その7
賢児一家が清流から戻って一週間、次の週末には、翔太が上京していた。
泊まるのは賢児たちが住む離れだが、おやつが終わるまでは紗由とデート、その後夕食までは龍の部屋で、互いの“状況確認”をするのが決まりになっていた。
「上へ下への大騒ぎでさあ。紗由に“もう少し落ち着きましょう”とか言われる始末だし」
「まあ、わからんでもないけどな。賢ちゃん、まこちゃんに夢中やし。涼一はんどこやないなあ、あれは」
「あれ以来、さけみつるに二日おきに通ってるようだし」
「…おとんと冗談で言うてたこと、ほんまになっとるんか」苦笑する翔太。
「だけど、それで昨日引っかかることに遭遇したみたい」
「引っかかること?」
「トイレから戻ろうとした時に、ちょっと離れたところで電話してた男性がいたんだって。ほら、あそこ、わざと電波が入らないようにしてある部屋があるでしょ。そこの前」
「ああ、2階の奥やな」
「うん。で、その人話してたんだって。“先生から連絡がありました。場所は四辻八角堂。”って」
「四辻って…あの四辻と関係ありか? 先生いうのも気になるし、誰を呼び出してたんやろな」
「賢ちゃんも同じこと思ったらしい。それに何となく聞き覚えのある声だったって言うんだ。部屋を覗こうとしたら、人が出てきて…ちょうど帰るところだったんだね。電話の人以外に、男性と女性が1人ずつ」
「知っとる顔がいたんか?」
「すれ違いざま顔を見ようとしたんだけど、メンバーの顔はよく見えなかったらしいんだ。廊下の照明の加減もあったし、皆、うつむき加減で足早に通り過ぎたんだって。
電話の人はマスクしてて、女性の耳には大きめのイヤリングが揺れてた。わかってるのは、それぐらい」
「じゃあ、正体はわからんままか」
「でも、そんなの聞いたら気になるからね、賢ちゃんには悪かったけど、ナイショで紗由に頭の中たどらせてみた。
本当に四辻の小父さまがらみだったら、今の段階では翼に頼むのはどうかと思ったし」
「せやな。で、どないやったん」
「さけみつるでの賢ちゃんの記憶はぼんやりとしかたどれなかったんだけど、賢ちゃんがその時着てたジャケットのほうを紗由が探ってた時、僕のほうにイメージが来たんだ。
賢ちゃんが男性とすれ違う時、相手の服に触れたのかもしれないね。何かの集まりが見えた。会場はさけみつるではなかったようだけど、人数は4人。そのうちの誰かの顔だけ一瞬アップになったけど、知らない顔だったよ」
「同じメンバーの別の集まりかもしれんな。この先どないするん?」
「おばあさまに報告して、さけみつるに行こうと思う。賢ちゃんの記憶からたどれるものが限られている以上、現場で直接たどるしかない」
「せやな…にしても、賢ちゃん、最近何かを引き当ててるな。美術館の日下部さんもそうやし」
「そういう波には乗らないとね。それと、おばあさまが許可してくれれば、さけみつるには翼も連れていきたいと思う。早くすっきりしたいし」
翔太は、龍の胸元を見つめ、一瞬何かを言おうとしたが、言葉を飲み込み、龍に向かって頷いた。
* * *
翌日の夜、龍、翼、翔太、紗由の4人は、進と弾の付き添いで、さけみつるを訪れていた。
「じゃあ、充くんは、その人たちとは会ってない」
進が確認すると、充はバツが悪そうに答えた。
「はい…おとといは、せっしゃのお得意さまが1階に3組いらっしゃいましたので、それで手いっぱいでござりました」
「じゃあお父さまがご担当された?」
「いえ。バイトくんが。聞いてみたんですが、バイトをはじめたばかりで、お客さまのお顔をおぼえるよゆうはなかったようで。最初に生ビールをピッチで二つ注文されたぐらいしか…」
