第二章 胤編1
これから、どんな顔してダンテと会ったらいいんだろう。
そんなことを考えながら翌朝から馬車に揺られて、けれど、結果的にそれは杞憂になった。
私の護衛部隊には、この日からダンテの姿がなかった。
ホウメイによると、
「胤には兄上の顔なじみの将軍とその師匠がいるのですが。彼らは胤では隠然たる力を持っていて、今の政権を握っている宦官の転覆を狙っています」
つまり今回の作戦における胤側の内通者というわけで、さすがにすぐに転覆とはいかないまでも、宦官の力を削げるならこれ幸い……ということらしい。
その内通者とのやり取りに集中するため、ダンテはしばし私たちから離れて独自に行動することになったのだ。
ホウメイが、馬車の車窓の中をちらりと見ながら言ってきた。
「ところで、リア様。今朝から馬車の内側に貼られた張り紙の、『推してはいけない』『推し禁止忘れるべからず』というのは……なんなんですか?」
「ホウメイ。推しって、なんだと思う?」
「それは……リア様のお口からたまに聞くだけの言葉ですので、僕のほうこそお伺いしたいところですが……」
「結局のところ、推しって心のありようなんだよね。ほかの人と共有したり、発信したりする必要はないの。でもだからこそ、厄介ともいえるんだ。心の中で推してしまえば、それまでだから」
「……はあ……」
正直に言えば、ダンテへの好意は、自分で否定できないほどにはっきりと意識してしまっている。
でもどうしても、ダンテは私にとって生身の人間であると同時に、ほとんどグロファンのキャラクターでもあって。
昨夜そのダンテとあんなことがあって、これも正直に言えば、私は浮かれてしまっている。
だからこそ、死神の幻影がついて回るのだ。今までに何度も推し活に沼ってきた、そのたびに推しの死の涙に暮れてきた、悲しい思い出とともに。
「私は決して、揺らいではいけないッ。きっちりしっかり、区別しないとね。推せるからといって、決して推してるんじゃないの。ただ――」
「ただ?」
「――ただ……その……私が勝手に、好……いやその、それもどうなのかよく分からないんだけど、だってほらどうしてもゲームの、こう、あの、とにかく、推しではない! と、絶え間なく心の中で唱えないとなんだよね……!」
こぶしを握って説明――にはなっていないけど――する私を理解するのを諦めたらしいホウメイが、あいまいな笑みを浮かべて隊列の先頭に戻る。
その後何事もなく数日が過ぎ、とうとう私たちは胤の国境に到着した。
ダンテは、この時だけするりと戻ってきて、出迎えに来た胤の役人と諸事確認や書類の交換を行う。
「リア、ホウメイ。今日は国境沿いの町に泊まって、明日はいよいよ胤に入るよ。もう護衛部隊はついていけねーから、ここでお別れだね」
その日の夜は、ささやかなお別れ会ということで、兵士のみんなにお酒が振る舞われた。
ちょっとしたホテルくらいの大きな宿屋を借り切って、私たちは名残を惜しむことになった。
「あーくそ、おれとホウメイのどっちかくらい、この先まで潜り込めねーかなと思ったけど。もう男はここまでだとさ」
「私、後宮に行くわけだしね……そうなるよね」
胤の書簡によると、女性のメイドを三人まではつけることができるらしい。
ただこれは事前に知らされていなかったので、ここまで一緒に来てくれたメイドたちは返さなくてはならない。彼女たちは、まさか私と一緒にこれから胤で過ごすなんて思ってもいないんだから。
先に言っておいてくれればいいのに……とはみんな思うことで、ホウメイが「万事この調子ですよ、胤は。これで寛大だと讃えられると思っているんですから、めでたいものです」と肩をすくめる。
「うう。結局、私一人で行くわけだよね。がんばるけど、心細いなあ」
「まーそー言うなよ。幸い、気の利くメイドを一人つけてやれるから」
「え、誰? そんな子いた?」
ダンテが、手を挙げて合図する。そうすると、私たちがいたロビーの奥から、一人の女性が出てきた。
……あれ?
