その8
「どうだった?」
「躍太郎おじさま、こんばんは。えっとね、翔太くんの推理、正解だったよ。部屋からトイレの側は跡がそこそこ残ってる。反対側…階段側のほうしかお掃除してないみたいだ」
「間抜けなのか、わざと手がかりを残したのか…で、どんな感じだったの?」
「その人が手を洗った後、鏡に向かって自分の顔をいろんな方向から眺めて、“よく出来てるなあ”って言ってた」
「そないに男前なん?」
「うーん。人当たりの良さそうな普通の50歳ぐらいのおじさんだよ。だから何か違和感感じるセリフだった」
「お直ししたんじゃないの?」
紗由が尋ねると、皆が一斉に紗由を見つめる。
「紗由。あなた、語彙が偏ってるんじゃなくて?」
「にいさまほどじゃない」
「紗由に言われる覚えはないね」
「まあまあ。兄妹げんかは家でゆっくりおやり」躍太郎が割って入った。「紗由。お直しというのは、つまり顔を整形したという意味かい?」
「うん、そう。あのね、こないだ、まりりんの会社のモデルさんが、プチ整形っていうのをしてね、みんなから“そのお直し、よくできてるわね”ってほめられてたの。だから、お顔がよくできてるっていうのは、それかなあって」
「なるほどね…それなら自然なセリフかもね」龍が納得する。
「それと、誰かに似せようと整形して上手に出来た場合も、“良く出来てる”になるね」翼が言う。
「うん。じゃあ、そのセリフの意味はそんなところとして、他にも何か言ってたの?」
「歌、歌ってた」
「二次会カラオケの前練習かな」躍太郎が笑う。
「それが…民自党の党歌だったんです」
「党歌? 党員でも、そらで歌える人間はさほど多くないと思うが…」怪訝そうな躍太郎。
「じいじも総理になるまで、ちゃんと覚えてなかったよね」龍が笑った。「外務大臣のくせにってからかったら、小宮山派は四辻グループの若手が皆ちゃんと歌えるから任せてあるんだって言ってた」
「保ちゃんたら、変なところ横着なのよねえ」
「確かに祖父は、グループの若い議員を家に呼んだときは、お琴でメロディ弾きながら歌ってたりしてました」
「そらまた渋いのお」
「紗由も歌えるよ。奏子ちゃんも、おことで歌ってくれるから」
「あら、いいわね。奏子ちゃんの綺麗な声とお琴なら、あのつまらない党歌も、ちょっとステキ」
「ねえ翼。似顔絵書いてくれる? 民自党関係者なら気をつけておけば見つかるかもしれない」
「うん、わかった」翼がカバンからノートと筆記用具を取り出す。「あ…あとね、一瞬しか見えなかったんだけど…洗面台の横んとこ、トイレットペーパーの予備が入っている棚があるでしょ。あそこが開いてて、カードみたいなものが置いてあったんだ」
「カード?」龍が怪訝そうな顔をする。
「戸棚の中には、それらしきものはなかったけどね」
「確認したほうがいいね、お店側に」
「誰かが持っていったのかなあ…」紗由がつぶやく。
「お店側が保管してるか、捨てたか、第三者が持ち去ったか…やな」
「まあ、僕に見えたのはそれくらい。紗由ちゃんにも確認してほしいところだけど、男子トイレは入れないし…」
「それなら大丈夫です」進が話に入る。「今のところ、2階の客は我々の他に女性グループが3組です。新規の客が来る前なら入れます」
「じゃ、行ってきます!」
進が言い終わるか終わらないかのうちに、紗由は立ち上がり、脱兎のごとく駆け出した。
「俺も行っとくわ」翔太が後を追う。
「じゃあ、似顔絵描いておくね」
「翼くん、ちゃんとお食事してからでいいのよ」
「宿題は早めに片付けるタイプなんです」ニッコリ笑う翼。
「あら。龍より真面目なのね」
