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それからの昼間の稽古は、心ここにあらずにならないように気をつけた。
それでもやっぱり、考えてしまう。
今頃ホウメイからの連絡はどのあたりで、ハウザールに着いたら瞬く間に伝播して、出兵して、国境まで……
ホウメイと一緒に、厩舎につないだフェイルーたちに餌をやり、ニンジンにかぶりつくミルックの首を撫でながら、高鳴っていく胸の鼓動を懸命に押さえつけた。
厩舎にはラクダや牛、ヤギなんかに似た家畜たち――正確には違うんだろうけど、私は彼らをラクダや牛と呼んでいた――に、大型の鶏のような鳥もいた。
小規模だけど、後宮の中で畜産みたいなこともできるようにしたいらしい。
そうしてあっという間に、四日後の夜になった。
ハウザール軍は、すでに胤との国境近くまできている。
でもいきなり国境線を破れば大変なことになるから、あくまで彼らは私たちの動き待ち。
軍を投入する必要がある事態になったら、ホウメイが鳥を全速力で飛ばして、ハウザール軍が胤のお城まで急行する。
そうならずにスムーズに済めば、それに越したことはない。でもさすがに、丸腰同然で胤に背を向けてのんきに変える気にはなれないので、どのみち軍には傍まで着ていて欲しい。
日が暮れた。
ソウシソウが、単身、そっと第六宮を出る。
私たち――アゾは部屋に残して、私、ダンテ、ホウメイの三人だ――は、彼女の侍女のふりをしてそれについていった。
うつむいて顔を隠した偽侍女三人は、いつも通りの服装ながら、裾を上げたりひらひらした布を留めたりして、少しでも動きやすい格好に工夫している。
アゾは一人でいれば危険だから今のうちに逃げるように言ったんだけど、絶対にうまくいくからここで待ちますと言って聞かなかった。
これは、ますます失敗できない。
お城の中に設けられた後宮と王宮の間には、槍のような斧のような長物の武器――戟というらしい――を持った衛兵がいる。
ソウシソウも含め、全員がボディチェックをされる。
これがあるから、懐剣さえ持ち込めない。
王宮の中はこの国で最も安全な場所なので、そこへ護身用の武器を持ち込む必要はないという理屈で。
それはそうかもしれないけど、素手での潜入はいかにも不安だった。
最悪の場合、ダンテとホウメイは素手でも戦えるけど、私は武器がいる。つい、先日の屏風のように、棒状の武器にできそうなものを探してちらちらと視線が泳いだ。あの戟って、奪ったら剣みたいに使えるかなあ……無理っぽいな。
私のギフトは「剣術」なので、木刀でも短剣でもいいからとにかく剣に類するものを手にしないと、ちゃんと発動しないのだ。
明らかに本物の侍女よりも身長が高いダンテとホウメイはゆったりした不透明の薄物を羽織り、腰を落として肩をすぼめて背中を丸め、できるだけ小柄に見せかけていた。
暗くなければ見とがめられたかもしれないけど、これは事前にかなり練習した成果か、なんとかやり過ごすことができてほっとする。
もともと、衛兵も侍女なんてよく見てないのかもしれないけど。
「よし、行っていい。万禮様に失礼のないようにな」
衛兵に許可を出されて、いよいよ王宮に入る。
ところどころにかがり火がともされていて、黒々とした木造建築に複雑な陰影を生み出していた。
万禮は、いつも供を連れずに一人でくるという。
この、今は彼のために存在する都市の中で、危険になんて遭うはずがないと決め込んでいるのかもしれない。
まさか、剣を帯びた男を何人も素手で打倒してしまう将軍や、その弟が入り込んでいるとは思わないだろう。
私たち四人は、長い廊下を通って広間に出た。天井は通常の建物の三階分くらい、十メートル近くはありそうな空間だ。
