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ひと月あまり経って。
ダンテとホウメイは後宮での詩・歌・楽器のノルマをこなしつつ、夜中に諜報活動を続けていて、胤の王城内のつくりや人間関係のほとんどを把握できつつあった。
ハウザールからは伝書鳩よろしく訓練された鳥が、現状を知らせに数日おきに飛んできてくれており、今のところ大きな問題は起きていないらしい。
それでも、少しでも早く万禮を倒したいのは当然変わらない。
後宮の稽古事は最初こそハードに感じたものの、慣れて要領をつかんでくるとそんなに大きな負担ではなくなった。
ただ、言語は理解できても詩や音楽を――鑑賞に堪える水準で――創作するのは一筋縄ではいかなくて、特にダンテがよく音を上げている。
夜更け、四人で部屋に集まると、簡単な現状確認と進捗をお互いに報告し合う。
さすがにひと月も経つと、一定以上の危険を冒さずに集められる情報はほぼ集まっていた(もちろん私はこれについてはあまり役に立てず、ほとんどが男子二人の活躍によるものだった)。
「あー。ほんとは、万禮だけサクッと暗殺でもできればすぐに済むかなーと思ってたんだけど。さすがにそうはいかねーよね」
「ダンテ、もう少し小さい声で話してよ。でもそうだね、私たちは武器の携帯なんてできないし、隠して持ち歩けるとしても懐剣くらいだし……これじゃこころもとないよね」
当然ながら万禮にはいつも護衛兵がたっぷりついているし、そのリーダーには王塵という剣術のギフト持ちがいる。
ハウザールでは軍の調練が順調で、命令があればいつでも出陣できる。とはいえ、数では圧倒的に胤の軍隊のほうが上なので、宦官打倒の混乱がないとまったく勝ち目はない。
私たちは膠着状態に入りかけていて、事態を動かすためにはなにかのきっかけが必要だ。でも適当なものがなかなか見つからない。
一方後宮は今のところ三十人ほどの「妻」たち――一応後宮妃として側室扱いだけど、正式な婚礼の儀はまだ開かれていない――と、その従者が二人ないし三ついてきて、入居している。
毎日のように稽古事で顔を合わせるので、顔も人柄もだいたい整理できていた。もっと後宮の人数が増えたら、全員ひとところに集まることはなくなっていくとのことだった。
それぞれの寝台の上には、暇そうなダンテと、悩み顔のホウメイ。なにか私が、後宮の側から彼らの助けになれればいいんだけど。
ため息をつく私に、アゾが大きな鳥の羽を使った扇子でそよそよと風を送ってくれた。
「リア様、お疲れのようですね」
「うん。体はいいんだけど、焦りっていうか、そのせいでの気疲れっていうか。後宮の女の人たちを味方に引き込むとかできればいいんだけど、下手すると……」
ダンテがぱたぱたと手を横に振る。
「あーいーいーそんなの。リスクのほうがでかいでしょ。なんかやべーのもちらほらいるし」
ダンテが言っているのは、稽古事で顔を合わせた際に、妙にぼんやりした女性が散見されることだった。
彼女たちはどうも、軽い薬物を使っているらしい。ガクシといって、マリファナのような――吸ったことないけど――葉に火をつけて煙を吸い込むタイプの嗜好品だ。以前ホウメイが言っていたもの(そちらはイカイギンという)より、毒性はずっと低いということだった。