「僕だって真面目だよ」
「龍くんは僕より真面目です。迎えの車を待ってる間に、宿題さっさと済ませてるし。僕はその間は遊んでるから」
そう言いながら、翼は鉛筆でスケッチを始める。
「翼くんは何をして遊ぶんだい?」躍太郎が興味深げに尋ねた。「ああ、ごめんよ。仕事の邪魔をして」
「いえ、大丈夫です」一瞬、躍太郎を見上げて微笑む翼。「教科書を読んでます」
「それが遊びなの?」弾が思わず口を挟んだ。
「先生が次の日どんな宿題を出すか予想するんです、いろんなやり方で。未来を探るの、僕まだ十分じゃないから。半分実験みたいなものっていうか、僕にとっては遊びです」
「それ、ただの予習じゃないの?」翼を見る龍。
「やっぱり面白いわね、翼くんは」
華織がケラケラ笑っていると、部屋の外から声が掛かり、充が入ってきた。
「あら、充くん。お仕事ご苦労様」
店の用事で来たのかと思った華織が声を掛けると、充は丁寧に頭を下げる。
「おじいちゃんに、こちらにいるように言われましたゆえ」
「花巻さんに気を遣わせてしまったね。でもちょうどよかったよ、充くん。確認したいことが出てきたんだ」
躍太郎の言葉に続いて、翼が先ほどのカードの件を充に尋ねた。
「トイレは1時間おきにスタッフがチェックしてまする。でもおとといは、棚にへんなものは何も…」
「スタッフが捨てちゃったりはしないの?」
「龍どの、それはござりませぬ。お客さまがとんでもないものを置いてくこともありますが、わすれものとして3ヶ月はおあずかりしておきまする」
「とんでもないものって?」進が聞く。
「戸棚のバケツがブラジャーをしていたり、アワだらけのスマホが洗面におかれていたり…」
「いろいろ大変なんだね」弾が気の毒そうに言う。
「そういうわけで、店の者はいつもこれをポケットに」デジカメを出す充。
「泡だらけのスマホなんかは写真に撮っておくんだね」苦笑する躍太郎。
「お店でそのカメラを使うのは忘れ物対策だけなの?」
「いえ。お客さまが写真をとおっしゃれば、これで撮って1階の写真コーナーにかざったりもいたしまする」
「ああ…入り口横の、女の子の写真がたくさんあった、あれだね」弾が言う。
「よくくる曜日を書いてありますゆえ、殿方が、タイプの子が来る日に再来店いたします。せっしゃが考えました」
「躍太郎さまも顔負けの商才だ」進が真面目な顔で言う。
「おじいちゃんからもらうアイデア料は、また来てくれましたお客さまの売り上げの5%。おかげさまで、未那どのにレザンのチーズケーキをまるごとおおくりするくらいの貯金はできましてござる」進を見ながらドヤ顔になる充。
「…ところで、一昨日撮られた写真を見ることはできるのかな?」
「写真は撮ったらすぐにプリントアウトするでござる」
充は前掛けの大きなポケットから袋を取り出した。
「写真がいやなお客さまは、マジックで顔にいたずらがきをして、顔がわからないようにしますが」
「写真はまったく撮らないお客もいるんだよね」龍が聞く。
「はい。ふだんでしたら、そちらのほうが多いです」
「普段?」
「今週と来週は合コンウイークなのでござる。おすすめの品を注文すると、お客さまのメッセージつき写真をかざるコーナーに入れます。テーブル番号もついてますゆえ、あとはご自由にどうぞということで。合コンがめあての方がほとんどになりますゆえ、写真もだいたいの方が撮ります。ふつうの何とか会の集まりもありますが、その場合はここの部屋に…写真、どうぞ」
「ありがとう、充くん」
写真を受け取る龍の横で、翼が似顔絵を描く手をいったん止め、テーブルを空け始めた。龍は几帳面に写真を並べていき、翼が丹念に写真を眺める。
