隻眼の勇者アテナ
アテナはセイラに肩を貸してもらいながら、松葉杖を使って洞窟内を進んでいった。
洞窟内は岩の部分がほとんどのように思えるが、土で固められてように見えるので、ただ掘られた場所だとも思えない。
最低限ではあれど整備がされているようだった。
その中を二人は急いで進んで行くが、気持ちが焦るばかりで歩行速度は遅い。
「明かりが据え付けてあるな。天狼とルナさんが事前に点けてくれたのか」
「うん、多分見つけた時にだよ。おかげで手間いらずだね。急ごう」
アテナが言い出したとおり、洞窟内は一定間隔で松脂やランプで照らされていた。
それでも薄暗いところがあって、通る風が酷く冷たかった。
やがてその通路を進んでいくと、羽ばたいて風を切る音が聴こてくる。
それも進んでいる先からだ。
何事かと思うと前方から巨大なコウモリが一匹、アテナとセイラ目掛けて飛んできた。
コウモリの魔物だ。
まさか人が通る程度しかない洞窟にこんな魔物がいるなんて、後方のことばかり考えていて油断していた。
「セイラ頼む」
アテナは自らセイラから離れて、松葉杖を使いながら壁の方へと寄りかかった。
そしてセイラは手早い動きでナイフを取り出し、コウモリにへと投げつけた。
ナイフは的確にコウモリの顔に突き刺さり、血を噴き出して暴れながらコウモリは地に落ちる。
そして遅れてナイフが燃え出してコウモリの顔が焼けていった。
「これでよし、行こう」
あっさりと敵を撃退すると、セイラは再びアテナに肩を貸して先へと進んだ。
するとやがて進んで行くと、洞窟内には不自然な扉があった。
扉の周りは木製の壁で覆ってあって、まるで洞窟内に一室作り上げられた構造になっていた。
明らかにこの壁は洞窟とは遮断してある。
見るからにこの扉の先が一番奥となる場所だ。
二人は進んで扉を開けようとしたとき、後ろから何かが迫ってくる足音と気配を感じ取った。
洞窟という環境のおかげで、よく音が反響して聴こえてくる。
だが問題は聴こえてくる足音だった。
その足音は不器用そうなもので重く雑な音だ。
だからすぐに足音の正体は天狼やルナでは無いと、セイラとアテナは感づいた。
アテナは振り返りながらも呟いた。
「まさか天狼がやられたのか?」
「…きっと追ってきた敵が到着して何体か洞窟に逃したんだと思う。ここは私が相手するからアテナは部屋の中に行って」
「あぁ、すぐに済ませる。頼んだ」
アテナはセイラの言われたとおり素直に先へと進むために、扉を開けて部屋の中へと入っていった。
そしてセイラは武器を構えて洞窟の出入り口の方へ向き直す。
爆破の式術を使いたいところではあるが、洞窟内ではさすがに使えない。
となると必然的に使用できるのは、次点に攻撃として有用な火炎の式術だけだ。
しかし場所が狭いこともあるので、火炎の式術も大量には使えない。
だからといって泣き言や悲観はしない。
たとえ敵が何体と来ようと。
やがてセイラの見つめる先から多くの魔物がやってきた。
そして室内に入ったアテナは部屋の扉を閉めて、中を見回した。
部屋の中は全体が木製の壁で覆われていて、まるで小屋のようだった。
ただ内装は特に言うことがないほどに、もぬけの殻で家具の類は一切置いていない。
代わりに部屋一面に人間には理解できない文字が書かれていて、床には大きく魔法陣となる円系の模様が描かれている。
何でもないはずなのに明らかに異質な空間だ。
まるでここだけ別の世界のような雰囲気すら感じ取れる。
アテナは魔法陣の中央に座り込み、懐から準備の時にルナに手渡された小瓶を取り出した。
その小瓶には赤い液体が少量入っていて、見るからに血のような液体だ。
誰の血か、何の血か分からないが天狼に言われた通りに口にするしかない。
アテナは躊躇いなく小瓶の口を開けて一気に飲み込んだ。
苦々しい液体の味が口に広がりきる前に飲み干し、体の中を満たしていく。
そしてすぐに異変は起きた。
体が異様に熱くなる。
飲んだ液体がまるで燃えているような感覚もある。
その熱さは体を悶えさせるほどで、飲んだ液体が少量に関わらず全身が燃えだしているみたいだ。
血だ。
飲んだ分だけではなく、すでに全身の血が熱い。
まるで自分の血ではないものが流れていると思うほどに、体がおかしい。
息詰まる感覚、軋む痛み、熱い血液、脳が潰れたかと思うほどに強烈な頭痛と共に背景が狂っていく。
「あぁ゛!うあぁあぁあああぁっ…!」