紙巻タバコほど強烈ではないけど悪臭を伴うので、吸っているのは数メートル程度に近づけば私でもすぐに分かる。
稽古事が退屈だったり、無理矢理親元から連れ出されてここにきたことの苦悩だったり。そうしたものを、ガクシで紛らわせているのだ。
なんでそんなものが後宮に持ち込まれるのかと思ったら、ホウメイいわく、
「かつての後宮では、暇にあかせた女性たちが当たり前に服用していたようです。そのせいで――なにしろ臭いですし香水を振っても悪臭が増すばかりなので――王のお渡りがますます遠ざかるため、悪循環でしかなかったと聞いています」
だそうだ。
でもそんな後宮でも、稽古や勉学にいそしんでいる女性もいる。
私たちの暮らす第六宮は熱心な人が多かった。特に、個室を与えられている五人の後宮妃は目立っていた。
四面花という黒髪の女性はまだ十九歳で、けれど自国と胤の歴史について独自に本を持ち込んで研究を続けている。もともと、風土調査が趣味らしい。
蘭英という二十一歳の金髪の女性は特に琴が好きで、胤の古典の曲を弾くばかりではなく自分でも作曲をしていた。何度か聞かせてもらったけど、譜面をなぞるだけで精いっぱいの私――なお私は楽器なんて全然得意じゃないんだけど、これもリアの体がなんとか弾きこなしてくれている――とは比べ物にならないほどハイレベルな曲だった。
この二人はハウザールよりもずっと胤と親密な国からきたそうで、胤の文化になじむのはそう難しいことではないらしい。後宮になじめるかは、まったく別の問題だけど。
ほかには、ニャフシャインという十八歳の子が、ハウザール人と似た顔立ちで目を引いた。遠くからでも一目でそれと分かる金髪が、とにかく美しい。
遊牧民出身でターバンを頭に巻いたシェラハは二十歳。くりっとした目があどけなくて、かわいらしい。語学が苦手だけれど、これを機に胤語を勉強しているとのこと。
もとは胤の貴族で、父の代で辺境に移り住んだという曹紫奏。二十四歳で、今のところ後宮妃の中では最年長だという。文学全般が趣味で、胤の博士とも話が通じるほどの博学らしい。
彼女たちは、ガクシを吸わないどころか、人間をだめにするものとしてほとんど嫌悪しているみたいだった。自然、そういう女の子たちがグループになっていく。
とりあえず今のところは、後宮にいる女性全員、足は切り落とされておらずに無事だった。
あの幼い王様がいずれそんなむごいことをするのかと思うとやりきれないけれど、その前に宦官万禮ごと後宮をなくしてしまえばいいことだ。
翌日。
私なりに人脈的なものを少し作ってみようと、シメンカとランエイに世間話を振ってみた。
二人とも人当たりがよくて、それは助かったのだけど、さすがそれぞれの分野においての勉強家だけあって、話が難しくていまいちついていけない。
収穫は乏しかったなあ、と思いながら部屋に戻ると、ダンテだけがいた。
「あれ、ダンテ一人? ホウメイとアゾは?」
「ホウメイは隠密服に着替えて、場内の地図作りだよ。もう少し調べを進めたくてさ。アゾはタオルと化粧水、あといくつか消耗品もらいに城の中に行ってる」
「そっか」
「……リア様さ。あんま焦んなよ」
「うっ。……分かるかな。だって私だけ、後宮で生活してるだけで、あんまり役に立ってないし……」
ちなみにアゾは私たちの世話をなにくれと焼いてくれていて、おかげでここでの生活にはあまり不便を感じないで済んでいた。暮らしに必要な備品類の調達からタイムスケージュールの管理まで、なんでもやってくれている。
