9
翌日。
私はお城を出て、城下町をフェイルーで巡っていた。
群が管理している中で、やや小型で気性の穏やかな、乗りやすいフェイルーを貸してもらえたのだ。
ミルックというそのフェイルーは、少し乗り方を教わっただけで私にもすぐに乗れた。
「ふおおおおおお……私、フェイル―に乗ってる……! 夢みたい! 最高~!」
調子に乗って大通りを進んでいると、やがて町はずれに来た。門を過ぎると、そこにはまばらな民家と広大な畑が広がっている。
地平線が見えそうなくらい見晴らしがよくて、ところどころに丘陵や林が見えた。
手近なところにもこんもりとした林があり、高い梢から野鳥が飛び立っていく。
「わ、すごい。田園風景って感じ」
「リア様。あまり遠くまで行かれませんように」
そう言って、オレンジ色のたくましいフェイルーで追いついてきたのはホウメイだった。
遠からずこの国を離れる前に少し見て回りたいといった私に、今日は休暇だというのに護衛をかって出てくれた。そのため金属の鎧ではなく、身軽な革製の鎧を身に着けている。腰の剣は、いつもより細身だった。
さらに身軽な軽装の私も、一応護身用のために剣を帯びている。
「ごめん、ホウメイ。せっかくのお休みだったのに。私本当になにがしたいってこともなくて、ただ近くを見て回りたかっただけなんだ」
だって後宮になんて入ったら、どう考えても当分自由はない。
せっかくグロファンの世界に来られたんだから、少しでもいろんなものを見聞きしてみたかった。
「いえ。今日は兄上が教練の担当で城を出られないものですから、僕はあなたが妙な真似をしないよう見張っていろと、兄上より命じられていますので」
「あ、そ、そう。それはどういたしまして……。はっきり言うんだね……」
「隠すほど後ろ暗いことではありません。僕は一応今のあなたを信用していますが……今までが今までですからね。もし他国――というより胤と内通するような動きがあれば、すぐに兄上に報せをやります」
ホウメイが、フェイルーの横腹に吊るした鳥籠を目線で示した。中にはカナリアのような青色の小鳥が入っている。これが、この世界のメッセージ送信手段というわけだ。
私は苦笑いしながら、右手に近づいてきた林を見る。
「あー。ああいう茂みの中って、そこじゃないと会えない動物とか、見たことのない植物とかありそうで、興味湧くなあ」
「おやめください。城が近いとはいえ、モンスターや獣がいないわけではないのですよ」
「はあい、分かってる。じゃあせめてここに生えてる木にどんぐりみたいなのが生ってるから、これちょっともらっていこうっと」
ホウメイが困ったように笑った。
「子供のようなところがおありですね。王族のレディ、それも王女様だというのに、……リア様、お下がりください」
ホウメイは、途中から急に真剣な口調でそう言いながら、ミルックの手綱を自分で引いて下がらせ、自分はフェイルーから降りた。剣も抜く。
「ホウメイ?」
「ウィップウルフです。その林の中に、群れでいます」
「え!? 嘘!?」
そう言われて目を凝らしても、茂みの奥の暗がりにはなんの気配もない。
いや、確かになかったのに。
一頭が姿を現すと、続いて二頭。見る間に三頭。そうしてとうとう、七頭ほどの狼が茂みから出てきた。
ウイップウルフ。知っている。長い尾が鞭のようにしなる、グロファンのモンスターだ。一頭ごとの強さは大したことはないけど、群れると非常に厄介だったりする。
私たちとの距離は、五十メートルもない。
ホウメイが鳥籠を開け、鳥を放った。青い影が、まっすぐにお城へ飛んでいく。
「リア様。これくらいならば僕が追い払えますが、くれぐれも、今少しの間お気をつけて」
「でも……七頭相手は、無茶じゃない?」
言い返されるとは思っていなかったのか、ホウメイがこちらを少しだけ振り向いた。
そして、ミルックから降りた私を見て、顔を引きつらせる。
「リア様!?」
「前を見て、ホウメイ。私のギフトは剣術だと、ダンテから聞いてない?」
私も剣を抜いた。その刀身が、鈍く光っている。
「……お聞きしています。記憶喪失と時を同じくして、身に着けられたようだと。非常に稀有なことですが」
「おかげさまで。守られてばかりには、ならないつもりだよ」
「いや、しかし――」
ホウメイが言葉を終える前に、七頭は襲い掛かってきた。