アテナは潰れた悲鳴をあげた。
うまく声も出せないほどに体の自由が効かない。
このままだと死んでしまいそうなほどだ。
どうしようもない痛みと熱が肉体を殺そうとしてくる。
ここでアテナは願えってのはそういうことかと気づく。
生きたいと、強く願って意識を保てということか。
このことにアテナは苦笑してやりたかったが、そのリアクションする余裕もない。
ただ死にそうな悲鳴をあげるしかなかった。
やがて背景が乱れる共にアテナは幻覚を見始めた。
それはこの部屋という同じ光景でありながらも、別の誰かがいた。
その人物の見た目は緑髪の壮年の男性で、耳が人間と比べて大きく尖っていた。
そして腰には二本の美しき剣を携えていた。
片方の剣は知らないが、もう片方の剣は見覚えがある。
今、自分が持っている魔剣だ。
同じ魔剣を緑髪の男性が持っている。
『……誰だ』
緑髪の男性は急にそう呟いた。
アテナはふわふわと浮いた感覚でありながらも、慌てて辺りを見渡してみたが他に誰もいない。
おそらく自分に語りかけているのだと、アテナは何となくだが思った。
「俺のことか?」
『そう、貴方だ。貴方は何者だ。なぜこの領域にいる。ここは禁忌の力に触れた呪われし場所。魂だけしか存在できず、魂を殺すための空間。それに貴方の捧げた魔力の血、それは私の娘のものだ』
「…なんのことか分からない。何を言っているんだ」
『何も知らずにここに来て、禁忌の力に触れるのか。しかしその捧げた魔力、あまりにも微弱。どうやら僅かな血だけのようだな。だから上位世界に干渉できずに、時間という脆い概念にしか干渉できていない。では、単純な質問だけさせてくれ。今、貴方のいる世界はどうなっている』
あまりにも唐突な質問。
それに相手からの説明は何もなく、少し答えづらいものがある。
まるで緑髪の男性は別の世界、別の時間にいるような口ぶりだ。
アテナは戸惑いながらも質問に答えた。
「今、世界は魔王に支配されようとしている。人間は滅亡の危機に陥り、多くの生命が失われようとしている」
『魔王?……そうか。あいつは人間にまで手をだしたか。つまり私は成し遂げずに死んでいるということか。まぁ…それも運命として受け入れよう。では、貴方は私と同様、あいつを……魔王とやらを止めるためにここ来たのか』
「いや、俺は自分の体を治すためだ。確かに魔王を倒すためでもある。でも、まずはこの動かない体をどうにかしないと人間を救えない」
『まるで英雄のような口ぶりだ。人間もずいぶんと勇ましくなってくれた。素直に私は嬉しい』
「それで、ここでは俺の体は再び動くことが可能になるのか?」
『どうだろうな。もしかしたら、全身が一生動かぬ身になるかもしれない』
それは寓意で死を意味している言葉だった。
『しかし貴方が望むとおり、体が満足に動くことも可能だろう。それも、より強大な力を身に宿してだ。私はその強大な力を手にするためにこの空間を作った。私自身の血を使うために長く生きることはできないだろうが。それに…』
「悪いが余計な話はいい。どうすればいい、どうすれば俺は体を治せる」
『すでに力を手にするための苦難は始まっている。その証拠に貴方の魂は時間に干渉している。きっと私の娘の魔力の血を使ったのと、同じ場所であるために最初はこの時間に触れたのだろう。せっかくだ、これも何かの縁。元の世界に戻れるように私の魔力を分けて導いてやろう。さぁ迷わず進め。唯一、魔力を宿し呪われた人間よ』
緑髪の男性は振り返り、二本の剣を手にした。
すると緑髪の男性の剣は怪しい光りを発しながら輝き、辺りを包む。
このときアテナは確かに感じていた。
妙な力、今まで認識することも感じ取ることもできなかった力だ。
そう魔力。
緑髪の男性の持つ魔力と魔剣に込められた魔力、そして微かにあるアテナの体内の魔力が共鳴してより大きな魔力を生み出した。
やがて輝きは全てを飲み込み、アテナは何度も切り替わり乱れた光景を見る。
赤い月と白い月が見えた。
一人の赤髪の男性が遥かなる天から地上に降り立ち、緑髪の女性と出会う場面。
一人の小さな緑髪の赤ん坊が誕生し、緑髪の女性と楽しく暮らしている光景。
緑髪の女性は緑髪の若き青年と共に張り付けにされ、焼かれる景色。
そして緑髪の青年に近い風貌でありながら、かけ離れた姿となった赤髪の青年が叫びながら血にまみれた景色。
赤い月が落ち、悶えて発狂している赤髪の青年。