「いや、リア様が普通に怪しまれねーように生活してくれてるだけでだいぶ助かってるよ。ていうかそれを一番やって欲しいしさ」
「がんばります……」
うつむいて寝台に座った私の横に、ダンテがすっと腰かけてきた。
「ん? なに?」
ダンテは指先で軽く頭をかいて、
「……あのさあ。ほんとに、あんまり気にすんなよな。リア様が自分の危険も顧みずにここにきてくれたことに、すでにおれたちだいぶ感謝してるから」
「それはうれしいけど、もっとこう、私も能動的に役に立ちたいっていうか。そりゃ、ダンテみたいにはいかないけども」
「お? まあそうだろ、ハウザールで普段教養を鼻にかけてる連中にしたって、おれみたいになんて誰でもできるわけじゃねえからね」
おどけた様子のダンテに、私はまじめに伝える。
「胤にきてから、なおさら思ったよ。農業を重視して生産量を増やそうとしてるダンテがどれだけ偉いか」
「……あん?」
「シメンカやランエイと、少し話しただけだけど。彼女たちの国は、食料不足ですごく困ってるって言ってた」
「ずいぶん仲良くなってんじゃん」
「ふふ、お菓子の交換しちゃった。……胤って、周辺国からの税をすごくとるんだってね。だから農地を開墾しても無駄だって思っちゃうことが多いんだけど、ハウザールでは生産量を増やした上で、胤とは細かく折衝して過剰な税を払わないようにしてるので有名なんだって」
「いや、そりゃまあさ……食べるもんがなきゃなにをどうしようもねえし」
「その折衝に、ダンテは軍の仕事を休んでまで毎回同席してるんでしょ?」これは、ホウメイから自慢気に教えられた。「すごいね、国民をすごく大事にしてるんだ」
「そ、そんなの当たり前だろ。おれの国なんだからさ」
どうやら照れているらしいダンテの横顔を見つめて、私は言う。
「そうは思っても、できるかどうかとは別だよ」前世の会社を思い出す。やりたいこと、してあげたいことと、できることは結構違う。「ダンテは、やるべきことをやってるから……できてるから、すごいって言ってるの。本当だよ」
日はすでに暮れかけていた。
わずかな残照が、きめの細かい御簾越しに差し込んでくる。
ダンテのことだから、また「あったりまえじゃん」なんて笑い飛ばしてくるかと思ったけれど。
ダンテは私から目を逸らし、なぜか、前髪を指先でくりくりいじりながら、ほんのり顔を赤らめている。
「お……おれの代わりなんて、ハウザールの城にいるやつなら誰だって務まるよ。いい学校出て、頭もいいんだしさ」
「さっきは逆のこと言ってなかった?」私はつい笑ってしまい、顔を赤くしているダンテの顔を、ごく近い距離で覗き込んだ。「私そっちに賛成だよ、ダンテはハウザールのみんなにとって、かけがえのない人だと思う」
からかおうとした私の笑顔は、言葉の後半で微笑みに変わった。
二人っきりの部屋は、静かだった。
誰もいないところで、こんなに近くで人に笑顔を見られることなんて、なかなかない。
ダンテの笑顔を思い出す。何度も見たいと思った、あの顔。
あなたも笑ってよ、と言いそうになった。
その代わりに、憎まれ口が出てしまう。
「ダンテ、褒められるの苦手なんだ」
「なわけねーじゃん。褒められるために生きてるようなもんだからね、おれは」
「えー、じゃあ今は?」
「……相手によるんだよ」
相手?
