シャルの胸騒ぎ
しばらくしてシャルが泣き止むと、二人は背を大木に寄り掛けて座り込んだ。
高さに違いがあるが肩を並べ合い、密着することで互いの存在を感じていた。
そしてシャルにとっては心の温かみとなり、一人でないと安心することができた。
「魔王……」
シャルは魔王の腕にしがみつき、魔王の体へと頭を垂らして緑の髪をくしゃくしゃにする。
花の香りに混ざってシャルの匂いを魔王は感じながらも、呼びかけられたことに反応して聞き返した。
「なんだ、シャル」
ただ魔王はそう言っただけなのにシャルは目を閉じながら安心しきった表情で、口元を緩めて笑ってみせた。
まるで子供のような仕草で、どこまでも純粋で一途なものだ。
それからシャルは呼びかけたにも関わらず、意地悪っぽく短く答えた。
「えへへっ、何でもないですよ……。ただ、呼びかけたかっただけです」
「変な奴だ。意味もなく呼ぶとは」
「用は無くても……、意味ならありますよ…」
「ほう、それならどんな意味があるのか訊きたいものだな」
「魔王と呼んで…反応してくれる。それで私は……、一人でないと実感できるんです。近くに誰かが………魔王がいてくれる…。それだけで私は嬉しくて、幸せ…」
この言葉に今度は魔王が薄く笑った。
でもそれはシャルとは違って、安心というよりはちょっとだけ小馬鹿にした愛想笑い。
魔王が初めて相手に向けた優しき笑みだ。
「昔から思っていたが、本当にお前は不思議な奴だよ。何を考えて言ってるのかわからない時がある」
「そうなんですか…?なら、この想いもまだ魔王には分からない…ですかね。でも、いいんです。いつか……一緒にいれば魔王はこの気持ちを、理解してくれると思って…いますから」
「どうだろうな。理解できるように努力はする。そういえばシャル、魔剣のことだが」
魔王は隣の地面に置いてあった魔剣を手にして、シャルに手渡した。
一体何かとシャルは魔剣を眺めながら呟く。
「魔剣が…、どうしましたか?」
「これからはその魔剣をお前が持ち歩くといい。形見というだけではなく、それがお前の父親の願いであるには変わらんからな」
「そうですね…。それにこれがあれば私も少しは力になれると思います。お父さんだと思って、大事に…します。では、魔王。そろそろ行きましょうか…」
「そうだな、そろそろサキュバスも仕事に戻っているだろう。地帝のことを報告しないとな」
シャルはそう言いながら何気なく魔王の頬を軽く叩くように触れて、立ち上がった。
この行動に対して、変に甘えるようになってきたなと思いつつも魔王も立ち上がる。
そして魔王が転移魔法を発動させようとしたとき、シャルは魔王に触れた手に赤い液体が付着していることに気がついた。
「え、これ……」
魔王の頬を浅く斬ったときにできた傷の血だろう。
普通なら出血していても当然なのだが、シャルはそのことに驚いて魔王の顔を慌てて見る。
するとうっすらと傷跡がついている魔王の頬を確かにみた。
大悪魔との契約時の戦闘では、傷ができた直後にほぼ完全に完治していたはずなのに。
シャルは何だか自分はとんでもないことをしてしまったのではないかと、胸騒ぎに襲われて不安そうな顔をした。
そうして転移魔法が発動して景色が変わると、着いた先は北の支城だ。
場所は魔王の自室で、殺風景な風景が広がる部屋だ。
支城は部屋数が前の魔城と比べると極端に少ないために、別種族同士の相部屋がほとんどであった。
それは魔王も例外ではなく、今ではシャルと同室で過ごしている。
ただどちらもあまり物欲が少ないために、部屋を飾る物は一切無いと言っていい。
「シャル、次は東の地で氷帝に会いにいくつもりだ。残った人間の軍の動向が気になるからな。疲れてないならついて来るといい」
シャルは帽子を外して手に付いた魔王の血を隠しながら、魔王の顔を改めてみる。
今見れば頬の傷は完全に治っている。
でもやはりシャルは少し不安そうな思いを隠せずにいた。
「そ、そうなんですか。ついて…行きます。でも先にサキュバスさんに報告していくんですよね。私、少しお手洗いに行きたいので、ここで待ってます…」
「む、そうか?まぁすぐに戻る。しかし休憩が欲しいなら無理について来なくていいのだぞ?」
「大丈夫、です。魔剣の調子も見ておきたいので…」
「わかった。では、すぐにまたあとでな」
シャルの不審な反応を怪しく思いながらも、魔王はシャルに背を向けて自室から出て行った。
そして数秒経って魔王が廊下を歩く足音を聞くなり、シャルはすぐに自室についている洗面所の方へと走っていく。
