森の番人
「――ちょっと待て。怪しいもんじゃねえ」
両手を挙げたまま、ルークは枝の上の少女を見上げた。隣ではガロンも、大楯を地面に置いて、のそのそと両手を上げている。
「――怪しくない人は、そもそもこんな所まで来ないでしょ」
少女は弓を下ろさなかった。翠色の瞳が、ルークの腰の剣、ガロンの巨体、そして二人の足元を順に睨んでいく。
「――人族と、熊族。何しに来たの。ここは、あんたたちの来る場所じゃないんだから」
「――書状を預かってる。ベスティアの王様から、エルフの長老宛てだ」
ルークはゆっくりと懐に手を入れた。少女の指が、弦の上でぴくりと動く。
「――ゆっくり動くぞ。武器じゃねえ」
取り出した封書を、頭上に掲げる。封蝋には、獅子の紋章が押されていた。く
少女は無言のまま、しばらくそれを見つめていた。やがて、軽い身のこなしで枝から飛び降りる。音もなく着地したその姿は、近くで見ると、思ったよりずっと小柄だった。
「――……見せて」
差し出された書状を受け取り、少女は封蝋を指先でなぞった。表情が、わずかに揺れる。
「――本物、みたい」
悔しそうな声だった。疑う理由を探していたのかもしれない。
「――でも、私の一存では通せない。まず長老に報告しなきゃいけないから。あんたたちは、私の後ろについてきて。勝手に歩き回らないこと、木や草に触らないこと、剣は絶対に抜かないこと。分かった?」
「――分かった」
「――了解だぁ」
ガロンが元気よく返事をした。そして、少女の顔をじっと眺めながら、のんびりと言う。
「――エルフって、本当にきれいなんだなぁ」
「――なっ……!」
少女の顔が、一瞬で真っ赤になった。
「――な、何言ってるの、この熊! 変なこと言わないでよね!」
「――おで、本当のことを言っただけなんだぁ」
「――それが変だって言ってるの!」
弓の弦を握りしめて、ぷいとそっぽを向く。耳の先まで赤い。
(――最初の印象よりは、ずっと素直なやつかもな)
ルークは笑いを噛み殺しながら、少女の後に続いた。
「――あたしはリーフェ。森の見張りの、守り手。……あんたたちの名前は、一応聞いておくわ」
「――ルークだ。こっちはガロン」
「――ふうん」
素っ気なく頷いて、リーフェは先に立って歩き出した。
森の入口は、近くで見ると、さらに圧倒的だった。
見上げるほど太い幹が、柱のように立ち並んでいる。頭上で重なる枝葉が空を遮り、足元には柔らかな苔が敷き詰められていた。差し込む光は緑に染まり、静けさの中に、微かな水音と鳥の声が溶け込んでいる。
その境界を、ルークが一歩踏み越えた時だった。
(――……?)
肌が、ざわりと粟立った。
寒気ではない。恐怖でもない。ただ、どこか遠くの方から、細い糸で引かれているような感覚。胸の奥の、普段は意識しない場所が、微かに疼いた。
足が、止まる。
「――何してるの。さっさと来てよね」
リーフェの声に、はっと我に返る。
「――いや……なんでもねえ」
首を振って、もう一歩踏み出した。感覚は、既に薄れている。気のせいだったのかもしれない。
(――あいつは、黙ったままか)
頭の奥に潜む、あの獣の気配を探る。いつものように、何の反応もない。ただ、その沈黙が、なぜか今日はやけに重く感じられた。
「――それと」
先を歩いていたリーフェが、肩越しに振り返った。
「――ここから先は、迷いの森よ。私から絶対に離れないで。はぐれたら、二度と外には出られないんだから」
脅しではない、真剣な声だった。ルークとガロンは顔を見合わせ、無言で頷く。
緑の闇の奥へ、三人の足音が吸い込まれていった。




