2話 今後の方針と決意
「…貴様、このカプセルに入る前の記憶はあるか?」
「日本に住んでた。お父さんと男二人暮らしで、俺は…確か学生だったと思う…。何で今こんな所にいるのかは分からないけど…。」
曖昧にだが、海澤の質問に彼はしっかりと答えた。
今の問答で、はっきりした。
やはり、彼は元々は普通の人間であり、男性であったが、イヌガミによって女性の体にさせられたのだろう。
少し記憶に混濁が見られるのは、イヌガミの実験による後遺症か、はたまたイヌガミが証拠が残るのを危惧して消去したか、のどちらかだろう。
「名前はあるか?」
「名前は…えっと…。」
名前を聞かれた途端、彼は言い淀む。
恐らく名前を思い出せないのだろう。
何か彼の名前のヒントになりそうな物が無いか海澤は辺りを再び隈無く観察する。
紙の資料もなければ、情報が眠っていそうなコンピューターは劣化が進んでいて使い物にならない。
やはり、この建物内で唯一頼りになりそうな情報源はこのカプセルだけだと判断した海澤は彼が入っていたカプセルを今一度注視する。
すると、埃で薄汚れていて分かりにくいが、何やら英語で文字が記されていることに気が付く。
カプセルに記されている文字に近付き、慎重に埃を払うと、【SOUL BRAIN 02】と言う文字が浮かび上がってきた。
「ソウルブレイン…。これが貴様の名前か?」
「いや、俺は日本人だ。そんな名前じゃない。…俺の名前は…そうだ!…リモリだ。どんな字だったか覚えていないけど、そんな名前だった気がする。」
喉に刺さった魚の骨が取れた時のような、僅かな安堵を帯びた声で、元男であると推測させる目の前の女性リモリは遂に自身の名を名乗った。
「よし、わかったリモリ。私は海澤沢だ、よろしく頼む。早速で悪いが、貴様には我々と共に【D.H.A.O.】の本部まで来てもらう。手荒な真似はしたくない。大人しくついて来い。」
そう言って、海澤はリモリの手を引いて少し強引にその場から連れ出す。
今現在のリモリの格好は純白の薄手半袖のワンピースを身に纏うのみ。
靴など履いていなく、裸足である。
こんないたいけな女の子が裸足で滅びたベルリンの街を歩くのは、かなり酷な事だろう。
しかし、それでも海澤は構わず、強引にリモリをつれ回す。
理由はリモリと言う存在に秘められた価値の大きさ。
今は記憶が混濁しているようだが、リモリと言う存在はイヌガミが104年前に残したタイムカプセルであり、イヌガミに繋がる大きな手掛かりとなる可能性が高い。
断言は出来ない、必ずしも104年前に実験を施されたとは限らないからだ。
もしかしたら10年前か1年前にイヌガミが日本でリモリを誘拐して、このような実験を施した可能性もある。
しかし、ここが全ての悲劇の始まりであるベルリンである事と、この建物の劣化具合を考慮して、リモリと言う存在は104年前の人間である可能性が大いにあると、海澤は判断した。
「近くに我々が所有する航空機がある。裸足でこの道を走るのは堪えるだろうが、我慢してくれ。」
そう言って、海澤はリモリを連れて、航空機の駐機場へと向かう。
暫く走り、ようやく目の前に航空機が見えてきたその刹那、そんな彼らの背後から行く手を阻むもの達が突如として出現する。
《GUYAAA!! ミナミナ…アソアソ…!》
《タノタノタノ…!》
現れたのは胃袋の様にブヨブヨした気色の悪い肌に歯茎がむき出しな口を持つ異形の怪物達だった。
「【B.U.M.】か…。総員、戦闘体制を取れ!我々は今護衛対象を一人抱えている、出来るだけ守備を固めろ!」
突然現れた【B.U.M.】に臆することなく、海澤は隊員達に的確な指示をだす。
「銃の残弾数が少ないものは、前線から引いて、私と共に航空機に乗り込め!離陸の準備を進めろ!」
そう言って、海澤とリモリ、そして数名の隊員達が航空機に乗り込み、離陸の準備を行う。
やがて、準備が整い、航空機が地上から十数メートル離れた瞬間、海澤から前線で戦っている隊員達に号令がかかる。
「総員、撤退!グレネードで奴らを牽制しながら、航空機へ乗り込め!」
「地上か十数メートルは離れているぞ!無茶だ!」
この状況を見て、リモリは冷静に突っ込みを入れる。
しかし、彼の言葉とは裏腹に、隊員達は航空機へ向かって走り出し、そして超高水圧の水を足から噴射して、高く跳び上がり、全員無事に航空機に乗り込むことが出来た。
「…すげえ…。」
「水圧が生み出す運動エネルギーを利用した超高跳躍機能だ。最大50メートルまでなら滞空可能な最新型装備だ。」