質素な作りがなされた洗面所の蛇口のハンドルをひねり、水が勢いよく流し出される。
シャルはその水で手についた血を洗い流し、気が付けば泣きそうな顔となっていた。
よく分からない感情が湧いてくる。
魔王を傷つけたことを恐れていることもあるが、それ以上に魔王の傷の治りが遅かったことに恐怖感を抱いていた。
もしあのまま傷が治らなかったらと考えると、それは魔王は普通の生物と変わらないことになる。
だから、魔王も死を迎えてしまうかもしれないという突飛的な考えが頭をよぎった。
嫌だ、死んで欲しくない。
頭を砕かれても生きていた魔王なのだから死ぬわけがないと分かっているけど、それでも恐い。
「魔王…!」
シャルは手を洗い流すと、力なく床へと座り込んだ。
具体的に何を恐れているのか自分にも分からないのに、不安だけが残る。
魔王が死ぬなんて絶対にありえない。
でも、やっぱりいつか魔王は私を残して死んでしまうのではないかという考えをしてしまった。
私にとっての安寧は魔王といること。
この安寧を絶対に失いたくない。
一方、魔王はサキュバスがいるであろう執務室へとおもむいた。
一応入る前にノックしてみたが返事や反応はない。
仕事に集中していて気づかないのはありえないだろうし、まさかまだ寝てるのかと思いながら執務室を開けた。
執務室の中は出て行った時と何も変わらない状態で、魔王の魔法で整理された跡しかない。
変だなと思いつつも魔王は執務室を覗き込んでみたが、やはりサキュバスの姿が無いので魔王は転移魔法を使って食堂へと移動してみる。
料理人のワイトなら話を聞いているかもしれないと思っての転移だったが、魔王は食堂に着くなり全てを把握した。
「サキュバス……、まさかお前ずっと食べていたのか?」
「あっは、魔王様ぁ。もう帰って来たんですかぁ?早いですねぇ、まだでかけて数時間じゃないですかぁ」
「お前はその数時間、ずっと食べていたのか。さすがに呆れたものだな」
サキュバスはテーブルに積まれた食料を口にしながら、にこにこと幸せそうな笑顔をしていた。
食事をして一眠りしてから仕事しろとは言ったが、さすがに全ての時間を食事に費やしているとは思ってはいなかった。
このことに魔王は苦笑いしかできずにいた。
しかし魔王のそんな様子にもお構いなく、サキュバスは食事を続けていく。
「やれやれ、仕事の話をするぞ。食事は一旦中止だ」
魔王はテーブルに触れて転移魔法を発動させると、大量の食料を乗せたテーブルは近くに離れた場所へと移動させられる。
それでもサキュバスはまだ手に持っていた食料を食べながら、話を続けるのだった。
「それで、西ではルナって雌の情報は掴めたんですかぁ?」
「ルナについては手がかりは掴んでいないが、勇者アテナの生存を地帝が確認した。おそらくルナはアテナのために奔走していたのだろうな。それで各地方に連絡を飛ばしてくれ。今の勇者は地帝を打ちのめすほどに、並大抵の魔物では太刀打ちできない強さを持っている。だから手は出さずにアテナの居場所と行動を報告しろと」
「はぁ…なんだか面倒そうなことになりそうですねぇ」
「っくははは、面倒なものか。まだ戦いは続いているということだ。退屈しないで済むのは喜ばしいことではないか」
「ん~そうかなぁ。でも、人間が抵抗してくれるおかげで、私は今の立場にいれて美味しい物を沢山食べれますからねぇ。悪くはないかなぁ」
「では、よろしく頼んだぞ。俺は氷帝に会いにいく」
「えぇ、あの超絶に嫌な性格をした氷帝のおばさんにですかぁ?はぁ…行ってらっしゃい魔王様」
サキュバスからやる気ないエールを送られながらも魔王はテーブルを転移魔法で元に戻し、更に転移魔法を発動させて自室へと舞い戻った。
すると自室にはベッドに鎮座したシャルが魔剣を携えならがも、青い帽子を被らずに待っていた。
軽く室内を見渡すが青い帽子はどこにもなく、シャルは少し暗い表情へとなっている。
「帽子はどうした、シャル?」
「帽子ですか?帽子は血……じゃなくて濡れてしまったので魔物さんに干して貰うように頼みました」
「ん?…そうか。もう準備がいいなら行くぞ、大丈夫か?」
「大丈夫です、行きましょう。氷帝さんに会いに東の地へ」
シャルは立ち上がって魔王にしがみつく。
初めて会った時もそうだったが、なぜ言ってもいないのにしがみつくのか不思議に思いながらも魔王は転移魔法を発動させて、次は氷帝に会いに東の地へと転移した。




