目覚め
「ここは………」
アテナは目を覚ました。
どこかの建物の天井、乾いた空気、奇妙な感覚とベッドの温もり。
そして自分の意思通りに動かない体と開かぬ左目。
アテナは起き上がろうとしてみるが、体はまったく反応しないだけではなく、全身に強い痛みを感じた。
だからベッドを軋ませる音しか出せず、せいぜい首を動かして見渡すのが限界だった。
しかも左半身が指先すら動かせないようで、まるで自分の体だとは思えなかった。
アテナは辺りを見渡すと、自分のいる場所がどこかの小屋だと理解する。
レンガ建ての小さな一軒家のような所で、最低限の家具は置いてある。
その動きに気づいたのか、アテナを看病していたセイラが驚きの声をあげる。
「アテナ!目が………覚めたんだね。よかった……、ねぇ大丈夫?意識ははっきりとしている?」
「セイラ…?俺は一体、どうしたんだ……」
ここでアテナは自分の記憶が飛ぶまえのことを思い出す。
そう、確か自分は南の地で巨大な黒いドラゴンと戦っていたはずだ。
がむしゃらに戦い、そして噛み付かれて………その先はどうしたのか分からない。
自分やセイラが生きているということは、勝ったのかもしれない。
分からない、どうしたのか、何があったのか。
混乱するアテナを察してなのか、少し泣き顔になりながらもセイラはアテナの右手を握りつつ説明をしてくれた。
「本当、生きてて良かった…。川の浅瀬で見つけたときは呼吸はしていたけど、反応無かったから死んじゃうのかと思ったよ。すごい心配したんだから」
「川の浅瀬?あぁ……、そう……だったかな」
なぜだろう。
どうして川の浅瀬にいたのか記憶はないのに、変にしっくりとする。
誰かが引きずってくれて、何かしてくれたような気がする。
本当に気がする程度の認識で、何かの夢なのかもしれないのだけど。
「セイラ、あの黒いドラゴンは?南の戦いはどうしたんだ?あれから…どれくらい時間が経っているんだ?他のみんなはどうしたんだ?」
「落ち着いて、アテナ。ゆっくりと説明はしていくよ。まず黒いドラゴンはアテナ、あなたが倒したの。最後に魔剣で喉を刺し貫き、苦しんで動かなくなったわ。最後に様子が少しおかしかったけど、死んだのは間違いない」
セイラはアテナの右手を放し、近くのテーブルへと歩く。
そのテーブルにはコップや皿とランプ、パンが入ったカゴに薬草が積まれていた。
そしてセイラは薬草を皿の上ですりつぶしながら話を続けた。
「それで南の戦いだけど、結果的に言えば負けたの。でも、そのことを上の人達は想定していたのか、食料や資材に民間人の多くは東の地に送っていたみたい。それでも被害は物凄いのだけど、できるだけ最小限に抑えたって所ね」
「負けた、のか。なら俺が意識を失ってだいぶ時間は経っていることになるな」
「一週間ちょっと…、十日間はアテナは眠っていた。本当、すごい傷と血だったんだから気が動転したわ。その後、ルナさんも自力で歩行はしていたけど酷い傷だったし、天狼と私ですぐに医療部隊に連れていったんだから。戦いに負けたせいもあって、今は西の地にいるけど」
「西の地……」
西の地は噂程度の話ではあるけど、かつてエルフが住んでいたと聞いたことがある。
ただ西の大地の大半は死んでしまっていて、人間や魔物にも厳しい環境だ。
だから人の手は行き届いていないが、魔物も多いわけではない。
そう考えると、今は最も安全に安静できる場所かもしれない。
エルフがいたということもあってなのか、多くの薬草も採れるとは聞いている。
だから設備のことを考慮しなければ、安静するには適している地だ。
「十日も経つのか。変な感覚だ、意識が無かったせいでそんなに時間が経ったように感じない。それでルナさんや天狼は今はどこに?」
「ルナさんと天狼はこの西の地で探索している。何かを探しているみたい。多分、すぐに戻るとは思うよ」
「そうか…」
アテナはまだ体が思う通りに動かないなと考えながら、右手で自分の腹部に触れた。
すると自分の胸や腹の傷が、完全に癒えていることに気づく。
黒いドラゴンの牙で貫かれたはずなのに、もう傷は治っている。
たったの十日間で治るわけがない。
しかし傷が治っている感じは確かにあり、痛みすらなかった。
どう考えてもおかしいことなのでアテナは奇妙だなと思い、また体を動かそうとするが、やはり左半身だけが動かない。
右半身は何ともないのに、変な感覚だった。
そこで噂をすれば何とやらというべきか、ちょうどルナと天狼が小屋へと入ってきた。
そしてアテナが目を覚ましているのに気づき、ルナは特別に驚いた様子もなく言葉を発した。
「あぁ、アテナ。目が覚めたのね。体の調子はどうかしら?」
「なんだかお世話になっていたみたいで、すみませんルナさん。あと天狼にも心配と迷惑をかけて悪かった。体は…、片目が無いせいで変な感覚がしますよ。開けもしないのは何だか不思議です」
「そうでしょうね。片目なのは訓練すればすぐに慣れるわ。最初は距離感を掴むのは苦労するでしょうけど。それで他は大丈夫なの?」
そう続けて訊かれて、アテナはもう一度左腕を動かそうとする。
やはり何度試しても動かない。
一時的なものなのか分からないが、妙な不安が募る。
「左腕が、いや左半身がまったく動かないです。左脚も駄目みたいで」
「左が?………そう、ちょっと失礼するわね」
ルナはそう言って、ナイフをテーブルの上から手に取ってアテナに近づく。