「さっきたどった小父さんはいないな…」
「ただいまあ!」
紗由と翔太が戻ってきた。
「おかえり。そっちはどうだった?」
「女の子トイレはおそうじ中。男の子トイレは、カードを持ってる手が見えた」
「翼が見たのと同じ人ぽかった?」
「わからない」
「そうか。どんなカードかは見えた?」
「おうちの内側の図」
「建物の間取りやったみたいや」
「それ再現できる?」
「うーん…」
考え込む紗由の額に翼が触れた。
「ちょっとごめんね……ざっとならわかるよ」
翼は似顔絵を描きかけのノートをめくり、見取り図のようなものを描きだした。
「八角形…」眉間にしわを寄せる龍。
「うん。屋根裏部屋が付いてる。望遠鏡みたいな絵が描いてあるから、そこは展望台なのかな」翼が言う。
「あれえ…?」紗由がノートを覗き込んで首をかしげた。
「写真を撮らせていただきます」進がスマホで撮影する。「この図面の場所はこちらでお調べします」
「じゃあ、その件は進子おねえさんにお任せするとして、充くんからの写真のほうに戻ろうか」
「あ。賢ちゃんと哲ちゃん、マジックで頭もじゃもじゃになってる!」紗由が一枚の写真を指差して笑う。
「合コンウイークに妻帯者二人で参加してるわけ? 哲也くんのところだって、生後半年の赤ちゃんがいるっていうのに…」
Vサインをしながら笑顔で映っている二人の写真を見つめ、眉間にしわを寄せる華織。
「“命”さま。後生ですから、玲ちゃんにはナイショにしといてください」翔太が慌てる。「それでのうても、賢ちゃんがここに通い詰めで、玲ちゃん、機嫌ようないんですわ」
「師匠、それはいけませぬな。せっしゃが玲ちゃんどののご機嫌うかがいにさんじましょう」
「来んでええわ。話がややこしうなる」
「えー」口を尖らせる充。「賢ちゃんどのが、まこちゃんのことばかり言いますゆえ、まこちゃんの大好物、北海道産のししゃもをお土産に遊びに行きたいと思うておりましたのに…」
「真琴さま、渋いですね…」弾が進を見る。
「充くんが来ちゃったら、賢ちゃん、ぼけつにおちてますね」ウンウンと紗由が頷く。
「紗由、それを言うなら“墓穴を掘る”だよ…いや、掘った後で落ちるんだから、流れは間違ってはいないか」
「パパたちは、みんなそう。なーんかダメなんだよねえ。とうさまや賢ちゃんだけじゃないよ。おうまさんもだし」
「風馬がどうかして?」
「紗由。よけいなこと言わなくていいから」
「龍。そんなこと言われたら気になるじゃないの」
「じゃあ、おうまさんにはナイショね」紗由がニッコリ笑う。
「…ええ」
「あのね、探偵事務所の会議に華音ちゃんがときどき遊びにくるんだけど…」
紗由が身を乗り出しながら、チラッと進を見た。
「…何でしょう?」
「華音ちゃんね、いつもビューって悠斗くんのところへ走ってくの。ずーっと悠斗くんの手をにぎってて、悠斗くんがちょっとでも手をはなすとビャーって泣いちゃうの」
「華音は悠ちゃんがお気に入りなんだね」微笑む躍太郎。
「澪ちゃんが言ってたの。おうまさんが、華音ちゃんのきらいなものアーンてすると、プイってなるのに、悠斗くんがすると食べるって」
「うーん。確かに風馬が言ってたな、言うことをきかなくなってきたって」
「おうまさん、プイってされると、おちこんじゃうんだって」
「悠斗くんの言うことなら全部よく聞くっていうのまでは、まだ知らないみたいだけどね」龍も言う。
「とても知らせられそうにないわね」
「申し訳ありません…」
「進ちゃんが謝ることじゃないわ」
