Chapter6 影の正体
エレベーター前は、いつもより人が多かった。
夕方の時間帯。
会議を終えた社員、外出から戻る人、それぞれが無言のまま、行き先の階を待っている。
環は、柊と凪の少し前に立っていた。
――次の打ち合わせの資料、
――もう一度だけ確認しよう。
そう思った、その瞬間だった。
背中に、強い衝撃。
「……っ!」
声を上げる間もなく、身体が前に崩れる。
視界が揺れ、床が迫る。
「環!」
「環さん!」
柊と凪の声が重なった。
だが、間に合わなかった。
環は倒れ、人の足音が一斉に動く。
誰かが、足早に去っていく気配。
柊はすぐに環を抱き起こし、腕の中に引き寄せた。
「環、大丈夫か!」
「……っ……はい……」
息はある。
意識もはっきりしている。
だが、環の手は震えていた。
「……後ろから……
引っ張られました……」
凪は周囲を見渡す。
人の流れ。
視線を逸らす者。
何事もなかったように立つ人たち。
――誰も、いない。
「……いませんね」
凪の声が、低くなる。
「……完全に溶けてる」
防犯カメラの死角。
人の動線。
タイミング。
――慣れている。
柊は、環の額に手を当てた。
「立てるか?」
「……はい……でも……」
環は、胸の奥に残る違和感を押さえながら、小さく首を振る。
「……知っている人、だった気がします……」
その言葉に、柊と凪は、同時に息を止めた。
◇
――やりすぎたか。
その人物は、足早にエレベーターとは逆の通路を曲がりながら、内心で舌打ちした。
だが、仕方がない。
止めなければならなかった。
スマートオフィス化が進めば、今まで“見えなかったもの”がすべて可視化される。
経路。承認。数字の流れ。
――それだけは、困る。
社長、織原梨杏は、知らなくていい。
いや、知らないままでいなければならない。
あの人は、前に立つ存在だ。
だが、仕組みを守るのは――自分たちだ。
「……あの女……」
如月環。
社内システムの話を聞き、過去の運用を聞き、これからの希望を聞き。
そして、社長のことまで探っていた。
一見、開発のための聞き取り。
だが、あれは違う。
――嗅ぎ回っている。
――気づき始めている。
このままでは、“余計なところ”まで辿り着く。
それだけは、阻止しなければならなかった。
「……これで、しばらくは……」
そう思った瞬間。
胸の奥に、わずかな不安が走る。
――だが、
――まだひとつ、残っている。
◇
別の場所。
モニターの前で、静かに指を動かす人物がいた。
ログは、美しく整えられている。
痕跡はない。
侵入も、改変も、すでに“日常の一部”に溶け込んでいる。
「……焦りすぎだ」
小さな独り言。
力で排除するのは、下手なやり方だ。
だが――
あの女性は、厄介だった。
感覚が鋭すぎる。
数字を見て、音を感じる。
設計の“間”に気づく。
――だからこそ、
――消す必要はない。
揺らせばいい。
迷わせればいい。
そのためのバックドアは、まだ生きている。
1つではない。
2つある。
「……社長は、何も知らなくていい」
そう呟き、その人物はキーボードから手を離した。
音は、まだ鳴っている。
表では、誰も気づかない場所で。
◇
環は、柊の腕に支えられながら歩いていた。
「……柊」
「なんだ」
「……これ……終わってないですね……」
柊は、答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
犯人は、ひとりではない。
そして――
敵は、もう内部にいる。