「おいとまをいただいてからご無沙汰しておりました、リア様。亞曽・アリザリンでございます」
「アゾ!? うわー、どうして!?」
ダンテが、木製のジョッキのエミール――ほぼビールだ――をくいとあおってから言った。
「アゾには、ここまでのこまごまとした仕事を手伝ってもらってたんだよね。胤に親戚がいて、昔からなにかと胤には出入りしてたっていうから。ここからはもっぺんハウザールのメイドに戻って、リアについてってくれるってよ。言っとくけど、本人の志願だぜ」
「え、それは心強いけど……いいの? いつ帰ってこられるか、分からないよ?」
アゾは、口角をあげて頼もしい笑顔を作る。
「私、あれからなにかリア様のお役に立てないか、日々考えておりました。このたびのお役目、望むこところでございます!」
うれしい。アゾの人となりは多少なりとも知っているだけに、この上ない味方に思える。
するとアゾが、くるりと身をひるがえして、私、ダンテ、ホウメイの三人を順に見つめた。
「あんだよ、アゾ。リア様意外はそんなに面白い顔してねーよ」
「リア様はいつもお美しくていらっしゃいますっ。そうではなくて、今早速、リア様のお役に立てそうな考えが浮かんだのです」
「え、なに?」
私は、テーブルに置いてあったチーズをフォークで刺しながら訊いた。
「ダンテ様、ホウメイ様。この作戦には、ハウザールの行く末がかかっておりますよね?」
兄弟が、交互にうなずく。
「絶対に、失敗できませんね?」
「くどいねー。なんだよ?」
「ダンテ様とホウメイ様がいなくても、しばらく軍は瓦解なんてしませんよね?」
ダンテが得意そうにそっくり返る。
「まーね。ここんとこもちらほらハウザールから知らせが着いてたけど、やっぱり反乱分子が悪さし始めたから、残してきた準将軍たちがそいつらの芽を摘んでるね。おれがいねー時にこそ軍をうまく回せるのが、腕ってもんでしょ」
準将軍というのは、五人ほどいる。ホウメイみたいにダンテの直下につくのではなく、それぞれが一軍を任されている大将たちだ。
アゾが満足そうにうなずく。
「私は今、ハウザールというよりリア様つきのメイドですから、リア様の安全を最優先した提案をしてみてもよろしいですか?」
ダンテが片眉をぴくりと上げた。
「アゾさあ、あんまりおれらを見くびるなよね。リア様を送り込むのが作戦ではあるけど、リア様がどうなっていいってわけじゃねーんだよ。むしろ、絶対に無傷で取り返してこそ、この作戦は成功なんだよ」
ホウメイも、椅子に座ったまま前のめりになる。
「その通りです。リア様の安全を守る妙策があるというなら、僕にも兄上にも否やはありません。ぜひ聞かせてください、その提案というのを」
アゾが、両手を腰に当てた。
そして、言い放つ。
「ダンテ様。ホウメイ様。お二人ともたいそう腕がお立ちになりますし、その上、とてもきれいなお顔立ちをされてますね」
「……おれらの腕はともかく、面の良し悪しがなんだって――」
ダンテが言い終わる前に。
アゾが、繰り返した。
「本・当・に、きれいなお顔立ちですよね。まるで女性のようです。で、胤には、女性しか入れないんですよね。困ったものですよね。でも、なんとかなるかもしれませんね。そんなにも、おきれいなんですものね。ねーーーーーー」
■
胤の町は、郊外だけでなく首都においても、ハウザールと比べて純木製の建築物が多かった。
地球でいうところのアジア風というか、オリエンタル文化というのか、町の色遣いは木材そのものの色合いが目立ち、石造りの町よりも少しだけ親しみが持てる、ような気がする。ただ、真っ赤な染料で染められた建物や服装の人が多く、じっと見ていると目がちかちかしてくる。
巨木を組み合わせた中に精緻な彫刻が入れ込まれた胤の応急では、宦官、そして幼王との謁見はあっさりと済んだ。
