Chapter5 残響の行き先
[アークシステムズ・オフィス/夕方]
コーヒーの香りが、ようやく張り詰めていた空気をほどいていた。
「……はぁ」
凪が、深く息を吐きながらマグカップを置く。
「さすがに疲れましたね……指も頭も、限界です」
「同感だ」
蒼真は椅子に深く腰掛け、無言でコーヒーをひと口飲んだ。
柊は立ったまま、窓の外を一度だけ見てから、振り返る。
ソファでは、環がゆっくりと目を開けていた。
「……柊……」
その声に、柊はすぐに近づき、そっと肩を抱き寄せる。
「環。大丈夫か?」
「はい……もう、平気です」
環は、自然に柊にもたれかかった。
柊の体温が、まだ少し揺れていた意識を、静かに現実へ戻す。
「そうか……よかった」
環は、しばらく黙っていたが、やがて小さく呟いた。
「……終わったんですね……」
「ああ」
柊は短く答え、すぐに続ける。
「……だが、まだここからだ」
その言葉に、環は小さく頷いた。
そして、ぽつりと問いを落とす。
「……これって……
何のために、仕掛けてきたのでしょうか?」
そのひと言で、凪と蒼真の動きが止まった。
「……あ」
凪が、息を呑む。
「もしかして……」
蒼真は、すぐに立ち上がり、別のログを呼び出した。
「……もうひとつ、あるな」
画面に映し出されたのは、閉じたはずの経路とは別の――
影のような接続口。
「消させないためだ」
蒼真が、低く言う。
「こっちに気を取らせて、もうひとつを“生かしたまま”にする」
凪が、唇を噛む。
「つまり……
今日のハッキングは、“侵入”じゃない……」
「目くらましだ」
柊が、静かに結論を出した。
環は、その言葉を胸の奥で反芻する。
――誰かが、
――ずっと前から、
――ここを“使い続けている”。
◇◇◇
数日後。
ルーアン社とのスマートオフィス化進捗確認ミーティング。
社長・織原梨杏は、いつも通り穏やかで、はっきりとした口調で説明をしていた。
……はずだった。
環は、ふとした瞬間に気づいてしまった。
資料のページをめくる、その一拍。
視線が一瞬だけ、宙を彷徨ったこと。
ほんの、ほんの一瞬の――ためらい。
不安、と呼ぶには短すぎる。
でも、何かを隠している人の目だった。
(……今の……)
ミーティングが終わったあとも、環の胸の奥に、小さな引っかかりが残る。
その日から、環は少しずつ、ルーアン社の担当者たちに話を聞き始めた。
雑談の延長。世間話のふり。
「このシステム、前はどんな感じだったんですか?」
何気ない質問。
けれど――
その中に、妙に歯切れの悪い答えが混じる。
◇◇◇
そしてある日。
環は、少しだけ――
危ない目に遭う。
それは事故のようで、事故ではなかった。
「環!」
間に合ったのは、柊と凪だった。
「……っ……すみません……わたし……」
柊は、何も言わずに環を抱き寄せる。
「勝手にひとりで動くな」
声は低いが、責める色はなかった。
「……でも……」
「でもじゃない」
凪も、珍しく真剣な顔で言う。
「環さんが気づいた“何か”は、たぶん、正しい」
蒼真が、ゆっくり頷く。
「……内部だな」
柊は、環の頭にそっと手を置いた。
「この先は、ひとりで踏み込む場所じゃない」
環は、小さく息を吸い、静かに頷いた。
事件は、終わっていない。
音は、まだ、どこかで鳴っている。




