その18
華織のマンションへ移動する間際、紗由が翼の元へ走ってきた。
「どうしたの紗由ちゃん。忘れ物?」
「にいさまのこと、よろしくお願いします」
「紗由ちゃん…?」
「にいさまのイライラ、翼くんならなおせそうな気がするの。だって翼くんもイライラしてるでしょう?」
紗由はそれだけ言うと笑顔で手を振りながら、待っていた車へと走っていった。
* * *
「…って、紗由ちゃんが言ってた」
「すぐにわかったようなこと言うんだ、紗由のやつ」
「でも、かなりわかってるよね」
「そこがまたイライラする」
「イライラしたもの同士だと、イライラが増幅するだけだと思わないところが紗由ちゃんらしいよね」翼が笑う。「まあ僕の場合は、イライラというよりモヤモヤなんだけどさ」
「僕は両方だ」
「理由は?」
「おばあさま」
「またいつもの秘密主義?」
「その逆。あっさり手の内を見せた。しかも最悪のやつ」
「原因は、うちのおじいちゃまかな」
「…イエスって答えていいの?」
「奏子にはまだナイショだよ」
「うん」
翼のやさしい笑顔に、龍は辛そうな顔で頷いた。
「翼はこれからどうするの。その…」
「こちらからおじいちゃまに会いに行くつもりはないよ。必要なら出てくるでしょ」
「死んだふりをしていた理由を確かめたくないの?」
「死んでたほうが都合がいいからじゃないかな。四辻家を守るためか、“命”を守るためか、この国を守るためかは知らないけどね」翼は小さくため息をついた。「最初に気付いたのは沖縄の一件の時。だから僕は時間をかけて納得してきた。おじいちゃまは、僕や奏子のためにならないことはするはずがない」
「そうだね」
「でも、おじいちゃまの動きが原因で西園寺が害を被ってるから、“命”さまとの情報共有がイライラにつながったってことなんでしょ?」
翼に聞かれると、龍は組んでいた手をボキボキと鳴らした。
「奏人先生、日下部さんのふりして聖人と真琴に接触してきてるんだ。しかも清流旅館内で」
「え…?」
「真琴にキラキラを取りかえっこしようと言ったんだってさ。キラキラは、おばあさまが真琴にあげるものらしい。欲しいんだったら直接来ればいいって、おばあさまはけっこう不機嫌」
「キラキラって?」
「たぶん石。二人の宿になる縞猫荘の主石だと思う」
「どうしてそれを欲しがるの? 石に関してはおじいちゃまのほうが…」
「今、先生の手元にある材料では、先生がやろうとしていることを実現させられないんじゃないのかな。何かの制約があるとか。それで双子たちにこれから出てくる力の鍵となる石が欲しいのかもしれない」
「いったい何をしようとしてるんだろう」
「わからない…ただ、おばあさまは聖人、真琴、華音の力をけっこう無理なペースで引き上げようとしてる。華音のほうは悠斗くんの力を伸ばして刺激してる。むちゃくちゃだよ」
「おじいちゃまが、次は華音ちゃんに接触してくるとでも…?」
「今までのように防御するだけでは片付かないと踏んだんだろうね」
「“弐の命”が読んだ未来は、かなりシビアということだね」
「確かに相手側は、キラキラの件以外でもかなり動いてるから、理屈としてはわかるけど、もっとやり方があるはずなのに」
「さっきの充くんと同じ言い分だよ、それ」
「…ここは“ごめんね、おばあさまがいじわるで”というところかな?」
「いいよ。僕も秘密を漏らさなかった」
顔を見合わせ笑う二人。
「ところで、キラキラ以外での動きというのは、さけみつるのメンバーのこと?」
「あの時の似顔絵の主、弾さんのお父さんだったんだ。本来なら縞猫荘を継いでいたはずの人。でも、さけみつるにいた男は、風馬おじさんのサーチによれば偽者だ」
「顔を変えた偽者を使って弾さんに何かしようとしているとでも?」
「彼が双子の後見になったところで登場だからね。そういうことなんじゃないのかな」
