試す者
長老の住まいは、集落の中央にそびえる、ひときわ巨大な樹の上にあった。
広間に通されたルークとガロンの前に、一人の老エルフが座している。白銀の髪と、深い皺の刻まれた顔。だが、その瞳は、長い年月を湛えた湖のように澄んでいた。
「――ベスティアの王からの書状と聞いた」
ルークが差し出した封書を、長老は静かに受け取った。ゆっくりと封蝋を割り、中身に目を通す。広間に、紙の擦れる音だけが響いた。
やがて、長老は書状を畳み、深く息を吐いた。
「――帝国の動き、か」
重い声だった。
「――あの国の手が、いずれこの森にも及ぶとは、予て思っていた。王の警告、確かに受け取った」
「――では」
「――だが、それとお前たちを森の奥へ通すことは、別の話だ、若い者よ」
ルークの期待を、長老は静かに遮った。
「――我らは、古い種族だ。人族との関わりで、良い思いをした者は少ない。書状一枚で、容易く扉を開くわけにはいかぬ」
予想はしていた。それでも、直截な物言いに、ルークは言葉を飲み込む。
「――では、どうすれば」
「――力を示せ」
長老は、傍らに控えるエルヴィンに視線を送った。
「――エルヴィンと、立ち会ってもらう。木刀で、一本勝負だ。勝てとは言わぬ。お前の人となりを、剣で見せてもらおう」
「――師匠と、ですか」
隣でリーフェが、息を呑んだ。ガロンも不安げにルークを見る。
「――……ルーク、大丈夫なのかぁ」
「――やるしかねえだろ」
ルークは小さく息を吐いて、頷いた。
(――ゴールド上位クラス、って雰囲気だな、あの人は)
先ほどの視線を思い出す。まともに斬り合って勝てる相手ではない。ただ、勝つ必要がないなら、話は別だ。
「――受けます」
集落の外れにある、円形の広場。
木刀を手に向かい合ったエルヴィンは、構えらしい構えを取らなかった。自然体のまま、剣先を下げている。
「――魔法は使わない。木刀のみだ。好きに打ってこい」
「――じゃあ、遠慮なく」
ルークは、身体強化を全開にした。全身に魔力を巡らせ、筋肉を張り詰める。
(――変身は使わねえ。使えば、足がまた黒くなる)
地面を蹴った。
一気に間合いを詰め、上段から木刀を振り下ろす。エルヴィンは、半歩だけ動いてそれを受け流した。軽い音。力の逃がし方が、恐ろしく巧い。
返す刀で胴を狙う。見切られている。刃の側面で軽く弾かれ、体勢が僅かに崩れた。
(――重さが、違いすぎる)
力を入れた攻撃が、空を打つようにいなされる。技術の差は、歴然としていた。素の力では、トッドにも勝てなかった自分だ。当然だった。
それに、自分の斬撃は軽い。腕力は身体強化で補えても、体そのものが軽いせいで、体重が乗らない。同じ力で殴っても、重い奴のほうが一撃が響く。それと同じ理屈だった。
次の瞬間、エルヴィンの木刀が、ひゅっと音を立てて閃いた。
「――っ!」
咄嗟に身を沈める。頭上を風が掠めた。続けざまの二撃目を、後ろに跳んでかわす。
(――速い。だが、見える)
身体強化の反射神経だけは、確かな自信があった。避けることに関しては、これまでの旅で嫌というほど鍛えてきた。
エルヴィンは、内心で眉をひそめていた。
(――おかしい)
試しの六割。本気を出すつもりはなかった。この少年の人となりを見るのが目的で、勝敗に拘る気は微塵もない。
だが、三度目の斬撃が、また空を切った。
普通なら、とうに三本は取っている。六割の出力でも、中堅クラスの冒険者を相手にするなら十分すぎる速度のはずだ。それが、この少年は、紙一重のところで、すべてをかわしてくる。
(――型はない。技も荒い。だが、こちらの視線と肩の動きを、実際に見て動いている)
体は、決して大きくはない。膂力も人並みだろう。ただ、身体強化の練度と、実戦で積まれたと思しき勘が、異様なまでに噛み合っている。
打ち込みは軽い。攻めの質は、明らかに未熟だった。だが、避けることだけは、一級の域に達している。
(――しかし、そう長くは持つまい)
少年の呼吸が、徐々に荒くなっているのが分かった。全開の身体強化は、反動が大きい。限界は、すぐそこに来ている。
興味深い、とエルヴィンは思った。同時に、無意識のうちに、握る木刀に力がこもっている自分に気づく。
(――試すつもりが、いつの間にか、見入っているな)
小さく息を吐いて、出力を少しだけ上げた。
「――……っ、はぁ、はぁ……」
膝が笑い始めていた。
ルークは歯を食いしばり、次の攻撃に備える。全身が悲鳴を上げていた。息が続かない。避ける動きが、徐々に遅れ始めている。
ふと、エルヴィンの気配が、ほんの少し変わった。
(――来る)
そう思った瞬間には、遅かった。
踏み込みの速度が、先ほどまでとは明らかに違う。避けたはずの軌道を、予測していたかのように、木刀が先回りした。
肩に、硬い感触。
「――一本」
エルヴィンの静かな声が、広場に響いた。
ルークは、そのまま地面に膝をついた。全身の力が抜ける。額から、汗が滴り落ちた。
「――……参りました」
息も絶え絶えに言う。悔しさよりも先に、納得があった。これが、実力の差だ。
エルヴィンは木刀を下ろし、少年を見下ろした。
「――避けることに関しては、一級の域だ」
静かな声だった。
「――だが、それだけでは勝てない。攻めを磨け」
「――……はい」
素直に頷いたルークに、エルヴィンの口元が、微かに綻んだように見えた。
観戦していた長老が、ゆっくりと立ち上がる。
「――よかろう。お前の人となりは、見せてもらった」
ざわついていた周囲が、静かに道を開ける。
「――森の奥までは通そう。ただし、世界樹の聖域には、決して近づかぬこと。それだけは、約束してもらう」
「――分かりました」
ルークが頷くと、長老は続けた。
「――もう一つ。お前の連れが探しているという話も、書状にあった」
ガロンが、はっと顔を上げる。
「――数年前、我らの見張りの者が森の南の街道で見た。檻を積んだ幌馬車の列だ。北東の街道へ向かっていた。獣人の声が、中から聞こえたという」
「――……!」
ガロンの巨体が、震えた。
「――それが、おでの兄貴かは分からねえ。でも……北東、なんだなぁ」
「――ああ。方角は、間違いない」
ルークは、立ち上がりながら、ガロンの腕を軽く叩いた。
「――手がかりが、一つ増えたな」
「――……うん」
ガロンが、力強く頷く。その目には、はっきりとした光が宿っていた。
その傍らで、リーフェが小さく唇を動かした。
「――……ふん。悪くなかったわよ、あんた」
誰に言うでもない独り言のように。だが、確かにルークに向けられた言葉だった。
「――お、褒められた」
「――褒めてない!」
顔を背けた彼女の耳は、また赤くなっている。
夕暮れの空の下、集落のあちこちに、淡い灯りがともり始めていた。




