その16
翼が奏人の部屋のドアを開けて壁のスイッチを押そうとすると、進が腕を伸ばしてそれを止めた。
「…!?」
進は翼の傍らにいる真里菜に何か耳打ちをすると、真里菜は先に暗い部屋に入り、目を閉じ思い切り鼻で息を吸った。弾は真里菜が指差した先、サイドテーブルにそっと歩み寄り、その下を覗き込むと進に向かって頷いた。進がドアの外を指差すと、テーブルを廊下の階段横のスペースまで運んでいく弾。
「1年ぐらい使ってなかったのに誰が盗聴器なんて…?」翼が眉間にしわを寄せる。
「恭介くん、テーブル下の器械に“あれ”をやってきてもらえますか」
「はーい」いそいそと走っていく恭介。
「恭介どのの“あれ”は、けっこう使えるでござるなあ」
「奏子ちゃんの“えいっ!”ほど強くはないけど…きくよね」
「とうちょう器つけた人、ギーッ、キキキーッが聞こえてるのかなあ」
紗由が身震いするのも無理はない。恭介のそれは、奏子のように相手の頭が割れるほど痛くなったり、記憶障害を引き起こすというのとは少し違っていて、黒板やガラスを爪で引っ掻く音を頭の中に響かせるものなのだ。
それをされた相手は大抵、その音がどこから来るのかに注意を向けるか、耳をふさぐかするので、相手の気を逸らしたり時間を稼いだりするのにはちょうどよい。
あるいは今回のように盗聴器相手にやれば、仕掛けたほうが器械の不調を懸念し、仕掛けた場所に戻る可能性が高いので、それを炙り出すにも一役買うことができる。
「ねえねえ、もし紗由ちゃんが“えいっ!”をしたら、どんなふうになるの?」
「それはヒミツでござるよ、あねご。ヒミツでないと、ヒミツ兵器にならぬでござるからな」
「その辺に関しては僕も皆でちゃんと認識を一致させておくほうがいいとは思うんだけど、まずは…」
龍が進のほうを見ると、進は方位磁石を取り出した。
「龍さまは東、窓のほうへ」
「では、僕は西、ドアのほうですね」弾が龍の対面へ動く。
「僕は南の書棚側を」翼が進を見る。
「私は北、絵画のある壁側へ」進が動く。
「聖人さま、真琴さま」弾が双子たちに呼びかけた。「これから、私たち4人で見えないロープをこの部屋に張ります。ネコさんと一緒にやり方を覚えましょうね」
「はーい」揃って手を挙げる二人。
「華音もだよ」悠斗が華音の手を握りなおす。「ひよこちゃんといっしょにおぼえるんだ」
「うーたん!」
まるで華音の声が合図かのように、龍が左手を部屋の真ん中に向けてかざすと、他の3人も次々と手をかざした。
「じゃこうの香りがしてきた…」真里菜が目をぱちくりさせる。
「…今、ロープ見えたよ。壁に吸い付いていった!」
恭介が興奮して充の腕をぎゅっと握ると、充は龍に向かって叫ぶ。
「強すぎまする!」
「…ごめん、ごめん。話がもれない程度でいいんだよね」
「そうだね。これ以上強くするとママが気付くかもしれない。今日はアメジストの指輪してるし」翼が言う。
「これぐらいで、よろしいでしょう」
進が手を下ろすと、他の3人も手を下ろした。
「あの…石をつかわないんですか?」奏子が進に尋ねる。
「石を使ったほうが早く強く張ることができますが、敏感になっている人には気付かれやすいですからね」
「ママと直哉おじさまと清子おねえさま、ものすごく周囲の様子を気にしてるもんなあ」
「じゃあ、奏子が3人をおうちに帰してきましょうか?」
「奏子。それだと他の人がものすごく気にするよ…」
「まあ、結界があれば、彼らが気にしたところで、こちらの会話内容は漏れません。大丈夫ですよ、奏子ちゃん」
「じゃあ改めて」龍が一同を見回す。「四神と結界の説明、それから皆の能力に対する認識を一致させよう。秘密にしておきたい部分は言わなくてもいい。どういう場面なら役に立ちそうかだけ教えて」
「龍くん、ごめん。その前にジオラマ出してくるよ。別荘の周辺と安房鴨川線を形作ってるから、明日この近辺をどう動くかを確認しやすいと思うんだ」
「手伝います」弾は心なしかウキウキして見える。
