Chapter8 守られる側が動く
[アークシステムズ・ミーティングルーム]
テーブルの上には、紙とタブレットが並べられていた。
どれも、環が集めた聞き取りの記録だった。
「……こうして並べると、量、結構ありますね」
凪が、少し驚いたように言う。
「はい……でも、全部“普通の会話”です」
環はそう言って、資料を指先で整えた。
「不満とか、告発とか、そういうのは一切なくて……でも……」
環は、そこで言葉を切る。
柊は、何も言わずに頷いた。
続きを待つ合図だった。
「……みなさん、社長のことを、すごく大切に思っているんです」
「うん」
「感謝していて、尊敬もしていて……
だからこそ、ちょっと気になる言い方があって……」
蒼真が、静かに口を開く。
「“気になる言い方”?」
「はい」
環は、1枚の紙を取り上げた。
「これは、財務の方の言葉です」
そこには、短いメモが書かれている。
□□□
『社長が決めたことなら、
間違いないと思っています』
□□□
「これだけ見ると、普通ですよね」
凪も頷く。
「うん。むしろ信頼してる感じ」
「はい……でも……」
環は、隣のメモを指した。
□□□
『社長がそう言われたので、従いました』
□□□
「……“従いました”」
蒼真が、低く繰り返す。
「判断じゃなくて、命令に聞こえるな」
「そうなんです」
環は、ゆっくりと息を吸った。
「何人か、同じ言葉を使っていました。
“判断した”じゃなくて、“従った”」
柊は、腕を組んだまま黙っている。
凪が、別のメモをめくった。
「こっちもですね……
“社長が困らないように” “社長のために”
……全部、社長を守る言葉なのに……」
「主体がない」
蒼真が、淡々と言う。
「誰が決めたのか、誰が責任を持つのか、そこが全部、社長に集まってる」
環は、小さく頷いた。
「……それで……」
そう言って、環は視線を落とす。
「……ミーティングのとき……社長が、一瞬……止まったんです」
柊が、環を見る。
「止まった?」
「はい……ほんの一瞬ですけど……
話が進んだとき、“それ以上は”って言いかけた気がして……」
凪が、思い出すように言った。
「……あ。ありましたね。
一瞬、視線が……」
「下に、落ちた」
蒼真が補足する。
「迷ってる人の動きだった」
環は、その言葉に、そっと息を吐いた。
「……その直後です。
誰かが、話を遮ったの」
柊の視線が、鋭くなる。
「誰だ」
「……社長じゃ、ありません」
環は、ゆっくりと言った。
「“今はそこを触らなくていい”って……
社長の代わりに、言った人がいました」
その場の空気が、一段、静まった。
「……二重だな」
蒼真が言う。
「バックドアが2つ。判断の窓口も2つ」
凪が、キーボードを軽く叩きながら言った。
「つまり……
社長は、“決めているように見せられている”」
柊は、ゆっくりと椅子にもたれた。
「……根深いな」
その言葉は、重かった。
環は、胸の前で手を握りしめる。
「……わたし……
守られている人ほど、動けなくなること、あると思うんです」
3人が、環を見る。
「守ってくれる人がいると……
その人を疑うのが、怖くなるから……」
柊は、静かに言った。
「……環は、どうしたい」
環は、少し考えてから、顔を上げた。
「……社長に、選ばせてあげたいです」
「選ばせる?」
「はい。
誰かの言葉じゃなくて……自分の意志で」
蒼真が、小さく笑った。
「……いいね。
守られる側が、動き出す瞬間だ」
凪も、頷く。
「じゃあ……
次は、こちらから“音”を出しましょうか」
柊は、静かに立ち上がった。
「……いいだろう」
その声は、低く、落ち着いている。
だが――
そこにはもう、迷いはなかった。
◇
ミーティングルームには、しばらく誰も言葉を発さない時間が流れた。
それを破ったのは、凪だった。
「……ミーティングのログ、もう一度見返してみます」
そう言って、画面を切り替える。
「社長が話そうとした直後に、言葉を被せた人……確か……」
凪の指が止まる。
「……この人ですね」
画面に映し出されたのは、ルーアン社の名前。
環は、その名前を見た瞬間、小さく息を吸った。
「……やっぱり……」
柊が、静かに尋ねる。
「気づいてたのか」
「はい……でも、確信はなかったので……」
蒼真が、画面を覗き込む。
「この人、発言の仕方が一定してる」
「一定?」
「社長が話す前か、話そうとした“直後”だけ、必ず口を開いてる」
凪が頷く。
「それも、“意見”じゃないですね」
「どういう意味だ?」
柊が問う。
「“決定事項”として話してるんです」
凪は、少し言葉を選びながら続ける。
「『今回はそこを触らなくていい』
『今は優先度が低い』
『後でまとめて確認しましょう』
……全部、選択肢を消す言い方」
環は、そっと口を開いた。
「……社長が話すときは……
もっと、探るような言い方をしてました」
3人の視線が、環に集まる。
「“どう思いますか”とか、“可能性としては”とか……
決めつける話し方じゃなくて……」
蒼真が、静かに言った。
「……役割が、逆転してるな」
「逆転?」
「本来、決める側は社長。支える側は補足」
蒼真は、画面の名前を見つめる。
「でもこの人は、“決めて、守って、社長を前に出している”」
柊は、ゆっくりと腕を組んだ。
「……守ってるつもり、なんだろうな」
凪が、苦笑する。
「しかも、“社長のため”っていう、一番強い免罪符つきで」
環は、少し俯いた。
「……わたし……その人と話したとき……」
柊が、すぐに環を見る。
「何かあったか」
「はい……とても丁寧で、優しい人でした」
凪が、小さく息を吐く。
「……一番、厄介なタイプですね」
「はい……」
環は、静かに続ける。
「でも……社長の話になると……
言葉が少しだけ……固くなるんです」
「固く?」
「はい……“守らなきゃいけないもの”を話すみたいに……」
柊は、ゆっくりと立ち上がった。
「……決まりだな」
3人が、柊を見る。
「社長には、まだ触れない」
その言葉に、環が頷く。
「はい……
今は、揺らしたくありません」
「まずは……」
柊は、画面の名前を指した。
「“代弁者”を、正確に見る」
蒼真が、静かに笑った。
「守ってるつもりの人間が、一番、真実を持ってる」
凪が、キーボードに手を置く。
「じゃあ……
こちらは、音を整えましょうか」
柊は、一度だけ、環を見る。
「無理はするな」
「はい……でも……」
環は、小さく、けれどはっきり言った。
「……わたし、もう、何も知らないふりはできません」
柊は、その言葉を聞いて、わずかに口元を緩めた。
「……十分だ」
守られていた側は、もう、動き始めている。
誰かの代わりに話す者がいるなら、その声の“主”を、見極めるだけだ。
――次に動くのは、社長ではない。
その影だ。




