10
一週間後。
唇を引き絞った王と王妃、それに泣きそうになりながら見送ってくれたイトラの熱い視線を背に受けながら、朝日の中で私たちは出発した。
輸送用のたくましい体つきのフェイルーが、私ののる馬車――何度のっても、鹿車だと思ってしまうけど――を引いている。おつきのメイドが何人かのった馬車も、後に続いている。
その前方に、なぜかダンテ。そして後添えに、ホウメイ。
軍のツートップが、私の胤への移送を護衛してくれている。隊列を組んだ兵士は、三百人近い。
車窓の外は、猛々しい山をバックに、なだらかな田園風景が続いている。
時々小競り合いでも起きたのか荒れている場所もあったけど、ハウザールの国土というのは、日本でいえば北海道とか九州とかの大農園に近い、安定した農産地が大部分のようだった。
働いている農夫たちの顔が、一様に明るい。
冗談を言い合いながら、時にお茶を囲み、時にダンスや歌に興じているようで、平和な一地方という感じだった。
これが、戦闘以外でのダンテの仕事。
そう思うと見飽きることもなく、むしろただ眺めているだけでも、ダンテへの敬意が胸の中でかさを増していく。
地球にいた時の私よりも年下なのに、どれだけの熱意を持ってこの国土と向き合っているんだろう。
人望もあって、熱意もあって、仕事にも一生懸命で。
ああいう人には、幸せになってほしいと思う。ひどく多忙なんだろうけど、この前みたいな笑顔を浮かべる瞬間が、少しでも増えていくといいな。
聞いている話ではハウザールでは野盗の脅威が絶えないということだったものの、それだけに、国の目の届く範囲には防衛や対処も組織だてられているんだろう。
それはつまり、そうではない場所もあるということだから、目の前の風景がいくら安穏としていても楽観的にとらえ過ぎるわけにはいかないのだけど。
「あの、ホウメイ」
私は馬車の窓から首を出して、すぐ後ろにいたホウメイに声をかけた。
「なんでしょう? ルチルメが終わりましたか?」
この世界にはルチルメという、日本でいうユスラウメみたいな植物があって、長旅ではその鉢植えを持って移動するのが珍しくないらしい。栄養価が高くおいしいので、重宝するのだとか。その鉢が私の右においてあるけど、真っ赤な実はまだまだ枝にたっぷりついている。
「違うよ、そんなことで呼ばないでしょ」
「申し訳ありません。記憶喪失前のリア様は、一時間もすれば一鉢食べつくし、お変わりがないとそれはそれは不機嫌になったものですから……」
「……なんか、ごめんね。じゃなくて、本当にいいの? 私の護衛に、ダンテもホウメイもついてくるなんて」
「万が一にも野盗などに、御身へ危害を加えられてはいけませんから。我が国の恥となるのはもちろん、胤がどういう因縁をつけてくるか分かりません。傷物の王女を送ってくるとはどういうことか、とね。そこから理不尽な要求をつきつけてくるのは、胤の特異な外交戦略なのです」
「戦略っていうか……そんな、子供じみた……」
「子供の間で有効なやり口というものは、たいてい、大人どころか国同士のやり口としても非常に有効なのです。特に胤は、そのあたりを躊躇しないことで大陸中央の覇権を握った国ですからね」
分かるような気はする、けど。
やっぱりあんまり憧れられない国だなあ、胤って。
グロファンシリーズ展開を続ければ、やがてゲームでも登場したのかもしれないけど、きっと悪役だろう。
日が暮れてきたので、宿へ入ることになった。
そろそろ胤との国境が近く、大通りが整備されているので発達された町が多い。泊まるのは、その中の一つだ。
今回は私たちの人数が多いので、郊外でテントを張る兵士もいるけれど、ほとんど町ごと借り切っている。
私には、この町で一番大きいという屋敷が一夜の宿として与えられた。
夕食を済ませて屋敷の客間にいると、金属鎧を脱いで軽装になったダンテとホウメイがやってきた。