「でもさ、華音ちゃんにまで手を出して逆鱗に触れたら、ただでは済まないことぐらい、おじいちゃまだってわかるはずだよ。西園寺サイドの全員を敵に回すわけだよね。“命”さま、“弐の位”、“龍の子”、“命宮”、澪ちゃん、龍くんに紗由ちゃん、翔太くん…」
「華音は澪ちゃんの子なんだ。一条の“命”と先の宮も敵に回す。それに悠斗くんが巻き込まれたら、重治先生だって黙っちゃいない」
「…おじいちゃま、そこまでバカじゃないと思いたいけど、突拍子のないことをする人だからなあ」ため息をつく翼。
「あの飛行機事故でせっかく生きながらえたんだから、命は無駄遣いしないでほしいよね。それにさ…」龍はニヤリと笑った。「僕に何かあったら、奏子ちゃんはどっちの味方をするか、先生はわかってるのかなあ」
「もしもの時は、わざと巻き込まれるつもり?」
「必要なら」
「…じゃあ、必要がないように事態を収拾させよう。僕も何が動いているのかを、ちゃんと知りたい。それに僕は奏子に幸せになってほしい。そのためには西園寺を守らなきゃいけない」
翼は右手を龍に差し出した。
* * *
「龍、こっちに来なかったね」風馬が華織に言う。
「私に腹を立ててるのよ」華織は目の前の石を丁寧に磨いている。
「まあ、気持ちはわかるよ」
「華音には細心の注意を払うと言ったはずよ」
「そこじゃないよ、かあさん」風馬がソファに座る。「華音、聖人、真琴。この子たちは遅かれ早かれかなりの力が出るし、かあさんだって、それを見込んだ方向性で力を補助してる。ペースに多少の無理があっても何とかなるだろうけど、悠斗くんの場合はそうじゃない。本来の力と違うことをさせていて、かなり負担がかかるはずだ。でも進にいさんは、かあさんの頼みごとなら断れない。それがわかっててやらせるのは卑怯だよ」
「悠ちゃんがやるって言いだしたのよ」
「え?」
「夢では華音が暗い場所で泣いていたそう。華音に何か起こると思ったのね。自分が守る方法はないかって言いだして、私は悠ちゃんでなければ出来ない方法を示した。だから進ちゃんも了承したのよ」華織は風馬の正面に座った。「卑怯でも何でもかまわないわ。私は大切な者たちを全力で守るだけ」
「かあさん…」
「龍と翼くんの動きを極力フォローしてちょうだい。私と躍太郎さんは4人に専念するわ」
言葉に詰まる風馬を一瞥すると、華織は部屋を出て行った。
* * *
翌朝5時半には、龍は翼と一緒に別荘の近辺を回っていた。例の四辻八角堂を突き止めて調べるためだ。周子や響子には、バードウォッチングということにしてある。この時間に双眼鏡やカメラ、地図などを持ってうろうろしていても怪しまれることがないからである。
「もうちょっとかな。隣の敷地と行っても、山側を周ると結局1キロぐらいあったね」
「マウンテンバイクで来ればよかったね。このアップダウンで1キロはきついや」
四方八方にダッシュする妹の捕獲係だった二人は、同年代の子どもと比べれば、かなり体力もあるほうだったが、険しい1キロは大変のようだ。
「そうか。翔太おススメのバイク買ったって言ってたよね」
「そう言えば、翔太くん来なかったね」
「もうすぐ“赤子流怒”の奉納があるからね。今回は4年に一度の大祭だし、清流の人間は地元を離れられないよ」龍は額の汗を腕で拭った。
「せきしりゅうど?」
「ほら。清流の当主が神箒を作って、小さい子どもを怒らせて、その神箒で怒りを神様に流してもらうお祭だよ」
「ああ。奏子が“おこりんぼ祭り”って呼んでるあれか」
「大祭は僕もまだ見たことないんだ。聖人と真琴が行くみたいだから、行ってみようかと思ってるんだけどね」
「神箒って四神を飾ってあるんだよね」
「翼も行く?」
「考えとく」
「何だよ、もったいぶって」
「あ。あれだ…!」
翼が指差した先には、紗由に言わせるとクッキーの缶のような家、四辻八角堂とおぼしき建物があった。
「へえ…壁が全面ガラス張りなんだ。まるでオーロラドームだね」龍が口笛を吹く。
「人がいたら、ちょっとやっかいかな」
「でも、あそこには必ず、これからのヒントがある。慎重かつ迅速にサーチだ」