振り向きざまに、ホウメイの剣が一頭の顔面を薙ぐ。
その脇を滑り抜けるようにして、私のほうに二頭駆けてきた。
一頭の爪をかわして、首に一撃入れる。嫌な感触とともに、獣の血がしぶいた。
腕に、鋭い痛みを感じた。浅いけれど、今のウィップウルフの爪がかすめていたらしい。
剣術のギフト。強力だけど、無敵ではないんだな。剣の技術である限り、剣でできないことはできない。絶対の防御も、絶対の勝利も。調子にのらないよう、覚えておかないと。
「リア様!」
あっという間に三頭を切り捨てたホウメイが私のほうに駆けつけてきて、私の後ろに回り込もうとした一頭の腹を断ち切る。
残りは二頭。
瞬く間に打ち取られた仲間の様子に気後れしたのか、彼らは遠巻きにして唸り声をあげている。
「申し訳ございません、リア様! おけがをさせてしまうとは!」
「ううん、下がってなかった私の責任だよ。ホウメイは充分凄いよ。それに――」
「それに?」
「あなたのお兄さんも、凄いね」
これも剣術のギフトの効果なのか。強力な剣士だという彼の気配が、後方に感じられた。
「リア! ホウメイ!」
「兄上!」
鳥の報せが届いたのだろう。それにしても、早いけど。
フェイルーを走らせるダンテの手には、弓と矢があった。
疾駆するフェイルーの手綱を放して矢をつがえたダンテの手から、弾丸のような一撃が発射されて、オオカミの一頭が眉間を射抜かれた。
「もう一匹!」
再度矢をつがえるダンテに、最後のウィップウルフがすくみ上がる。
この隙を逃すまいと、私は持っていた剣を振りかぶり、投擲した。細身の剣はそれこそ矢のように飛び、標的の首を射抜いた。
「……おお」
その時にはすでに私たちの傍までやってきていたダンテが、拍子抜けしたように弓を下ろす。
「兄上、申し訳ございません。リア様のお体に傷をつけてしまいました。なんなりと処罰を。弟だからとて――いえ、弟だからこそ、どうか厳罰をお与えください」
ホウメイが、剣を置いて地面に膝まづいた。
「あっ!? だ、だから、いいんだってホウメイ! ダンテ、私ほんのかすり傷だからね! ホウメイを怒ったりしないでね!」
それ見て、ダンテがぽかんとしている。
「いやまあ……あんたがそー言うなら、大きな問題にはならねーんだけど。本気で言ってんのか?」
「あったり前でしょ! こんな、ばんそうこう貼っとけばいいような傷で人が処罰されるなんて、ぜーったい嫌! ホウメイ、助けてくれてありがとうね! 勝手なこと言ってお城出てごめん! ぜーんぶ私のせいだから! ホウメイは立派! 強い! かっこいい!」
フェイルーから降りたダンテが、私をじろじろと見ながらホウメイの手を取って立たせる。
「だってさ、ホウメイ」
「ええ……僕も驚いていますが……」
「あー、リア様。……今の今まで、その記憶喪失? 嘘くせーなとか、どうせ嘘だろーなとか、いつまで芝居してんだとか、ぜんたいなに企んでやがんだうさんくせえ、とか思ってたけどさ」
「……そこまで?」
ダンテが頬をかきながら言う。
「あんたがよくても、王女にけがをさせたのはホウメイの手落ちだよ。けど、不問にしてくれんのは……ありがとうよ。これからはもー少しだけ、あんたのことを信じるよ」
「あはは……どうも。でも私、落ち着いてこうやってこの国の風景を見ること、あんまりなかったけど」
私は改めて、田園風景を見渡した。
「広くて、豊かな農地だね。区画が整理されてて、一つ一つの畑の形が整然としてて。ハウザールの軍隊は強いって聞いてるけど、こういう農産体制が、その強さを下支えしてるんだろうね」
高校の時、歴史好きの同級生が熱っぽく言ってたっけ。
群雄割拠の大戦ていうのは、生産量が豊かでないとそもそも起こせないんだって。
その時は、ふうんそうなんだ、というくらいに聞いていたんだけど。
ただ楽しいがままに遊んできた、グロファンの世界。
バトルや恋愛模様ではなく、そこで息づいている人たちの生活をリアルに感じ取れて、私はぞくぞくするような感慨を覚えていた。
すると、ダンテが私に近づいてきた。
「あ、なに、ダンテ?」
うつむいているためにダンテの表情がよく見えない。
けど、口元が引き締められているようだった。
……あれ? 怒ってる?
なんでだろう。軍隊が強いのが、農産のおかげだって言ったから?