「そうだよ、進。悠ちゃんは華音を可愛がってくれているだけじゃないか…というより、華音がすごくなついているだけ…なのかな」
「風馬おじさん、甘やかし過ぎなんじゃないかな。なんか最近特に過保護っぽいっていうかさ。とうさまと同じで娘になめられちゃってるんだよ」
「なるほどなあ」ため息をつく躍太郎。
「悠斗くん、華音ちゃんがおいたしたら、ちゃんと叱るよ。理由も説明するの。華音ちゃんも、じーっと聞いてて、おいたやめるの」紗由が頷く。
「風馬のほうは、叱る理由を説明せずに、プイっとされておろおろするイメージが浮かんだわ…」
「たぶん、ここにいる全員に浮かんだと思うよ」淡々と言う龍。
「なんや、“命”さまの周りは、あまーいパパさんと、マイペースなお嬢さんだらけやな」
「しょうがないよ。“命”さま自体がマイペースなんだから」
「龍。あなた、この私にケンカを売るつもりなのかしら?」華織がムッとする。
「ううん。ケンカは高く買ってくれるところに売ることにしてるんだ」
「あなた…本当は涼ちゃんのお腹から生まれたんじゃなくて?」苦々しげに言う華織。
「じゃあ、紗由と華音は、おばあさまのお腹から生まれたんだね」
「ちがいます!」華織と紗由が声を揃える。
「まあまあ、うちわもめしてる場合じゃないだろ。ところで進、哲也からは、ここへ来た時のこと、何か聞いてるかい?」
「真琴さまの件に関する愚痴と、星也くんの話、仕事の話が中心のようでした。賢児さまは、哲也が私のような形で働いていることをご存知ありませんので…」
星也というのは哲也の息子だ。
「哲也くんも度々引っ張り出されていい迷惑だわね」
「哲也が同伴したのは、もじゃもじゃ頭の一度だけのようです。あとは、涼一さま、瑞樹さん、疾人さんなどが順番で」
「仕事先の人も連れてこられまする。本当にいいおとくい様でござります」
ニコニコ笑う充に、華織が小声でそうねと言いながら、ハンカチで額を押える。
「似顔絵、できました」翼が顔を上げ、ノートを破って躍太郎の前に差し出した。「こんな感じの人です」
「どれどれ……」
紙を持ち上げ、じっと見つめる躍太郎の横で、翔太が似顔絵を覗き込んだ。
「あ!」
「どうしたの、翔太くん?」
向かい側に座っていた弾や龍も絵を覗き込もうとすると、躍太郎は紙を丸めた。
「すまないが、この絵はちょっと預からせてもらおう」
「は、はい…」
わけがわからないという顔をする翼と、難しい顔でうつむく翔太を交互に見ながら、龍は躍太郎の頭を探ろうとしたが、ピシャリとはじかれてしまった。
「龍。そういう応対をしていいのは敵にだけだぞ」
「は、はい」
「華織。私たちは失礼しようか」
「そうね。年寄りがいつまでもいるのは野暮というものだわ」華織は財布から3万円出すと進に渡した。「じゃあ、あとはお願いね、進ちゃん」
「承知いたしました」
「あの…僕の絵が何か…」
「心配しないで、翼くん」微笑みながら頭を撫でる華織。「どのみち、私たちが残ってると話がややこしくなりそうなのよ。ほら」
その時、充の胸についているマイクから、ピピピという音がした。
「はい。…え? 2階に? もうちょっと引き止めておいて!」充はマイクのスイッチを切ると、龍に言う。「賢ちゃんどのと哲ちゃんどのがお見えです。下がいっぱいなので2階の部屋へ通すと」
「通してもらってけっこうよ。私たちは、賢ちゃんたちが部屋に入るまでトイレにでも隠れてるわ」
「しょうちしました」
充は階下の父親にマイクから連絡をし、ポケットをがさごそさせながら、いったん部屋を出た。
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