「そうか…」
「それにあの部屋は、じゃまされたくないお客さまがお使いになります。ご注文はマイク、料理や皿を運ぶのは料理用エレベーターがやりますゆえ。店員が入るのはさいしょだけでござります。しかも限定飲み放題コースをネット予約、ポイントで前会計だったらしく、帰りはあっという間だったと」
「そこの部屋、今日は埋まってるんだよね」龍が尋ねる。
「はい。ここの真上でござる」
「では、おへやを取りかえてもらいましょう」紗由がすっくと立ち上がる。
「お、おい、紗由、ダメだよ」
「にいさま。こういうときは、ガンガン行かないと」
紗由はそう言うと、すたすたと部屋を出て行ってしまった。
* * *
「じゃあ…この部屋で、おばあさまと最後のお食事をしたのね…」
真上の部屋にいた女子6人組の一人が、うっすらと涙ぐんだ。
「はい。それがさいごでした…」コンコンと咳をしながら、うつむく紗由は、縁が厚めのメガネとマスク姿で顔がほとんど見えない。「おばあさま…大好きでした…」
「すみません、こんなお願い、非常に不躾なのはわかってるんです。ですが…できれば母と最後に語らった部屋で…今日がその日なので…」
進が口を押えて言葉に詰まる。簡単な変装用の付け髭と、紗由同様、分厚い眼鏡を掛けている。
「ねえ、だったら私たち、下のお部屋へ行きましょうよ。別にここでなくてもいいわけだし」
「うん。そうよね。お嬢ちゃん、風邪なのに、記念日だからと来てるんですもの。下へ行きましょうよ」
「そうしましょう」
皆、荷物を抱えて移動の準備を始めた。
「ありがとうございます…」深く頭を下げる進。
そこへ充が現れ、料理用エレベータからコースの品を運び込もうとするが、リーダーらしき女子が言う。
「あー、ごめんなさい。せっかく運んでもらったけど、私たち、下のお部屋の人たちとお部屋を交換したいの。下に運ぶから、いいかしら」
「はい。…下のお客さまとはそういうお話に…」一応確認する充。
「ええ。…ねえ、お嬢ちゃん?」
「はい。よろしくおねがいします」
「ええ。わかりました。…ということなので」
リーダー格の女子が充に言うと、充は制服についているマイクでその旨をホールに連絡し、料理用エレベータをそのまま降ろした。
* * *
無事に目的の部屋に入った一同は、とりあえず普通に食事を取ることにした。
紗由が空腹のまま“仕事”が出来るとは思えないというのが、紗由以外全員の共通認識だったからだ。
「うーん、おいしいなあ。ふぐのからあげ、サイコーでーす!」
「紗由ちゃんが満足なら、何よりですよ」弾が微笑んだ。
「ふふふ。このサラダも美味しいしぃ」
「盛り上がってるわね」
「あ。おばあさま!」
「あれ。おばあさまも来たんだ」
龍の突き放した言い方に華織はムッとした顔で言う。
「死人がおじゃまして悪かったかしら?」
「華織さまがいらっしゃれば百人力です」
弾が気を遣うが、華織のご機嫌斜めはまだなおらない。
「その割には迎えも来なかったけど」
「す、すみませんでした…」ばつが悪そうな弾。
「華織さま、申し訳ありません。私が遠慮するようにと弾に言ったんです。躍太郎さまが出張からお戻りになられたばかりですし、お呼び立てするのもいかがかと思いまして」
「あら、そう」
「ところで…躍太郎さまはご一緒ではないのですか?」
「今、下でご主人とお話してるわ」
「進子おねえさん。グランパは、おばあさまといつもいっしょです。二人はラブラブですから!」
「…そんなこともないけど」心持ち機嫌を良くした様子の華織。