でも聞いてる話じゃ、それもダンテの活躍があってのことで……
「リア様よー……」
とうとう私の目の前まできたダンテが、私の両肩をがしっとつかんだ。
「ひ、ひえっ? ダンテ、ご、ごめ――」
「分かる!? この畑の良さが! いやーリア様って、いいやつだったんだね! いやいいやつになったんだよね、記憶喪失のおかげで! 記憶喪失最高ー!」
そう言って顔を上げたダンテは。
破顔一笑というのか、見たことのないほどの、無邪気で底抜けに明るい笑顔だった。
これまでの態度がああだっただけに、つい目を奪われてしまう。
かわいい、とさえ思ってしまった。
「う……うん? それは分からないけど、でも、私聞いたんだ、ダンテが内政のギフトでかなり国に貢献してるって。そうやってみんなの普段の生活を豊かにできることって、私、尊敬しちゃうよ」
もうこの世界では、誰かに言うことはないだろうけど。私が食品会社に就職したのは、おいしいものをたくさん世の中にもたらせる一助になれたらいいな、という思いがあったからだった。
だから食に関する一次産業に貢献する人には、どうしたって尊敬の念を抱く。
「いっやーそれほどでもねーんだけどね! おっと早くその腕消毒しないとだよね! 美しい大切なお肌に、傷でも残ったら一大事だもんね! ミルック、ほらおいで! ホウメイも、帰るよー!」
ダンテが指笛を鳴らすと、離れていたミルックがとことことやってきた。
無傷で済んで、よかった。
するとダンテは私をミルックにのせるのではなく、私の腰に腕を回してひょいと持ち上げ、二人でダンテのフェイルーに騎乗した。
いつの間にか、私は横抱きに抱えられている。
ダンテはミルックの手綱を手を伸ばして持つと、二頭を引き連れてお城へ引き返し始めた。
おお。
これは、まだフェイルーの騎乗に慣れていない私としては、とても楽だ。
楽なんだけど。
でも。
いわゆるお姫様抱っこ状態なので、かなり気恥ずかしい。
「だ、ダンテ! 私、一人でもミルックにのって帰れるよ!」
「今くらいはおれの言うとおりになさい、姫君!」
などと言って、ウインクしてくるダンテ。
門をくぐって城下町に入ると、町の人々からは、もう周囲からは容赦のない視線と歓声が飛んできた。
う、うわああああああ。
城門をくぐったところで、さすがにおろしてもらった。それでも私の顔は、すぐには元には戻らないくらい赤い。
ダンテに抱かれていた体の左半分が、そこだけ特別な熱を持ったように熱かった。
「じゃ、おれは教練場に戻るから。ホウメイ、後頼むね」
「かしこまりました、兄上」
そうして、ホウメイが私を城内の医療室へ連れて行ってくれた(もちろん私には場所が分からない)。
「ああ、恥ずかしかった……。このくらいの傷で、あそこまでしてくれなくてもいいのに」
ホウメイが小さく吹き出す。
「ふふ。兄上は、よほどうれしかったんでしょう。戦での手腕ばかり、城では褒められますからね。本当に兄上ご自身が血道をあげている仕事を讃えてもらえるのは、この上ない喜びなのですよ。僕もギフトはあるのですが、……馴致ですから、なかなか内政の役には立たなくて」
「ヒリオフ?」
ホウメイが肩を小さくすくめて苦笑する。
「簡単に言うと、動物と絆を築ける、仲良くなれる能力です。軍事なら、フェイルーの調教なんかに使えるんですけどね」
「え、かなり羨ましいかも! 私猫とかに嫌われるたちだから。私剣術のギフトに甘えずに、もっと頑張らないとかな。なんかダンテ、めちゃくちゃ早く駆けつけてきてくれたし」
お城の廊下を曲がって、しばらくまっすぐ。
そこでホウメイがさらに笑った。
「ほとんど、窮地に陥った味方を救援に行くのと変わらない早さでしたね。そういう時の兄上は、奇襲部隊のように速いですから」
「でも、私のためにそんなに本気できてくれるとは思わなかったなあ。記憶喪失のことだって、半信半疑だったはずなのに」
「半信半疑だったのでしょう? それなら、きますよ」
「そういうもの?」
グロファンの文化では? それとも、ダンテが?