梁はいくつも渡されているけど、柱は部屋の中には一本もない。木造でこんな構造ができるんだ、と驚いてしまう。私が知らないだけで、地球にも結構あったのかな。
広間とはいってもそれは私の感覚であって、面積は高校の時の教室五六個分といったところなのだけど、ソウシソウいわく王宮においては大して「広」間というわけではないらしい。
この広間の入り口にも衛兵がいて、私たちが中に入ると扉が閉められた。
そして奥の扉が開く。
「やあ」
甲高い声でそう言ったのは、黄色い法衣のような服に身を包んだ万禮だった。
顔を合わせるのは、胤に到着した時以来だ。
軽装の鎧姿で武装したお供が、左右に一人ずつ。万禮自身は剣を帯びていないように見える。懐剣くらいは忍ばせているのだろうけど。
ソウシソウには戦闘能力がないので、私たち三人で、一人ずつ。お供と万禮を倒して、捕らえる。そうしたらすぐに後宮の厩舎に戻り、アゾと合流して、フェイルーで逃走。そういう手筈だった。
残されるソウシソウたちは、ひとまず抜け道と身を隠すあてくらいはあるとのことなので、クーデターが落ち着くまでは人目を逃れていてもらうことになる。
ソウシソウが歩み出た。
「ご機嫌よう、万禮様。お会いできてうれしゅうございます」
「ほほほ、そうじゃろうそうじゃろう。今宵は特にそうであろうな」
「……とおっしゃいますと?」
「さぞかし、胸に期すものがあったのであろう。そのような者どもを連れて」
万禮がそう言い終わる前に、再び後ろの扉が開いて、十人ほどの剣士が現れた。
今度は全員、しっかり鎧兜を着込んで重武装している。
彼らの中心には、あの王塵がいた。
ダンテとホウメイが身構えた。もちろん、私も。
……露見してたんだ。
ホウメイが、敵ながら感心したように、口笛をひゅうと鳴らした。
万禮が顎をさすりながら言う。
「賢明ではないな、シソウよ。お前には目をかけてやっていたのだがね。今後の機会はお前にはもうないが、来世というものがあるのなら、己の手駒にも疑いの目というものを向けることを覚えたほうがよろしい」
ソウシソウがうめいた。
「万禮様……私の侍女を、内通者にしていたのですね」
「ほっほっほ。もはや端女同然に堕したとはいえ、いやだからこそ、お前のような女の首に鈴もつけんでおくほどわしは間抜けではないよ。かわいそうにな。お前は足首ではなく、命を失うことになる」
ソウシソウが歯ぎしりする音が聞こえた。
端女なんて呼ばれたのは、初めてなんだろう。
「万禮様……いえ、万禮。私は満足です。少なくとも、己の意思を示して逝ける。後宮妃なんて、そう、それこそ端女、いえ、それ以下の奴隷のまま死ななくて済むのですから」
「ほっほっほ。ずいぶんな言いようじゃの。ほかの後宮妃に悪いと思わんのか」
ソウシソウが一歩踏み出す。万禮の護衛たちが剣を構えた。
でも、彼女はひるまない。
「黙れッ! お前が後宮など復活させなければ、私は今も私の国にいられた! 家族に売られることもなかった! 私はお前に、生まれ故郷のすべての思い出ごと汚され、奪われたのだ! 後宮なんてものが己の国にあって平気な者は、狂っているのよ!」
「ほほほ。言いたいことはそれだけかえ。ではやりなさい、お前たち」
王塵だけは動かずにいたけど。
残りの九人と、最初からいた軽装の二人が、剣を掲げて進み出た。
これだけ天井が高いと、屋外と変わらない戦い方ができるということだ。
「ソウシソウ!」私は叫んだ。「下がって!」
それをばかにしたように万禮が嗤う。
「ほおっほっほ! 下がったところで、扉の外もすでに人がおるよ。逃げられやせん!」
そう。私たちが入ってきた扉の外には、複数の人間の気配がした。
私たちの退路を断つための兵士だろう。
けれど扉の向こうから、その兵士たちが「うわっ!?」「ぎゃあ!」と叫ぶ声が響く。
騒ぎにせずに済めば、それが一番良かったけど。
騒ぎになったらなったで、戦いようはある。