屋敷の住人は席を外してくれており、警備の兵士があたりを行き交っている。
ダンテが、ソファに座って言った。
「明日には胤に入るよ。二三日で首都に着く」
「うん。そうしたらダンテやホウメイともしばらくお別れ、だね」
「だな。今回おれたちが同行してるのは、胤までの大通りを堂々と通って道や町を下見できるからってのもあってさ。ありがてーね。うまくすれば、敵の武装や軍容も直接見られるかもしれねえ」
私は、借りていた陶製のポットから紅茶をカップについで、二人に出した。
ダンテが「へえ、こりゃ光栄だねー」と言いながらポットを取り、私のカップに紅茶をついでくれる。
私は、ありがとうと言ってそのお茶を飲んだ。
「ああ、おいしい。なんだかほっとする。って私、馬車に乗ってただけだけど。ダンテに入れてもらったと思うと、ひとしお感激しちゃうなー。なんて、調子いいよね、あはは」
カップをソーサーに戻すと、ダンテとホウメイが目を見張っている。
「え? な、なに? なにか変だった? あ、もしかしてマナー的に、今のってなにかまずい感じ? っていうか私、最近言葉遣い緩すぎかな?」
実は、自分でもちょっと気にしてはいたんだけど。砕け過ぎかな、なんて。
「いや……」とダンテ。「別に。飲みたきゃ飲んだらいいんじゃねーの」
ぷい、と横を向いてしまったダンテに、ホウメイが苦笑する。
「兄上、それではリア様が混乱なさいますよ。リア様、以前のあなたは、兄上や僕が入れたお茶など、決して飲んではくださらなかったんです」
「え? なんで?」
「僕たちは、ハウザールでも僻地――慣習的に異境といいますが――の出身です。……そうした人間から出された飲食物を、穢れているとみなす王族や貴族は、少なくないのです。いくら僕たちの地位が上がっても。……リア様は、その筆頭でした」
「な……」私は、小さくのけぞった。「なにそれ。差別じゃない、そんなの! 最低、私最低!」
ダンテを見る。その顔は、不機嫌というより、なにか込み上げるものを耐えているように見えた。
口をつぐんだままのダンテをよそに、ホウメイが続ける。
「それを、僕たちにお茶を振る舞っていただいたばかりか、兄上に先のような思いやりあるお言葉をたまわるとは……。兄上が感じ入ってしまうのも、無理のないこととお許しください」
「誰が感じ入ってんだよ、誰が。おれはただ、王女様がようやく常人並みの良識を身に着けたことを評価してただけだよ」
「ダンテ。私、もうそんな恥ずかしいこと絶対しないからね」
ダンテがくしゃくしゃと前髪を混ぜる。
「……おれたちが異境出身のならず者だってのは分かってんだよ。嫌ってほどね。もともとはぐれ狼だからさ、それが一国の軍権のトップを握ってんのにむかついてるやつなんていくらでもいるよ。今こうして国を留守にしてる間に、おれらを陥れる悪だくみが進行中かもねー」
「え!? じゃ、じゃあ急いで引き返さないと、ダンテたちの居場所が――」
椅子から立ち上がる私を、ダンテが横目で見て言う。
「そんなもん、充分対処法を部隊長に言い含めてから出てきたに決まってんでしょ。おれが言いたいのは、そこまでしてついてきてやってんだから、感謝しろよってことだよ」
「あっ、も、もちろん! これってかなりありがたいことだっていうのは、自分でも分かるよ!」
そう、両手をこぶしにして言ったけれど。
「リア様。兄上は今、完全に照れ切っているのです。あまり真剣に反応されますと、いよいよ兄上はおかしくなってしまうので、そのあたりにしておいてあげてください」
「ホウメイ……てめえ……」
「なにより、兄上が今回護衛として同道している一番の理由は、やはり女性を一人で見知らぬ異国にお送りするのは抵抗があるからなんです。この場合の一人というのは兵士の人数ではなく、兄上が随行していない、という意味でですね。そう、兵の数についても、今回の人数はこれ以上増やせば胤に無用の威嚇ととられかねないという、そのぎりぎりの兵数として調整したのです、兄上が自ら」