聞き返すより先に、私の体が、寝台に組み敷かれた。
ダンテに押し倒された、わけじゃない。
押し倒されたわけじゃないのだけど、ダンテのわずかな身じろぎで生じた見えない圧力に押されたように、自然に私の体がシーツの上に横たわって、ダンテがもっと自然に、両手をシーツについて私を見下ろした。
「……おれは異境で生まれて、そのせいで家族を失くして、敵を作りながら成り上がってきた。慕ってくれてるやつもいるけど、おれを忌み嫌ってるやつはその二倍や三倍じゃきかないよ」
「う、うん」
「それを……かけがえがないって? そんなわけねえよ。おれがいなくなれば、誰かが代わりに将軍やるだけだよ。代わりは、……誰にでもいるよ。王女にも。あの万禮にも、胤の王にもね」
「……私が、前に――」前に生きていた別世界、と言いそうになって言い換える「――聞いた国の話。そこでも、よくそう言われてたって。どんな有名人で、どんな実力者で、この人の代わりはいないって言われている人も、いなくなれば必ず誰かが代わりを務めるって」
「同感だね。実際、おれの前にだって将軍はいたし、農政をやってたやつもいるよ」
私はシーツに後頭部をこすらせながらかぶりを振った。
「その人たちにはできなかったことを、ダンテはやってるよ。ダンテを支持してくれてる人たちがいるのは、そういうことだよ。もちろん、ダンテがすべてにおいて前任者を上回ってるなんて言わない。でもやっぱり、ダンテはダンテにしかできないことをやってるんだよ」
視線がぶつかり合う。
もうダンテは目を逸らさない。
「それでもおれは……どう考えたって、代わりの利く人間だ……」
「誰にそう言われたの?」
ダンテが苦笑する。
「……大臣連中には、さんざん言われてきたねー。言っとくけどおれの前の農政担当の大臣だって、結構やり手だったんだよ。だからなおさら、おれなんてただ代わりを務めてるだけで、いつでも誰かが成り代われると思われてるし、おれもそう思ってるよ」
この人は、自分のことをそんな風に思いながら、軍事も農政も、全力を尽くして頑張っているのか。
そう考えたら、私は絶対にこの人を肯定しなくてはいけないと思えた。ダンテの思い違いを、私が伝えてあげなくては。
こんなにも強力な将軍で、野放図に生きているように見えるダンテは、それでもいつもどこか危なっかしい。その理由が、少しだけ分かったような気がした。
「ほかの人がダンテにそう言うのは、有能な人の代わりを務めることの大変さを知らない人たちだからだよ。そんな役割を務めることを期待されてないし、自分でもやろうと思ってない人たち。ダンテが自分以外の人のことをそんな風に言わないのは、その大変さが分かってるからでしょう? ホウメイやイトラの代わりが誰かに務まるなんて、思ったことがある?」
「……あるわけねーじゃん。あいつらの代わりなんて。王女や武将がこの世にどんだけいたって、あいつらの代わりなんて……」
「私もそう思う。役割の代わりはできても、人間の代わりなんてほかの誰にもできないんじゃないかな。ホウメイも、イトラも、アゾも……ダンテも。ダンテがかけがえのない人だっていうのは、本当にそのままの意味だよ。あなたの周りにいる、みんなにとって」
もちろん、私にとっても。
「でもおれはさ、……異境育ちで、ハウザールでも異端で……」
私は枕元にある巾着の中から、ビー玉大の小さな白い立方体を一つ取り出した。
指先でつまんだそれを、ダンテの唇に当てる。
ダンテは反射的にそれを口に入れ、舌で転がした。
「……あっま。なにこれ」
「さっき言った、これはシメンカにもらったお菓子。じゃあこれ、はい」私はもう一つ同じものを取り出して、ダンテに持たせた。「今度はダンテが、私にちょうだい」
「……なにそれ。あんたさ、異境の人間の手から直接ものを食べ――」
ダンテの言葉の途中で、私は白い四角をぱくりと、ダンテの指から食べてしまった。
「――な――」
「わ、ほんとだ甘い。……これの、なにがいけないの。全然嫌じゃないよ、私」
それからの十数秒、ダンテが黙った。
押し倒された格好のままだってので気まずいけれど、私はそのまま動かずにいた。
ややあって。
「……なんでだ」
「え?」
なにが?
燭台の明かりに、ダンテの瞳が透き通って光る。
「そんなことを言って欲しいなんて、誰にも思ったことはなかった。望んでなんかなかったはずだ、おれは。なのに、……」
「ダンテ?」
「かけがえながいだって? リア様、あんたは……、あんたは……!」
ダンテが、シーツについていた腕で私を抱きしめ、覆いかぶさってきた。
「あっ!?」
後ろから回された腕が、私の肩と腰をがっちりとつかまえてしまう。
二人の間にあった数十センチの空間が消失して、まるでもともとそういう形で組み合わさるように設計されていたんじゃないかと思えるくらい、私とダンテの体がお互いに吸い込まれるように密着した。




