木蜘蛛
翌朝。
全身が、錆びついたように軋んでいた。
「――いてて……」
客人用に用意された小屋の寝台で、ルークは顔をしかめながら体を起こした。身体強化を全開にした反動が、筋肉痛となって一日遅れでやってくる。腕を上げただけで、肩の奥が悲鳴を上げた。
「――おはよう、ルーク。大丈夫かぁ」
「――大丈夫に見えるか」
「――見えねえなぁ」
隣の寝台で朝食の果実をかじっていたガロンが、のんびりと答える。世話になっている身で遠慮という言葉を知らないのが、この熊のいいところだった。
その時、扉が荒っぽく叩かれた。
「――起きてるわね。入るわよ」
返事も待たずに入ってきたのは、リーフェだった。弓を背負い、腰に短剣を差した、森の見張りの装いだ。昨日より少し不機嫌そうに見える。
「――何の用だよ、朝っぱらから」
「――長老と師匠からの伝言。森の北の外れに、魔獣が出たの。あんたたちにも、討伐を手伝ってもらうって」
「――俺たちが?」
「――勘違いしないで。あたしは反対したんだから。でも、師匠が決めたことだし」
ぷいと顔を背けて、リーフェは続けた。
「――要するに、あんたたちの実力を、もう少し見たいんでしょ。昨日の手合わせだけじゃ足りないって」
なるほど、とルークは思った。口には出さないが、あの冷静な男は、まだ自分たちを信用しきってはいないらしい。当然だ。
「――分かった。準備する」
「――筋肉痛は?」
「――気合で何とかする」
「――……ばか」
小さく呟いたリーフェの声は、少しだけ呆れていた。
魔獣は、集落から小一時間ほど歩いた、森の北の外れに巣を張っていた。
木々の間に、白い糸が幾重にも張り巡らされている。陽の光を受けて、不気味に煌めいていた。足元には、巻き取られた小動物の骨が散乱している。
「――木蜘蛛よ」
茂みに身を潜めながら、リーフェが囁いた。
「――人の背丈くらいの蜘蛛。糸で獲物を絡め取って、動けなくしてから食べるの。巣の近くを通った見張りが二人、行方不明になってる」
「――行方不明、か」
ルークは眉をひそめた。既に手遅れの可能性もある。だが、それを口に出すのは控えた。
「――作戦を決めるぞ」
ルークは小声で、二人に言った。
「――ガロンが前で糸を受け止める。リーフェは後ろから、目を狙ってくれ。俺は足を落とす」
「――あたしに指図しないでよね」
「――じゃあ、他に案があるか」
「――……ないけど」
「――なら決まりだ」
「――任せてほしいんだぁ」
ガロンが、ぐっと拳を握って頷いた。
最初に飛び出したのは、ガロンだった。
「――うおおっ!」
大楯を構えて突進する。巣の入口から、無数の糸が放たれた。粘り気のある白い束が、大楯に絡みついて、ぐいと引き戻そうとする。
「――ふんぬっ!」
ガロンが踏ん張った。巨体が軋み、足が地面にめり込む。
その背後を、ルークが駆け抜けた。身体強化で足の筋肉を爆ぜさせ、糸の隙間を縫うように、巣の中心へ跳ぶ。
木蜘蛛が、頭上から姿を現した。人の背丈ほどもある胴体に、八本の長い足。複眼が赤く光り、牙から毒液が滴っている。
「――でけぇ……!」
迫る前足を、ルークは身を沈めてかわした。頭上を風が裂く。続けて二本目、三本目。避けるのは、得意だ。
隙を見て、剣を抜いた。足の関節めがけて、一閃。
キン、と硬い音。
(――浅い!)
刃は表皮を削っただけで、切断には至らなかった。やはり、軽い。体重が乗らない斬撃では、硬い甲殻を断つには足りない。
「――リーフェ、今だ!」
「――分かってる!」
その瞬間、風を切る音がして、矢が飛んだ。
立て続けに三本。木蜘蛛の複眼のうち、二つが弾け飛んだ。残る一つも、続く四本目の矢が貫く。
「――ギィィィッ!」
視界を奪われた木蜘蛛が、狂ったように暴れ始めた。足が四方八方に振り回される。
「――下がれ、ルーク!」
ガロンの声が響いた。糸を振りほどき、巨体が突進してくる。大楯を前に、体ごと木蜘蛛の胴体へぶつかっていった。
「――うおおおっ!」
鈍い衝撃音。木蜘蛛の体が巣の外へ弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。そこへ、メイスが振り下ろされた。
一撃、二撃、三撃。硬い甲殻が割れ、緑色の体液が飛び散る。
木蜘蛛は、痙攣しながら動かなくなった。
「――……やったか」
息を整えながら、ルークは巣の奥を睨んだ。まだ終わっていない。巣の奥に、小さな影がいくつも蠢いている。子蜘蛛の群れだ。
「――まだいる!」
リーフェの声に、ルークは咄嗟に手を掲げた。
魔力を丸めて、ソフトボールほどの球体を作る。巣の奥へ向けて放ち、瞬間的に膨らませた。
ブンッ、と音がして、半径二メートルほどの闇の球体が膨れ上がる。子蜘蛛たちが、その中で弾け飛んだ。
「――……闇属性?」
リーフェが目を丸くした。
しまった、とルークは内心で舌打ちする。つい、いつもの癖で使ってしまった。人族の前では、避けていた魔法だ。
「――……悪い。驚かせたか」
警戒しながら振り返る。リーフェは弓を下ろしたまま、不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
「――別に。珍しいなとは思ったけど」
あっさりと言う。
「――森の中には、闇の精霊もいるし。人族は、嫌がる人が多いんでしょ? あたしたちは、あまり気にしないけど」
「――……そうか」
拍子抜けしたような、それでいて、胸の奥が少しだけ軽くなったような感覚。ルークは、思わず目を伏せた。
(――気にしない、か)
闇属性だというだけで、忌避されてきた。隠すことが、当たり前になっていた。それが、ここでは違う。
「――何ぼーっとしてるの。巣の後始末、手伝ってよね」
「――ああ、悪い」
リーフェの声で我に返り、ルークは剣を鞘に収めた。
日が傾く頃、三人は集落へ戻ってきた。
行方不明だった見張りの二人は、巣の奥で、糸にくるまれた状態で見つかった。一人は衰弱していたが、命は無事だった。もう一人も、手当てが間に合えば助かるだろう、と薬師が診断した。
「――……お手柄だったな」
報告を受けたエルヴィンが、静かに言った。
「――あんたたちの動きは、見ていた。悪くない」
「――ガロンと、リーフェのお陰です」
「――ふん」
リーフェは腕を組んで、そっぽを向いた。
「――別に、あんたたちを認めたわけじゃないから。ただ、足を引っ張らなかったって、それだけ」
そう言いながらも、その耳の先は、ほんのり赤く染まっていた。
「――明日は傷の手当てと、薬草の話を聞きに薬師の所へ行くと良い」
エルヴィンはそれだけ言い残して、静かに去っていった。
空を見上げる。薄雲の向こうに、星がいくつか瞬き始めていた。
(――あの奥に、世界樹の聖域があるんだったな)
ふと、森の奥に目を向ける。そこには、昼間よりもさらに濃い闇が、静かに横たわっていた。




