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EVOLVE〜エヴォルブ〜 Season14 Le choix《ル・ショワ》 ― 選択 ―  作者: 柊梟環
EVOLVE〜エヴォルブ〜 Season14 Le choix《ル・ショワ》 ― 選択 ―
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Chapter13 支配者の焦り

[クロノス・ソリューションズ・分室・会議ブース/午後]



無機質な照明が、机の天板だけを白く照らしていた。


遮音性(しゃおんせい)の高いブースの中には、空調の低い唸(うな)りと、キーボードの音だけがある。


辻井(つじい)響(ひびき)は、モニターを見つめていた。


指は速い。

操作は正確で、迷いがない。


それは“作業”ではなく、“日課”だった。


背後で、常見(つねみ)紘一(こういち)がコーヒーの蓋(ふた)を閉める音がした。


「……今日も、同じだな」


「ええ」


辻井(つじい)は視線を動かさずに答える。


モニターには、見慣れたログの列。


ルーアン側の裏口――“残してある扉”を経由して、必要なものだけを“排出”し、クロノス側で受け取る。


侵入ではない。攻撃でもない。


“回収”だ。この回収が、ある限り。


社長の椅子は、織原(おりはら)梨杏(りあん)のものではあり続ける。


「……あの人は、まだ何も気づいてない」


常見(つねみ)が、確認するように言った。


辻井(つじい)は短く頷く。


「気づけないようにしてる。

 資料はこっちに寄せて、社内には残さない。

 あとは、彼女が“守られている”と思っていればいい」


常見(つねみ)は鼻で笑った。


「守るという名の支配、か」


「言い方が悪いですね」


辻井(つじい)は淡々と返した。


「彼女は、“社長”の器じゃない。

 だけど、顔としては適任だった。

 改革の象徴で、神話の主人公。

 その神話を信じている社員が多いほど、こちらは楽になる」


常見(つねみ)は、カップを手にしたまま椅子にもたれる。


「……織原(おりはら)が自分で判断していると信じている限り、社内は静かだ。

 静かな会社は、数字が踊らない」


辻井(つじい)は、画面に視線を落としたまま、静かに言った。


「踊る必要がある数字だけ踊らせればいい」


——そのときだった。


辻井(つじい)の指が、ほんの一瞬止まった。


ほんの、僅(わず)か。

瞬きの間よりも短い停滞。


それなのに、胸の奥に冷たいものが落ちた気がした。


「……?」


辻井(つじい)は、ゆっくりとログを遡(さかのぼ)った。


表示は整っている。遅延もない。

応答は正常。何も、異常ではない。


——なのに。


「今、なにか……」


辻井(つじい)が呟(つぶや)くと、常見(つねみ)が顔を上げた。


「どうした」


「……いや。“変”ってほどじゃない」


辻井(つじい)は、言い直すように口を閉じた。


“変”ではない。“違和感”だ。


心拍が一拍、ずれたような。


自分の呼吸が、ほんの少しだけ遅れたような。


辻井(つじい)は、手元のターミナルを切り替える。


ログの出力。転送先。

同期状況。すべて、正常。


「気のせいだ」


自分に言い聞かせるように言った。


だが——


違和感は、消えなかった。


常見(つねみ)が、淡々と口を挟む。


「最近、ルーアン側が静かすぎるんじゃないか?」


辻井(つじい)は、視線を動かさずに返す。


「……アークシステムズの連中か」


常見(つねみ)の声が、少し低くなった。 


「凪(なぎ)と、桐生(きりゅう)。あの“天才Duo”がいる。

 柊(しゅう)は……あいつは静かに全部を潰すタイプだ」


辻井(つじい)は、唇だけで笑った。


「静かな男ほど厄介ですね」


「そうだ」


常見(つねみ)は、カップを机に置き、身を乗り出す。


「奴らが何も言ってこないのが気味が悪い。

 ハッキングがあったのに、騒(さわ)がない。

 社長にも直接触れてこない。

 ——“動かない”のは、動けないからじゃない」


辻井(つじい)の目が、ほんの僅(わず)かに細くなる。


「……動かないことで、こちらを動かそうとしている」


常見(つねみ)は頷いた。


「釣りだ。焦った方が負ける」


辻井(つじい)は、指を動かした。


もう一度、同期状況を確認する。


転送量の推移。変化の有無。

数字は、滑らかに流れている。


——滑らかすぎる。


辻井(つじい)は、息を止めた。


“戻っている”。


違和感が出た直後、まるで何事もなかったように、ログの波形が整い直されている。


整いすぎている。


「……常見(つねみ)」


辻井(つじい)の声は小さかった。


