農夫の初戦闘
「――この姿は……?」
視界を覆っていた真っ白な光がやむと、まず驚いたのは、自分の格好だった。
どういうわけか、いつもの使い古しのボロ服姿から、派手な鎧マントの姿へと変わっている。
どこかで見覚えのあるような格好だと思ったら、子どもの頃に読んでいた英雄物語の主人公の姿によく似ていることに気付いた。
まったく同じではないが、雰囲気がよく似ている。
そして――力。
体の奥底から、何かすごい力があふれてくるのを感じる。
「――っ!」
そのとき、例の異形の怪物が、俺にめがけて飛びかかってきた。
四対八本の腕、そのうちの一本が、瞬く速さで振りおろされる。
長く鋭く伸びた四本の爪が、確かな殺傷能力をもって、俺の身に迫る。
「くっ……!」
俺はとっさに左腕を振り上げ、その爪による斬撃を受け止めた。
左腕に身につけた小手が、衝突の瞬間に輝きを発し、怪物の爪を弾きとばす。
普段の俺では考えられない動きの俊敏さだった。
それに、とてつもなく速い怪物の攻撃も、わりと難なく認識できたし、その点にも違和感があった。
しかし一方、怪物の攻撃も、それで終わりではなかった。
別の三対六本の腕が同時に、俺を捕まえようと振るわれる。
「――このっ!」
俺は捕まる前に、がむしゃらに怪物の胴を蹴りつけた。
その蹴りは怪物の腹部に命中し――怪物の巨体は、奥へと吹き飛んだ。
ずぅんと、重たい振動音。
吹き飛んだ怪物の巨体は、進路上にあった太い木の幹にぶつかって、その半ばまでをへし折った。
怪物は折れた木の幹に埋まり、うなだれるように動かなくなる。
「す、すげぇ……!」
一番驚いているのは、蹴りを放った姿勢のままの、俺自身だった。
わけが分からない。
俺は夢でも見ているのか。
「……それが、Sランク魔装、『ゴッドナイト』の力だ……ぐっ、がはっ……!」
足下で倒れている男が、そう言いながら血を吐く。
それから苦しそうに、ごほごほと咳き込んでしまう。
「お、おい! いいからこれ以上しゃべるな!」
「はぁっ、はぁっ……どの道、俺はもう助からんさ……だが、最後に『ゴッドナイト』を託せる相手が見つかって、良かった……頼んだぞ、農夫……」
「おい、バカ! 何言って――」
俺が介抱のために抱き上げようとしたそのときには、男は両のまぶたを閉じ、その全身を力なく地面に横たわらせていた。
事切れていた。
でもその顔は、少しだけ満足げに見えた。
「くそ――勝手なことばっか言って、勝手に死にやがって。だいたい農夫農夫って、俺にはクルスって名前が――」
そこまで独り言を言って、こっちも男の名を知らなかったことに気付く。
お互い様だ。
それにしても、はからずも、とんでもない遺言を聞くことになってしまった。
こんな死に際の願い、無視をするわけにもいかない。
「王都か……確かリンドバーグの街から、北に三日ぐらい行ったところにあるんだったか……」
俺は日の暮れかけた空の下、ここまで歩いてきた道を振り返る。
その先には、いつも野菜を売りに行く、リンドバーグの街がある。
自慢じゃないが、俺は街や都市と名の付く場所には、村の最近隣にあるリンドバーグの街以外、行ったことがない。
王都なんていうのは、実在するのかどうかも分からないぐらいだ。
そうして、俺が旅路に想いを馳せていた、そのとき。
「グオオオオオオオオッ!」
木の幹に埋まり、動かなくなったかと思っていた怪物が、雄叫びをあげて立ち上がった。
「なっ……まだ動くのかよ――!」
倒したと思って油断していた。
俺はとっさに、足下の男の遺体、その腰から剣を抜き取る。
そして、八本の腕を振り上げ猛スピードで突進してくる怪物を、迎え撃つ。
八本の腕が、俺の体を跡形もなく粉砕しようとばかりに、一斉に振り下ろされる。
俺はそれが振り下ろされる前に地面を蹴り、放たれた矢のように怪物の懐に突っ込んだ。
そのまま怪物の胴に、思い切り剣を突き立てる。
剣は怪物の腹部の、表皮と筋肉と骨と内臓をすべてぶち抜いて、剣先が背中まで抜けた。
だが、それで怪物が動きを止めることはなかった。
八本の腕が俺の体を包むように、押さえ込もうとしてくる。
「くそっ……だったらこれで、どうだよ――!」
俺は捕まる寸前、怪物の胴に突き立てられた剣を、横なぎに思いきり振り抜こうとした。
だが――
バキンッ!
剣の刃が、根元近くからへし折れた。
俺の手元には、剣の柄と、その先にほんのわずか、手のひら大の刃だけが残る。
「ウソだろ……ぐっ!」
そう思っているうちにも、俺の体は怪物の八本の腕に捕らえられた。
そして怪物はそのまま、俺の体を締め付けようと、あるいはへし折ろうと、腕に力を込めてくる。
「ぐっ……う……!」
魔装というものの力のおかげなのか、思ったほどの締め付けではなかった。
体感では、普通に人間に締められているのと同じぐらいか、いっそそれよりも弱いかもしれないぐらいだ。
しかしたやすく身動きが取れるわけでもない。
さほどでない力であっても、八本の腕に拘束されていれば、脱出は困難だ。
そうこうしているうちに、目の前の怪物の口が、大きく開かれる。
そこには鋭い牙が立ち並んでいて、その大きく裂けた口が、俺の首筋にかみつこうとしてくる――!
「んなろっ……!」
俺はそこに、しゃにむに頭突きをくらわせた。
頭突きは怪物のあごにぶち当たり、怪物は苦悶の叫びをあげる。
同時に、俺の体を締め付けていた八本の腕の力が、少しだけ弱まった。
俺はその隙になんとか締め付けから脱出し、右手の剣の、わずかに残った刃の部分で、怪物の首をかき切った。
怪物は、首から紫色の体液を勢いよく吹き出しながら、地面にどうと倒れた。
それから怪物は、黒いもやのようになって、跡形もなく消え去った。
そのあとには、紫色の宝石のようなものが一つ、ころりと地面に転がる。
「はあっ、はあっ、はあっ……今度こそ、倒しただろ……」
俺は息を整えてから、地面に落ちた宝石を拾う。
紫色の宝石は、こぶし大よりも少し小さいぐらいだった。
俺はそれを何気なくポケットにしまおうと思って、今の格好にポケットがないことに気付く。
「この格好、どうしたら元に戻るんだ……ひょっとして、ずっとこのまま……?」
俺がそう思っていると、しばらくしたら、自然に元の姿に戻った。
鎧マントの衣装が淡い光を発し、無数の光の粒になって消えたかと思うと、俺は元の服装に戻っていたのだった。