11
後ずさりした私の肩を、イトラが支えてくれる。
ダンテの声は、大声ではない。でも、今までのどの時よりも力強く、私よりもずっと遠くにいる誰かに届けるように彼の言葉は続いた。
「側室は分からんでもねえよ! 子供作らないとね、王様は! けどさ、四百人!? ばかじゃねえの! 偉くてばかってのは手に負えねえよね! 王がお渡りになった女はいいさ、けどそれ以外は!? そのうち、生きてく力なんてなんにもねえまま歳だけくって放り出されて、行く先は食い詰めものか娼婦でしょ!? 女をなんだと思ってんだ、なめんなよ……!」
女をなんだと思ってる。なめるな。
そうだ。私が、後宮をどうしても好きになれない理由はそれだ。
どんなに見た目がきらびやかでも、女性のしたたかさが輝いても、特殊な場所での独特の文化が生まれて、それは価値のあるものだったとしても。
後宮というもの自体を生み出した、そして存続させている、元締めにある者の心根の醜さは否めない。欲望と都合のために人の人生を踏みつけにすることを躊躇しない人たちの、あまりにもグロテスクな意識が怖い。
それを、こんなに端的な言葉で、それもダンテが、言い表すとは思わなかった。
「……ダンテって、結構優しいんだ。女の人たちのために、そんなに怒ってくれるなんて」
私のつぶやきに、ホウメイが立ち上がる。
「リア様。僕たちには、姉がいたんです。異境の女らしく、たくましくしたたかで、……弟から見ても見目のいい、人気者の姉が。兄上よりも五歳年上で、僕たちの母親代わりでした」
ダンテがちらりとホウメイを見る。でもそれだけで、止めなかった。
二人のお姉さん。そう、ホウメイから、一週間前にふと聞いた。私とイトラ以外で、いや、きっと生まれてから最初に、ダンテが心を許した女性。
あの時は、聞けなかった。姉と口にした瞬間の、ホウメイの瞳にかすかな影の揺らぎが見えたように思えたから。
今、彼女のことが過去形で語られているのを、私も覚悟を決めて聞く。
「兄上も僕も、姉のことが大好きでした。ですが、……姉が二十歳の時に、今回よりもずっと小規模ながら、胤の権力者が設けた後宮もどきに連れられて行き……逆らえば、村は皆殺しだと……。姉は、あの気丈な姉が、まったく抵抗できませんでした」
「おれとホウメイが死に物狂いで成り上がろうとしたのは、そこからでさ。その胤の豚野郎は、今の宦官との政争に負けて死んだよ。……姉さんも、内乱に巻き込まれて、帰ってきたのは遺髪だけだったね」
絶句する私に、イトラが言う。
「その内乱には周辺国からも兵力が徴発され、ハウザールの前将軍を含む将たちの多くはそこで奮闘して戦死しました。空位になった将軍職を争い、頭角を現したダンテがその座を勝ち取ったのが三年前です。辺境の小国とはいえ十九歳の将軍というのは異例でしたが、彼の働きぶりは鬼気迫るものがあり、他を圧していましたから……」
「はっ。ほかに誰もやりたがらなかったってのもあるけどね。それがいざガキが将軍になったら嫌がらせし始めるんだから、見上げたもんだよねー」
ダンテの口調に軽口が混じってきたことに、つい、ほっとしてしまう。
受け身一方にならずになにか言わなくてはと思い、私も口を開いた。
「そう、だよね。後宮に入った人たちには、一人分ずつの人生があるんだもんね……」
ダンテが肩をすくめる。
「そ。王族や貴族のきれいなおねーさんがたが、そのうち廃人にされてぽいっと棄てられるなんてあんまりだってこと。そう思えるあたり、おれってまともだよな」
「……廃人?」
口を尖らせたダンテが、つまらなさそうに言う。
「そりゃ、まともには生きてけないよ。頭も体もぼろぼろだもんよ。ああくそ、口にするとむかついてくるな」
「ぼろぼろって……? ただ後宮の建物から追い出されるだけじゃないの?」
そう訊く私に、ホウメイが答えてくれた。
「そうした記憶も失くしておられるのですね。胤の後宮は、まず逃げられないように足首そのものか、そうでなくても足の腱を切断されます。そしてタバコ状の薬物を吸わせ中毒にして、あらゆる意味で後宮でしか生きられなくするんです。その上で、一定の年齢になってもお渡りがなく子供もいなければ、……いえ、時には子供だけ取り上げられて後宮を追放されるのです」
ぞく、と背中を悪寒が通り抜けた。