ダンテの眼光の矛先が、私からホウメイに移る。
「兄思いの弟くん。お前こそその辺にしといたほうが」
「昨日一応、本当に兄上ご自身も同行するのかを兄上にお訊きしたら『記憶喪失前ならともかく、今のリアを一人で胤にはやれねーよ』だそうです。リア様、兄上の純粋な心配と好意を、どうか受け止めてください」
心配。……と、好意。
「そ、それは……どうも……」
「ホウメイくん、ちょっと裏でお兄様とお話ししようか」
「あっダンテ、どうしてホウメイのむなぐらをつかむの?」
その時。
客間のドアが開いた。
とっさに、ダンテとホウメイ、そして護衛の兵士が緊張をあらわにする。
入ってきたのは、三人ほどの兵士につき添われた、小柄なローブ姿の女性のようだった。
ダンテが半眼になる。
「……ねー、誰そいつ。なんでお前ら、そんなにうやうやしくはべってやってんの?」
女性につき添ってきた兵士が、困りながら言った。
「それが、その……この方は、……イトラ様です」
「ああ?」
女性が、ローブのフードををぱさりとおろした。
確かにそこにいたのは、イトラだ。
「え? お姉様? どうしてここに?」
「……今さら入れ替わりをやめさせにきた、わけではありません。ただ――」
イトラは、ダンテとホウメイをじろりとにらんだ。
「――ただ、あなたたち、このままずっと言わないつもりでしたね?」
男二人が気まずそうに眼をそらす。
私だけが事情を呑み込めないまま、きょとんとしてしまう。
ダンテが頭の後ろで手を組み、
「だってさー。別に知らないなら知らないで、いいんじゃねーの。別に不都合ないじゃん」
ホウメイももじもじと言う。
「僕は、お伝えしようとしたのですが……兄上が、面倒になるから言うなと……」
イトラが嘆息する。
「リア。姉として、王女として。ダンテとホウメイを制してこれを言えるのは、私だけだろうと思います。いいですか」
「は、はい? なんでしょう?」
思わず、背筋が伸びる。
「ダンテが婚約していることは知っていますね?」
「あ、知ってます」
「その相手はあなたです」
……。
「はい!?」
ダンテが、あーあとうめいて額に手を置いた。
「わ、私!? でも、ダンテは全然そんな感じじゃなかったですよ!? むしろ嫌われてたっぽいんですけど!?」
「確かにあなたとダンテは、お世辞にもいい関係の許嫁とは言えませんでした。今までは」
出会った時から今までのダンテの様子を、懸命に思い出す。
口の利き方。
態度。
私の扱い。
……どこをどうとっても、到底、婚約者に対するものには思えないんだけど……。
とにかく、イトラがここでそんな嘘をつく必要はないし、ダンテたちの様子を見る限り、話は本当らしい。
「あ、じゃ、じゃあダンテは、婚約者の私を心配して、今回護衛してくれてるんだ?」
「いえ」とイトラ。「ダンテは、婚約者だからなどという理由で、そんな殊勝なことはしません」
ずいぶんないいようだけど、確かにそんな気はする。
当のダンテ本人も、
「あー。記憶喪失前のリア様なら、まったく知ったこっちゃなかったよね。まあ胤の偵察が自分の目でできる、ってのは大きいから、ついてきたはきたかもしれねーけど。でももしかしたら別行動にしてたかもしれねーなー」
……それは護衛というのだろうか。
ともあれ。
なんだろう。
ダンテの婚約者が、私だった。
そう思うと、変に胸の奥がむずがゆい。じっとしていられないような、顔が勝手に笑顔になってしまいそうな、変な気持ちが込み上げてくる。
これって……
いや待て、そういうのはいったん置いておいて。
「あ……あのう」私は、右手を挙げて発言した。「実は私、ちょっと、ちょっとだけ、ダンテはお姉様とちょっといい雰囲気なのかなー、なんて思ってたりしたんですけど……」