「そこのドアの向こうが書庫で、その奥にありますから。…皆は2、3分待っててね」
翼は弾と共にドアの向こうに消えた。
「じゃあ、それまでれんしゅうしよう」悠斗が聖人、真琴、華音を呼び寄せ、4人の真ん中に左手をかざした。「聖人さま、真琴さま」
「はい!」呼ばれた二人は声を揃えて返事をする。
「ねこしゃん、ねこしゃん…」
「ロープの“プ”!」
双子たちが左手を前に出すと、3人をつなぐように、ぼんやりと“ロープ”の輪郭が見え始めた。
「充くん、できてるよ」
「もんだいは、次でござる」
「華音。やってごらん」
悠斗に言われた華音は、ひよこのポシェットをポンポンと叩いて左手を出した。
「うーたん!」
「うわあ、すごいよ、充くん。キラキラしてる」
恭介に言われても、充はただじっと“ロープ”を見つめるだけだ。
その“ロープ”は、華音が手を振るたびに明るさを増していく。
「悠斗。そこまでだ。華音さまの体力がもたない」
「…華音、もういいよ。よくできたね」華音の左手を自分の右手で握りながら下ろさせると、悠斗は双子たちにも声をかける。「おふたりとも、手をおろしてください」
「おしまい?」一緒に首を傾ける聖人と真琴。
「はい。ここまでです。とってもじょうずでした」
悠斗に褒められた二人は、うれしそうにジャンプすると、ジオラマの台を押して運んできた弾のところへ報告に行く。
「龍くん、おまたせ。今度こそ改めて…と、そうそう、さっきの四神による結界だけど、まりりんたちにちょっと勘違いさせちゃったかもしれないね。
一方位二人ずつ、8人で守ろうと言ったわけじゃないんだ。ひとつの結界は4人で、それをふたつ、あるいは二重にするというふうに捉えてくれればいいよ」
「じゃあ4の倍数でないとダメだよね」恭介が言う。「やっぱり亀をついかしないと」
「そういうことだね」龍が笑う。「例えばそうだな…東の青龍を僕、西の白虎を聖人、南の朱雀を悠斗くん、北の玄武を充くんで1チーム。その内側に、東を紗由、西を真琴、南を華音、北を奏子ちゃん」
「男女べつなんだ」真里菜が小さく頷く。
「にいさま、それまずいです…華音ちゃん、悠斗くんといっしょじゃないから怒ってる」
ふと見ると、華音が龍をにらみつけている。
「龍くん。じゃあ華音ちゃんは悠斗くんのところに付けていいよ。抜けたところは僕が入る」
翼の言葉に途端に笑顔になる華音。
「わかった。そうしよう。で、赤ちゃん4人を、その二つの結界で外敵から守る。あるいは彼らに力が出てきた時には、その状態に無理がないように、結界の中において保護する」
「4人の力って、もう出てくるの? まだ小さいのに」恭介が尋ねる。
「練習だよ。いずれそうなった時に、ちゃんと彼らを守れるようにね」
「ぼくはだれとれんしゅうするの?」
恭介が聞くと進が答えた。
「私と練習しましょうか。まりりんちゃんも一緒に」
「ひとりたりないよ?」
「この子が手伝ってくれます」
進は恭介と真里菜を手招きすると、胸ポケットから半紙で折られた鶴を取り出し、ふわっと自分の横へ投げた。進が先ほどのように左手を前にかざすと、その鶴からも“ロープ”が放出される。
「うわあ。すごいや。ねえねえ、そのツルどうやって作るの?」
「それは追々」
進はにっこり微笑むと、投げた鶴をまるでつながれた糸でもあるかのように、ふんわり手繰り寄せ、胸ポケットにしまった。
「じゃあ四神についてはそんなところでいいかな」
龍がメンバーを見回すと、皆頷いた。
「次に、皆の能力について確認し合おう。…と、その前にまりりん、君は席を外してくれないかな」
「え…?」
「“禊”側に漏れると困る情報だから」
「龍くん! まりりんはひみつを、もらしたりしません!」
奏子が龍に抗うのを見たのは皆初めてだったので、驚くと同時にピリッとした空気が一瞬にして流れ渡った。
「そうだよ! だいたいさ、“命”と“禊”はいっしょになったんだから、ひみつとか、もれるとか言うほうがおかしいよ!」恭介も奏子に加勢する。
「いかにも。ムダな敵対心はいさかいのもと。ですが龍どのはいったい…」