グロファンの作者は、これを知っていたんだろうか。この世界を訪れたその時には、胤も後宮もなかったんだろうか。
あるいは、知っていてもとてもゲームには反映させられなかっただろうけど。
こんな実情、ユーザーのみんなには絶対に言えるわけがない。
そして、私の口から出せなかった質問に――口から出せなかったのにどうして分かったのか――ダンテが答えた。
「おれたちの姉さんもそうだったよ。……髪の傷み方を見れば、すぐに分かる薬物なんだよね」
膝から抜けそうになる力を必死でつなぎとめて、支えてくれるイトラの手を借りずに、なんとか自分で立つ。
それを見守ってくれながら、イトラが言った。
「リア、わたくしは、胤や後宮制度にどんなに憤っても……きっと、胤でうまく立ち回ることはできません。外との連動など、とても無理です。でも……今のあなたなら、できるような気がするのです。ダンテやホウメイと心を通じている、今のあなたなら、です。そのために知っておくべきことを伝えるために、わたくしはここにきました」
ダンテがにやりと笑う。もうすっかり、いつもの調子だ。
「人が悪いよねー、イトラも。おれたちの昔のことまでさ」
「ううん」と私はかぶりを振った「……私はお姉さんを知らないから、本当には理解できてはいないんだろうけど。ダンテがさっきあんなに起こった理由が、少しだけは分かった気がする。私は今知れて、よかった。知らないままなんとなくがんばろうみたいな気持ちで行くより、ずっといいよ」
おこがましく聞こえるだろうから、言えないけれど。
私も、同じ気持ちだから。
イトラが微笑した。
「わたくしは、今のあなたたちならお互いにすべての事情を分かり合あっておいたほうがいいと思っただけですよ。前よりもずっと、リアとダンテはお互いを想い合ってくれているようですから」
想い合う、というのは大げさだと思うけど。
照れてしまいながら、私は答えた。
「まあその、聞けば聞くほど、前の私よりは今のほうが多少の若干はまだましなのかもななーなんて、思えはしますけどね。そうか、私ハウザールの将軍の婚約者なんですね……しっかりしなきゃ」
ダンテも意地悪い口調で言う。
「おれはほとんど、リア様のお目付け役としてあてがわれてたようなもんだよね。下手なことになって、おれにイトラとくっつかれたらたまらねーと思ったんだろうけど。姉妹そろって一筋縄じゃいかねえから、飽きなくていいけどさ。じゃじゃ馬のしつけ役に狼を選ぶんだから、王も人が悪いよ」
「リアのしつけ役? そうでしょうか?」イトラまで、少しなにかを含むような言い方をしてきた。「ダンテ、あなたと私は友人のような、そして姉と弟のような関係ですね。けれどあなたはリアのことは、妹のようには見ていません。それくらい、わたくしには分かりますよ」
「……おれとしてはちょっと前までは、多少言葉が通じる狂犬くらいに思ってたけど」
「今のリアの話です」
イトラはにっこりと笑い、ダンテは半眼になる。
「……イトラ、そろそろ帰んないといけねんじゃね? どうせこっそり抜け出してきたんだろ」
「え? そうなんですか?」
私が訊くと、イトラが肩をすくめてうふふと笑う。
「そうね。言いたいことは言えましたし、これで城に戻ります。……リア」
「はい?」
「あなたとダンテの結婚には、反対している者も多くいました。私はもともと反対してはおりませんでしたが、……今のあなたとダンテなら、大賛成です。どうか無理をせずに、遠からずハウザールにお戻りなさい」
「えっ、は、はい。ありがとうございますっ」
そうして、イトラは帰っていった。
ホウメイが、
「驚きましたね。ご姉妹そろって、心臓に悪い方々です」
と苦笑する。
その後、ティーセットの片づけを私がしようとしたところで仰天されて、ついてきていたメイドが慌てて洗い物に行ってくれた。……いいのにな、それくらい。
夜も更けてきたので、兵士のローテーションなどについて確認するため、ホウメイが外へ出て行った。護衛やメイドもちょうど部屋の外へ退出し、客間の中は私とダンテの二人だけになる。
……なんだか、急に静かになってしまった。
そして、改めて考えると。
無事にハウザールに帰ったら……私って、ダンテと結婚するんだ。
それって……どんな感じなんだろう。この世界の王女と将軍って、結婚したらどんな暮らし方するの?
