Chapter14 対峙
[ルーアン社・ミーティングルーム]
ミーティングの開始時刻は、当初の予定より一時間遅らせて設定されていた。
理由は、誰も口にしなかった。
けれど、その場にいる全員が、“誰の帰社時間に合わせたか”を理解していた。
会議室の空気は、静かだった。
「……不在中、何か問題はありましたか?」
常見紘一が、いつもの穏やかな声で尋ねた。
その言葉は、確認というより、安心を与えるための儀式のようだった。
織原梨杏は、資料に視線を落としたまま答える。
「……いいえ。特に、問題はありませんでした」
声が、わずかに震えた。
ほんの一瞬。
それでも、常見は聞き逃さなかった。
「社長、大丈夫ですか?」
椅子を引き寄せ、少し身を乗り出す。
「何かあったなら、すぐに言ってくださいね」
その言葉は、柔らかい。
包み込むようで、否定を許さない。
「私たちが必ず守りますから、安心してください」
辻井響も、ゆっくりと微笑んだ。
「ええ。
社長は、この会社の象徴です。
堂々としていればいい」
「細かいことは、私たちが動きます」
「社長が迷う必要はありません」
2人の言葉は、完璧だった。
部下としても、補佐としても、非の打ちどころがない。
——けれど。
今の織原には、その優しさが、冷たい氷の刃のように感じられた。
(……どうしたらいい?)
喉が、ひりつく。
「……ありがとう」
それしか、言葉が出なかった。
そのとき。
コン、コン。
ドアをノックする音が、室内に響いた。
全員の視線が、そちらに向く。
「……どうぞ」
織原の声は、少しだけ強かった。
ゆっくりとドアが開く。
入ってきたのは、アークシステムズの4人だった。
|如月《きさらぎ》柊、凪陽翔、如月環、桐生蒼真。
全員が揃っている。
その瞬間、辻井の視線が、ほんの一瞬だけ揺れた。
常見は、それを見逃さない。
「お待ちしていました」
辻井が、穏やかに言った。
「本日は、スマートオフィス化の進捗確認でしたね」
「はい」
柊が、静かに答える。
声に感情は乗っていない。
それが、かえって緊張を生んだ。
「では、始めましょうか」
常見が、いつも通りに進行しようとした。
そのとき。
「少し、いいですか」
環の声だった。
控えめで、柔らかい。
けれど、はっきりとした声。
常見の手が、止まる。
「どうぞ」
「……その前に、ひとつ確認させてください」
環は、織原ではなく、辻井と常見を見た。
「お2人は、今日の午前中、クロノスにいらっしゃいましたよね?」
空気が、止まった。
辻井は、すぐに微笑んだ。
「ええ。過去の契約整理です」
「まだ残っている繋がりがありましてね」
常見が、自然に補足する。
「社長にご負担をかけないよう、私たちで処理していました」
その流れは、完璧だった。
だが。
「……そうですか」
環は、少しだけ首を傾げた。
「“整理”にしては、定期的すぎると思いまして」
辻井の目が、わずかに細くなる。
「定期的?」
「はい」
環は、机の上に資料を1枚置いた。
「週に一度。
同じ曜日、同じ時間帯。ほぼ2時間」
「……偶然でしょう」
常見が、穏やかに笑う。
「たまたま、その時間が都合が良かっただけです」
「そうかもしれません」
環は、否定しなかった。
その代わり、静かに続ける。
「でも……
その時間に限って、社内の“裏口”が動いていました」
辻井の呼吸が、僅かに乱れた。
「裏口?」
「はい」
凪が、淡々と補足する。
「侵入じゃありません。排出です」
蒼真が、短く言う。
「定期通信。転送ログ、全部残ってます」
常見は、笑みを崩さない。
「それは……
業務上、必要なデータの移行では?」
「なら、問題ありません」
柊が、初めて口を開いた。
低く、静かな声。
「問題がないなら、説明できますよね」
辻井の視線が、柊に向く。
「……何を、ですか?」
「クロノスへの定期転送」
「その内容」
「そして——」
柊は、一拍置いた。
「なぜ、社長に一切共有されていなかったのか」
織原梨杏が、息を呑む。
辻井は、ゆっくりと言った。
「……社長を守るためです」
その言葉は、これまで何度も使ってきたものだった。
「余計な心配をさせないため。
判断を鈍らせないため。
社長は、象徴であればいい」
柊の目が、冷たく光る。
「それは——」
静かに、言葉を置く。
「“守る”ではありません。
“支配”です」
会議室が、完全に静まり返った。
「……違います」
辻井の声が、僅かに強くなる。
「私たちは、この会社を守ってきました」
「ルーアン再建も、織原社長の就任も、すべて成功している」
「結果が、証明しています。
結果は、数字で作れます」
凪が、淡々と言った。
「でも、人の意思までは作れない」
環が、そっと言葉を重ねる。
「……織原さん」
織原は、環を見た。
「あなたは、何も知らされていませんでした」
「判断する機会を、奪われていたんです」
織原の唇が、震える。
「……私は……」
言葉が、詰まる。
柊が、穏やかに言った。
「今、ここで選べます。
支配される象徴か。判断する社長か」
辻井が、一歩踏み出した。
「……社長」
声に、焦りが滲む。
「惑わされないでください。
私たちは、あなたを裏切っていません。
ずっと、守ってきた」
その言葉を、織原は、静かに聞いていた。
そして。
「……辻井さん」
初めて、はっきりと名前を呼んだ。
「常見さん」
2人を見る。
「私は——」
深く、息を吸う。
「“守られていた”のではなく、“閉じ込められていた”のだと思います」
辻井の表情が、凍った。
常見の笑みが、消える。
「……だから」
織原は、続けた。
「この先は、自分で判断します。
支えてほしいなら、情報を隠さないでください。
それができないなら——」
言葉を切る。
「もう、私のそばにいないでください」
静かな宣告だった。
だが、その場の支配構造は、完全に崩れた。
柊は、静かに言った。
「本日のミーティングは、以上です」
「詳細は、法務と監査を交えて進めましょう」
辻井は、何も言えなかった。
常見も。
2人は初めて、“守る側”ではなく、“問われる側”になった。
その沈黙の中で。
アークシステムズの4人は、すでに次の一手を見据えていた。
対峙は、終わった。
——戦いは、ここからだった。