「……なんだ」


「今の違和感、“気のせい”じゃない」


常見(つねみ)は一瞬黙り、それから低い声で言った。


「……やられたか?」


辻井(つじい)は首を振った。


「“侵入”じゃない。“奪取”でもない」


指先が冷たい。


辻井(つじい)は、画面の片隅にある転送ログを拡大した。


「……コピーだ」


常見(つねみ)の顔色が変わる。


「コピー……?」


「ルーアン側のクラウドに、こちらのデータを“持っていかれた”わけじゃない。

 ——“同じものを作られた”」


常見(つねみ)が、口元に手を当てた。


「証拠が……」


辻井(つじい)は、淡々と言った。


「向こうが“証拠を残す”ための動きです」


沈黙が落ちる。


ブースの外は、何事もない平日の午後。


人の声が遠くで滲(にじ)んでいる。


この静けさが、逆に2人を追い詰めた。


常見(つねみ)が、苛立(いらだ)ちを押し殺すように言う。


「……織原(おりはら)は?」


「今は、ルーアンにいる」


「社長は、まだ“守られている”と思っているか?」


辻井(つじい)は答えない。答えられない。


その瞬間、辻井(つじい)のスマホが震えた。


画面に表示されたのは、社内のチャット通知。


——ルーアン側から、ミーティング変更。


辻井(つじい)は、眉を動かさずに読み上げた。


「……“戻りが1時間遅れます”」


常見(つねみ)が舌打ちしそうになり、寸前で呑(の)み込む。


「遅らせた方がいい。

 戻って顔を合わせたとき、焦りが表に出る」


辻井(つじい)は、コーヒーの蓋(ふた)を指でなぞった。


「焦りは、もう出ていますよ」


その言葉に、常見(つねみ)の喉が動いた。

辻井(つじい)は、静かに続ける。


「……計画は、ずっと完璧だった。

 織原(おりはら)を社長に押し上げ、彼女を神話に仕立て、彼女の口を閉ざし、数字を静かに運ぶ」


「クロノスとの繋がりも、高瀬(たかせ)玲子(れいこ)も、必要なときだけ使えばよかった」


辻井(つじい)の視線が、冷たくなる。


「でも——」


常見(つねみ)が、続きを促すように見た。


辻井(つじい)は、言った。


「……環(たまき)です。

 如月(きさらぎ)環(たまき)が、余計なんです」


常見(つねみ)の眉が動いた。


「またその名前か」


「はい」


辻井(つじい)は淡々と、しかし確信を持って言った。


「“見える人間”は厄介です。

 数字を見て、空気を見て、人の表情の一瞬を拾う」


常見(つねみ)の声が低くなる。


「……あの女、前にも“事件”を連れてきた」


辻井(つじい)は頷いた。


「クロノスの情報漏洩事件。

 高瀬(たかせ)玲子(れいこ)が、環(たまき)を犯人に仕立てたあれです」


常見(つねみ)は冷笑した。


「……高瀬(たかせ)は余計な感情で動く。

 嫉妬で人を潰す。だから最後に負ける」


辻井(つじい)は、画面を閉じるように手を止めた。


「けれど、彼女の“悪意”がなければ、ここまでスムーズに動かなかったのも事実です」


常見(つねみ)の目が鋭くなる。


「……辻井(つじい)。お前、何が言いたい」


辻井(つじい)は、静かに言った。


「“想定外”が増えています」


「アークシステムズ。環(たまき)。そして……」


言葉を切り、続ける。


「織原(おりはら)梨杏(りあん)自身」


常見(つねみ)が、息を呑(の)んだ。


「……あの女が、気づいたと?」


辻井(つじい)は答えなかった。答えは出ていない。


だが、“違和感”は出ている。


辻井(つじい)は、スマホの通知をもう一度見た。


1時間遅れ。


それは、逃げの時間ではなく、“整える時間”だ。


焦りを隠し、平然と戻るための時間。


辻井(つじい)は立ち上がり、ブースの扉に手をかけた。


「帰りましょう、常見(つねみ)さん」


常見(つねみ)も立ち上がる。


「戻ったら、まず織原(おりはら)の様子を見る。それから——」


辻井(つじい)は、扉を開ける前に、短く言った。


「“守っている”と、もう一度言わせてください」


常見(つねみ)が、薄く笑った。


「守る……ね」


辻井(つじい)は笑わない。


「ええ。

 守るという名の支配を、彼女が信じているうちは」


扉の向こうの廊下に、冷たい光が落ちていた。


「私たちは、負けません」


その言葉は、宣言ではなかった。


——自分に言い聞かせる、呪文だった。


そして、2人は“予定より1時間遅れ”で、ルーアンへ戻る。


すべてがまだ支配下にあると、思い込むために。



◇



その頃。


ルーアンのどこかで、静かにコピーされた“証拠”は、消えない形で息をしていた。

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