なんだか急に現実感に襲われ出して――今までは襲われようがなかっただけだけど――、傍らのソファにいるダンテを妙に意識してしまう。
「あ、あー! ダンテ、そういえばさ!」
「……なにその猫なで声、気色わりい。言っとくけどおれ、リア様には当分指一本触れる気にならねーと思うから、まあ気楽にやってよ」
ぐっ……言いたい放題に言われてる……人の心も知らないで……。
「今日ここまでくる間、田園風景みたいな中を通ってきたじゃない? もちろんいろいろ大変なことがあるんだろうけど、みんなの表情とか、なにより畑の立派さとか、またちょっと感じ入っちゃった。ダンテが、将軍をやってるのももちろんすごいんだけど……」
「……だけど?」
また照れ臭くなってしまって、私はダンテから顔をそむける。
「人を傷つけも、殺したり殺されたりもしない仕事って、とても尊いなって思った。私がその、ダンテと、け、結婚? しても、ああいうことがダンテのやりたいことなら、一緒に私も頑張らないとなって。あっそうそれと、やりたいことっていえばなんだけど」
早口になっていく私に、
「うん?」
ちダンテが乾いた相槌を打つ。
空回りしてるっぽいなあ、と思いつつ、この際だから言いたいことは言ってしまうことにする。
「お姉さんの名前、教えてくれない?」
「……フィンラリン・ネオ・ハルキリンガムだけど。なんで? あんた姉さんになんて、興味持ったことねーじゃん」
リアという人は……。
「私、王女なら結婚式とかやるんだろうけど、その前に、……お姉さんのお墓に行きたいなって。私の口から、結婚のこと報告したいし」
「報告?」ダンテが小さく笑う。「もう死んでて、いない人間だよ?」
グロファンはファンタジーだけど、いわゆる死者蘇生の魔法のようなものはない。
死は、この世界でも絶対的なものなんだ。
だからきっと、亡くなった人を想う気持ちは、私が元いた世界と同じように尊い。
「今はもういないかもしれないけど、……いなかったんじゃないでしょ。今の私にできる形でだけど、会いたいよ、やっぱり」
なんて、生きてる人間の自己満足かな、と言おうとした時。
かたん、と音がしたのでダンテのほうを見た。
ダンテが立ち上がり、私のほうへ歩いてくる。
「……ダンテ?」
「なんなんだ」
「え?」
私はダンテに詰め寄られるままに後ずさりし、壁に背中をついてしまった。
それでもダンテは足を止めず、私のすぐ上にダンテの顔がくるほどに、お姫様抱っこをされた時と同じくらいに接近した。
「だ、ダンテ?」
「なんなんだ、記憶喪失になってからのあんたは。おれの入れた茶は飲む。おれの整備した畑を見て騒ぐ。挙句の果てには、姉さんを、……。そんな日がくるなんて、思ってなかったんだよ、おれは……」
「だ……」
「おれはあんたのことなんて、なにも分かってなかったのかもしれないね。なのに、くそ、知ったような気になって、今まで……。悪かった」
「ち……違うよ。私は、……私こそ」
「だからこそ、忠告しておく。危ないから、嫌なら逃げな」
逃げる? 危ないって、なにが?
