↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
49/56

満月花

 日が落ちるのを待って、ルークはリーフェと共に集落を発った。

 ガロンは留守番だ。長老の許しが出たのは、あくまで二人までだった。

「――気をつけてなんだぁ。何かあったら、すぐ呼ぶんだぞ」

「――分かってる。お前も、ここを頼んだ」

「――まかせるんだぁ」

 ガロンは大楯を背負い直し、どんと胸を叩いた。南の見張りが増えているのを、この熊は肌で感じ取っているのだろう。いつもの笑顔が少しだけ引き締まっていた。

 森の夜は昼とはまるで違う顔をしていた。

 満月の光が梢の隙間から降り注ぎ、苔の上に銀色の斑を作っている。リーフェは小さな灯りの精霊を一つだけ肩に浮かべ、足音を立てずに先を歩いた。

「――聖域に近づくほど、精霊が増えるの。驚かないでね」

「――驚くって、何に」

「――見れば分かる」

 半刻ほど進んだ頃だった。

 ルークは足を止めた。

 空気が変わった。重いわけではない。ただ一歩ごとに、肌を撫でる気配が濃くなっていく。木々の間に淡い光の粒が漂い始めていた。青、白、薄い緑。それらが、まるで呼吸をするように明滅している。

「――これが、精霊か」

「――ふふ。人族には見えない人のほうが、多いのに」

「――見えるのか、俺は」

「――あんたは、見えてる。珍しい」

 リーフェが少しだけ意外そうに笑った。

 その時、光の粒の一部がふわりとルークの方へ寄ってきた。

 墨を溶かしたような、黒い光。

「――……!」

「――闇の精霊ね。人懐こい子たち。あんたのこと、気に入ったみたい」

 黒い粒がルークの肩に、頭に、ふわふわと触れては離れていく。くすぐったいような、温かいような感触だった。

(――闇属性がこんなふうに受け入れられるのか)

 故郷の村では、闇属性と分かれば神官に疎まれた。それが、ここでは精霊に歓迎される。胸の奥にじわりと温かいものが広がった。

「――何ぼんやりしてるの。もうすぐよ」

 リーフェに急かされ、ルークは歩き出した。

 やがて木々が途切れた。

 目の前に境界があった。

 十歩ほどの間隔で白い石柱が弧を描くように並んでいる。表面には古い文様が刻まれ、月明かりを吸って淡く光っていた。その向こう側は不自然なほど静まり返っている。

 そして柱の奥のさらに遠く。

 空を突き刺すように、巨大な何かが聳えていた。

 幹の太さは、集落の大樹すら比べ物にならない。枝は雲を押し分けるように広がり、無数の葉が星のように微かな光を零している。

(――あれが……世界樹……)

 息が止まった。

 美しい、と思った。同時に体の奥底がきしりと軋んだ。

 森の入口で感じた細い糸の引きが、今ははっきりとした手応えを持って、胸の奥を引いている。方向が分かる。あの巨大な幹の根元のほう。地面の下。

(――何かが、いる)

 いや、ある、と言うべきか。何か、自分の一部だったものが、あそこに眠っている。そんな確信めいた感覚が頭の中に滑り込んでくる。

「――ルーク」

 足が勝手に動いていた。

 石柱の一本にあと数歩のところまで近づいた時、手首を強く掴まれた。

「――ちょっと! 何してるの!」

 リーフェの顔がすぐ目の前にあった。

「――聖域の中に入らないって、約束したでしょ! 長老との約束なのよ!」

「――……ああ。悪い」

 我に返る。自分がいつの間にか、柱の目の前まで来ていたことに気づいて、背筋が冷えた。

「――どうしたのよ。今、すごく変な顔してた」

「――変な顔って、どんなだ」

「――ここじゃない、どこか遠くを見てるみたいな」

 リーフェの手はまだ離れていない。少し冷たい指先が微かに震えていた。

(――怖がらせたか)

「――すまん。月が綺麗で、ぼうっとしてた」

「――……へたな言い訳」

 彼女は手を離した。

「――でも、約束は守って。あんたを信じて、連れてきたんだから」

「――分かってる。もう大丈夫だ」

 頭の奥の獣はやはり何も語らない。ただ沈黙がどこか期待するような静けさに感じられたのは、気のせいだっただろうか。

「――あった」

 石柱の外側、境界から十数歩離れた木の根元にそれはあった。

 月光を浴びて白い花が咲いていた。

 花弁は薄く、透き通るように白い。縁がほんのりと青みを帯びて、中心から、かすかな燐光が滲み出ている。十数輪が寄り添うように群れて、夜気の中で揺れていた。

「――きれいだな」

「――満月花よ。この時間だけ、咲くの」

 リーフェがひざまずいて花の根元に手を添えた。

「――摘み方があるの。茎を折っちゃだめ。根元から切る。全部は採らない。半分は残す」

 リーフェは腰の革の鞘から、白い小刀を抜いた。

 刃まで骨を削り出して作った小刀だった。

「――鉄の刃で切ると、一晩で萎れて薬にならなくなるの。だから採る時は、骨の刃。エルフは昔からそうしてる」

 もう一本、同じ小刀を取り出して、ルークに差し出した。

「――あんたの剣は、外して置いて」

「――分かった」

 ルークは腰の剣を外して、木の根元に立てかけた。借りた骨の小刀は、軽くて、掌に冷たかった。

 言われた通りに、一輪ずつ、慎重に切り取っていく。刃を茎に当てると、ぷつりと小さな抵抗があって、すぐに離れた。指先に触れた茎はひんやりと冷たく、微かに脈打っているような感触があった。

 六輪ほど摘んだところで、リーフェが手を止めた。

「――これで十分。ヴェーラ婆に渡せば、練って薬にしてくれる」

「――ありがとう。助かった」

「――別に。あたしは、案内しただけ」

 そう言いながらも、彼女は少し嬉しそうに、花の束を布に包んでくれた。

「――治るといいね、あんたの足」

 ぽつりと、小さな声で。

「――……ああ」

 治ることはない。それは、もう分かっている。だが、その気遣いは、素直に嬉しかった。

 帰り道。

 月は中天を過ぎ、森の影が長く伸びていた。精霊たちの光が行きよりも少しだけ薄れている。

「――ねえ、ルーク」

 先を歩くリーフェが振り返らずに言った。

「――あんたたちは、この後、帝国に行くの?」

「――ああ。ガロンの兄貴を探しに」

「――そう」

 しばらく足音だけが続いた。

「――もし、さ。全部終わって、もう一度森に来ることがあったら。……その時は、あたしが案内してあげてもいいわよ」

「――お前、一人で案内するの苦手じゃなかったか」

「――うっ! その時までには、できるようになってるの!」

 ぷい、と前を向く。耳の先が赤い。

 ルークは思わず笑った。

「――楽しみにしてる」

 その時だった。

 南の空が赤く染まった。

 リーフェが凍りついたように足を止める。

 遠く、梢の向こうで、一筋の煙が立ち上っていた。狼煙だ。赤い煙。夜空に溶けずに、不吉な色を滲ませて、ゆっくりと昇っていく。

 続いて集落の方角から、角笛が鳴り響いた。長く、低く、重い音。

「――……警鐘」

 リーフェの声が掠れていた。

「――南の見張りからの、敵襲の合図……!」

 ルークの手が腰の剣に伸びた。

 頭の奥で何かがざわりと身じろぎしたような気がした。

「――急ぐぞ!」

 二人は同時に駆け出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。