「おれとイトラ? そりゃ仲はいいけどさ、男と女としてどうこう、っていうのはねーよなー」
「そうですね。わたくしも、ダンテは友人としてはともかく、自分の夫としては到底考えられないほど、男性としての魅力は感じませんね」
け、結構容赦ないな、イトラ。
でもダンテもそう言われて気にしている様子がない。
そうか、じゃあ。
私は二人に尋ねる。
「じゃあ二人の間にあるのは、恋愛感情じゃなくて、男女の友情ってやつ?」
ダンテが頬杖をついて言う。
「そう言葉にするとなんか嘘くせーけど、まあそうかな」
「わあ、意外かも。ダンテって、そういうの肯定するんだ?」
「肯定っていうかさ。男女の友情って、どんなやつと出会ったかで決まるんじゃねえ? おれはイトラと遭ったから、それがあるって信じられるけどよ。そういう出会いがないやつからしたら、鼻で笑っちまうようなもんなんじゃねえかな。その『友情』の正体を性欲とか支配欲で説明して、分かったような気になるみてえな」
ホウメイが、ずいっと顔を突き出してきた。
「異境生まれの僕と兄上が軍の中で昇格してこられたのは、イトラ様のお言葉添えが大きかったのです。特に、兄上が将軍になる時には本当に助けていただきました。僕もイトラ様には心から感謝しています」
イトラが苦笑する。
「将軍職ですよ。出身地がどこであろうと、有能な者に就いてもらわなくては困ります。そして今日まで、あなたたちはその働きぶりで、ハウザールを守り続けてくれています。感謝しているのは、こちらのほうですよ」
そうなんだ……。
なんだかいいな、この三人の関係って。
個人個人だけじゃなく、この関係性そのものも推せ……
「ウェイトウェイト」
突然謎のマテを唱えた私に、三人が怪訝な顔を向けてくるので、ごまかすために咳払いして。
「こほん、そうなんだねー。じゃあイトラお姉様、それを言うためにわざわざ?」
「いえ。もう一つあります。リア、あなたは、胤の後宮設立自体を潰したい。そうなのでしたね」
「え? はい、それは……あります。できることなら、できてしまう前に防ぎたいなって。でもこれは多分に私の希望なので、勝手といえば勝手なのは、分かってるんですけど」
この話は、出発の準備の期間でも何度かイトラやダンテと正直に話していて、イトラも賛同してくれていた。
それをなぜ、わざわざ?
イトラが、ダンテに向き直った。
「だそうですよ、ダンテ。リアの勝手だと思いますか?」
「……さあね。でも別に悪いことじゃねえんじゃねえの、後宮なんざ一部の権力者にとってはいいもんなんだろうけど、ほとんどの人間にすれば反吐が出るだろ」
「ダンテ、一般論を聞きたいのではありません。リアは、後宮潰しを自分一人のわがままだと思っていますよ。……あなたも、胸襟を開いてあげてください。私が招かれたことは別にして、あなたは此度の後宮のことを、どう思っているのです? それに、後宮を潰したいというリアのことを」
「命令かよ?」
「友人としての、お願いです」
しばらく、ダンテはじっとイトラを見つめて。
それから、私の顔を覗き込んだ。とりわけ、目を。
「ダンテ。リアに、あなたの本音を告げてください」
「本音ねえ……。そうなあ……」
ダンテが立ち上がった。
さっきから立ったままだった私の目の前に、ずいと進んでくる。
「……うれしかったよ」
あまりにも鋭い眼光と、久しぶりに見るダンテの真剣な顔に気圧されて、私の返事は少し遅れた。
「……え?」
かっ、とダンテの双眸が見開かれた。
「後宮を潰すね! それもできちまう前に! 最高だと思ったね! その辺の民草じゃなくて、王族の口から出たのがまた最高だよ! おれの国は胤のドブ野郎の国とは違う、心底よかったと思えたね! 後宮なんて正気の沙汰じゃねえよね! どこのけだものがそんなもんを喜ぶんだよ!?」




