Chapter2 静かな二重奏
[アークシステムズ・オフィス/午後15時]
ドアが開いた音は、驚くほど静かだった。
「……来たか」
柊がそう言うと同時に、廊下から足音がひとつだけ近づいてくる。
「悪い、遅くなった」
低く、淡々とした声。
桐生蒼真は、いつもと変わらない無表情で立っていた。
「いえ、むしろ絶妙です」
凪は、眼鏡の奥で目を細める。
「……ここ、もう“音”が鳴り始めてます」
蒼真は一瞬だけ凪を見ると、小さく口角を上げた。
「だろうな」
そう言って、何も聞かずにひとつ空いている席に腰を下ろす。
「環さん」
蒼真は、初めて環に視線を向けた。
「……はい」
「もう感じてる?」
環は少しだけ迷ってから、正直に頷いた。
「はい……“見られてる”感じがします」
蒼真はそれ以上何も言わず、ただキーボードに指を置いた。
――カタ。
一音だけが、部屋に落ちる。
それが、序奏の最初の音だった。
凪は蒼真の画面を覗き込み、自然に自分の端末を並べる。
「まずは……この権限継承ログ、ですよね」
「ああ。人の操作じゃない」
「でも完全な自動化でもない」
凪が言葉を継ぐ。
「“人の意思を模した処理”です」
蒼真は頷く。
「だから、痕跡は残る」
2人の会話は、無駄がなく、説明もない。
まるで、最初から同じ譜面を共有していたかのようだった。
「……すごい」
環は、思わず小さく声を漏らした。
柊は何も言わず、そのやり取りを静かに見ている。
凪の指が走る。
蒼真の画面が切り替わる。
別々の操作なのに、タイミングがずれない。
――トン、トン。
2つの音が重なり、二重奏になる。
「ここ……」
環が画面を指さす。
「処理が通った“あと”に、一瞬だけ……空白がある」
蒼真の指が止まった。
凪が、はっと息を吸う。
「……環さん、それ、普通は見えません」
「……でも……
“息をしてない”感じがして……」
一拍の沈黙。
そして蒼真が、低く言った。
「……正解だ」
凪が苦笑する。
「環さん、探偵モード入ってますね」
環は少し照れたように笑った。
「……すみません」
「謝るところじゃないですよ」
凪は、どこか楽しそうだ。
「……柊」
蒼真が初めて、はっきりと柊を呼んだ。
「ここから先、“壊せる”」
柊は即答しなかった。
代わりに、全体のログ、環の表情、凪と蒼真の手元――
すべてを見渡す。
「……まだだ」
短く、しかし明確に言う。
「相手は、“こちらがいつ動くか”を見ている」
蒼真は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「……了解」
凪も頷く。
「じゃあ、今日は“弾かない”ですね」
柊は、環を見る。
「怖いか?」
環は一瞬だけ息を詰め、それから首を振った。
「……少し、です。
でも……ひとりじゃないので」
柊は、その言葉を聞いてから言った。
「なら大丈夫だ」
蒼真が、小さく息を吐く。
「……揃ったな」
序奏は終わり、二重奏は確かに始まった。
まだ、激しい音は鳴らない。
だが――
この4人が揃った瞬間、戦いはもう、始まっていた。