一体何をするのかとアテナだけではなく、セイラも疑問に思って言葉をかけた。
「ルナさん?アテナに一体なにをするんですか…?」
「検診よ。アテナ、痛いだろうけど、我慢しなさいね」
ルナは冷静に言うが、手に持っているナイフをわざとゆっくりとアテナの左腕に近づけた。
思わず恐怖で体が回避しようとするが、うまく動かない。
だから右手で遮ろうとする。
しかしルナは片腕でアテナの右腕と体を押さえつけて、ナイフの刃を左腕に当てた。
ひんやりと冷たい鉄の刃がアテナの皮膚に伝わる。
それからルナはナイフを持つ手に力を入れて、僅かにだが刃を刺した。
それにより痛みがアテナの体を巡り、反射的に体に力が入った。
「痛っ!ルナさん、何をしてるんですか!」
「………やっぱり」
「な、なんですか。やっぱりって」
全くルナの行動の意味が分かっていないアテナは、疑問より不安を感じるしかなかった。
何か、自分では受け入れがたい事実がある。
そのことをルナは確かめのだ。
アテナの体がどうなっているのか、薄々とだが本人も気づいてしまった。
ルナはナイフをしまうとセイラから薬草を受け取り、アテナに刺した傷に押し当てた。
そして神妙な顔つきで、ルナはアテナに告げる。
それは残酷で、アテナにとっては信じがたいこと。
「アテナ、あなたの左半身は麻痺してるわ。いえ、これだと語弊があるかもしれない。もっとはっきりと言うわ。あなたの左半身はこれから動くことはない。人間の力で治るものではないわ」
「え?何を……言ってるんですか」
アテナから最初に口から漏れた言葉はこれだった。
ルナから言われた言葉があまりにも唐突すぎて信じられない。
左半身が動かない?
そんな馬鹿な、それだともう剣を持って戦えない。
こんなこと、信じられない。
現実を否定しようとするアテナだったが、ルナは説明を続けた。
それは根拠ある説明で、本当に左半身が不随になってしまっているという事実に直面させる言葉だった。
「今、見たとおりナイフを刺したけどアテナの体が反応しなかったのよ。右腕は問題ないようだったけど、左は痛みによる筋肉の動きも見られなかった。実際、全く動かないみたいだしね。だとしたら答えは一つだけよ、左半身不随ってこと」
「それなら、この部隊はどうなるんですか。まだ魔王は生きている。まだ戦わないといけない。みんなを守らないといけない。そもそも戦争は続いているんだ!」
アテナは右腕で支えながら、体を無理に起こして訴えかけた。
すると戦争という言葉にセイラと天狼とルナは過敏に反応した。
急によそよそしくなるような反応で、アテナはすぐに態度の異変に気づく。
まさか自分が気を失って眠っている間に、他にも何かあったのか。
アテナはどうしたのかと聞こうとする前に、天狼が口を開いた。
「アテナ、まだ聞いてなかったようだな。戦争は終わった」
「は?戦争は終わっただって?そんな馬鹿な、だって南の戦闘で魔物に敗北したってセイラから聞いたぞ。なのに戦争が終わっただって?」
アテナの言葉から考えると、それは勝利で終わったことを前提にした発言だった。
自分の都合の良い解釈から入るのは、人間なら当然の思考かもしれない。
けれどアテナの疑問は最悪な形で解消される。
最も考えたくない、想像したくない答えによって。
次にルナがとても落ち着いた様子で、答えとなる言葉を一瞬だけ溜めつつも続けた。
「よく聞きなさい、アテナ。…人間は負けたのよ」
「負けた?なぜ!一体何があったんだって言うんだよ!」
「中央地の王国都市が魔王によって潰されたわ。それも人間の骨一つ残さないほどに綺麗に消滅させられた。そして軍も半数以上は死亡して、事実上軍の機能は停止。今では魔物に殺されるか虐げられるか、飢えか絶望して自殺がほとんどよ。だから戦える者はいないと言っていい。…正直、王国都市の跡地は私の眼を疑ってしまうぐらい凄まじい光景だったわ」
この付け足された説明にアテナは困惑した。
ひどく頭が痛くなる。
怒りだか悲しみなのか分からない感情が渦巻いて吐き気すらする。
仮に嘘だとしても卒倒してしまいそうなほどなルナの言葉。
それほどに衝撃が強く、どうにかなってしまいそうだった。
アテナは押し殺したような呻いた声で叫んだ。
「なっんだよ!訳が分からない…!王国都市が消滅?魔王の勝ち?ふざけるなっ…!ふっざけるなよ!なんだよそれ!何だよぉ!嫌だ…。ありえない、信じられない。人間が負けたなんて……、それなら俺たちは…人間はどうなるんだよ。もう魔王に勝つとか、そういう次元の話じゃないだろ!それに王国都市には多くの仲間や友人がいた。そいつらも……!」
アテナの目から涙がこぼれた。
目頭が熱い。
胸の中が苦しい。
旅をしたのはこの三人と一匹だったが、支援や協力してくれたのは多くいる。
軍とは違って独立して武力を持ったギルドという組織が協力してくれたこともあるし、気前の良い商人やちょっとした事件で友人となった人もいる。
軍にだって特殊部隊の勇者達に心から良くしてくれた人はいるし、小さな子が都市を走り回って健気に元気よく生きていた姿や活気ある街の光景を思い出せる。
戦争以外でも色んなことがあって、全てには出会いがあった。
でもそれらのほとんどは王国都市に居た者だったり、あったことだ。
しかし全て死んだ、全部消えた。
何もかも失った気分だ。
体は動かない、戦争には負けた。
今の自分には何もできない。
まさに絶望だ。
もはやアテナは勇者どころか傭兵にも戻れもしなかった。




