二十五人です……」
それを聞いて、がた、と三木さんが椅子に座ったままたじろいだ。
「にじゅうご!?」
「うん……しかも、一度も途切れず記録更新中……もう、私心が持たなくて……しばらく推し作るのはやめておこうかな、と……」
なにしろ、好きなキャラができるたびに「また死んでしまうんじゃないか?」と気が気ではない。
で、やっぱり死ぬ。いつも死ぬ。必ず死ぬ。
世の中どんなに心がタフな人でも、これで平気なわけがない。
そして私は、全然タフではない。
三木さんが口を開けたまま、
「は、はああ……それで……」
私は目を伏せてうなずいた。
「そう。いつの間にかついたあだ名が、死神」