ここが、まずは最初の勝負だった。私がイトラではないと見破られればそれまでなので、髪は金色に染めてあるし、メイクも幼いころからイトラが施しているものに寄せてある。このあたりはアゾが担当してくれて、本当にありがたい味方を得た思いだった。
悪名高い宦官の万禮という人は、全身を黄色い衣で飾り立てた、でっぷりと太った男の人だった。
万禮は、後方に三人のメイドを控えた私を見るなり、
「おお、まさに噂にたがわぬ美貌! これは楽しみですな、王!」
と持ち上げてくれたけど、当の王様――本当にほんの少年だ――は、玉座には不釣り合いなサイズの棒のような手足をぶらぶらさせて、つまらなそうにしていた。
その後は、すぐに後宮に通された。
正確には、まだ女の人を呼び集めているだけの敷地と建物であって、後宮未満ではある。
けれど建物はほとんど完成しているようで、王宮の奥、恐ろしく長く高い塀に囲まれた中に、私たちの暮らす宮――正式名称は緑宝宮というそうで――はあった。
これはオリエンタル風というよりも中世の中国風で、聞けば後宮というのは胤にいたるまでのこれまでの王朝で踏襲されてきた建築様式を守って建てられるものらしい。
中庭を囲むように木製の宮殿があり、そこに居住区はもちろん、稽古ごとのための部屋や兵士の詰め所もある。兵士は女性だけとのことだった。
中庭だけでなく、建物の外にも庭園があり、川や小さな滝まであった。自然のものではないだろうけど、単純に作庭として規模も優美さも目を奪われるほどの出来だ。
敷地も建物も左右対称で、東八宮、西八宮と分けられる。その中に細分化された、女性たち用の居室がある。居室には個室もあれば十人部屋なんてのもあって、王族だと基本個室になる。
……ので、ありがたいことに、私たちは個室。とはいっても、おつきの者全員も入れて一部屋なので、私たちの場合は四人部屋だ。西八宮の、第六宮の中で区分けされた一室をあてがわれた。
一辺が七八メートルはある真四角の部屋で、家具が入っていても結構広い。
室内に入るなり、四つある寝台の一つにダンテがごろんと横になる。
「あー、ばてたばてた! ほんっとにこんな服、鎧着てるより疲れるよねー! なあホウメイ!」
「ぼ、僕は……どうということはありませんが」
「え? あっれなにお前、案外気に入ってんの? そういや化粧して着替えた後、鏡見て『これが……ボク……?』とか言ってたもんねー」
ホウメイがなにか言い返そうとした時、アゾがダンテにぴしゃりと言った。
「ダンテ様、人目がないからといって素になられませんように」
「……アゾさあ、再会してからこっち、おれにすげえ冷たいよね」
「ダンテ様には心から感謝しておりますし、忠誠を尽くすつもりでおります。ですが、おとなしくご言い分に従うことだけが忠義ではないかと。ダンテ様、座った時に足を開いてはいけません!」
……正直、この四人でのやり取りは、なかなか楽しい。かといって、気を抜いてはいけない。
ダンテとホウメイは、胤における女性給仕の伝統衣装の中でも、かなり高級なものを身に着けていた。
そう。女性給仕の。
アゾの妙案というのは、つまり、この二人の細身の美形を、「辺境国のエキゾチックな美女。護身術の使い手で鍛えてもいるので、多少体格はしっかりしている」という設定で女装させようというものだった。
でも、いくら女性的な美しさがあってもやはり男性が完全に女性のふりをするのは難しいのでは……と消極的な私をよそに、ダンテとホウメイは嫌がりながらも本格的な女装をし(ダンテは途中からまんざらでもないどころかノリノリに見えたけど)、一か八かで胤のチェックを受けたところ、思ったよりもすんなりと通ってしまった。
ダンテいわく、
「本当にガタイのいい腕の立つメイドを随伴させるってのは、珍しくねえんだよ。うちには適任者がいなかっただけで。それに胤のやつら、中央から出たら辺境の人種はもちろん、年齢も性別もろくに分からねんだから」