「よおし、じゃあいくかね!」
ダンテがそう言いながらバックステップして、背後の扉を蹴り開けた。
その外には、やはり五人ほどの兵士。
そして彼らの頭上を、黒い影が飛び越えてくる。
さっき、ホウメイが口笛で呼んだ鷹だった。三羽いて、三羽とも鞘つきの剣を足につかんでいる。
それを、私たちに一振りずつ落としていった。ダンテもホウメイも、もちろん私も、それをしっかりと手にする。
長期戦になれば、勝ち目はない。
少しでも早く、この場の全員を倒す。そして、万禮を確保する。
鷹たちは、万禮が逃げ出さないように彼が入ってきたほうの扉の上に陣取ってくれた。
ダンテが叫ぶ。
「おれたちを全滅させないうちに逃げようとしたら、その鷹が宦官殿の目玉をくり抜くよ! 増援を呼ぼうとしても同じ! お前らがどれだけ腕自慢でも、獣をとらえる自信はそうそうないでしょ!」
つまり、万禮を逃げ出さないように牽制しつつ、私たちを全滅させれば話は終わりだと思わせるための口上だった。
もとより、自分の部下が私たちに後れを取るなんてまったく思っていないのだろう万禮は、顎を撫でながら「ほっほっほ。構わんよ」と笑っている。
……こちらの計画通りではあるんだけど、なんだか腹が立ってしまうな。
「兄上、油断召されるな! 雑魚ではありませんよ、この者たちは!」
「はいよ、分かってるよ!」
ダンテとホウメイが、薄物を脱ぎ捨てて抜刀した。
すると、敵方に動揺が走る。口々に、「お……男!?」「女装していたのか!」と狼狽の声を上げていた。
……今更だけど、女装はばれてなかったんだ。
「悪いねー、リア! ソウシソウを守ってやってね!」
「分かってる! ソウシソウ、私の後ろから離れないで!」
敵のうち、扉を固めている兵士は持ち場にとどまるようだった。
万禮をソウシソウを除いて、私たち三人対敵十二人の戦いが始まる。
とはいえ、こちらは私がソウシソウを守りながらなので、思うようには戦えない。
実質、二対十二だ。
いくらあの兄弟でも、大丈夫なんだろうか。
その私の心配は、すぐに杞憂に変わった。
二人は呼吸を合わせて踏み込み、まず軽装の敵二人にそれぞれ切りつけた。
ダンテの力強い一撃と、ホウメイの舞うような斬撃に、一瞬で二人が斬り倒される。
敵に動揺が走る。
今度は、重武装組が相手だ。
胤の鎧は西洋風の金属で全身を覆うような鎧ではなくて、中世の中国風のスタイルで、少しは鎧の隙間がある。
ダンテは、敵の横薙ぎをかわしざま、脇の下へ切り上げた。
ホウメイは敵が振り下ろした剣を身をよじって避けると、内腿を、鎧の下に剣をこじ入れるようにして切りつける。
それぞれの相手が苦悶の声を上げて倒れた。
これで、残りは八人。
瞬く間に三分の一が倒されたというのに、けれど、万禮はまだ余裕を持っている。
「はっはあ」ダンテが口元をゆがませた。「なるほどね。残りの奴らは、ギフト持ちってわけだ」
万禮が答える。
「ほっほっほ。気づいたか。わしらは恩恵と呼ぶがね」
「そりゃ、人数で勝ってるのに囲みにこねーんだもん。つまり、一対一の剣技ギフト持ちばっかり集めたのが、残り八人てわけだね」
「ほほ。お前たちは見たところ、戦闘の恩恵は持っておらんようじゃのう。では、ここまでよ」
私は、ソウシソウをかばいながら叫ぶ。
「ダンテ、代わって! 私が戦う!」
「ああ?」
「私、剣術のギフトあるもの! 決めてたの、私はダンテを絶対に死なせない! 危ない目にも遭わせない! ……もう遭っちゃってる気もするけど、でも絶対に守ってみせるから!」
ダンテが半眼になった。
「あのさー。まさかだけどリア、戦闘のギフトを持ってる人間が、戦闘で無敵だと思ってない?」
「……違うの?」
「何事にも、やりようはあるよ。ねえ、愚弟?」
「もちろんです、兄上。リア様、どうかご覧になっていてください」