隊員全員が十数メートルの高さを軽々と飛び上がる姿を見て感心するリモリに対して、海澤は少し得意気に補足する。
その様な会話を交わしながら、リモリ達が乗った航空機は真っ直ぐと【D.H.A.O.】の本部へと向かう。
【B.U.M.】には空を飛ぶ個体は存在しないので、海か空に逃げれば、追ってくることはない。
その為、先程の【B.U.M.】との戦いとは打って変わって、平和な時間が航空機内に流れる。
そのまま何も問題が発生する事なく、リモリ達は無事に【D.H.A.O.】の本部に着陸するのだった。
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【D.H.A.O.】基地日本支部(本部)。
無事にベルリンから帰ってきた海澤達は現在、医療検査室にて今回の調査で保護したリモリの身体検査を行っていた。
「彼の体はどうだ?」
海澤は目の前の金髪碧眼の綺麗なアメリカ人女性、医療部署の部長アメッサに質問を投げ掛ける。
「精神科問診に知能テスト、それから身体検査…色々やって分かった事が沢山……聞く?」
「ああ、全て教えてくれ。」
海澤の言葉でアメッサはモニターに幾つかの資料を映し出して、説明を始める。
「まずは精神科問診の結果から、これは見事に肉体と精神の性別がチグハグに成っていたね。あの子があんな境遇じゃなかったら、性同一性障害って診断されてい筈だ。」
推定通り、リモリの中身は元々男性のようで、今回の検査でも、結果は一目瞭然。
体は女性でも精神はれっきとした男のようだ。
「次は、知能テスト…と言うか人間社会の常識がどれくらいあるのかを検査してみたけど、どうやらあの子は2026年の人間みたいだね。2027年以降の常識がからっきしだった。」
これまた予想通り、リモリは104年前の人間であり、唯一104年前に始まったあの悲劇とその首謀者イヌガミに近付くための重要なカギとなる可能性を秘めた存在であった。
「最後に身体検査の結果だけど…。あまり、気分の良いものじゃないね。あの子の体、脳ミソと肺以外は【B.U.M.】と殆んど同じ組成だった。つまりリモリって子は元はただの人間の男で、新種の人型【B.U.M.】のメスの体に脳を移植された存在のようだね。」
「なんだと…。」
よもやと言うべきか、やはりと言うべきか、リモリの肉体の組成は【B.U.M.】と同じものであった。
意識と脳は人でありながら、肉体は人類の天敵。
イヌガミがリモリに施した実験は彼の過去未来現在の人生を大いに狂わせる畜生の所業と言わざるを得ないものであった。
「唯一の救いは本来【B.U.M.】には無い肺があることかな。」
「どういう事だ?」
「【B.U.M.】にはね肺と言う臓器が無いの。その代わり、毛穴で呼吸して、取り込んだ酸素を直接血管内に送り込んでいるの。だから、海水が弱点なんだよ。肌に少しでも海水が触れれば塩分濃度が高い水が大量に血管内に入っちゃうからね。同じ原理で、砂糖水も【B.U.M.】には有効だよ。」
つまり、肺が存在するリモリには海水による攻撃は意味をなさ無いと、リモリは地球上の【B.U.M.】で初の海水を克服した個体と言うことをアメッサは言いたいのだろう。
「まあ、そんな事はさておき…これからどうするの?あの子をこのまま保護するにしても、かなりの危険が伴うと思うんだけど。」
「だからと言って、駆除するわけにもいかないだろう。彼の意識は依然として人のままだ。彼自身に敵意が無い以上、私達から危害を加えるわけには行かない。」
海澤沢と言う女には信念がある。
それは【B.U.M.】とイヌガミによって苦しめられた人間を救うこと。
リモリは確かに、人では無いのかもしれない。
しかし、それでも彼は紛れもない被害者であり、まだ誰にも危害を加えていない。
ならばリモリは海澤に取っては守るべき存在…庇護対象であり、決して銃を向ける対象などではない。
「最終的にはリモリ本人の意思を尊重するつもりだが、状況が落ち着き次第、彼をアカデミーへ通わせるつもりだ。」
アカデミー…即ち学校。
ここで海澤の言葉が指す学校とは【D.H.A.O.】養成所の事だろう。
「…本気なの?養成所は未来の【D.H.A.O.】の卵が通う由緒正しき学舎だよ。そんな危険な事、上層部が許す訳無いじゃん。」
「いや、逆だ。【D.H.A.O.】の卵が通う学舎は、それだけ上層部に取っても大きな存在だ。入れるとなれば磐石な警備を敷いてリモリを監視するだろう。監視が万全ならそれだけ安全であるとも言える。暫くの間はリモリに窮屈な思いをさせることに成るが…。」