日本にいた私が、外国の人の見わけがちゃんとつかないのと似たようなものなのかもしれない。ヨーロッパやアフリカの人から見たら、黄色人種は見分けがつかないことが多いとも聞いたことがあるし。
「でもねー、リア様。あいつらのチェックが甘いのは、他国を舐めてるからってのもあるんだよ。自分たちに牙を剥くやつなんていないと思ってんだよね。その分、陰謀が発覚でも使用もんならとことん容赦しねえよ。お互い、気をつけようね」
微笑みながらも本気そのものの忠告をされて、私は少し身震いした。
それにしてもダンテは凄みのある美形でモデルみたいだし、ホウメイは少し幼い顔立ちがいかにも女性らしくて、こちらもかなりの美人だ。
リアの顔が相当の美人だからいいものの、そうでなければ王女のほうが見劣りしてしまうんじゃないかと思う。
ともあれこうして、王女、メイド、将軍(男)とその副将軍(男)という異色の四人編成で後宮まで来てしまったのだった。
「さーて。あんま目立った動きはできねーけど、逆にいや目立ちさえしなけりゃとれる情報は取り放題ってことだ。王はまだ十歳、閨を設けるまでにはまだ時間がかかるだろうが、こっちはぐずぐずしてらんねー」
ベッドから立ち上がったダンテに、私はうなずく。
「二人とも、軍を人に任せてきてるんだもんね。なんとか早めに隙をついて万禮っていう宦官を倒して、帰らないと」
ホウメイも続けて言ってきた。
「兄上のおかげで、万禮打倒後のクーデターは順調に手筈が整ってきています。しかし僕たちがしくじれば、彼らも自分たち一族を危険にさらしてまで助けてはくれません。あくまで作戦は僕たちだけで実行し、成功させなくてはなりません」
そして、アゾも続く。
「そうですね。かなり忙しくなると思いますが、リア様も私たちも確実にノルマをこなして、怪しまれることなくここでの生活をこなしましょう」
そこで、ダンテが聞きとがめたようだった。
「……ノルマ?」
「ええ。さっき、書面を渡されましたよね?」
「アゾさー、そんなのもー読んでんの?
「説明もされたではありませんか」
「そんなのいちいち、おれが聞いてるわけね―でしょ。ああこれか、なになに……歌? それに、楽器……竪琴や笛だと? あと詩も……。なんだこれ?」
アゾがあきれたように言う。
「なにって、後宮に入った女性のたしなみですよ。歌は胤の伝統的な歌の歌唱、楽器も同じく胤の曲を弾けないといけません。詩は、胤という国や王を讃える詩を書きなさいと。その練習が毎日あるのですよ」
ダンテが、おどけた調子でのけぞる。
「ひえー。大変だねー、リア様。じゃあおれたちはその間に、情報収集や隠密での暗躍をさせてもらう、と」
アゾがさらにあきれて、半眼で告げた。
「なにをおっしゃってるんです。後宮に入った女性のたしなみだと説明されたではありませんか」
「……はえ?」
口を半開きにしたダンテが、私とホウメイを見る。
二人して、こくりとうなずいてあげた。
……胤の人からこの説明を受けた時、ずいぶん唯々諾々とダンテが従うなと思ったら、聞いてなかったのか。
「ええ!? おれもやんの!? やだよなに言ってんだよ、胤語なんか書けねーし!」
この書けないというのは嘘で、ハウザールではある程度出世するのに胤語の読み書きと会話が必須なために兄弟とも履修済み、とはホウメイに後から聞いた。
アゾも就職に有利だからということで日常会話くらいは胤語でできるという。
私はといえば――私としては自分が一番不安だったわけだけど――、リアが王族として勉強してくれていたようで、すらすらと読み書きができたのでほっとした。
そんなひと騒動(というにはしょうもない気もする)はありつつも、私たちの潜入活動はこうして始まった。
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