その答えは、すぐにホウメイがくれた。
「兄上は、そうです。半分が疑わしくても、もう半分――いえ、十分の一でも信じられることがあれば駆けつけてくれます。子供のころから、ずっとそうでした。将軍になっても、変わりませんね」
……そうなんだ。
ところどころで思うんだけど、ダンテってみんなから慕われてるんだなあ。
辛辣なのは、私に対してだけで。
でもそれも、さっきはあんな風に優しくしてくれて……
将軍なのに仲間のピンチにはすぐに駆けつける、偉くなっても偉ぶりもしないようで。
こうしてみるとなんだかいいところが多いな、あの人。
「兄上は昔から、異境出身のせいか、自分は人から必要とされていない異分子のように考えている節がありまして。たとえ道半ばで徒死しても、すぐにほかの誰かがその穴を埋めるだろうから問題ない。その分心置きなく頑張れる、という性格なのです。いいほうに出ることもありますが、弟としてはできれば早めに改めて欲しいのですよね、そういうところは」
……普段の口ぶりからはちょっと想像しにくいけど、そういうものなんだ。
ふと、さっきのダンテの笑顔が、頭の中いっぱいに浮かんだ。
出会った時には失礼なお兄さんとしか思えなかった彼の裏には、彼なりの悲壮さがあったんだ。考えもしなかった。
頑張っている人には報われて欲しい。
ずっと笑っていて欲しい。
それは地球でもグロファンでも変わらない。
またダンテのあの顔が見たいな……と、胸の奥が切なく絞めつけられる思いがした。
かつてグロファンの、愛おしいキャラクターたちの幸せを願ったように。
……。
……いや……待って、これは。
「違うッ!」
医療室のすぐ手前で奇声を上げた私に、ホウメイが驚いて立ち止まった。
「り、リア様!? どうなさいました!?」
「違うの! 断じてこれは、推しそうになっているわけでは……そういうわけじゃないのッ!」
「なんの話ですかリア様! お気を確かに!」
昨日までのダンテには、正直、いい感情ばかり持っていたわけではない。
だからこその落差というのは恐ろしいもので。
なにより今日は、今まで知らなかった彼のいいところをいくつも知ったわけで……
そうするとこれまでの彼の言動の一つ一つが好意的に感じられてきて、さっきもそうだったように変にかわいく見えてきて……しまって……
私の頭の中で、長い鎌を高々と掲げた黒いローブの骸骨が高笑いするイメージが展開された。
頭をぶんぶんと横に振る。
いやだから、そうじゃない! そういう方向に行ってはいけない!
私は、死神なんだから! 今この世界でもその法則が有効になってしまうのかは分からないけど、自重を! 自重をしないと!
万が一にも。こんなに事態が急転しつつある状況で、小国から大国に向けて戦意をあらわにしている将軍を、今以上に危ない状況に陥らせたくはない。
はあはあと肩を上下させている私に、ホウメイが遠慮がちに「落ち着かれましたか……?」と顔を覗き込んでくる。
「う、うん……ごめんね、奇行に走って。もう大丈夫……」
「……リア様。兄上が心を許した女性は、姉上と、イトラ様、そして今のリア様だけです。そして今日は、兄上だけでなく、僕も思うところがありました」
「え? そうだ、今日は本当にありがとうね。それに、ごめんね」
ホウメイがかぶりを振る。
「いえ、とんでもない。僕こそ。……僕は騎士としては女性を守ったことはあっても、女性とともに戦ったのは初めてです」
「あ、えへへ。私は、普通の女の子と違ってギフトがあるから……」
私は照れて、頬をかく。
「いえ。ギフトではなく、あなたの勇気こそが尊いのです。あなたは僕の蒙を啓いてくださった。……こんなことを申し上げるのは、不遜の極みながら……兄上も、きっと同じ気持ちだと思います――」
「ん? なに?」
ホウメイは、医療室の扉をノックすると、
「――今のリア様は、本当に『いいやつ』であると存じます! そしていっそ、このまま……あなたの記憶が戻らなければいいと!」
ホウメイはそう言うと、ぱたぱたと廊下の奥へ行ってしまった。
医療室の扉が開いて、中からお医者さんらしきおじいさんが出てきた。
きょろきょろしているお医者さんに、けがのことを申し出ながら。
私はなんだか、とてもうれしいことを言われたなと思っていた。
同時に、不安も押し寄せる。ダンテ。イトラ。ホウメイ。それに、時に遠慮がないけど、慕う主人には好意を隠さないメイドたち。この国は、気を抜けば推してしまいそうないい人たちがたくさんいる。
油断して、ついうっかり推さないように気をつけないと。
などと、はたから見たらだいぶしょうもなさそうな決意を胸の奥で固めていると。
医療室の中へ入る前に、今向こうへ行ったはずのホウメイが、小走りで戻ってきた。
「あれ、どうしたの?」
ホウメイが息を整えながら、青い顔で言う。
「リア様。本日、胤より書簡が届きました。召喚状です」
「しょうかん?」
「はい。イトラ様の胤への輿入れの出発日が指定されました。一週間後です。……本気で、身代わりをお考えなのですね? 心の準備は……よろしいですか?」
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