充の言葉を遮るように紗由が言う。
「なにを見たいの? にいさま」
聞かれた龍は紗由には答えず、悠斗に話しかける。
「悠斗くんはどう思う?」
「うーん」悠斗はくるりと後ろを向くと腕組みしながら言う。「しゅみがわるくてよ」
「うわぁ、“命”さまだ」驚いて一方後ろへ下がる恭介。
「姫よりにてるでござるな…」
「龍くんは、悠斗くんのものまねのうでが知りたいんですか?」まだ怒っている様子の奏子。
「いや、そういうわけじゃないんだけど…」
笑いそうになる龍だが、とても笑える空気ではないので、とりあえず咳払いしてみる。
「まりりんの鼻が、どれぐらいきくか知りたいの?」真里菜が龍の前に歩み出た。「それなら、外に出たって、あとでみんなに質問すれば、そのときのにおいで本当かウソかはぜんぶわかる」
「細かい内容は?」
「それもわかるから」
「どうやって?」
「おしえない。充くんが言ってたもの。ヒミツでないと、ヒミツ兵器にならないって」
手を腰にやり仁王立ちする真里菜に、正面の翼が笑い出した。
「おにいちゃま。何がおかしいの? まりりんがたいへんなのに!」
「…奏子は失格だ」
「…おにいちゃま?」
「恭介くんもだよ。仲間を思う気持ちはわかるが、感情的になりすぎだ。そういう思念と一緒に他の情報が漏れる場合もある。進子おねえさんレベルの人なら、一緒に考えていたことまで全部わかっちゃうよ」
「たとえそうでも、別の確かめ方があるはず」充が珍しく不機嫌そうに言う。
「そんな悠長なことは言ってられないと思ってるんだろ、龍くんは。弱点は今ここで極力改善しないといけないと」
「何で、そんなにあわててかいぜんしなくちゃいけないのさ。どうして、ぼくたちを怒らせるのが弱点のかいぜんなわけ?」
「恭介どの。龍どのは、あねごが怒った時にもれてくるものをゲットしたいのでござるよ」
「ごめんね、まりりん」紗由が真里菜の顔を覗き込んだ。「にいさまがいじわるで」
「…いいよ、紗由ちゃん」真里菜がうつむく。「奏子ちゃんが言うように、まりりんはひみつをもらさなかった」
「いいじゃない。ヒミツ守ってるなら」恭介が言う。
「“禊”がわのことで知ってること、みんなにぜんぶ話してない…」
「そ、そうなの?」驚く恭介。
「まあ、教えてくれとも言ってないでござるしな」
「じゃあ、教えてくれないか、まりりん」翼が言う。「さっき、言いかけて口ごもったこと」
真里菜はこくんと頷いた。
「二条さんね、うちに来たの。変な黒マントの人といっしょに」
* * *
子どもたちがジオラマ見学から戻ると、半分程度のメンバーは別荘を離れた。
といっても、車で10分程度の場所にある華織のマンションへの、宿泊のための移動であり、明朝にはまた戻ってくる予定だった。
四辻の別荘に残ったのは、響子、翼、奏子の四辻家、夕紀菜、真里菜、梨緒菜、星也、哲也、直哉の久我家、未那、悠斗、大斗、進の高橋家と、弾、龍の15人で、進と弾は仕事の打ち合わせと称して、少し早めにリビングを離れた。
「進さん、まりりんちゃんが見たのは何者だったんでしょうね。彼女に匂いをかがせないというのは…」
「匂いを薙いだんだろうが、今の“禊”側に、彼女の鼻をかいくぐれる人間がいるとは思えないな」
「しかも全身黒マントで頭巾っていうのも…」
「匂いを薙げるなら、別に顔を見せても直哉氏の記憶を薙げばいいだけだ」
「そうですよね。お客様の多い家だし、普通の格好なら、まりりんちゃんだってさほど気にしなかったで……あ!」
「そういうことだな。彼女に気にして欲しかったんだろう。だからあえて彼女しかいない日に訪れたんだ。普通に考えれば、そのことは紗由さまたちに伝わるはずだが…」
「でも、まりりんちゃんは誰にも話さなかった。彼らが久我家を訪れたのは3ヶ月前、もっと早く情報が拡散してる予定だったでしょうね。相手側にしてみたら予定が狂っているはずです」
「彼女の話、よく検証する必要がありそうだな」
進は先ほどの真里菜の話をもう一度よく思い起こした。
* * *