何度も意味が分からない、理解できない謎の光景がスライドショーの写真のように切り替わる。
ただ出てくる人物の顔には、全てモヤがかかって見えない。
何一つ分からないし、未来なのか過去なのかも人間の感覚から遥か遠く及ばない領域で、理解を越えている。
そしてさっきまで話していた緑髪の男性が、薄く透き通る羽を持つ緑髪の少女と暮らしている映像。
毎日剣を打つ緑髪の男性の傍らで、緑髪の少女はニコニコと笑っている光景。
やがて緑髪の男性は赤髪の青年に剣を向け、攻撃された様子もなく命果てる場面。
更に切り替わっていく。
次々と連続的に素早く切り替わる。
小さな赤ん坊が変わった施設で動き回る映像。
そして立って間もない様子にも関わらず、刃物を手にして動物を斬っている様子。
やがて赤ん坊は黒髪の美しき少女となり、二本の手斧を手にして訓練している景色。
その少女の隣には、赤黒く薄い刀身の剣を持つ無精ひげを生やした男性がいた。
どこか、その少女にはルナの面影があったように思える。
そして多くの道具が置いてあり、まるで牢獄のような場所に産み落とされた一匹の狼。
その狼は青い毛色で、とても愛想良く育っている映像。
青き狼は驚異的な能力を発揮し、周りの人間に多くの期待と驚きを持たせていた。
だがその同じ成果が欲しいのか、同じく産み落とされて多くの死骸となった狼を眺めている青い狼。
やがて青い狼は建物から抜け出し、自由で広大なる大地へと駆けていく。
見える世界が変わる。
黒いドラゴンが町を焼き払い、俺の妹が死んでいくところ。
そして失意に陥る俺をセイラが無理に引っ張っていく光景。
記憶とは違った視点から何もかもが見えてくる。
そしてこの今いる洞窟内の木製の部屋へと場面が切り替わる。
ただ部屋の中にいたのは俺ではなく、全く知らない四人の人達だった。
一人は影になっていてほとんど見えないが、片腕の無い成人と思わしき人物。
もう一人は薄く透き通る羽を持ち、とても長い緑髪を束ねた少女で、腰には俺に語りかけた緑髪の男性が持っていたひと振りの魔剣。
三人目はどこかセイラの面影がある茶髪の少女。
四人目は群青色のマントとフードを羽織った黒髪の少年だった。
その光景が一瞬だけ見えたとき、完全なる闇に俺は落とされた。
とても暗く、寒い世界。
まるで死んだみたいで、体が動かなく、重みのない空間。
フラッシュバックで地帝と戦うルナ、洞窟の前で戦う天狼、洞窟内の扉の前で戦うセイラの姿が見えた。
けれどすぐに何も無い世界となる。
魂が彷徨ったみたいで、俺はどうすればどこへ行けばいいか分からない。
暗くて、どこが上か下かも分からない。
知らぬ内に光も届かない深海に放り込まれたと同然だった。
もう狂う感覚すらない。
何も分からず、深い闇に溺れていく。
そんな中、俺は無音なる暗闇の世界で聴いた。
少女の声と鈴の音を。
『起きて、私の勇者』
聞き覚えのある声。
もう聴けることもなく、聞くことができるわけもないはずの声。
懐かしい声に、俺は涙を流した。
そして鈴の音を頼りに俺は歩いた。
地面が無いにも関わらず、俺は両足を動かして進んだ。
緑髪の男性は言っていた。
ここは魂でしか存在できない空間だと。
だからこそアテナは出会えた。
死んだ妹に。
『頑張ってね。私はいつでも一緒だから』
響く鈴の音と共に、アテナは目を開ける。
アテナの左手には歪な鈴が握り締められていた。
アテナは起き上がり、自分の居場所を確認した。
さっきまでいた木製の部屋だ。
ただ結界魔法が部屋を守るように包んでいた。
おそらく儀式が始まると同時に、部屋中に書かれた文字が反応して発動した魔法だ。
それもかなり強力な魔力だと、アテナは肌で感じ取っていた。
体は………動く。
片目は失ったままだが、左半身は問題なく思い通りに動いてくれた。
それにこの感覚はいつもと違う。
何か、とんでもない高揚感が胸の中にある。
すぐに皆を助けに行こうとアテナは魔剣を引き抜いた。
すると魔剣は同じ魔力を感じ取り、更なる力を引き出し始めた。
アテナに僅かに流れている、ある半精霊の魔力の血が強くなる。
不思議だ。
まだまだこの程度の力では遠く及ばないと分かっているのに、今なら魔王と互角に戦える気すらある。
アテナは輝く魔剣で結界魔法界を見えぬ速度で切り裂き、松葉杖や小瓶は放置しては扉を開け放ち、部屋から確かな足取りで出ていった。