「あれ。…今、人影が動かなかった?」
「ん…レースのカーテンが揺れてるな、玄関の横」
「行ってみよう」
二人は斜面を駆け下りた。
「結界が張ってあるな…」
「普通の場所じゃないってことだね」
「そりゃあ、奏人おじさまの別荘だもん。…ん。下手に破らないほうがいいかな。石を使ってるようだから」龍が前方に手をかざして顔をしかめる。
「石の持ち主に入りましたって報告してるようなものだものね。でも…玄関側は張られてないね」
「変な張り方…まあいいや、表に回ろうか」
二人は慎重に建物の裏側から、結界に触れぬようにして玄関側へと回っていく。
「翼! あれ…!」
「あ」
二人の視線の先には、四辻八角堂の玄関先で、自転車を降り、ヘルメットをはずす紗由たちの姿があった。
「おとなりさんだから、すぐでござったな」
「僕、つかれた…」
「何言ってるのよ、恭介くん。とちゅうから紗由ちゃんにこがせてたくせに」
「まあ、トライク自転車にのってきた姫のセンケンのメイは、さすがでござるな」
宿泊先が2箇所に分かれていた探偵事務所のメンバーは、四辻の別荘前で午前6時に集合していた。
華織に言って、一人がこいで後ろに二人乗れるタイプの自転車を用意してもらった紗由は、あっという間にバテ始めた恭介と、彼の自慢の折りたたみ自転車を後部座席に押し込むと、自転車を漕ぎ出した。
「だって、あんまり速いから、よっちゃったよ…」
「あのね。いつも乗り物でよう人は、乗るまえにおくすりのんでおくものなの!」
恭介と真里菜が揉めていると、八角堂の玄関先でピンポーンという音が鳴った。
見ると奏子が玄関チャイムを押している。
「か、奏子…!」
「まだ6時半前だよ…」
「いや龍くん。そういう問題じゃなくて」
突然の妹たちの出現と行動に、やや冷静さを欠きだした兄二人は、次の瞬間、さらに目を見張った。
「朝のウォーキングって気持ちいいわねえ」
周子が伸びをする傍らで、夕紀菜がタオルで汗を拭う。
「ふう。日頃の運動不足が堪えるわあ」
「響子さん、陸上経験者だけあって、歩くフォームもおきれいですね」
崇子が言うと、響子がにっこり微笑んだ。
「疲れにくい歩き方は、未那先生のほうかしら。動きにムダもムリもなくて」
「確かに未那先生って、訓練された忍びみたいかも。うちの子が憧れるのもわかるわ」
雅の言葉に、未那が苦笑する。
「…子どもたち、まだ玄関先にいますね」
「奏子ったら、玄関チャイム押してるわ。お留守なのに」
「奏子ちゃーん。鍵、ここよー!」
子どもたちは一斉に振り向いた。
「ママ、おそいよ!」
「だーって、真里菜は自転車じゃないの」
「まあ、行きましょうか。せっかく管理人さんに鍵お借りしてきたんだし」
響子が言うと、ママたちは小走りに玄関へと向かった。
「…ねえ龍くん、僕たちの1時間は何だったのかな」
「そう言えば、夕べかあさまが電話で言ってた。“明日の朝、面白いところに行くのよ。龍も来る?”って」
「うちのママもだよ。“とっておきのツアーがあるんだけど”って」
「どうせ朝市に並ばせるつもりだろうと思って断ったんだけど」
「僕も」
「正攻法すぎるよ、あの人たち」
「力を使える側が考えすぎなのかもね」
「あ。進子おねえさんと弾さんもだ」
「力の有る無しの問題じゃないのかも…」翼は小さくため息をついた。
「おはようございまーす」
「すみません、皆さんのお楽しみを邪魔するみたいで」
「いいえ。こちらこそ。お忙しいのに、うちの父の道楽につき合わせているようで心苦しいわ」
「じゃあ、こちらへどうぞ」
響子が鍵を開けると、一同は八角堂の中へと消えていった。
どっと疲れが出てきた龍と翼は、しばらく玄関を見つめていたが、翼が口火を切った。
「僕たちも行こうか」
「ああ…」
龍は短くため息をつくと歩き出し、翼もそれに従った。
そして玄関の裏側からは、二人の死角を通り、龍と翼が通ってきたルートへと姿を消す男の姿があった。
* * *