訊き返そうと思った時には、私はダンテに抱えあげられていた。
「ひゃっ!? ダンテ!?」
そして、さっきまで座っていたソファに降ろされる。
座ってではなく、横たえられて。
事情が呑み込めないうちに、ダンテが覆いかぶさってきた。
「リア様には本音を言う、んだったよね。これが今の、おれの本音」
「? ? どうしたの、なにか……」
大変なことが起きかけているとようやく私が理解したのは、その時だった。
私の首筋に、くすぐったいような、熱っぽいような、奇妙な感覚が走った。
首にキスされた、と気づいた時には、ダンテの右手の指が私の襟の内側をなぞり、鎖骨をたどって肩口の素肌に触れられていた。
「だ、……なん、待っ……、え? え?」
ダンテの唇が私の首をさかのぼり、のけぞったおとがいに到達した。
悪いことをされている。それは分かるのに、私の手がダンテを突き放そうとしてくれない。両腕ともダンテの胸板に押し潰されるようにたたまれていて、力が入らないのだ。
ダンテの左腕は私の腰に回され、しっかりとつかまえられてしまっていて、身をよじることもできず、逃げられない。
私の顎に当てられていた熱い唇がほんの数センチ、のぼってきた。
「ほら。危ないよね」
唇にキスされると思って身構えた瞬間、ダンテはそのすぐ脇を通り過ぎ、今度は私の頬に口を当てた。
私は完全に、ダンテの下に組み敷かれてしまった。
熱い。まるで、人間よりもずっと体温の高い獣に組みつかれたみたいだった。
吹き上がる熱風に足元からさらされたように、体の温度が上がって頭が熱くなる。
そして、そのまま、
「いい?」
……なにが!?
声と同時に振動が送り込まれて、私はパニックに陥りかける。
よくない。これはよくない。
どう考えても、様々な角度から見てみても、今この時ここでなにかしてしまってなんて、いいわけがない。
しっかりしないと、
こんな、いきなりなしくずしみたいなのよくないし、
みんな護衛とかしてくれてて、働いてて、
イトラだって、心配してくれてこんなところまできて、
ホウメイも、
……
頭の中に「よくない理由」をいくつも思い浮かべて、それを一気に口に出そうとした時。
すぐ真上にある、ダンテの顔が見えた。
欲望に浮かされた男の人の顔、ではなかった。
いつか見たのと同じ、屈託のない、邪気のない、ほんのわずかな一瞬だけに見られる曙光のような、月光のような、時々しか出会えない、彼の笑顔。
だから私も、本音が言えた。微笑みながら。
「……よくない。これは、だめだよ」
ややあって。
「そーだね」
がば、とダンテが体を起こした。
ひやりとした空気が体の前面に流れ込んできて、ダンテの体がいかに熱かったのかを知る。
「ご……ごめんねっ、なんか。あ、あはははは」
私も体を起こして、たいしてまくれていなかったスカートの裾を直す。
「いや。そーいやおれたち、まだ結婚してねーし。……でも、今のが『本音』なのは本当。ま、いつかね」
「い、いつか……」
ダンテが、ドアに向かう。その背中が私に言った。
「リア様さ。記憶なんか、戻すなよ」
「え……う、うん。それは……きっと、大丈夫」
「乱暴なことして、悪かった。嫌だったろ。ごめんな。……お休み」
ドアが開いた。
とっさだった。
ただ、今、謝らせたままダンテを行かせてしまうのはだめだな、と思っただけだった。
私は小走りでドアを閉めると、驚いているダンテの顔を両手で挟み、背伸びして唇を合わせた。
固まっているダンテを、さっきよりも熱くなった私の顔を隠すこともできずににらみつけ、
「嫌ではないっ! ……いつかね!」
そう言ってドアを開け、その向こうにダンテをぐいと押しやって、背中全面を押し当ててドアを閉めた。
激しい心臓の鼓動を聞きながら、このドアが開かれたらどうしようと思ったけど、そうはならなかった。
……ああ。
やってしまった。
でもこれは、推しではない。
推しとかじゃなくて、ただ。
……ただ私にとって、ダンテが少し、特別になってしまっただけだ。
そう何度言い聞かせても。
「ダンテ……」
私の口から、勝手に言葉が漏れる。
「……推してはない、推してはないけど……推せる……! 推しては……ないんだけども!」