「せやなあ。お二人ほどお似合いのカップルなんぞおらんもんなあ。悔しいけど、紗由ちゃんと俺は世界で2番目やわ」
「やだわ、翔太くんたら。そんなお世辞を言っても何も出なくてよ」
いつのまにかニコニコ顔の華織に、翼が席を開け、真ん中に二人分の席を作る。
「どうぞこちらに。躍太郎小父さまの手料理ほどではないかもしれませんけど、おいしいですよ、ふぐの唐揚げ」
「あら、そうなの。ふぐはさすがに家ではさばけないものね」
すすめられるままに唐揚げを口にする華織。
「…まあ…おいしいわ、これ。衣がサクサクで身はフワフワ。弾くんも、いただきなさい。お肉ばかりじゃだめよ」
「は、はい」せっせと唐揚げを口に運ぶ弾。
「それで、お仕事は進んだの?」
「いえ、これからです」翼が答える。「まずは腹ごしらえをと思いました」
「正解ね、翼くん」チラリと紗由を見る華織。
「ですが…ざっとたどったところ、ここにはほとんど痕跡がないようです」
「うん。紗由もわからなかった。おじさんたち、おそうじしていったのかもしれないね」サーモンの刺身を口に入れる紗由。
「お掃除…」華織がうすく笑みを浮かべた。
「ここから店を出るまでの間の空間もそうなの?」龍が翼に聞く。
「うん。入ってきた時から、ぜんぶぼんやりした感じ」
「なあ、翼くん。男子トイレはどないやろ? 階段と反対側や」
「トイレ?」
「生ビール最初にピッチで二つやで。誰かはトイレ行ってるやろ」
「わかった。確認してくるよ」翼は急ぎ部屋を出た。
ほどなく躍太郎が部屋に入ってきた。
「待たせたね、華織」
「こちらよ、躍太郎さん」
華織が自分の隣にうれしそうに手招きする。そんな華織を見ながら、内心くすりと笑ってしまう一同。
「翼くんも来ているんじゃなかったのかい?」
「トイレでたどってるところ」龍が答えた。
「この部屋には手がかりがなかったのか」
「敵もさるぼぼですよ」紗由が腕組みする。
「紗由。それを言うなら、“敵もさる者”だよ」
「…そうとも言います」ぷーっと膨れる紗由。
「正確には、“敵もさる者引っ掻くもの”。さすがなという意味の“然る”と動物の“猿”を掛けてるんだよ」
「よく知っとるなあ。にいさまがおれば、諺辞典よういらんな、紗由ちゃん」
「…聞いても自分でしらべろって言うから、辞典はいるの。聞いてないときは教えるのに」
「紗由がちゃんと覚えてないからだろ」龍も膨れる。
「龍さまは紗由さまに、本当に必要な時にはちゃんと教えてくださるということですね」進が言う。「ですが、紗由さまの言葉も意味深いです。さるぼぼは、猿の赤ちゃんのこと。“さる”は“災いが去る”という意味で使われています」
「ちうことは…災いを去らせる赤ちゃんや」
「うちの赤ちゃんは、華音ちゃんですね」
紗由がもっともらしい顔で言うと、龍が反論した。
「それじゃあ、華音が敵になっちゃうよ」
「競争相手んことも“敵”言うで」
「競争って言っても、華音はまだ1歳半だよ?」龍が笑う。「まあ、おばあさまにそっくりだし、大人になった時に心配だっていうのはあるけどさ」
「どういう意味かしら、龍」ギロリと睨む華織。
「おばあさまみたいに、すんごく美人になるでしょうから、モテモテでたいへんということです」紗由が答える。
紗由と龍は、ケンカばかりしている割には、こういうところの連係プレーに余念がなく、さらに翔太がたたみかけて話題を逸らすのが常だ。
「でも1歳半なら、まずノーマークだよね」
「翼! お帰り」
龍が手招きしながら、戻ってきた翼を自分の隣へ座らせた。
* * *