「…どういう事?」
海澤には何やら思惑があるようだが、未だに彼女の考えが見えてこないアメッサは眉を潜めながら、疑問を投げ掛ける。
「オーストラリア支部の過激派がリモリを駆除しに来るかも知れない。私の元で彼を保護するよりも日本支部の上層部をわざと煽って過剰な程の監視をつけさせた方が逆に安全を保つことができる。」
ここで補足だが、この世界の【D.H.A.O.】は日本だけでなく、オーストラリア大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸にも支部を置いており、日本支部が世界の【D.H.A.O.】の本部でもある。
それだけ巨大な組織であれば、当然派閥と言うものも存在する。
先程海澤が話したオーストラリア大陸の過激派とは、【B.U.M .】討伐を何よりも優先し、人命救助は二の次とする少数派閥である。
「…はあ、まあ上層部を説得すんのは、あなたなんだし、もう好きしなよ…。」
「そうさせてもらう。」
そう言残して、海澤は医療検査室を後にし、身体検査を終えたリモリが待機している待合室に向かう。
「すまない、待たせたな。」
「うん、滅茶待った!」
待合室の扉をくぐって部屋の中に入った海澤を迎えたのは、社交辞令など欠片もない、素直なリモリの言葉だった。
「それは悪かったな。少しお前に話がある。」
「話?」
「お前に、【D.H.A.O.】の養成所に通ってもらう。」
海澤は先程、アメッサと話した内容をリモリに伝える。
過激派の事は端折って簡潔に告げたのは、彼女なりにリモリを不安にさせたくないと言う思いの現れだろう。
「…ごめん、【D.H.A.O.】ってなに?」
しかし、残念、リモリには今の時代の常識は何一つわからない。
当然、【B.U.M.】の事も【D.H.A.O.】の事も。
「そうか、説明がまだったな…。【D.H.A.O.】とは人類の天敵である【B.U.M.】から人々を守る特殊部隊だ。我々の目的は104年前の4月15日に起きた人類最悪の日から島国を除くユーラシア大陸とアフリカ大陸を支配している【B.U.M.】を殲滅する事と、104年前の悲劇を起こした張本人であるイヌガミを捕らえること。」
簡潔にだが、海澤は【D.H.A.O.】の事とこの組織が掲げている信念について語った。
話を聞いていたリモリもある程度は納得したようで、深く頷きながら、海澤の次の言葉を待っている。
「ざっとこんな物だが、質問はあるか?」
「…うーん、あっ!なら一つだけある。何でそのイヌガミって人を追っているんだ?104年前の人間なんだろ?もう死んでいるじゃないか?」
「…いや、奴は生きている。確実にな。」
リモリからの質問に海澤はまるで長年の友、または宿敵の事を語る時のように、確信を持ってそう断言した。
「何で、そう言い切れんだ?」
「104年前の時点で既に100歳を越えていたからな。イヌガミ、本名不明、1879年産まれ。年以外の生年月日不明、1899年にイギリスに留学し、細胞の進化・変体論を説いた論文で生物学の権威を獲得。その一年後に人語を話す犬を作り出した功績を持っている。そして、1905年に魂を物理的に証明する研究を開始。しかし、その研究の危険性から資格を剥奪され、学会を追放された。しかし、追放されてもなお、秘密裏に研究を続けており、その成果が【B.U.M.】だ。」
1879年産まれと言う事は2026年時点で、147歳である。
【B.U.M.】と言う異形の生物を生み出す科学力を考慮すると、この時代まで生き延びていてもおかしくないと言う話に現実味が帯びてくる。
「…成る程、確かにまだ生きていてもおかしくないな。…いや、俺としては、寧ろそいつには生きていて貰わないと困る。」
「それは何故だ?」
「俺をこんな体にした張本人なんだろ?そのイヌガミってのは。なら、何で俺をこんな体にしたのか実際に会って問い詰めてやる!」
リモリが放ったその言葉には何者にも勝る強い信念と決意が感じられた。
「【D.H.A.O.】に入れば、イヌガミに会えるのか?」
「保証は出来ない。しかし、我々も全力で奴を探している。それと【D.H.A.O.】に入るには養成所での全課程を修了する必要がある。」
「分かった。なら、行くよ養成所。絶対にイヌガミを取っ捕まえてやる…!」
その決意に満ちたリモリの言葉が静かに部屋の空気へと溶け込むのであった。




